名優津川雅彦先生と一緒に(平成24年3月5日帝国ホテルにて)

 

 

       

 

 

英雄・小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

       船中八策    坂本龍馬

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、

  万機宜しく公議に決すべき事。

一、有材の公卿(くぎょう)・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、

  官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。

一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

一、海軍宜しく拡張すべき事。

一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 

  以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、

  之を捨てて他に済時の急務あるべし。

  苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、

  万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。

  伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、

  一大英断を以て天下と更始一新せん。

 

 

    戦略大学「船中八策」

平成24年2月2日「シンクタンク戦略大学」北岡俊明ⓒ

 

第一、平和憲法を破棄し「平成憲法」を制定すること。

憲法の刷新なくして国家の刷新はない。日本衰退の元凶は「平和憲法」にある。

平和憲法を破棄し、日本の歴史と伝統にもとづく思想と哲学をもった新しい憲

法を制定すること。新しい日本の出発は憲法の刷新から始まる。

第二、「新・富国強兵」立国をめざすこと。

日本復活の理念として「明治ルネッサンス」を掲げる。近代日本をつくった明治

維新の原点にかえる。富国とは経済力であり強兵とは軍事力である。この二つは

国家存立の根本原理である。ベンチャー精神、質実剛健の国民精神にかえり、強

い日本人、強い日本国をつくる。国防と青年教育としての徴兵制度を導入する。

第三、一院制議会を導入すること。

 一院制議会にする。議員定数を200名とする。イギリス以上の世界最難関の資格

試験を課す。合格した人間は「議員候補者」となり、選挙に立候補できる。才能、

人格、識見、思想、日本における最優秀な人材を議会に結集すること。

第四、日教組教育を一新すること。

戦後教育は死んだ。エゴと自己中心人間を大量に生んだ戦後教育を一新すること。

日本衰退の元凶はGHQ教育と日教組教育にある。教育は国家存立の根本原理で

ある。教育なくして国家なし。歴史と伝統の江戸教育と戦前期教育の良さを復活

し、6・3・3・4制教育を根本的に改める。

第五、IT・ソフト技術立国をめざすこと。

IT企業、IT技術者、ソフト技術者こそが産業・企業の中心とならなければ日本

は世界との競争に敗退する。電機業界の苦境がそれを証明している。

ソフト技術者、IT技術者を中核技術者として厚遇せよ。国家目標として大増員せよ。

第六、クールジャパン・芸術立国をめざすこと。

芸術立国をめざす。北斎、広重、狩野派から横山大観、岸田劉生、梅原龍三郎、

岡本太郎、そして手塚治虫、宮崎駿へと続く。芸術とフアッションとマンガとアニ

メのクールジャパン。世界へむかって「ジャパンアート」を発信すること。

第七、武士道ルネッサンスを起こすこと。

武士道精神は現代もなお世界に誇る至宝であり文化である。義、勇、仁、礼、誠、

名誉、忠義・質素。宗教心、道徳心としての武士道精神のルネッサンスである。

行動的禁欲、刻苦勉励を尊び、隣人を愛し、人のため公のために命をかけること。

第八、強靱な日本・強靱な日本人をつくること。

グローバルな競争において強い日本と日本人を作る。世界に通用する、強い人間力、

強いリーダーシップ、強い経済力、強い軍事力、強い科学技術力、強い文化芸術力

をもった「強靱なニッポン・強靱なニッポン人」を創造すること。

 

平成24年6月29日(金)

一院制・定数200名にすべし

 

日本の政治は700名のアホ議員によって目茶苦茶になった。

国会には、議員という名前の、低能が700名も集結しているからだ。

アホが700名集まっても、アホはアホである。

 

700名の国会議員には正当性がない。正しく選ばれていないのだ。

だから、アホなのである。

柔道の谷亮子や、逮捕された小沢の腰巾着・石川 知裕などが「国会議員でござい」

と言われたら、「オイオイ、待ってくれ、こんなアホ人間を議員にしろと頼んだ

覚えはない」と文句を言いたい。

 

ようするに国会議員としての正当性がないのだ。

正当性とは、万人が認める正当な手続きによって選ばれた人のことだ。

例えば東大入試だ。宝塚音楽学校の入学試験だ。弁護士、弁理士、会計士だ。

世の中のほとんどみんなが、選ばれたことを正しいと認めた人だ。

 

ゴジラ先生は、かねがね、国会議員の正統性に大なる疑問をもっている。

というより、正統性を断じて認めていない。

現在の国会議員の選挙方法ほど、インチキで、いいかげんな制度はない。

世襲や、二世や、組合や、日教組や、宗教や、タレントが、ポット出て、易々と

国会議員になる制度ほどインチキなものはない。明々白々の詐欺である。

 

イギリスの議員のように、世界でもっとも厳しいという何重にもわたる資格試験を経て、

やっと「候補」になることができる。それからさらに難しい選挙を戦って、初めて

議員になることができる。人格、識見、能力を何重にもチェックされるのだ。

サッチャーも、ブレアも、キャメロンも、そういう中から誕生した政治家だ。

議員としての資格を誰も疑わない正当性がおのずと生まれている。

 

日本の政治改革の最優先事項は、一院制の導入と、議員定数を200名にすることだ。

この大本をイノベーションせずに、政治改革はありえない。あとのことは枝葉末節である。

700名というアホウが当選できる現行の制度であるかぎり、日本政治はいつまでたっても

アホ議員による政争の場であり、総理大臣が一年置きに交代するだろう。そして日本の国際的な

地位は低下するばかりである。日本沈没は700名のアホが犯人である。

 

平成24年6月28日(木)

輿石東、ほんに屁のような奴

 

輿石とかいう民主党の幹事長は、

「ほんにお前は屁のような」

という落語の形容がふさわしい奴である。

 

戦後、日本を貶めることばかりしてきた日教組出身の正真正銘の売国奴である。

こんな屁のような奴を幹事長にすえたことが、野田という男のダメさかげんを証明している。

こんな死に損ないの、貧相な奴を、政権与党の幹事長にするなど、狂気の沙汰である。

 

同時に、日本政治の貧困を示している。

日本の政治は、こんな屁のような奴が、回していると考えると、お先真っ暗である。

甲州人よ、こんな奴を選んだことによって、信玄公以来の甲州の名誉は地に落ちた。

 

次回の選挙では、ぜひとも落選させよ。

信玄公の名誉と誇りがかかっているのだ。

誇り高い甲州の地を、こんな屁のような奴に汚されるな。

 

平成24年6月27日(水)

小沢一郎を除名せよ

そして、政界から追放せよ

 

小沢一郎とは、まさに日本政治のガンである。

この男によって日本の国益がどれほど害されてきたか。

 

日本の政治がどれほど混迷してきたか。

どれほど政治不信を高めたか。

 

この野郎は、歴代政権の足を引っ張ることばかりしてきた。

こんな奴は、政治家失格であり、人間としても失格である。

 

野田よ、小沢を除名せよ。

断固たる処分をくだせ。

 

ここは野田の男を見せる時だ。

優柔不断な男・野田佳彦を男にする時だ。

野田が男になる千載一遇のチャンスだ。

 

小沢斬りを決行できなければ野田の政治生命は終わる。

野田政権の終わりどころか、政治家としての終わりであり、

人間としても終焉だ。

 

平成24年6月26日(火)

小沢栄えて、国滅ぶ

いったい、こいつらは何やってんだ!

 

昨日の民主党の代議士会の醜悪な姿をみた。

こいつらには政争あって国家なし。

小沢栄えて、国滅ぶ。

 

野田クンよ、断固たる処分を課せ。

秋霜烈日の処分を行え。

もし、小沢を処分できなければ、君の政治生命は終わる。

総理も終わる。ジ・エンドだ。

 

優柔不断では、国家の指導者として失格だ。

小泉純一郎になるか、鳩山になるかの瀬戸際である。

 

しかしだ、野田政権が倒れると困るのだ。

またぞろ総理大臣が代わったのでは世界の物笑いはもとより、

日本の国益は大きく損なわれ、回復不可能なほどの打撃を受ける。

 

ゴジラ先生は、民主党も野田内閣にも大反対だ。

しかし、国家のことを考えると、今は野田クンに総理大臣をやってもらうしかない。

不十分な総理大臣、無能な民主党政権であるが、一年で総理大臣が交代することだけは

絶対に避けたい。

 

しかるに、小沢一郎とその一派には、小沢あって国家なし。

小沢栄えて、国滅ぶである。

こういう奴らのことを正真正銘の売国奴というのだ。

日本国民よ、小沢一派に引導を渡す時がきた。

こういう国を売る奴は、断固として、政界から追放せよ。

 

平成24年6月25日(月)

とにかく国会議員の質が悪すぎるのだ

700名の阿呆の集まりをなんとかしろ。

 

昔は、国会議員とは偉い人であると無意識で信じていた。

国民の間にも、それが疑いもしない前提であり常識だった。

実際、戦前からの議員には傑物がいた。

そして、今も多くの国民の間には、偉い人達の集まりだという理解がある。

 

しかし、最近、どうも、そうではないらしい、国会議員はアホではないか、

バカではないか、ということにうすうす国民が気がつき始めた。

 

民主党が政権を取り、タレントやスポーツ選手や小沢チルドレンという

阿呆ギャルどもが、国会議員でございといい始めてから、国会議員への信頼が

根底から崩れ始めている。

 

今回の小沢一郎とその一派の行動は、国会議員崩壊の序曲になるだろう。

こんなアホな連中に国政を任せいたら、日本国は滅びると国民は直観している。

その反動と期待が、橋下人気であり待望論である。

 

谷亮子を筆頭に小沢チルドレンの阿呆ギャルをみると、怒り心頭を通り越している。

こんなアホどもに、われらの血税が浪費されているのかと考えると、いてもたっても

おられないという心境になる。

 

政治改革は消費税の増税問題ではない。

まず第一の取り組む最優先課題は、700名の国会議員を全員クビにすることである。

国会議員をいったんゼロベースにすることだ。建物をぶっ壊して土地も更地することと同じだ。

 

第二に国会議員の定員を200名に絞り込むことだ。

すなわち、東大に誰でも入学できれば、東大は東大でなくなる。

宝音楽学校に誰でも入学できれば、宝塚はその時点でタラジェンヌとしての名声は崩壊する。

 

アホでも、バカでも、チョンでも、国会議員になれる制度こそが、

日本政治の根本的な問題なのだ。

小沢一郎や小沢チルドレンが国会議員であることこそが、日本政治の最大問題なのだ。

 

こいつらが国会議員であるかぎり、国民の政治不信は続き、投票率は最低であり続ける。

こんな阿呆どもかいるかぎり、政治不信などという生易しい段階を通り越して、

日本政治に対する拒否と断絶が、若者を中心に、決定的になるだろう。

 

若者は、谷亮子など、政治家として認めていないのだ。

あんな阿呆が国会議員でございと言われたら、みんな政治に背を向け、冗談ではない

と冷やかに、去って行くだけである。

 

国民の政治不信をぬぐい、国民が政治に参加するための条件はただ一つだ。

国会議員の正統性である。正しい手続きで選ばれた人物なのか。

人格、識見、知能、リーダーシップ、日本民族を代表する人物なのか。

国民は賢いのだ。馬鹿で、阿呆を、リーダーに頂く気持はさらさらない。

 

平成24年6月22日(金)

小沢一郎よ、お前は何様のつもりだ

 

民主党の内紛には、あきれてて、ものがいえない。

しかも、その張本人が相変わらず

「む〜かしの名前〜で〜出て〜い〜ます〜♪」

の小沢一郎ときた。

 

それに小判ザメのごとく谷亮子というアホ女がくっついている。

谷がここまでアホウだったとは。

かつてヤワラちゃんだった頃、この女を応援した一人の国民として、慙愧のかぎりだ。

多くの国民も、そう思っているだろう。

 

小沢一郎よ、国民を愚弄するにもほどがある。

小沢とその一派は国民の敵である。

こいつらの頭には、天下国家のこと、グローバルな世界戦略など、露ほどもない。

 

人間としてもクズだ。人間という名に値しない。外道に生きる餓鬼である。

即刻、国会議員を辞職して、歳費(税金)を返納せよ。

こんなアホな人間どもに、びた一文、われらの血税を使わせるつもりはない。

 

今、日本を取り巻く世界は激変している。

そして、日本は東北大震災、福島原発事故で呻吟している。

今、国家存亡の危機にあるのだ。

内紛などしている暇がどこにある。

 

小沢一郎という男は、しょせんこの程度の政治家だったのだ。

長年、こんな男に政治がかき回され、どれほどの国益を損なったか。

この男を、何十回、何百回、何千回、何万回、死刑にしても飽きたらない。

 

小沢一郎と、その一派を追放する国民運動を起こし、署名活動を開始せよ。

この男の存在は、一秒でも、一分でも、日本人と日本国家のためにならん。

小沢一郎こそ、戦後最大級の売国奴として弾劾する。

 

平成24年6月21日(木)

一千兆円の借金をチャラにする方法

 

日本国家の借金が一千兆円という想像もできない金額になった。

野田さんは、消費税を上げて、財政を建て直そうとしている。

その狙いは正しいが、やり方がみっみっちいのだ。

 

ゴジラ先生が提唱する方法は、一気に借金を返済する方法だ。

これは住宅のローン返済の方法と同じだ。

 

わがカアチャンには、バトミントン友達が大勢いる。

彼女たちが集まった時の話題の一つが、ローンの完済問題である。

実は、このババ軍団全員がローンを完済して、悠々自適である。

 

ローンを完済していない人が来ると「早く完済しちゃいなさいヨ!」の大合唱である。

しかし、ほとんどの人が、「ローンを早めて完済すると、貯金がなくなるので、心配だ」

と、不安そうに答える。しかし、それでも軍団は、「大丈夫よ、完済するとどれだけ楽に

なるか、アンタ知らないのよ」と、全員が口を揃えて強調する。

 

そこで勇気を奮って完済する。その結果、「良かった、良かった、お蔭様で良かった」の

感謝、感謝のオンパレードである。我が家も、早めて完済したお蔭で借金がゼロになった。

おかげ気分が大変良い。気楽になった。ローンという地獄から解放された喜びは何者にも

代えがたいのだ。これは完済してみて初めて分かるだろう。

 

もちろん、ローンを組んだばかりの人は、簡単ではない。しばらくは奮戦して、ある年齢が

くると返済を早めて、身軽になることだ。これが人生の大きな大きな教訓である。

 

国の一千兆円の借金も同じである。

期間を限定して消費税を大幅にあげて、一千兆円をチャラにする。

そして、いったんチャラになったら、消費税をもとの安い比率に戻すのである。

ローンの返済と同じで、借金をゼロにすることが肝心要である。

子孫に借金を残さないために、今の世代が、国家の借金をチャラにすることは、義務である。

絶対にやらねばならない責任である。

 

野田さんのようなみみっちい方法ではなく、3年か、5年か、期間を決めて

借金返済運動の国民運動をおこし、みんなが我慢し節約し、一千兆円をゼロにするのだ。

それが今生きている人間の子孫にたいする責任である。子孫に借金を残すことほど

先祖として、みっともないことはない。

 

今の世代が、恥を知るならば、即、この借金返済の国民運動を起こそうではないか。

政治家に任せていると借金地獄に陥る。きゃつらには、一千兆円を返済するための智恵も

アイデアも情熱もない。だから、早く、きゃつらを追放して、借金返済を進め、日本を

正常な状態にしようではないか。草莽よ崛起せよ!

 

平成24年6月20日(水)

国会議員の数が多すぎるのだ

誰でも国会議員になれる政治制度が間違いだ。

 

民主党が増税問題で揉めている。

テレビに映るこやつらの顔を見ると、日本がダメになったのがよくわかる。

こんなアホウな連中が「国会議員でござい」というのだ。何をかいわんやである。

 

昨日、弾劾した有田芳生も、柔道の谷亮子も、そして、小沢チルドレンという

アホウ集団も国会議員だそうな。つくづくと世も末だと思う。

混迷のギリシャ政治の二の舞を心配する。

 

国会議員諸君よ!今、諸君がやるべきことの第一優先は、国会議員の大幅な削減である。

 

@そのための切り札が資格試験である。日本でもっとも困難な国家試験を課すのである。

 

Aその試験に合格してはじめて、「国会議員候補」となる。資格試験に受からないと、

立候補する資格がないのである。試験は、数次にわたるペーパー試験、面接試験を課す。

 

B試験に合格すると、今度は弱者に対する奉仕活動と民間企業での研修を行う。

 

C締めくくりが、自衛隊における1年間の軍隊生活を課す。

 

 以上のような、数々の試験、奉仕活動、企業経験、軍隊経験などを最低でも5年間行う。

そして、初めて立候補資格を得て、選挙に立候補できるのである。

 

重要なことは、人格、知能、識見、精神力、勇気など、日本における歳優秀な人材を選

抜することである。ここが肝心かなめである。国民が、尊敬し、認め、称賛するような

人材を選ぶのである。国会議員としての正当性である。誰からも後ろ指をさされない

ことが最重要な点だ。

 

有田だの、谷だの、小沢チルドレンなどは、国民を愚弄するにもほどがある。

政治不信は、こんなアホウな奴が国会議員でございというから起きるのだ。

昨日までプロレスをしていた男が、国会議員では、誰も彼を尊敬しない。

国民が国会議員そのものの価値を認めず、逆に軽蔑するようになる。

政治不信と、政治の劣化は、すべて三流人間を国会議員に選ぶ政治制度にある。

 

平成24年6月19日(火)

有田とかいうアホ議員

 

有田芳生というオウムの評論家もどきが、またぞろ、したり顔でオウムについて

テレビでご託を並べている。こいつは今は国会議員である。国会議員も安っぽくなったものだ。

本日はその問題はさて置いて、この野郎の大罪を弾劾する。

 

この野郎は元共産党員である。しかし除名された。両親はバリバリの共産主義者である。

当然、息子もバリバリの垢、いな、アカとなった。共産党とは、天皇陛下に象徴される

日本の歴史と 伝統を破壊することを主義としている団体だ。日本社会の破壊という点では

オウムと何ら変わりない。健全なる日本国民と絶対に相容れない売国奴である。

 

有田芳生の芳生は「ヨシフ」と読む。

なんとあの独裁者、世界史上、最悪の大虐殺者、ヨシフ・スターリンの名前から親が命名した。

もうこの一家に対しては何をかいわんやである。こういう連中は国家反逆罪で、死刑にするか

ロシアにでも追放すべし。スターリンに加担してきた、この一家の犯罪は、世界史の中においても

許されるものではない。

 

今頃、したり顔で講釈する有田という男が許せないのは、オウムに対する破壊活動防止法の

適用に反対したことだ。破防法を適用しなかったからこそ、オウムはふたたび信者を増やし、

麻原を崇拝するアホ信者が1000名を越えているそうだ。地下鉄サリン事件を知らない世代

だからこそ危険である。

 

破防法の適用に反対した国民の敵は、以下の連中だ。

社会党。福島瑞穂はその代表である。共産党はいうまでもない。日本弁護士連合会である。

有田はもとより江川紹子。朝日新聞はいうまでもない。久米宏、筑紫哲也、テレビ朝日。

毎日新聞とTBS。ようするに、日本という国家を破壊しようとする売国奴連中である。

 

有田よ、江川よ、朝日新聞よ、どうすればいいのだ。高橋克也に関するコメントなんぞ不要。

現在のアレフというオウム真理教の団体をどうするのだ。放置するのか、破防法を適用するのか。

きれいごとはいいから、具体的な方法を語れ。君達は、いつもきれいごとばかりを語る。

理想論と空想論ばかりで、事態を悪化させるだけ、問題が解決したためしがない。

 

平成24年6月18日(月)

労働者諸君!

しっかり働こう、日本国のために。

 

月曜日というものはサラリーマンにとって憂鬱な日かもしれない。

しかし気分は持ちようである。本日から新しい人生が始まると思うことだ。

新しい一日であり、新しい人生であり、新しい冒険であり、新しいチャレンジであり

新しい宝物を発見し、新しい女を見いだし、新しい恋を始める日である。

 

駅に向かうサラリーマン、職場に向かう勤め人を見ると、

鬱々と、屠殺場に引かれてゆく牛のごとくトボトボと歩いている。

誰一人として嬉々として、嬉しそうに歩いている奴はいない。

 

それではダメだ。胸を張り、微笑みながら、堂々と歩け。

下を向くな、トボトボと歩くな、大股で歩け、腕を振れ、目を輝かせろ、

獲物に食らいつくような顔をして歩け。

 

気力で負けるな、根性で負けるな。

サラリーマンは戦士だ。戦うビジネス戦士である。

歩きながら、本日の戦略と戦術と作戦を考えろ。

 

職場に着いたら、ただちに戦闘開始である。

敵が怒濤のごとく押し寄せる。

踏ん張れ、退くな。

倒るるも退くなかれ。

 

正々堂々と押し返せ。

我れが苦しい時は敵も苦しい。

最後の5分間を持ちこたえろ。

さあ、敵は浮足立った。戦線が崩壊しかかっている。

崩壊した。追撃戦だ。圧倒殲滅せよ。

勝利だ。バンザイ!

 

平成24年6月15日(金)

800日を達成す

 

ゴジラ先生は「暗唱ウオーキング」をやっている。

昨日で800日を達成した。三年と一カ月かかった。

比叡山の荒行、「千日回峰行」を見習って、平成21年5月5日から開始した。

千日の満願まであと200日となった。

 

暗唱ウオーキングとは、散歩しながら暗唱することである。

もともと散歩していたが、黙って散歩するのはあまりにも芸がない。

そこで、暗唱を取り入れてみた。

 

そうすると、おもしろいように文章が記憶できることに気がついた。

そこでますます気分が乗って、次々と暗唱文を増やしてきた。

今では、1時間以上、途切れなく連続して暗唱ができる。

3年やったおかげで、暗唱文の在庫が蓄積できたということである。

 

最初は、ものの10分もすると、暗唱文が尽きた。

脳の中に暗唱文の在庫がないからしかたないのである。

しかし、三年もやっていると、チリも積もれば山となる。

我ながら、ここまで暗唱をやれるとは思わなかった。

 

暗唱は記憶力ではなく、練習量であることも強く言っておきたい。

雨の日も、風の日も、雪の日も、台風の日も、ひたすら暗唱ウオーキングをやる。

午前3時半に起き、準備を整え、3時45分に家をでる。

この時間は、一年の大半が暗い。最近でこそ、4時を過ぎると明るくなってくる。

しかし、冬は帰宅する午前5時も真っ暗である。真っ暗の中を出発し真っ暗の中を

帰宅する。懐中電灯は必携である。

 

平家物語、奥の細道、方丈記、源氏物語の古典から、明治の夏目漱石の坊ちゃん

草枕、我が輩は猫である、三四郎、そして森鴎外である。太宰治、山本周五郎、

池波正太郎、松本清張、 司馬遼太郎、柴田錬三郎、渡辺淳一。

 

漢詩はとくに力を入れている。西郷隆盛、 吉田松陰、高杉晋作、久坂玄端などの

維新の志士たちをやる。中国の漢詩は、 李白、杜甫、諸葛亮の出師の表、文天祥

の正気の歌。

 

最近は内村鑑三に力を いれている。文章が簡潔で力強い。武士道精神をもとにした

キリスト教の思想が すばらしい。英語は暗唱ウオーキングの重要なメニューである。

おかげで英文を スラスラと暗唱できるようになった。

 

千日は満願だが、通過点である。

千日を達成したら、次の二千日をめざす。

二千日を達成したら、次の三千日をめざす。

その時、80歳を越えているだろう。

しかし、さらに挑戦する。

人生は死ぬその瞬間まで全力で生きねばならない。

 

進め。

どこまでも進め。

前途を疑懼(ぎく)せずして進め。

倒るるも退くなかれ。

 

明日は今日よりも完全なれ。

明年は今年よりもさらに一層勇壮にして、

快活にして、謙遜にして、独立なれ。

 

進化の宇宙に存在し、退く者は死する者なり。

安全は退きて求むべきものにあらずして、

進みて達すべきものなり。

 

歓喜(よろこび)と満足とは前にありて、後にあらず。

臆病者に平和あるなし。

進め、どこまでも進め。

                 内村鑑三

 

平成24年6月14日(木)

マスコミは目が節穴か

サッカーのオーストラリア戦、

結果オーライではない。戦訓を学べ。

 

どの新聞、どのテレビを見ても、昨日の敗戦の真の原因を言い当てていない。

みんなピント外れである。最後の優勝戦ならば、結果オーライである。

しかし、これから本格な戦いがある予選である。結果オーライではない。

まして引き分けである。しかも10人相手の引き分けでは、実質な敗戦である。

 

この戦いから戦訓を導き出さないと、同じ過ちを繰り返す。日本史にはそういう

失敗の事例が山のようにある。大東亜戦争はその代表的な事例ではないか。

大東亜戦争を戦った父母の世代は、あの苦い苦い大敗戦から戦訓を学び、戦後復興を成功させたのだ。

 

しかし、あの戦争を戦った明治大正世代が引退するとともに、またぞろ敗戦を忘れ、

戦訓をないがしろにしている。その結果の平和ボケであり失われた20年である。

その上、現代日本人は歴史を勉強しないから大東亜戦争の戦訓そのものを知らない。

それゆえに、余計に失敗を繰り返すのだ。

 

唯一、ラモスがテレビで言い当てた。「本田はもっと早く蹴らなきゃならない」と言った。

「監督や選手が、早く蹴れということを注意すべきだった」とも指摘していた。

ラモスは、たぶん知っていて言わなかったが、本田がなぜ遅延したか、それは遠藤が出てきからだ。

 

繰り返すが、あの場面で、遠藤が出てくる理由はない。本田も、遠藤に遠慮して、

どちらが蹴るかの駆け引きの演技をせざるを得ない。当然、時間がかかる。

その結果、審判に試合終了を告げられることになる。

 

ゴジラ先生が嫌なのは、遠藤の駆け引きの体質である。過去にもしばしばあった。

本田が蹴ろうとすると、遠藤が出てくるのだ。最初から、誰か一人に決めておけ。

本田がエースならば、エースに託すべきだ。それで失敗してもあきらめがつく。

 

一度目は、遠藤が蹴って失敗した。あの場面も本田である。

エースとは、チームを代表して、ここ一番の決戦を行う人間のことだ。

今の日本チームでは本田である。本田を全面に立てて決戦せよ。

本田をエースとして玉砕するならば、もって暝すべきである。

 

(注)念のために言っておくと、ゴジラ先生は遠藤を嫌っているわけではない。

本田を特別にひいきにしているわけでもない。

ゴジラ先生の好きな選手は、川澄ナオミちゃーん!いや、これは女だった。

 

平成24年6月13日(水)

駆け引きが過ぎるぞ、日本サッカー

 

昨日のオーストラリア戦、勝てる試合を落とした。

その最大の原因が、駆け引きのやりすぎである。

 

■その象徴的なシーンが、二つのペナルティキックであった。

本田と遠藤の二人が、出てきて、どっちが蹴るかを駆け引きし、目くらましする戦術である。

結局、遠藤が蹴って、失敗した。これは失敗する予感がした。なぜ、本田一人に蹴らせないのか。

あの場面で、遠藤が出てくる理由が分からない。

 

同じことが、終了間際にふたたび起きた。

またもや遠藤が出てきて、本田と二人で、駆け引きしようとした。

その瞬間、笛が鳴って万事休すである。

 

あれは駆け引きをして、遅延的な行為と見た審判が嫌悪感をもって、終了させたのである。

もし本田一人が、蹴る体制をとっていれば、蹴った後で、終了の笛を鳴らしたはずだ。

なぜ、遠藤が出てくるのか理解できない。あの場面では、最初から一人に蹴らさねばならない。

あまりにも駆け引きが過ぎるのだ。

 

こういう駆け引きは、世界標準でみると、卑怯卑劣にみえる。

正々堂々たるスポーツマンシップではない。二人が蹴るふりをする駆け引きをして

何か良い結果を生むのか。むしろ、二人が蹴ろうとする分、分散し、一人の意思の集中が欠ける。

 

ただでさえキックは難しい。一人に集中し、彼に運命を託すべきである。

そうするとこういう後味の悪いことがおきない。

 

■コーナーキックも、オーストラリアのように、一気にゴールに蹴り混む戦術をとらず

回す戦術を取った。一度は成功したが相手に対する威圧感がちがう。消極的な印象を

相手に与えてしまい、攻撃的でなくなる。

 

縦パスをせず、回す戦術も結局は駆け引きを前提にした戦術である。

もっと縦パスを使い、一気に攻撃する戦術がいる。昔と違って、うまくなったが、

相変わらず回しすぎである。回すという駆け引きの消極的な姿勢がどこかにある。

 

さっかーは攻撃が第一義である。攻撃をかけると、どこかに穴が生まれるのである。

そのサッカーをしたのがオーストラリアである。オーストラリアの戦略戦術をよく

勉強した方がいい。

 

■一人欠けた10人を相手に勝てなかった。これは駆け引きという消極的な戦術のせいである。

昨日の試合は、実質的な負けである。こういう試合では、世界上位の国との試合では勝てない。

オマーンやヨルダン相手には駆け引きの回すサッカーは有効だったが、スピードと体格のある

ヨーロッパや、南米相手では勝てない。もう一度、サッカーの初心にかえるべし。

サッカーはゴールをめざすスポーツである。ボール回しはサーカスに任せろ。

 

平成24年6月12日(火)

いいかげんにしろ韓国人

韓国人ゴルファーはゴキブリだ

 

女子ゴルフで、韓国人が、また優勝したそうだ。

もううんざりする。こいつらは自分の国は閉じておきながら、

他所の国にきて、金を荒稼ぎする。ハイエナのような薄汚い根性の持ち主である。

これは戦後長い間、日本からの製品輸入を禁止し、自国の市場を保護し、

日本の真似とパクリの商品を育て、今や世界市場で、日本製品を蹴落とす行動と同じである。 

 

韓国人ゴルファーはゴキブリである。

アメリカで大繁殖した。アメリカ人が怒り、嫌うのは当然である。

連中は、礼儀もマナーも知らない。家族で徒党を組む。どこにでも出没する。

 

日本はアメリカの二の舞である。ゴキブリがアメリカから日本へ飛んできたのだ。

スポーツだからというのは大嘘である。

韓国人のゴルフはスポーツではない。あれは汚い賞金稼ぎである。

あれをスポーツなどというのは、スポーツに対する一大冒涜である。

 

チョウセン人のあつかましさに対して、国民感情としても反吐がでるのだ。

北朝鮮の核兵器も、南朝鮮(韓国)の賞金稼ゴルフも、

どちらもチョウセン民族の恥しらずという点では同じだ。

 

ゴジラ先生はゴルフが大嫌いだ。

賞金稼ぎを目的・目標に掲げるものはゴルフぐらいである。

福島千里は、名誉と誇りで100メートルを走る。

金のためではない。

室伏広治は、名誉と誇りのためにハンマーを投げる。

金のためではない。

ディーン元気も名誉と誇りのためにヤリを投げる。

金のためではない。

 

しかるに、ゴルフは金のためだけにやる。賞金稼ぎのためである。

これをスポーツというのはクーベルタン男爵が天国で怒るだろう。

パチンコと同じ範疇のものだ。指ではボールをはじくか、手足ではじくかの違いである。

 

韓国人が汚いのは、他国で稼ぐためだけに、人間を養成していることだ。

名誉とか、誇りとか、高潔とか、人格ではなく、ただ金のためだけである。

しかも、許しがたいのは、自国ではなく、他国で稼ぐために育てているのだ。

こんな汚い行為をする民族が他にいるか。

チョウセン人というのは、北朝鮮人も、南朝鮮人も、恥という文字を知らないらしい。

 

平成24年6月11日(月)

月曜日の雨

 

月曜日の雨というのは、なんとも、心気くさいものである。

しかし、天気予報によると、だんだんと晴れてくるらしい。

それなら、気分は上々、気持が良くなりそうだ。

 

たしかに、うっとおしい梅雨に入った。

しかし、気持は持ちようでどうにでもなる。

前向きに、積極的に、プラスに考えることにした。

梅雨がないと、山川草木が、みずみずしい緑にならない。

夏場の水不足になる。

 

雨の散歩もいいものだ。

ゴジラ先生は、4年間、早朝の暗唱ウオーキングをやっているので

雨に対する抵抗感はない。

 

ただし、雨の散歩を快適にする道具がいる。

ゴジラ先生は、最近、モンベルのウインドブレーカーを買った。

これはロードの自転車用だが、梅雨にも使っている。

靴は、くるぶしが隠れる長さのトレッキングシューズも買った。

これも雨対策である。

 

後はズボンである。ゴアテックスの雨をはじき、汗を発散するものを探している。

今もっているズボンは、古くなったので、大雨になると、水が浸透するのだ。

土砂降りのときは、途中から、びしょびしょになる。冬は冷えて難儀した。

 

そんなことを思っていると、たまたま、金曜日、ケーブルテレビで、

ジーンケリーの名作「雨に唄えば」を久しぶりに見た。

ジーンケリーが、雨の中、軽快に踊りながら唄った。

いつ聞いても素晴らしい歌と踊りだ。

 

I'm singin' in the rain♪
Just singin' in the rain
What a glorious feelin'
I'm happy again
I'm laughin' at clouds
So dark up above
The sun's in my heart
And I'm ready for love

Let the stormy clouds chase♪
Everyone from the place
Come on with the rain
I've a smile on my face
I'll walk down the lane
With a happy refrain
Just singin'
Singin' in the rain

Dancin' in the rain♪
Ya dee da da da da
I'm happy again
I'm singin' and dancin' in the rain
I'm dancin' and singin' in the rain

 

僕は雨の中で唄っている
ただ雨の中で唄っているだけさ
なんて素敵な気分なんだろう
また幸せになれたんだ
僕は雨雲に笑いかける
空は暗く曇っているけれど
僕の心にはお日様が照ってる
新しい恋にはぴったりだ

嵐はそのまま吹かせよう
みんなはあわてて逃げている
けれど雨が降っても
僕は笑顔を浮かべている
道をずっと歩きながら
口から出るのは楽しいメロディ
僕はただ雨の中で唄っているだけさ

雨の中で踊っている
ラララ・・・
また幸せになれたんだ
僕は雨の中で唄ったり、踊ったりしてるのさ
僕は雨の中で踊ったり、唄ったりしてるのさ

 

平成24年6月8日(金)

江戸と明治・大正・昭和前期の日本精神を思う

 

江戸時代を封建時代であると、現代人は、軽蔑するが、とんでもないことだ。

精神の健全性、高潔さ、気高さは、江戸時代人がはるに上だ。

 

武家は貧乏な生活の中にあって、身を律し、人の上にたつ武士としての矜持をもっていた。

農民、商人、職人の庶民は、つつましく律儀に、勤勉に生きていた。

現代人のように、生活保護費を詐欺するような心の貧しい人はいなかった。

 

否、貧乏ゆえに、精神は健全だったのだ。

貧乏ゆえに、人々は互いに助け合って生きたのだ。

助け合うとは、心が豊かでないとできないことだからだ。

 

現代人は、経済は豊かだが、心は貧しい。

他人とコミュニケーションをしない。見知らぬ人との対話はない。

ギスギスした、すさんだ日本社会には連帯はない。

 

現在の日本にとって真に必要なものは、経済の復興ではなく、精神の復興である。

数百年にわたって伝えられてきた歴史と伝統の日本精神の復興である。

江戸、明治、大正、昭和前期と、連綿として伝えられてきた日本精神である。

 

もちろん、伝統の日本精神は完全に絶滅はしていない。

わずかであるが、残っている。

心ある日本人の中に、生き残っている。

それがせめてもの希望である。

 

この日本精神の中核が、武士道精神である。

内村鑑三が言うところの武士道精神である。

今、日本に必要なものは内村鑑三の精神である。

 

心の貧しい日本人、精神がすさんだ現代日本人に、

ぜひとも、読んでもらいたいのが内村鑑三である。

内村鑑三を読み、明治精神へルネッサンスしようではないか。

 

平成24年6月7日(木)

バカな芸人の馬鹿笑い、

アホなAKB48の選挙、

いったい日本の幼稚化はどこまで進むのだ

 

テレビをひねると、バカなお笑い芸人がバカ笑いし、

アホウな女子アナが低能をさらけだし

AKB48とやらの幼稚なガキ女どもが泣き笑いしている。

 

これが明治維新後144年で、到達した日本の惨状だ。

東北大震災も惨状だったが、日本人の精神の荒廃の惨状はもっと惨憺たるものだ。

 

昭和20年までの日本人と、平成の日本人では、まったく別の民族である。

昭和20年までの日本人が武士道精神をもった日本人ならば、平成の日本人は、

あまりの堕落と頽廃に、なんと形容していいのか分からない。

 

仏教でいう餓鬼道に堕ちた日本人か、あるいは聖書に出てくるソドムとゴモラの堕落した民か。

いずれにしても天罰が下るだろう。

 

いな、すでに下っている。いな、いな、もっと激しい罰が下る可能性がある。

心せよ、日本人、今の堕落した精神を続けていると、恐ろしいほど天の罰が下されるだろう。

 

心に緊張感をもて

身を律せよ

 

道徳心をもて

品性高潔であれ

バカ笑いをするな

 

卑怯卑劣な振る舞いをするな

正直であれ

義を重んじよ

正義を忘れるな

 

隣人を愛せ

見知らぬ人を助けよ

連帯感をもて

 

勇気をもて

戦え、どこまで戦え、徹底的に戦え

挑戦せよ

失敗を恐れるな

 

決してあきらめるな

あきらめた時は死する時である

死を恐れるな

死は遅かれ、早かれ、やってくる

死を覚悟した時、人間は強くなる

 

平成24年6月6日(水)

輿石という貧相な男に、政治の貧困を見た

 

ゴジラ先生は、そこそこ長い人生を送ってきたが、

輿石という民主党の幹事長ほどの、品のない顔、ゲスな顔には、

めったにお目にかかったことがない。政治の貧困を象徴している顔である。

 

まさに、薄汚い売国奴の顔である。

日教組という左翼売国奴集団で、長年、反日活動をすると、

この手の薄汚い顔になるのである。それにしても、貧相な顔だ。

テレビドラマ水戸黄門の中の、悪巧みを行う、コスッカライあきんどの顔である。

 

こういう男を二大政党の幹事長にすえるということ自体が、信じられない愚行である。

野田さんの神経を疑う。一川といい、田中といい、輿石といい、野田さんには人を見る目が

まったくないらしい。たとえ、見る目はあったとしても、派閥の意向を受けたというのでは、

宰相の資格はない。

 

総理大臣というものは、天下国家のため、日本国百年のために、人事をするのであって、

派閥のためでもなく、まして小沢一郎のためならば、言語道断である。

内閣を私利私欲のためにつかったことになる。

小沢一郎は、私利私欲の政治家であるが、野田さんもそうなのか。

 

結局、ゴジラ先生がいつも主張しているように、「人材の枯渇」である。

「722名の国会ムラ」には、人材がまったくいない。使いものになるのは、せいぜい1割だろう。

あとの9割はアホウの集まりである。その代表が谷亮子やタレント議員である。

 

こんなクソ野郎どもに、我等の血税が、一人一億円も使われていることを考えると、

怒髪天をつき、怒りで血が逆流しそうである。一刻も早く、日本の政治システムを

根幹から革命しようではないか。

 

アホな人間によるアホな政治が続くと、シナ国はもとより、チョウセン国にまで

馬鹿にされ、コケにされてしまう。

 

今、日本は非常事態である。この非常事態であるという認識があまりにも欠落している。

政治家はもとより、一般国民もまったく危機感がない。

幕末、泰平の眠りをむさぼっていたのは、一般の武士と、百姓と、町人であった。

 

いつの時代も、大衆とは、バカであり、アホであり、マヌケである。

安楽な道を追いかけ、付和雷同し、極楽トンボの太平楽である。

 

危機を理解したのは、たった一握りの志士である。

決起したのも、たった一握りの志士である。

心ある志士よ、今こそ立ち上がれ、日本の危機を革命しようではないか。

アホな政治家、アホなマスコミ、アホな大衆では、日本は滅ぶ。

 

平成24年6月5日(火)

フレンドリーであることは良いことだ

 

ゴジラ先生は、見知らぬ人と会話することに関して抵抗感がない。

しかし、現在の日本社会では会話や対話がまったくない。見知らぬ人とまったく話さなくなった。

ゴジラ先生が青年の頃は、見知らぬ人同士の会話は当たり前だった。バスに乗っても

前に立っている人が荷物をもっていたら「荷物、お持ちしましょうか」と、声をかけたものだ。

 

それがいつの頃からか、まったく会話がなくなった。たぶん高度成長期の頃からである。

日本人が豊かになった結果、人の助け合いや人情を必要としなくなったのだ。

一人で生きられるようになって、人間関係が紙のごとく薄くなった。

豊かさと引き換えに、日本人は義理や人情というものを喪失したのだ。

 

昔、旅行の楽しみは、人との会話や新しい友達づくりだった。

旅のあと、手紙のやりとりはもちろんのこと、深い友情が生まれたものである。

 

ゴジラ先生は、夕方、自転車の練習をしていると、昨日、述べた。

境川サイクリングロードには、トイレと給水のための休憩施設が整備されている。

その場所に到着すると、一服休憩である。みんなめいめいに休んでいる。

自転車の人も多いが、散歩とジョギングの人は、もっと多い。

問題は、みんな黙って一人で、所在なさそうに休んでいることだ。

見知らぬ人同士の対話がまったくない。不思議な沈黙の空間である。

 

ゴジラ先生は、積極的に話しかけるようにしている。昨日も、50歳の人と対話した。

この人は三浦半島を往復100キロを走破して、これから家路につくところだった。

その前の日は、約18年間、本格的なロードバイクで走っているベテランだった。

10年前に70万円で買ったプジョーの自転車に乗っていた。

その前の前の日に対話した人は、アメリカのポートランドに45年間住み、今は中国に住んでいる人だった。

7月に中国に帰るそうだ。束の間の日本の休日を楽しんでいるそうだ。昭和15年生まれだから72歳であった。

 

この人と、いろいろと話していると、現代日本人の会話の無さが話題なった。

「アメリカは、もちろんですが、中国人も個人的にはフレンドリーですよ」と、この人が言った。

「日本人は殻に閉じこもっていますね、日教組教育のせいでしょう」とも言ったので、ゴジラ先生は、

「その通りです」と、大賛同した。

 

連日のごとくに見知らぬ人と対話して、心が晴れやかになり、豊かになったような気がする。

練習後、気持ちよく家路につくことができる。家に帰ると、カアチャンを相手に、一杯飲みながら、

本日の対話の成果を話す。自転車をやりだしてから、心に余裕ができた。

フラストレーションというものに無縁になった。

 

平成24年6月4日(月)

ビンディングシューズで走る

 

6月2日は、50年ぶりに自転車を再開して1周年だった。

ちょうど一年前の平成23年6月2日、家に置いてあったママチャリで

近所をポタリングすることから始めた。

 

ポタリングとは、自転車でブラブラと走ることをいう。

サイクリング業界の慣用句である。簡略して、ポタとも言う。

 

その後、一カ月して7月22日に、ドンキホーテで、「ハマー」というブランドの

マウンテンバイクを買った。これで走り回った。小田原まで往復80キロを走破した。

今おもうと、こんな重い自転車で、よくぞ小田原まで行ったものだ。しかも2回行っている。

 

12月に、ジャイアントのTCX2が届き、本格的なロードバイクを開始した。

これは本体だけで94500円である。その後、様々な装備品をつけた。

そしてサイクルウエアも買った。昨日も、半パンツのサイクルウエアを買ったばかりで、

合計すると、20万円近くになっているだろう。

 

そして、今回、6月2日の一周年に、いよいよビンディングシューズとビンディングペダルを買った。

一周年は、偶然の一致だった。数カ月前から、ビンディングの検討を開始していた。

ビンディング(シューズとペダル)とは、シューズとベダルを固定して、漕ぐ仕組みである。

 

専用のシューズを「ビンディングシューズ」といい、専用のペダルを「ビンディングペダル」という。

シューズの裏に取り付けた小さな金具をクリートという。このクリートを、ガッチと、ペダルに差し込み、

シューズを固定するのである。今までの普通のペダルは外して、ビンディングペダルと付け替える。

これも自分でやった。ゴジラ先生は、自分でぺダルを外して、付け替えることができる。

 

ビンディングシューズにすると、漕ぐとき、引き足が使えるのである。普通のクツであると、

踏み込むだけであるが、ビンディングは引き足が使えるので、楽に漕げ、そして、効率よく

漕ぐことができる。坂道や向かい風の時、圧倒的な力を発揮する。自転車の大敵は坂道と向かい風だからだ。

 

ビンディングシューズをペダルに差し込む練習を、家の庭で物置に手をついて何回も練習した。

最初は、なかなか入らずに、とまどったが、だんだんと慣れてきて、足元を見なくても、

ガチッとクリートを差し込むことができるようになった。

 

一時間くらい練習してから、家の前の道路にでた。最初は、おっかなびっくりだったが、

予想外にうまくできた。下手すると、ビンディングが外れずに、そのまま「立ちごけ」をするそうだ。

家の周りを練習してから、いつもの練習コースである「境川サイクリングロード」へ繰り出した。

 

境川サイクリングロードは、有名なロードで、藤沢市と横浜市の境を流れる境川に沿って、

藤沢市側を走っている専用ロードである。東京の町田市から、途中の市街地をはさんで江ノ島まで通じている。

ゴジラ先生は、毎日、夕方4時半から6時近くまで、このロードで練習している。

最初は10キロぐらいだったが、最近は20キロぐらいこなすようになった。

 

今、つらつら思うに、50年ぶりに自転車を再開してから一周年で、とうとうビンディングまできたかと、感無量である。

まさか、ビンディングで走るようになるとは思ってもいなかった。

69歳のジジイにしては、よくやったと思う。

 

ジジイ万歳!

ジジイの辞書には「不可能」という文字はない。

されど「女」という文字はある。