名優津川雅彦先生と一緒に(平成24年3月5日帝国ホテルにて)

 

 

       

 

 

英雄・小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

       船中八策    坂本龍馬

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、

  万機宜しく公議に決すべき事。

一、有材の公卿(くぎょう)・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、

  官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。

一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

一、海軍宜しく拡張すべき事。

一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 

  以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、

  之を捨てて他に済時の急務あるべし。

  苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、

  万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。

  伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、

  一大英断を以て天下と更始一新せん。

 

 

    戦略大学「船中八策」

平成24年2月2日「シンクタンク戦略大学」北岡俊明ⓒ

 

第一、平和憲法を破棄し「平成憲法」を制定すること。

憲法の刷新なくして国家の刷新はない。日本衰退の元凶は「平和憲法」にある。

平和憲法を破棄し、日本の歴史と伝統にもとづく思想と哲学をもった新しい憲

法を制定すること。新しい日本の出発は憲法の刷新から始まる。

第二、「新・富国強兵」立国をめざすこと。

日本復活の理念として「明治ルネッサンス」を掲げる。近代日本をつくった明治

維新の原点にかえる。富国とは経済力であり強兵とは軍事力である。この二つは

国家存立の根本原理である。ベンチャー精神、質実剛健の国民精神にかえり、強

い日本人、強い日本国をつくる。国防と青年教育としての徴兵制度を導入する。

第三、一院制議会を導入すること。

 一院制議会にする。議員定数を200名とする。イギリス以上の世界最難関の資格

試験を課す。合格した人間は「議員候補者」となり、選挙に立候補できる。才能、

人格、識見、思想、日本における最優秀な人材を議会に結集すること。

第四、日教組教育を一新すること。

戦後教育は死んだ。エゴと自己中心人間を大量に生んだ戦後教育を一新すること。

日本衰退の元凶はGHQ教育と日教組教育にある。教育は国家存立の根本原理で

ある。教育なくして国家なし。歴史と伝統の江戸教育と戦前期教育の良さを復活

し、6・3・3・4制教育を根本的に改める。

第五、IT・ソフト技術立国をめざすこと。

IT企業、IT技術者、ソフト技術者こそが産業・企業の中心とならなければ日本

は世界との競争に敗退する。電機業界の苦境がそれを証明している。

ソフト技術者、IT技術者を中核技術者として厚遇せよ。国家目標として大増員せよ。

第六、クールジャパン・芸術立国をめざすこと。

芸術立国をめざす。北斎、広重、狩野派から横山大観、岸田劉生、梅原龍三郎、

岡本太郎、そして手塚治虫、宮崎駿へと続く。芸術とフアッションとマンガとアニ

メのクールジャパン。世界へむかって「ジャパンアート」を発信すること。

第七、武士道ルネッサンスを起こすこと。

武士道精神は現代もなお世界に誇る至宝であり文化である。義、勇、仁、礼、誠、

名誉、忠義・質素。宗教心、道徳心としての武士道精神のルネッサンスである。

行動的禁欲、刻苦勉励を尊び、隣人を愛し、人のため公のために命をかけること。

第八、強靱な日本・強靱な日本人をつくること。

グローバルな競争において強い日本と日本人を作る。世界に通用する、強い人間力、

強いリーダーシップ、強い経済力、強い軍事力、強い科学技術力、強い文化芸術力

をもった「強靱なニッポン・強靱なニッポン人」を創造すること。

 

 

平成25年1月31日(木)

園田隆二監督

この男はだめだ!

 

自慢ではないが、ゴジラ先生は、女子柔道監督の園田という男を

以前からまったく評価していなかった。

この評価は、今回、ずばり的中したが、

誰もゴジラ先生を褒めてくれないので自分で褒めている。

 

それはさておいて、その理由は、ずばり顔だ。

顔が悪い。まったく指導者の顔ではない。

チンピラか、ガキの顔をしている。幼児性が強い顔だ。

だから、女子監督となったことを報じるテレビで顔を見た瞬間、

この男はダメだと直観した。

 

不思議なもので、顔は人生を写す鏡であり、人格を写す鏡である。

その人間が生きてきた全生活を映し出している。

ヤクザ者にはヤクザ者独特の顔がある。

園田という人間には、あの手の顔と類似の顔をしているのだ。

人間性や人格に欠陥がある顔をしている。

これは隠しようがないから怖いのだ。

 

一流の指導者には一流の指導者の、

一流のリーダーには一流のリーダーとしての顔がある。

柔道界だったら山下泰裕という一流の人物がいるではないか。

なぜ、山下を全柔連のトップにすえないのか疑問だ。

 

篠原男子監督が辞めたときも、なぜ、辞めないのか不思議だった。

ロンドンオリンピックが惨憺たる成績だったからだ。

選手が園田監督をまったく信用していない。

選手と監督に間には越えがたい不信感の壁がある。

選手と監督は、お互いに尊敬しあってこそ、よい成績が残せるのだ。

 

会社であれは、人と組織は自動的に変わってゆく。

しかし,柔道連盟によらず、○○協会という組織は、トップを含めて人と組織が

十年一日のごとく変わらない。これが体質を保守的にし、変革を拒み、腐敗してゆく。

柔道連盟も、オリンピック委員会も、組織と人間を総入れ替えせよ。

どちらも事なかれ主義のフロ屁のような組織である。

記者会見をみたが、どっちも二流の人物だから、フロ屁のような会見をしている。

 

平成25年1月30日(水)

もう人々の記憶から遠のいて行く

 

アルジェリア事件から一週間もたたぬうちに、はや事件が風化している。

もうマスコミの扱いも小さくなった。政府も言わなくなった。

社会というのはこういうものだ。冷たいものだ。

 

人間の死とはかくもはかないものだ。

だからこそ、大騒ぎするなと言いたいのだ。

静かに犠牲者の霊をなぐさめてやることだ。

なぜなら、アルジェリアで死んだ人も、釜ヶ崎で凍死した人も

人の死に変わりなく。歳月は過ぎ去ってゆく。これが人間の死というものだ。

 

そして、世間では、毎日のように殺人事件が起こっている。

資産家夫婦が殺され、本日は登別温泉でヤクザが撃たれて死んだそうだ。

浜の真砂は尽きるとも、世に殺人の種は尽きまじ。

 

歳月は、人間の意向などおかまいなく過ぎ去ってゆく。

時間は人々の思いを押し流してゆく。

それにあらがっても、しょせんは、せんないことだ。

だから、毎日をたんたんと生きてゆくのだ。

 

平成25年1月15日(金)

釜ヶ崎の路上で凍死した人とアルジリェアで死んだ人と

どういう違いがあるのだ。命に差をつけるな!

 

ともに同じ日本人の死ではないか。

この扱いのなんたる違いよ。

ゴジラ先生にはあまりにも違和感がある。

 

官房長官が記者会見し、政府専用機を飛ばし、

政務官や副大臣が、現地に飛ぶ。

総理大臣までが心配し言及する。

これは何だ。

 

テロ事件には間違いないが、日揮という一民間企業が遭遇した事故ではないか。

日本国家を揺るがすような事件ではない。

石油の巨大利権のあるイギリスやフランスとはまったく立場が違う。

 

安倍さん、これだけのエネルギーを、3万人の自殺者にも注いでもらいたい。

釜ヶ崎で、あるいは山谷で、

凍死し、のたれ死ぬ名もなき人々にも心を配ってもらいたい。

 

政府はパーフォマンス。

マスコミはニュースになるから報道する。

政府も、マスコミも、命の価値をまったく無視している。

 

ゴジラ先生は、政府専用機の派遣に反対する。

そんな金があれば釜ヶ崎の路上生活者に暖かいホテルを確保してやれ。

暖かい食事を提供してやれ。

同じ日本人ではないか。

 

政府もマスコミも偽善者だ。

うわべのきれいごとを言う、卑劣な人間どもだ。

人間の命に差をつけるな。

政府とマスコミの偽善者どもに神の罰が下るべし。 

 

平成25年1月24日(木)

傲慢なり、日揮、 

テメエラ何様のつもりだ!

 

マスコミ報道やテレビなどで日揮の振る舞いを見ていると、

だんだん、この会社は傲慢無礼だと思うようになってきた。

氏名を公表しないという勝手気ままな独断などはその象徴である。

日揮の意向だから、国民もマスコミも従えという態度である。

 

よく考えると、日揮という会社は一般消費者とはまったく関係のない世界の企業である。

プラント建設だから消費者の意向などまったく気にかける必要がない。

自分たちの世界で閉じこもっていても、ビジネスはできる。

だから、氏名の非公表が非常識でも、それを正義だと独断している。

 

国民がみんな心配し、政府専用機という血税が投じられて、みんなが救出を

願っていることなど、はなから眼中にない。

自分たちは特別な人間であり会社であると、無意識のうちに思っている。

 

記者会見をしている日揮の本部長とやらの男は、だんだんと傲慢になってきた。

鼻についてきた。

遺族を取材し抗議を受けたマスコミは記者会見への出席を拒否するそうな。

傲慢も極まれり。

 

日揮よ、テメエらは何様のつもりだ。

お前たち、生きている社員の傲慢無礼な振る舞いが、

犠牲者の名誉を損ねていることに気がつかないのか。

 

アホな企業である。

バカな会社だ。

これで日揮の企業イメージは地に落ちた。

 

この会社は、もともと、こういう社風の秘密主義の会社だろう。

こういう大事件が起きると隠れていた体質が露呈するのだ。

たぶん下請け会社泣かせの会社であると想像する。

 

今回の事件への同情など、これでごめん蒙る。

心配しただけ損をした。

犠牲者への国民の同情は、胡散霧消するだろう。

ただ、政府専用機を飛ばし、我々の血税を使ったツケをどう払うつもりだ。

耳を揃えて返すか、土下座して傲慢無礼を詫びるか、さあどうする、日揮よ。

 

平成25年1月23日(水)

日揮社員の名前。

公表するのは責任であり義務である

 

またぞろ、プライバシーとやら、個人情報とやら、配慮とやらで、

日揮の犠牲者の名前を明らかにしない。最近の日本はおかしい。

公表して何が問題なのだ。第一公表する責任と義務がある。

 

それは日本国家と日本国民を巻き込んで事件だからだ。

政府専用機という国民の血税が投入されている。

名前を公表しない理由が分からない。

 

日揮や政府の言い分は、まったく情緒的な理由であって、大義がない。

日揮の言い分は、自分たちが特別な人間と思っているのか。

事件が起きた段階で、すべてを公表しなければならない。

それが責任であり、義務である。

 

多くの国民が心配し、同情し、哀れみをもって解決を望んだのだ。

この国民の心配に対して答える責任と義務がある。

秘密主義にしていると、かえって、日揮に対して不信感をもつ。

日揮という会社のイメージを下げる。

 

これだけの心配をかけたのであるから、遺族もその心配に答える義務がある。

そこらのオッサンが交通事故で死んだのと訳が違う。

国家的な事件である。国民にも知る権利がある。

そして次なる危機管理のために活かすことができる。

 

平成25年1月22日(火)

子供の人権、そんものはありはしない

 

大阪の櫻宮高校の問題で、主婦らしき者が集まって会合をしていた。

一人が立って「子供の人権を無視してはいけない」などとアホなことを

のたもうていた。こういう手合いが、したり顔で発言し、バカなマスコ

ミがそれに乗っかるから、無用の混乱が起きるのだ。

 

子供の人権というのは、したり顔のアホな連中が、しばしば使う常套句である。

人権とは普遍のものである。大人であろうと、子供であろうと、人間ならば、

等しくもっているものである。子供だけに特別にあるものではない。

 

だから、子供の人権という言い方はとんでもない間違いである。

子供だけに与えられた人権などは存在しない。もし子供の人権と言うのなら、

それは「子供の特権」という意味になる。

 

これは小室直樹先生の歴史的な名著「痛快・憲法学」の77頁に書いてある。

この本は必読中の必読である。ゴジラ先生はおりにふれて読み返している。

いつも新鮮な知見を教えられ、納得することばかりである。名著とはこういう

文献を言うのだ。日本人必読の本である。

 

櫻宮高校の在校生が記者会見していた。

しかも顔を隠していたが、堂々と顔を出してからモノを言えと言いたい。

だいたい生徒の意見を聞く必要はない。

 

税金を払っていない半人前の人間が、同じ土俵でモノを言えると思っているのか。

甘やかしすぎである。

最高責任者の橋下市長が中止と言っているのだから、

それにしたがうのは当然ではないか。

嫌なら市長をリコールすればいいのだ。

 

平成25年1月21日(月)

政府とマスコミは、

自殺者3万人に対しても必死で対応せよ!

 

アルジェリアのテロ事件、安倍さんはインドネシアの外遊を切り上げて

まなじりを決して帰国した。それは分かるが、邦人の生命が大切ならば

国内で3万人も死んでいる邦人の生命のことも、もっともっと必死・決死で

取り組んでもらいたい。同じ命ではないか。

 

いつも思うが、航空機事故の時もそうだ。政府やマスコミは必死になる。

しかし、交通事故6千人のことは普通の事件である。自殺者3万人は、

洟も引っ掛けない取り扱いである。この落差はどうしたことか。

同じ命ではないか。命の尊さには変わりないはずだ。

 

今回のアルジェリアの事件の異常な報道ぶりに違和感を覚えた。

政府の対応にも違和感を覚えた。自殺者の3万人のことが頭をよぎる。

黙って死んでいった名もなき自殺者があわれである。誰からもみとられず、

注目されず、ひっそりと無縁墓地に葬られる人がたくさんいるだろう。

 

日本は何かおかしいのだ。

バランス感覚がまったくない。

付和雷同する。

3年前民主党にどどっと投票し、今回自民党にどどっと投票する。

思想や哲学に一貫性がない。

その時の気分で、どうにでも変る。

 

こういうアホな大衆に迎合するリーダーは失格である。

大衆のいいかげんさに迎合せず、毅然たる思想と哲学を貫いてこそ

一流のリーダーである。右顧左眄するな、まっすぐ前を見て

堂々と王道を歩め、安倍さん!

 

平成25年1月18日(金)

「暗唱禅」901日目を開始する

 

女房にも、家族にも、誰にも言っていないが、昨日、暗唱ウォーキング900日を達成した。

黙々と実行する。900日も、千日という満願の日のための途中にすぎない。

そして、今朝、新たな気持で、901日目を開始した。

後は、たんたんと千日の満願をめざすのみである。

 

はるかに来たものだと思う。

ふり返ると900日とはよくぞ頑張った。

雨の日も、風の日も、台風の日も、一昨日のような大雪の日も、休まない。

 

もちろん、一年365日をすべて歩いたわけではない。

出張の時や、体調の悪い時は、ためらわずに休むことにしている。

あくまでも目標は千日の達成である。

この目標に向かって着実に歩を進めるのみである。

あと100日、正確には、本日も歩いたので、あと99日で千日達成である。

 

暗唱ウォーキングは、全行程で1時間15分歩く。

15分という半端な時間がくっついているが、

この15分に深い意味はない。全コースを歩くと、1時間15分=75分かかる。

 

最近、1時間15分では、時間が足りなくなってきた。

暗唱量が増えたので、1時間15分では、全文の暗唱が終わらない。

4年間もやっていると、ものすごい量の文章が頭にたたき込まれたということだ。

目に見えないが、何者にも代えがたい財産であり資産である。

 

もちろん、体調の悪い時や、気分の乗らない時もある。

しかし、3時45分、とにかく真っ暗な中を出発する。

そうして、暗唱を始めると、だんだんと気分が乗ってくる。

というよりか、座禅のような無念無想での暗唱となる。

これを暗唱禅と呼んでいる。

 

とにかく、今やっていることに没頭する。

人生もそうである。あれこれ考えてもしかたない時は、

目の前のことに没入する。これが禅である。

禅とは、深遠なことではなく、哲学的なことでもなく

日常生活において、すべてを忘れて没入する精神である。

これがあれば人生は生きるに値する。とにかく今を生きる。

一瞬一瞬を精一杯に生きる。

 

平成25年1月17日(木)

大島渚監督死す。

同い歳で京大同窓の故小室直樹先生を思う。

 

大島監督といえば、昔、対馬海峡の船の上で、韓国人と討論する番組があり、

韓国人を「バカヤロー」と一喝したことを、今、思い出している。

紋切り型で陳腐な歴史認識をもちだすアホな韓国人だったから大島の逆鱗に触れたのだ。

痛快な人だった。現代では、真っ正面から、必死になって怒る人がいない。

 

バカヤローといえば、小室直樹先生を思い出している。

もう7年くらい前だったと思う。イイノホールで東京裁判ディベートをしたことがあった。

小室先生も出席していただいた。ディベートが終わった後、小室先生の後の席に座っていた

京大の同窓という人が、終わった後、小室先生をしつこく批判した。

 

じっと聞いていた小室先生は、ふり向きざま「バカヤロー」と怒鳴った。

このバカヤローには、論理的に説明したのでは、何時間かかるか分からないから、

その時空を一気に飛び越えての一喝である。天才にはありえることだ。

 

バカヤローと怒鳴ったが、小室先生ほどやさしい人はいなかった。

人格、識見ともに優れた人は今後ともにお目にかかれないだろう。

 

大島渚も、小室直樹先生も、ともに昭和7年生まれで、京大である。

たぶん同じ校庭ですれ違った可能性が高い。

あるいは、言葉を交わしたかはさだかではない。

世の中に出てからは、何らかの接点はあっただろう。

互いに認め合った可能性は高い。

大島渚も、小室直樹先生には一目も二目も置いたことだろう。

 

小室先生も世を去り、そして、今回、大島渚も世を去った。

一時代を画した天才がいなくなり、なんとも寂しいものがある。

大島の過激な発言をもっと聞きたかった。

小室先生には、もっと多くのことを教えてもらいたかった。

 

平成25年1月16日(水)

横浜薬科大学という刑務所

 

今朝も、暗唱ウオーキングにでた。

ちょっと寝坊したので、出発は午前4時だった。

裏通りは路面がカチンカチンに凍っている。

大通りは、車が走るので、溶けている。

 

なまじっか雪かきをした路面はカチカチに凍っているので歩きにくい。

むしろ、人が通らず、雪が覆われているところが歩き易い。

坂道をザックザックと歩いていると雪山を登っているような気分になった。

 

ノルディックポールを両手にもって、雪の路面に突き刺しながら歩いた。

本日は、いつもの全ルートを歩くことにした。

昨日は、雪が深かったので、ショートカットした。

 

旧ドリームランドの跡地の公園内は、人がほとんど歩いていないので、

全面、まだ雪に覆われていた。もちろん、カチンカチンである。

ここは、今、公園、野球場、墓地、そして、大学がある。

 

大学は横浜薬科大学という。

この大学の敷地内には、二、三十メートルの高さがある、通称「五重の塔」がある。

正確には、五重の塔というより、閣層を数十も重さねたような高い塔である。

はるかな遠方より見える。

ドリームランド時代は高層レストランだったが、今は、図書館だそうだ。

 

しかし、大学になってから、この五重の塔に近づけなくなった。

大学側が、広大な敷地を取り囲んで、おしゃれではあるが鉄の塀を

ぐるりと張りめぐらし、一般人の近づくのを拒んでいる。

 

あの塀を見るたびに、この大学の閉鎖的な体質を想像している。

これでは、大学は地域から孤立している。

地域住民との交流はない。大学が拒否している。

この大学も、補助金という税金が投入されているはずだから、

地域に門戸を開けといいたい。あの高い塀をみると、テメラエ何様のつもりだ。

と言いたくなる。「横浜薬科大学刑務所」とおもえば、あの塀にも納得した。

 

平成25年1月15日(火)

久しぶりの大雪だーーー

 

■昨日、14日、横浜は10数センチを越す大雪だった。

この数年、小降りの雪はあったが、これだけ積もったのは、約7、8年ぶりである。

とはテレビが言っていることであって、実際には、これだけの雪が降ったのはもっと前である。

多くの車が路上に放置してあるのは、20数年前に、一度あった。あれ以来である。 

 

午後、雪の中を散歩するのも乙なものだと思い、長靴を履いて家をでると

隣人が、車庫の前で、車が入らず難儀していた。

息子さんが運転し、母親がスコップで雪を除いていたが

車がスリップして動かない。

 

ただちに、スコップをもって駆けつけ応援した。

同時に、女房と息子に声をかけて、三人で手伝った。

そして、ようやく無事に車庫にいれることに成功した。

困った時は、お互いさまである。

 

その後、あらためて散歩にでた。

ワークマンによると、いつものオーナーのオバサンが、

「今日はスコップないかと訪ねる人が多くて困る」とブツブツ言っている。

「スコップは置いてないのですか」と尋ねると、

「ここは作業着屋だからね」言った。

「そうか、ワークマンは作業着屋だから、スコップは置いてないのだ」と妙に納得した。

しかし、スコップを置いておくと商売になるのに、ワークマンは商売が下手だとも思った。

 

■15日、今朝、例よって3時30分ごろ起きた。

準備をし、真っ暗の中、暗唱ウオーキングに出掛けた。

両手にノルディックポールを持ち、登山靴を履いて、なんとなくウキウキと家を出た。

こういう雪の日にこそ、ノルディックウオーキングは最適である。

ガチガチに固まった雪道を、ザックザックとポールを突きたてながら

暗唱しつつ歩いた。

 

途中、長く続く坂道では、放置した車が、20数台も路肩に止めてあった。

みんな坂の上の方向にむかって放置してある。

これ以上は、スリップして、危険で、坂を登れなくなったのであろう。

 

家に帰って、いつもの大盛り野菜入り味噌汁を作った。

巨大なドンブリに、たっぷり味噌汁をいれて食べた。

食べたと書いたが、私の味噌汁は飲むというよりも、

食べたという形容がぴったりである。

 

休憩後、女房と二人で、家の前の雪かきをした。

汗びっしょりとなり、いい運動になったが、

雪国の人の雪の大変さを痛感した。

 

平成25年1月13(月)

成人式で歌を唄う阿蘇市長・佐藤義興

この アホ市長を即刻リコールしろ

 

佐藤という市長、こいつはアホというよりアホ以下である。

程度の低い子供か、頭の悪いガキ以下である。

こういう行為を大衆迎合というのだ。

 

歌を唄うことで政治をしていると思っている、極めつけのアホである。

政治的に無能だから、こういうアホを行うのだ。

こういうことを許し、こういうアホを選んだ市民もアホだ。

 

偉大なる伝統をもつ熊本県民に告げる、

こういう奴はリコールするか、次の選挙で落せ。

熊本県民の恥さらしである。

重厚なる熊本県民を価値を著しく貶めた。

 

偉大なる戦国武将・加藤清正が治め、

そして、細川公が引き継ぎ、細川公に仕えた宮本武蔵が五輪書を著した地だ。

天下の秀才を集めた旧制第五高等学校があり、

日本最強と言われた帝国陸軍・第6師団を育んだ土地だ。

 

あまりの軽薄さに、あまりの醜い姿に、しばしテレビ画面から、目をそらした。

なんたるアホだ。なんたるバカだ、なんたるボケだ。

歌を唄う暇があったなら、後世に残る名演説をしろ。

 

リーダーの役割は、大衆から毅然とし、仰ぎて富嶽の重きを感じさせねばならない。

ナポレオンが、リンカーンが、ケネディが、西郷隆盛が、吉田松陰が、勝海舟が

こんな愚かなことをするか。

現代日本人の軽薄さも行きつくところまで行き着いたのか。

 

平成25年1月11日(金)

現代のギルド・テレビ局

 

どうして民放のテレビ番組がつまらんのか考えてみた。

理由は簡単だ。

各局とも縁故、コネ、派閥による排他的な既得権益集団と化しているからだ。

自由な競争がない。テレビ局は中世の排他的なギルドと同じである。

 

あるいは、現代の農協や漁協のようなものである。

他の人間を排除し、既得権益で利益をむさぼっている。

他の世界の優秀なる人間や組織の参入を拒否している。

 

決まったプロダクション会社、決まったディレクター、

決まった下請け制作会社、決まったタレント、決まった演出、

決まったアナウンサー、決まったキャスター・・・とすべてが特定の

組織と人間によって牛耳られているからだ。

 

かつての自民党の中の派閥の政権のようなものである。

決まった政治家による決まったマンネリの政治である。

縁故、閥、贔屓、既得権益が跋扈する世界である。

 

すなわち激烈な競争が皆無である。

馴れ合いのぬるま湯が支配する世界である。

だから、どの局の番組も同じようになる。

 

同じ遺伝子、同じ血をもった民族と同じである。

同じ血をもった同じ世界の人間が制作するのだから

同じ番組になるのは当然である。

 

ゴジラ先生は、かねがね、テレビ局を一般に開放せよと主張しきた。

ようするに、テレビ番組の制作をすべて一般公募にするのだ。

全局の全時間を広く国民に開放するということだ。

放映権を国民が所有するのだ。テレビは公共財だから当然である。

俗悪番組、俗悪タレント、既得権益タレントを排除する。

下品な吉本のタレントなどはまっさきに排除する。

そして、素人の中から、すぐれた才能を発掘するのだ。

 

平成25年1月10日(木)

経済財政諮問会議の疑問

 

安倍内閣は経済財政諮問会議を復活した。

しかし、小泉さんの時のような成果は難しい。

なぜならば、竹中平蔵のようなリーダーシップと識見のある人物がいないからだ。

安倍チャンは、竹中を入れようとしたが、麻生が反対したそうだ。

 

麻生と竹中は政策や思想がまったく違う。

鬼の平蔵・竹中は、提案力や実行力がある。

何よりも経済学が分かっている。

経済学と戦争論は、政治家の二大必須科目である。

 

そういう意味では、竹中も、麻生も、失格である。

ただ、竹中は経済学が分かっているから、まだましである。

日本の政治家で、戦争論と経済学が分かっている人間はほとんどいない。

皆無に近いだろう。これが日本政治の致命的な欠陥である。

 

ゴルゴ麻生はお坊ちゃんで、個人的に付き合うには良い男である。

しかし、政治は、鳩山の例があるごとく、お坊ちゃんでは勤まらない。

麻生を安倍内閣の重要閣僚としていれているが、これは人事の失敗である。

麻生は、なんといっても、元総理大臣である。そこらの新人大臣とは違う。

麻生が、反対したり、ゴネると安倍ちゃんの命取りになる。

二人の権力者は組織を瓦解させる要因になる。

 

それにしても、テレビで見る白川日銀総裁のウマ面には感心した。

このオッサン、何を考えているのか、さっぱり分からない。

日銀という日本経済を左右する重要組織のトップとしては失格である。

日銀は、積極的に、日本経済に対して発信しなければならない。

しかるに、このオッサン、フロ屁のような人間である。

音もせず、匂いもせず、いったい何をしているのか、全然見えない、聞こえない。

安倍ちゃん、早く、こういう男を更迭して、実行力と発信力のある人間を据えろ。

 

平成25年1月9日(水)

テレビ局を廃止せよ

 

どうして、かくもテレビ番組がつまらんのか。

馬鹿タレントが集まって下品なお喋りをするだけか、

阿呆タレントがゲームをしているだけである。

二流どころか、三流、四流の下司タレントが馬鹿騒ぎしている。

 

そこで提案だ。テレビ局を廃止せよ。

NHK一局と、民放一局の、都合二局でよい。

後はすべて廃局である。

 

世の中、静かになってよい。

夕食の後は、運動するか、読書をするか、団欒の対話をするか。

早寝早起きである。

 

日本人が健康になって、医療費が削減できる。

精神に余裕ができて、人生をじっくりと考えることができる。

時間に追われる生活を止めて、人間らしい生活をすることができる。

 

少子化対策にもいい。

することがないのだから、

夕食後は、子づくりに励むことができる。

 

テレビを垂れ流し、漫然と時間を過ごす。

これほど心身に不健康なことはない。

寝不足で、電車に乗り、不機嫌に会社にでる。

これではロクな仕事はできない。

 

テレビを世の中から一掃しよう。

風景が一変するだろう。

新しい人生が始まるだろう。

 

今年はライフスタイルに革命を起こせ。

漫然と時間を過ごすな。

まずは、身近な生活の革命から始めよう。

 

平成25年1月8日(火)

されど静かな日々

 

元旦から本日まで、世の中、静かである。

不気味なというほどではないが、静かすぎる。

平穏だからいいのであるが、この静かさは天変地異のまえぶれか。

あらしの前の静けさか。

 

人間というものは、一秒先のことも分からない。

未来の予知能力はない。

だから人間というものは弱い動物なのだ。

 

人間、偉そうなことを言っているが、犬やネコとちっとも変わらない。

だったら、したり顔で、偉そうなことを言わず、あるがままに生きるがいい。

謙虚になればいい。

知識や科学をあまり誇らない方がいい。

 

犬やネコのごとく、空をとぶ鳥のごとく、一瞬一瞬に全力を尽くせ。

一瞬一瞬の積み重ねが、一生というやつだ。

一生は長いようにみえるが、一瞬一瞬と同じで、短いものだ。

振り返ってみれば、一生ほど短いものはない。

今年は、この一瞬一瞬に生命をかけて、生きようと思った。

 

平成25年1月7日(月)

労働者諸君!

本日からがんばろうゼ!

 

額賀特使が韓国の空港で侮辱を受けた。

クソ犬国家・韓国は靖国神社放火犯を中国に引き渡した。

まさに日本はバカにされ、コケにされ、舐められている。

 

シナチャンコロ族やチョウセン族に舐められて悔しくないか。

臥薪嘗胆。

この悔しさこそが民族のエネルギーになる。

 

政治的バネは経済的バネに変わるのだ。

戦後日本の発展は、アメリカに負けた悔しさがバネだった。

日本の再生のバネは、支那と朝鮮からの侮辱である。

この政治的な悔しさをバネにして日本は再生に向かって邁進しよう。

 

そういう意味では、政治=経済=文化は一体のものである。

経済だけ、文化だけの友好などありえない。

国家が一体のごとく、政治、経済、文化は表裏一体である。

 

安倍さんによる韓国への特使派遣は賛成できないが、

その他のことでは、安倍さんは、日本再生への一歩を踏み出した。

チーム日本として、全国民が日本再生のために、安倍さんを応援しよう。

 

最低でも、4年間は政治をまっとうさせよう。

もう一年置きの交代などは絶対にごめんだ。

リーダーは、みんなが支えてこそ、偉大な結果を生む。

 

そういう意味では、安倍政権の足を引っ張り続ける

朝日新聞は売国の新聞である。この新聞は、まさに日本民族の敵である。

日本のガン、朝日新聞の撲滅こそが、日本再生となる。

 

平成25年1月4日(金)

あけましておめでとうございます。

 

1月2日、小田原までロードバイクで走ってきました。

往復82キロでした。

今年は、途中、一度も押して歩くことなく完走しました。

昨年も同じ日にゆきましたが、途中、へとへとに疲れ果て、

坂道では何回も押して歩きました。

 

一年間の鍛練の成果は凄いものだと感心しています。

年賀状にも書きましたが、昨年、一年間で、4600キロ走りました。

東京から、タイのバンコクまでの距離に該当します。

我ながら、よく走ったものです。今年は、さらにバリ島を越えて、

オーストラリアをめざして走ります。

 

今年は、日本が革新し、変身する絶好のチャンスであります。

戦後68年間の「弱い日本」という偽善から目を覚まし、

「強い日本」の復活であります。

 

そのためには、防衛費の増強は待ったなしのテーマであります。

愛国心と国防は、民族が民族であることの証(あかし)であります。

国家が滅んでは、政治も経済も文化も、すべて夢まぼろしであります。

 

人間というのもは、絶体絶命の危機に陥ると劇的に変身します。

今、日本は、中国からの侵略の危機にあります。

この危機をバネにして、日本人全員が、革新と飛躍をはかる時であります。

幕末から明治維新にかけての日本人の危機感を思い起こそうではないか!

 

日本人よ! 

平和主義というペテンと偽善から目を覚ませ!

立て!怒れ!憤怒せよ!日本人!

シナチャンコロ族や、チョウセン族にコケにされて悔しくないか。

吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬に何といってお詫びするのだ。

日本近代化の出発点となった明治精神へのルネサンスをやるべし!

歴史に学べ、明治維新には、日本復活の宝の山がある。