名優津川雅彦先生と一緒に(平成24年3月5日帝国ホテルにて)

 

 

       

 

 

英雄・小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

       船中八策    坂本龍馬

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、

  万機宜しく公議に決すべき事。

一、有材の公卿(くぎょう)・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、

  官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。

一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

一、海軍宜しく拡張すべき事。

一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 

  以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、

  之を捨てて他に済時の急務あるべし。

  苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、

  万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。

  伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、

  一大英断を以て天下と更始一新せん。

 

 

    戦略大学「船中八策」

平成24年2月2日「シンクタンク戦略大学」北岡俊明ⓒ

 

第一、平和憲法を破棄し「平成憲法」を制定すること。

憲法の刷新なくして国家の刷新はない。日本衰退の元凶は「平和憲法」にある。

平和憲法を破棄し、日本の歴史と伝統にもとづく思想と哲学をもった新しい憲

法を制定すること。新しい日本の出発は憲法の刷新から始まる。

第二、「新・富国強兵」立国をめざすこと。

日本復活の理念として「明治ルネッサンス」を掲げる。近代日本をつくった明治

維新の原点にかえる。富国とは経済力であり強兵とは軍事力である。この二つは

国家存立の根本原理である。ベンチャー精神、質実剛健の国民精神にかえり、強

い日本人、強い日本国をつくる。国防と青年教育としての徴兵制度を導入する。

第三、一院制議会を導入すること。

 一院制議会にする。議員定数を200名とする。イギリス以上の世界最難関の資格

試験を課す。合格した人間は「議員候補者」となり、選挙に立候補できる。才能、

人格、識見、思想、日本における最優秀な人材を議会に結集すること。

第四、日教組教育を一新すること。

戦後教育は死んだ。エゴと自己中心人間を大量に生んだ戦後教育を一新すること。

日本衰退の元凶はGHQ教育と日教組教育にある。教育は国家存立の根本原理で

ある。教育なくして国家なし。歴史と伝統の江戸教育と戦前期教育の良さを復活

し、6・3・3・4制教育を根本的に改める。

第五、IT・ソフト技術立国をめざすこと。

IT企業、IT技術者、ソフト技術者こそが産業・企業の中心とならなければ日本

は世界との競争に敗退する。電機業界の苦境がそれを証明している。

ソフト技術者、IT技術者を中核技術者として厚遇せよ。国家目標として大増員せよ。

第六、クールジャパン・芸術立国をめざすこと。

芸術立国をめざす。北斎、広重、狩野派から横山大観、岸田劉生、梅原龍三郎、

岡本太郎、そして手塚治虫、宮崎駿へと続く。芸術とフアッションとマンガとアニ

メのクールジャパン。世界へむかって「ジャパンアート」を発信すること。

第七、武士道ルネッサンスを起こすこと。

武士道精神は現代もなお世界に誇る至宝であり文化である。義、勇、仁、礼、誠、

名誉、忠義・質素。宗教心、道徳心としての武士道精神のルネッサンスである。

行動的禁欲、刻苦勉励を尊び、隣人を愛し、人のため公のために命をかけること。

第八、強靱な日本・強靱な日本人をつくること。

グローバルな競争において強い日本と日本人を作る。世界に通用する、強い人間力、

強いリーダーシップ、強い経済力、強い軍事力、強い科学技術力、強い文化芸術力

をもった「強靱なニッポン・強靱なニッポン人」を創造すること。

 

平成24年5月31日(木)

小沢一郎・昔の名前で出ています♪♪

 

そにれしても、この男の辞書には「恥」という文字がないらしい。

「謙虚」という文字もない。

「徳」も、「仁」もない。

「道徳」という漢字もない。

人間の道に関する文字がすべて欠落している。

 

小沢一郎のと辞書には「金」と「権力」と「秘書」という文字ばかりが載っているのだろう。

こんな辞書では作文も書けない。手紙も書けない。

 

もういいかげんにした方がいい。

野田さんは決断の時だ。小沢斬りの時がきた。

これを決断できなければ野田は宰相として終わりである。

政治家としても終わりである。

 

国民はもううんざりしているのだ。

野田さんと民主党の本流が、小沢を斬れないならば、総選挙をして、民主党と一緒に

小沢を斬るよりほかはない。もちろん、小沢チルドレンなどという連中はゴミだから

一緒に「ごみ箱」に捨てる。さらに、画面をクリックして、ごみ箱を空にするネ。

 

小林旭の名曲「昔の名前で出ています」は、情緒あるいい歌である。

とてもじゃないが「小沢一郎・昔の名前で出ています♪」は、歌にもならない。

フシの抜けた、音痴ソングだろうよ。コトバの比喩としてつかっただけで、

小林旭の歌には遠く及ばない。

 

それにしても、政界は、どうしようもないほど、遅れている。

問題解決能力がない。戦略がない。

どうしたら日本を復活させるかの戦略がない。

 

強力な「5%経済成長戦略」を打ち出さないと日本は破綻する。

原子力発電所を稼働させ、経済を活性化しないと、大変なことになる。

こういう無策を続けると、韓国に一人当たりGDPで追い抜かれる日が近い。

これだけは日本人は命をかけても絶対に避けねばならない。

 

あの外道の国・韓国だけには、生命を賭しても、負けてはならぬ。

もし、餓鬼道の国・韓国に追いつかれた日には、

西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作など、

維新の志士に何といってお詫びするのだ。

日本人全員が腹を切るよりほかはない。

 

平成24年5月30日(水)

それにしても朝日新聞の偏向は度がすぎる

 

昨日、朝、朝日新聞を開くと、菅直人の国会での証言についての記事が載っていた。

しかし、追求があまりにも甘すぎるのだ。あろうことか社説でも取り上げていない。

日本経済新聞でも、社説においてきびしく菅直人を追求しているのだ。朝日新聞は

よほど菅直人と親しい関係があるのかと勘ぐりたくなる。

 

一番、きびしいのが産経である。一面二面三面を全部使って追求している。

とくに、産経の一面は、「菅氏、反省なき強弁」であるが、

朝日新聞は、菅氏「国に責任、おわび」となって、菅氏が国に責任があること、

そして、お詫びした、という菅氏寄りの見出しである。

 

そして、今朝、さらにびっくりしたのが、中国駐日大使館書記官のスパイの記事である。

産経は一面を全部使って厳しく追求しているが、朝日新聞にはどこにも記事がない。

そんなバカなことがあるかと、新聞を次々とめくってみたがどこにもない。

最後の三面記事になってやっと出てきた。

 

朝日新聞は、長年、左翼を応援してきた。菅直人は、左翼活動家出身であるから

彼を非難せず、弁護し、菅直人寄りの記事を書くのだ。中国のスパイの事件は、

これも、長年、中国におもねり、媚びてきた。中国を刺激したくないので記事にしない。

 

とにかく、朝日新聞は極端に偏向している。

中国人は朝日新聞の内部に入り込んでいるのはまちがいない。新聞記者にも、

中国人のスパイがたくさんいるだろう。北朝鮮や韓国系のスパイもいる。

 

朝日新聞ほど、売国的な新聞はない。日教組ともに日本人の敵である。

もし国家反逆罪があったならば、朝日新聞は売国の罪で、即刻、解散である。

朝日新聞の罪は重い。否、重いなどというコトバで片づけられない。

この新聞が、戦後60年、日本を貶めてきた罪は、人間ならば極刑である。

 

朝日新聞が、日本から消えた時が、日本の安泰の時である。

朝日新聞があるかぎり日本人は、この新聞を常に監視し、日本への敵対行為を止めさせるように

しなければならない。まさに国民の敵である。

 

平成24年5月29日(火)

民主党には花がない

 

民主党のリーダーをみると、「花」というものがない。

鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、そして、いうまでもなく小沢一郎である。

輿石などという奴は、問題外の外、言語道断の男である。

こんな売国奴を幹事長にしているだけで、民主党は日本国民の敵である。

 

戦後60年もまた第二の敗戦だとすると、輿石は戦犯の一人である。

日教組教育を広めた売国奴であり、第一級戦犯である。

 

自民党も、大きなことは言えないが、少なくとも、花がある人がいた。

三木武夫、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎である。

 

しかるに、民主党は、あまりにも地味すぎるのだ。

政治家とは、舞台俳優である。日本国という舞台、あるいは国際舞台で

歌舞伎役者のごとく大見得をきらねばならない。

 

鳩山は、畑を間違えて生えてきた大根のくせに、

とんでもない見えをきって、満天下に恥をさらした。

菅はヘ理屈がすぎる。政治家ではなく活動家である。

組合の書記長が適任である。

 

野田さんは地味すぎる。あまりにも地味すぎる。

人間の良さは認めるが、政治家としてはあまりにも花がない。

小沢一郎は権謀術数がすぎて、裏街道の人間として、イメージが悪すぎる。

現代のような表舞台で演技をする時代には不適格な俳優である。

 

とはいっても、自民党にも人材が少ない。

唯一の人材が石破茂議員である。

自民党は、石破茂をどのようにリーダーとして担ぐかによって浮沈が決まる。

 

なぜ、橋下徹なのか、徹底的に研究しないと、次の選挙で既成政党は全滅する。

それだけ橋下徹のパワーは強力である。

既成の政治家は、全員、吹っ飛ばされるだろう。

小沢チルドレンなどというふざけた連中は枕を並べて討ち死にする。

 

平成24年5月28日(月)

親に生活保護を受けさせるとは

最悪最低の人間のクズだ!

 

相当な年収があるのに、母親が生活保護費を受給していたタレントがいた。

顔は見たことあるような、ないような芸人である。

この程度の芸人が人気があるとは、芸能界も質も低下したものだ。

 

最近は、芸もないのに、ド素人のお笑いテレビ芸人が幅を効かせている。

5000万円も稼ぐそうだ。

世も末だ。地道に働いて人間がアホらしくてやる気をなくすような日本になった。

 

この河本準一という阿呆タレントの記者会見を見た。

全編、言い訳のオンパレードである。こういう卑怯卑劣な人間だから、

母親に生活保護費を「不正」受給させていたのだ。

 

とくに、腹がたったのは、年収が100万円だったからとか、

結婚して家族がいて、生活が不安定だったからとか、

だから親面倒をみることができず、生活保護費を受給させていたという言い訳だ。

 

年収が100万円でも、

たとえ年収がゼロでも、

親の面倒をみるのが、子としての責任である。

年収の多寡はまったく関係ない。

たとえ自分は餓死しても、

親を世話するのが子としての義務である。

 

まして100万円もあれば、全部、親に送れ。

親に生活保護を受けさせるとは、子供として、まして男子たるもの、恥を知れ。

腹かっ割いて、親不幸を詫びよ。

 

平成24年5月25日(金)

政治がつまらんネ、ほんとうにつまらんネ

安物の韓流ドラマのようだ。

 

国会の特別委員会の討論とやらの中継を少し見たが、最近は、終わりまで見る気がおきない。

あまりにもつまらんからだ。

安物の三文ドラマか、ウソとはったりで固めた韓流ドラマよりひどいシロモノだ。

 

イギリス議会の討論とは、天と地、どころか、シェイクスピア劇と学芸会の違いだ。

といったら幼稚園生に悪い。幼稚園の学芸会以下である。

壮大な時間と税金を浪費して、国会議員は我等の血税をなんと心得ているのだ。

 

国会は聖域ではない。アンタッチャブルではない。今、財政の苦しいときである。

まっさきにやるべきことは、国会議員の削減と、国会のお粗末な芝居の中止である。

最近は、タレント議員が当選して、委員会などを見ると、華やかだが、女学校の

ホームルームのような光景である。

 

ど素人議員が、学校のホームルームのような感覚で、我等の血税を湯水ごとく

浪費しているのだ。笹川陽平日本財団理事長が、一院制にして、300議席にせよ

と産経新聞3月14日「正論」で提案していた。

まったく同感である。ゴジラ先生は、一院制で、200議席にせよと提案している。

 

アメリカは上院100名、下院435名、合計535名である。

3億人のアメリカが535名なのに、1億2千万人の日本が722名である。

あまりも多すぎる。アメリカ並の比率にすると、日本は200名になる。

 

722名−200名=522名が不要である。

一人当たり1億円の血税が注がれている。

522億円のムダ使いがなくなる。

 

国会は聖域ではない。今、まっさきにやるべき政治改革は国会議員の大幅な削減である。

おのれらの血は流さずに、公務員を削減したり、自衛隊を削減してきたのである。

偏差値の低い、ド素人のタレント議員より、痩せても枯れても、保証書付きの

「 東京帝国大学」出の国家公務員がまだましである。

 

どこの馬の骨かわからんタレント議員よりも、一応は、子供の頃から近所で評判の

偏差値の高い「帝大」出が、信用できるだろう。頭の悪いタレント議員に、われらの血税は

びた一文、払う気はない。冗談は顔だけにしろと言いたい。

 

まして自衛隊を削減するとは言語道断である。

アホウなド素人議員を、即刻、クビにしろ。

国防費をGDP2%にして、中国、韓国、北朝鮮の脅威に備えろ。 

 

平成24年5月23日(水)

東北タワーを建設せよ

 

東京スカイツリーがこんなにも人気があるのなら、

仙台か、石巻か、福島か、東北タワーを建設せよ。

復興のシンボルである。

同時に、日本の地震と原発事故は、心配ないということを世界に示せる絶好のチャンスだ。

 

東京電力も政府も、農協や漁協のゴリ押しの賠償金を東北タワーの建築に回せ。

火事場泥棒と同じである。とくに農協という悪党は、徒党を組んで、

賠償金を盗み取ろうとしている。

 

農協と沖縄、これが現代の二大ゴリ押し税金ドロボーである。

何かというと「補償、補償」と大合唱する。

しかし、すべては我等の血税である。

 

ゴジラ先生は、農協と沖縄への血税の投入に断固反対する。

こういう悪党がいるから、日本では、正直ものがバカを見て

弱者が電気を止められ自殺するのだ。

なんという不公平な社会であるか。

 

農協や漁協や沖縄に回す金を東北タワーの建設に回せ。

国民が寄付をして、タワーの建設を推進しよう。

国民の総力を結集したら、タワーの建設も困難ではない。

直ちに、建設計画を立てて、突貫工事で、3年で完成させろ。

東北の復興のシンボルタワーとなるだろう。 

 

平成24年5月21日(月)

もはや日本には大相撲は存在しない

 

昨日、モンゴル出身の旭天鵬が優勝した。

37歳の優勝は見事である。

しかし、しかし、しかしだ、あまりにも違和感が大きすぎる。

相撲界を見るとあまりにも外国人だらけだからだ。

モンゴルは27人もいる。そして、いつの間にやら、白人系が多いのにもびっくりする。

 

これはもはや神道としての大相撲ではない。

スポーツとしてのSUMO(スモウ)である。

国技という名称を返上し、そして、日本相撲協会は国技館から退去せよ。

国技館は、別組織が日本伝統の大相撲を開催する場所として、再出発せよ。

 

その上、極めつけの頭の悪い北乃湖が理事長という信じられない守旧への後退が起こった。

せっかくの明治維新が江戸幕府体制へ帰ったようなものである。

こういう人物をいただくかぎり、外国人路線を踏襲し、大相撲はますます人気を失い、

滅びへの道をまっしぐらである。

 

部屋を維持するために、安易に外国人に頼った親方たちの近視眼経営の結末である。

合成の誤謬である。個々がよかれ思っても、全体では最悪の結果をもたらすのである。

部分は最適でも全体は誤りである。

 

日本人力士のみで「大相撲を興行する団体」と、外国人力士を入れた「SUMOの団体」、

この二つに分離した方がいい。いずれにしても、現状の国技という名称は返上しろ。

外国人力士がいるかぎり、相撲界は人気をなくし、滅びるだろう。

現状は人気のないプロレス団体のようなものである。

 

平成24年5月18日(金)

もはや韓国とは戦争状態に入っている

 

最近の日本は、支那はもとより、南北朝鮮からも完全に舐められている。

完全にシナとチョウセンの風下に立ってしまった。

すべての責任は、総理大臣と、民主党と、国会議員にある。

 

断固たる抗議をしない。日本が断固たる行動をとらないから、シナ人とチョウセン人が

舐めきっているのだ。儒教文化の中華思想がしみこんでいるシナやチョウセンは

弱みを見せると完全につけ込んでくる。

 

きゃつらの文化には、武士道精神、騎士道精神、キリスト教精神などの高貴なる文化は存在しない。

敵に塩を送る、後から斬りつけない、卑怯卑劣なことをしない、昨日の敵は今日の友。

こういう高い精神性に裏付けられた文化が存在しない。

 

敵を出し抜く、後から斬りつける、卑劣な汚い手をつかう、溝に落ちた犬を叩く、昨日の敵は永久に敵である。

相手を許すという文化がない。汝の隣人を愛する精神がない。

墓を暴くのである。墓を暴いて、永遠に罵倒し続けるのである。

人間としてありえざる行為をするのが、シナとチョウセンである。

まさに犬畜生にも劣る外道な民族である。

 

日本とは、まったく文化が異なる。

顔が似ている。儒教、仏教がある、などと考えるととんでもない間違いをする。

過去、日本はそれで失敗してきた。今も多くの日本人はシナとチョウセンに甘すぎる。

 

日本の脇が甘いから、シナとチョウセンは、日本に対してしたい放題をしている。

尖閣列島、竹島、日本海を東海する運動、従軍慰安婦という虚構。

世界中で、日本を貶める行動をとっているのが、とくに南チョウセンである。

 

日本は韓国を不倶戴天の敵として、敵性国家として、最大限の警戒体制に入れ。

韓国ほど汚い国家はない。世界中で、日本を貶め、日本の悪口を宣伝し、日本を追い落とす

工作をしているのが韓国である。

 

もはや友好国ではなく、敵国として位置づけ、日本は国家として総力をあげて対処する時がきている。

韓国は日本の仮想敵国である。

戦火こそ交えていないが、物神両面ともに、戦争状態にあるといっても過言ではない。

 

平成24年5月17日(木)

日本は、今すぐ、軍事力を強化せよ

 

戦後60年を経て、日本衰退の根本原因は「日本国憲法」にある。

この愚かな「平和憲法」とやらが、日本人を完全にダメにした。

 

戦わない人間が人間でないごとく、戦わない国家は国家ではない。

他国アメリカに自国の防衛を委ねた時、日本は国家ではなくなった。

完全な属国に成り下がった。実質的な51番目の州である。

 

しかし、この極悪憲法を破棄するにしても、改正するにしても、時間がかかりすぎる。

今すぐ、できることは、軍事力の強化である。

万難を排して、軍事費を増やせ。GDPの2%を目標にせよ。

 

第一は、自衛隊という名称をただちに捨てて「日本軍」とすることである。

栄光の大日本帝国陸海軍の末裔として、まず呼称を復活させることである。

軍隊は強くなければ軍隊ではない。自衛隊ではあまりにも迫力がない。

あまりにも弱すぎる印象がある。自衛隊という悪名を即刻、廃止せよ。

 

第二は、兵力の増強である。

陸軍は、40万人にせよ。この長い列島を守るためには、 現有のたった15万人では、あまりにも兵力不足である。

海軍は、6万人である。

空軍は、6万人である。

合計52万人である。

 

これでもまだ韓国軍66万人より少ない。北朝鮮軍120万人にははるかに及ばない。

中国軍230万人には、遠く及ばない。

 

軍隊の効用。

軍隊は国家の大黒柱である。軍隊が弱体化した国は、歴史の法則として、国家は衰退している。

軍隊が精強である国は、成長発展している。

これも明治以降の日本を見るまでもなく歴史の法則である。中国、韓国しかりである。

 

軍隊こそが、軟弱な国民を精強な国民へ変える。軍隊に優る国民教育のシステムはない。

なぜ、軍隊なのか。

戦争に備えることは、当然としても、もっと大切なことは、青年教育、国民教育として深い意味がある。

明治以降の日本の発達は、青年を教育鍛練した大日本帝国陸海軍が根底にあった。

 

軍隊が精強な日本人を育てた。

戦後日本は、戦場帰りの精強な労働者が成長発展させた。

その精強な兵士という名の労働者の引退とともに日本は衰退に向かった。

明治大正人の引退である。

 

軍隊を知らない昭和・平成人が、主役となるとともに、日本は停滞から衰退へ向かった。

まことに、軍隊こそは、国家の根幹であり、大黒柱であり、原動力である。

成長のエンジンである。

 

平成24年5月16日(水)

いいかげんにしろ沖縄!

東北人の苦境を思えば、沖縄は天国だ。

 

沖縄が本土に復帰後、40年間に投じられた血税は10兆円である。

天文学的なわれらの血税が浪費されてきたのである。

日本と日本人に対して、そんなに文句があるならば、耳を揃えて返せといいたい。

 

いったい、沖縄は日本なのか。日本に対して、そんなに不満があるのなら

独立してもみろ。独立もできないくせに、自分たちだけが被害者づらをして

日本人から、ゆすりたかりをしているだけではないか。

 

戦争で350万人が死んだのだ。沖縄だけが被害者ではない。

いつまでもグズグズいうのは、朝鮮人とそっくり同じである。

たしかに、沖縄人は武士道の花咲くヤマト民族とは違う。

下司で下品なシナ系か、朝鮮系である。

 

沖縄は日本国である。日本国の方針に従わないならば、

断固たる処置をとるべきである。

いつまでも甘やかすから、つけあがるのだ。

日本政府の方針に反対ならば、日本人の税金の投入を断固拒否する。

昔の貧しい島国にかえれ。

 

沖縄に米軍基地があるのは当然である。

米軍基地をなくしても代わりに日本軍の基地をつくるだけである。

沖縄は日本にとって戦略的な要衝である。

ここは日本本土防衛の最重要な基地である。

 

沖縄人の都合で基地がなくなるわけではない。

安保条約があろうとなかろうと沖縄は日本防衛の最重要基地である。

それが嫌なら、沖縄から出て行くしかない。

 

沖縄は、アメリカの基地のお蔭で、戦後の発展を享受した。

基地がなければ、だだの貧しい島である。

沖縄よ、おのれらは自分を何様だと思っているのだ。

 

東北大震災で日本全体が苦境にあるのだ。

今は、黙って耐え忍び、この難局を日本人全部で突破しなければならない。

東北人の苦境を思えば、沖縄なんぞ天国である。

いいかげんにしろ沖縄!

お前らは、何様のつもりだ。

 

仲井真知事よ、そんなに日本が嫌なら、お前の大好きな支那に朝貢しろ。

その上、お前はシナ人の末裔であることを誇りとしているらしいが、

さっさとシナ共産独裁国家の属国になるべし。

 

平成24年5月15日(火)

第二次日清戦争、第二次支那事変を覚悟せよ

 

今、日本はシナ・チャンコロ国に完全に舐められている。

三流国家・南北チョーセン国からすらも舐められている。

 

とくに、昨日のシナの日中首脳会談拒否は、シナの傲慢無礼と日本の腰抜けぶりを

あざやかに示した。なぜ、野田総理は、断固、会談を中止して、即刻、帰国しなかったのだ。

弱腰、腰抜け外交をするから、いくらでも舐められるのだ。

 

すべの原因は、弱体化した日本の軍事力にある。

北朝鮮ですら核武装しているから、シナは無視できず、腫れ物に触るような扱いである。

しかるに、やせても枯れても、経済大国日本が、これほどコケにされ、舐められたのである。

 

軍事力が弱体化した時、周辺諸国から舐められ、恫喝され、あげく侵略されるのは、

世界史の常識であり法則である。

 

日本は、今、その危機にある。外交で舐められ、尖閣諸島は侵略の危機にある。

日本人よ、今こそ、目が覚めろ。軍事力の強化に邁進しろ。今、日本は幕末と同じで

侵略される危機にある。現実に、竹島は侵略された。北方領土は侵略されたままである。

今、尖閣諸島が、シナ・チャンコロ帝国の侵略の前に風前の灯火である。

 

第二次支那事変、第二次日清戦争を覚悟しろ。

軍事力を強化し、シナ・チャンコロ族や、チョーセン族にバカにされないようにしなければならない。

なのに、国会議員は何をしているのだ。民主党政権は国を守る意思があるのか。

自民党は何をしている。どいつこいつもまったく頼りにならない。

 

ならば草莽の我々が決起する外にない。幕末、当時まだ草莽だった吉田松陰門下が、

決起したように、だれかがやらねばならない。

覚醒せよ、日本人、今、日本は戦後最大の危機にある。

 

平成24年5月11日(金)

本日は、東北大震災の日、11日だ

 

あれから一年と二カ月たった。

大震災と原発事故の先行きがはっきりしない。

政治にリーダーシップがない。

だから、どこへ行こうとしているのさっぱり分からない。

船長が行き先を告げない船のようなものである。

 

野田総理は、実直で、正直な人であることは認める。

しかし、一国のリーダーは、実直・正直だけでは困るのだ。

リーダーは、実直な百姓や職人とは違うのだ。

 

リーダーとは、少しぐらいのワルでもいいのだ。

戦略眼をもち、戦略を打ち立てることができる人でないと困るのだ。

野田さんはしょせん大軍をあずかる将軍ではない。

軍隊でいうと、中隊長としては優れた指揮官である。

戦いの第一線では、有能な人である。

 

しかし、将軍と将校では、能力に格段の差がある。

どうも、日本には、昔より、将軍には良い人材がいない。

下級指揮官には優秀なる人物が多い。

 

これは日本民族の民族としての欠点なのか。

農耕民族のもっている宿命かもしれない。

多くの人間を指揮統制するのは騎馬民族系がすぐれているのだろうか。

 

農耕民族には、強烈なリーダーシップや指揮統制力は必要ないからだ。

みんなが田植えをし、稲刈りをすればいいのだ。

女も子供もできる仕事だ。

しかし、騎馬民族のリーダーは、女子供では勤まらない。

 

そういえば野田さんの顔をみると、田舎へ行けばたんぼの中に、いかにも

立っていそうな実直な百姓の顔である。

いい人間であることは間違いないのだがネ!

 

平成24年5月10日(木)

小沢一郎よ、東北人の名前を汚すなかれ

 

出処進退を誤るな。引退し、故郷に帰り、百姓になれ。

そうすると千載の後までも名を残すことなる。

いさぎよい英雄になるか、汚れた人間になるかの境目である。

 

東北人の名前を汚しちゃならない。東北人とは、日本人の原点のような

純朴で、実直で、愚直で、正直な人間である。

宮沢賢治、斉藤宗次郎をもって東北人の象徴とする。

 

斉藤宗次郎は内村鑑三に最後まで尽くした人物である。

雨ニモマケズのモデルは斉藤宗次郎である。

斉藤宗次郎の人生とは、まさに雨ニモマケズそのままであった。

 

内村鑑三精神を体現した人だった。

そういう人こそが東北人なのである。

小沢一郎よ、先人たちの輝かしい足跡を汚すなかれ。

 

東北人とは、西日本に多い朝鮮系の人間とはまったく異なる日本土着の民族である。

朝鮮系とは、朝鮮半島からの渡来系で、狡賢く立ち回り、人を背後から斬りつけ、

揚げ足を取り、かすめ取る盗人のような人間のことである。

まさに朝鮮民族そのものを体現した恥知らずな連中のことだ。

 

東北大震災に喝采を叫び、歓喜したのが朝鮮民族である。

この一点においてゴジラ先生は、未来永劫、朝鮮民族を許さぬと誓った。

我等ヤマト民族とは、永久に相容れない民族である。

 

平成24年5月9日(水)

それにしても原発反対を言う奴が、

雨後のタケノコのごとく出現した

 

原発反対には、誰も反対できない。現在の水戸黄門の印籠だ。

だから、アホでも、バカでも、マヌケでも原発反対を叫ぶ。

山本太郎とかいうアホタレントが、調子に乗って騒いでいる。

原発反対は無責任と同義語だ。山本太郎よ、原発賛成と言ってみろ。

そうしたら、ほめてやろう。

 

原発賛成はなかなか言えないものだ。

これを言ってこそ、本物の人間だ。

99パーセントが反対でも、賛成という人間こそ勇者だ。

原発反対を言う奴は偽善者である。突然、世間の空気に乗って、

多数派に乗っかって、正義を振りかざしているにすぎない。

こういう奴はたまらんほど嫌だね。

 

もちろん、ゴジラ先生は原発大賛成だ。

原発を早く再稼働させろ。

原発は安上がりだ。環境にもよいエネルギーだ。

中国や韓国にできて日本にできないのでは、日本の科学の看板が泣く。

 

それにしても、日本人は臆病になった。たった一度の敗戦でショボンとなったごとく

たった一度の事故で、ショボンとなっている。情けない民族である。

失敗しても、失敗しても、雑草のごとく挑戦する根性と度胸をもて。

そうしないと、日本民族は、いずれ歴史から忘れ去られてしまうだろう。

 

平成24年5月8日(火)

野田さん、「原発は必要だ!」と

テレビで全国民に訴えろ。

黙っているのが一番よくないのだ。

 

 

それにしても意思をはっきり言わない困った総理大臣だ。

何を考えているのか、さっぱりわからん。意思を表明しないリーダーは

あり得ない。リーダーとは、常に意思をはっきり言うのが仕事だ。

 

原発について、アーダ、コーダと、打ち上げ花火のごとく

意見が乱れ飛んでいる。反対は簡単だ。反対と叫んでいれば済む。

何でも反対の旧社会党と同じで、無責任の極致である。

 

この事態に対して、一国のリーダーの役割は、速やかに方針と戦略を

打ち出すことである。テレビで全国民にどうするか訴えることだ。

グズグズするな。逡巡するな。はっきりしろ。

 

原発を絶対に廃止するわけにはいかない。

火力発電に頼ると、燃料の輸入で、日本の金がつきてしまう。

すでに貿易赤字になった。

輸出が稼いでいる日本も、とうとう赤字になった。

これは国家存立の危機である。

 

原発を稼働させれば解決する問題を、

一時の感情や情緒に任せて愚行をやってはならぬ。

原発は日本国家百年のために必要である。

原発は安全である。日本人よ、自信をもて。

 

原発全廃とは狂気である。キチガイの発想だ。

野田さんよ、早く、意思を鮮明にしろ。

国民に対して、原発はいる。ゆえに稼働すると宣言すればいいのだ。

 

ことは簡単である。誰が何を言おうとも、

「国家百年の大計にたって原発を稼働する」

と、明瞭明晰に宣言すればいいのだ。

 

何をグズグズしているのだ。

野田さんは、意思を語らぬから、困るのだ。

リーダーが右か左か言わなかったら、国民はついていけない。

リーダーの役割はただ一つ、意思鮮明である。

 

平成24年5月7日(月)

長い休みも終わった。

 

さあ、本日から、ガンバロー!

全国の労働者諸君よ、

足軽諸君よ!

軽輩諸君よ!

お女中諸君よ!

飯盛女諸君よ!

夜鷹諸君よ!

 

人生とは、働いて、働いて、働き続ける一生だ。

その働きの中に喜びを見いだせ。

生きがいを見いだせ、生きる喜びを見いだせ。

 

人生は楽しいものだ。

働くことは楽しいものだ。

人生とは生きるに値するものだ。

 

人生を悲観するな。今、この一瞬に全力をつくせ。

一瞬、一瞬に、ベストをつくせ。

その積み重ねが人生というものだ。

 

考えてもしかたないことは考えるな。

只ひたすら無念無想で、この一瞬を生きろ。

先のことをあれこれ考えすぎるな。

人生は何が起きるか分からないからだ。

 

一瞬に全力を尽くしていると、必ず成功する。

必ず運が開けるのだ。考えすぎると行動できなくなる。

走りながら考え、考えながら走れ。

 

 

成24年5月2日(水)

亡くなった人に心から御冥福を祈る。

バスの運転手も哀れな話だ。

 

亡くなった7人のうち若い女性が6人もいる。

なんとも哀れで、可哀相でならぬ。

 

世の中には死んでもいい悪い奴が一杯いるというのに、

よりによって、善良なる若い女性とは、残酷な話である。

 

これが世の中というものか。

神も仏もないのだろうか。

生きていてほしい人が死んでしまい、

死んでもらいたい奴がしぶとく生きる。

これが人生というものか。

 

若いみそらだ。

まだまだ多くのことをしたかったろう。

多くのもの見たかったろう。

多くのもの食べたかっただろう。

多くの旅行をしたかっただろう。

 

居眠りした運転手の不注意は言語道断であるが、

ただ非難するだけでは、なんとも気分がすっきりしない。

過酷な運転をしていたバス運転手に対して少しの同情を禁じ得ない。

これでこの運転手と家族の人生は暗転した。

 

最近の事故の続発をみると、日本人はすこしたるんでいるのではないか。

精神に緊張感がないのではないか。と思ったりする。

それとも悪運が重なる時代になったのか。

 

日本人はみんな神様を拝んで、この悪運が退散するように祈るしかない。

人間というものは、はかない存在だ。

我等にできることは、ただ、ただ、祈るしかない。