名優津川雅彦先生と一緒に(平成24年3月5日帝国ホテルにて)

 

 

       

 

 

英雄・小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

       船中八策    坂本龍馬

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、

  万機宜しく公議に決すべき事。

一、有材の公卿(くぎょう)・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、

  官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。

一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

一、海軍宜しく拡張すべき事。

一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 

  以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、

  之を捨てて他に済時の急務あるべし。

  苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、

  万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。

  伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、

  一大英断を以て天下と更始一新せん。

 

 

    戦略大学「船中八策」

平成24年2月2日「シンクタンク戦略大学」北岡俊明ⓒ

 

第一、平和憲法を破棄し「平成憲法」を制定すること。

憲法の刷新なくして国家の刷新はない。日本衰退の元凶は「平和憲法」にある。

平和憲法を破棄し、日本の歴史と伝統にもとづく思想と哲学をもった新しい憲

法を制定すること。新しい日本の出発は憲法の刷新から始まる。

第二、「新・富国強兵」立国をめざすこと。

日本復活の理念として「明治ルネッサンス」を掲げる。近代日本をつくった明治

維新の原点にかえる。富国とは経済力であり強兵とは軍事力である。この二つは

国家存立の根本原理である。ベンチャー精神、質実剛健の国民精神にかえり、強

い日本人、強い日本国をつくる。国防と青年教育としての徴兵制度を導入する。

第三、一院制議会を導入すること。

 一院制議会にする。議員定数を200名とする。イギリス以上の世界最難関の資格

試験を課す。合格した人間は「議員候補者」となり、選挙に立候補できる。才能、

人格、識見、思想、日本における最優秀な人材を議会に結集すること。

第四、日教組教育を一新すること。

戦後教育は死んだ。エゴと自己中心人間を大量に生んだ戦後教育を一新すること。

日本衰退の元凶はGHQ教育と日教組教育にある。教育は国家存立の根本原理で

ある。教育なくして国家なし。歴史と伝統の江戸教育と戦前期教育の良さを復活

し、6・3・3・4制教育を根本的に改める。

第五、IT・ソフト技術立国をめざすこと。

IT企業、IT技術者、ソフト技術者こそが産業・企業の中心とならなければ日本

は世界との競争に敗退する。電機業界の苦境がそれを証明している。

ソフト技術者、IT技術者を中核技術者として厚遇せよ。国家目標として大増員せよ。

第六、クールジャパン・芸術立国をめざすこと。

芸術立国をめざす。北斎、広重、狩野派から横山大観、岸田劉生、梅原龍三郎、

岡本太郎、そして手塚治虫、宮崎駿へと続く。芸術とフアッションとマンガとアニ

メのクールジャパン。世界へむかって「ジャパンアート」を発信すること。

第七、武士道ルネッサンスを起こすこと。

武士道精神は現代もなお世界に誇る至宝であり文化である。義、勇、仁、礼、誠、

名誉、忠義・質素。宗教心、道徳心としての武士道精神のルネッサンスである。

行動的禁欲、刻苦勉励を尊び、隣人を愛し、人のため公のために命をかけること。

第八、強靱な日本・強靱な日本人をつくること。

グローバルな競争において強い日本と日本人を作る。世界に通用する、強い人間力、

強いリーダーシップ、強い経済力、強い軍事力、強い科学技術力、強い文化芸術力

をもった「強靱なニッポン・強靱なニッポン人」を創造すること。

 

平成25年4月30日(火)

本日で、4月も終わりか。

月日のたつのは早いものだ。

 

光陰矢の如し。

矢どころか光速のごとしだ。

 

連休中は、ほとんどの人が暦のどおりであろう。

ゴジラ先生も暦どおりである。

休みを集めて、まとまった休暇がとれるように暦を合理的にすることだ。

 

これは政府の大切な役割である。

政府が音頭をとらないと日本人は動かない。

飛び飛びの休みでは休暇の感覚がない。

 

ゴジラ先生は、ロードバイクに乗って、ひたすら体力づくりをしている。

一昨日は30キロ、昨日は40キロ走破してきた。

本日は雨なので残念である。

 

昨日、会った人は昭和10年生まれの78歳だった。

いろいろ話したが、「走り足りんからもう一走りしてくる」

と言い残して、さっそうと走り去った。

 

ロードバイクをやっていると、こういう高齢で元気な人が一杯いる。

否、高齢という表現がおかしい。

高齢どころか壮年の体力と気力をもっている。

 

現役の50代よりも元気な60代、70代の活用方法を政府は真剣に考えるときである。

安倍さんの財政政策は、こういう世代への政府投資を行うことだ。

これが小野康彦教授の経済理論に合致する。

 

平成25年4月26(金)

韓国と国交断絶せよ

もうこんなキチガイ民族の顔は見たくない。

 

韓国、これほど下品な国家は世界にない。

朝鮮人、これほど嘘つきな民族は世界にない。

ウソとペテンが、民族の遺伝子に組み込まれた先天的異常民族である。

 

恩義という文字を知らない民族である。

人間性という文字がない民族である。

道徳という文字をもっていない民族である。

品性という文字が欠落した民族である。

 

1910年、韓国併合いらい100年にわたる日本からの無限大の恩義を

土足で踏みにじる民族である。

日本の援助なしには、朝鮮半島は存在しなかった。

とっくに歴史から抹殺されていた。

 

朝鮮人とは、こういう人間以下の民族であると、 戦前、中国大陸に進出していた

当時の日本人にしばしば語っていた。絶対に信用できないと言っていた。

これは数々の証言が記録されている。

 

はっきりいうと、これほど精神が異常な民族は世界にない。

ざっくりいうと、朝鮮人はキチガイである。

その証拠は、北朝鮮の金王朝のミサイルをみれば分かる。

韓国の歴代政権の竹島占領をみれば一目瞭然である。

どちらもキチガイに刃物である。

 

個人的な民族の特性としては、興奮すると自分で自分を切り刻み、自殺したりする。

テレビでみる通り、興奮すると、髪を振り乱して、泣きわめく。

あれは一時的なキチガイ状態であるとゴジラ先生は診断する。

民族ぐるみの神経症か、精神分裂病である。

 

安倍さんよ、そして、日本国民よ、もういい。

こんなキチガイ民族とは絶交しよう。

韓国とは国交断絶しよう。

もちろん、北朝鮮とも国交断絶である。

こんなキチガイと付き合っている暇はない。

 

平成25年4月24日(水)

中韓に対してジハードを宣言する!

靖国神社は日本のメッカ・聖地である。

 

靖国神社への侮辱に対して、チャンコロ国と、

南 チョウセン国に聖戦を宣言する。

靖国をまもる戦いは「日本のジハード」である。

 

後につづく者を信じて、南溟に、北溟に、そして大陸に散ったいくたの若者

そして、我が父と母、そして、祖父母、その霊魂が眠る場所、それが靖国である。

 

私たちのために戦い、戦死した250万人の靖国の英霊を守ることは、

現代日本人が、死をかけても、行わなければならないジハードである。

 

靖国の英霊を守れない日本人は日本人ではない。

ただちに腹を切って、250万人の英霊に謝罪せよ。

 

一億玉砕を信じて、米戦艦に突っ込んでいった若者、

ソ連戦車に突入した若者、

これらの父祖になんといっておわびするのだ。

今こそ、67年後の一億玉砕の本土決戦である。

 

全日本人よ、矛をもて、立ち上がれ。

チャンコロ国と、チョウセン国による靖国への侵略にジハードせよ。

 

平成25年4月23日(火)

内政干渉だ!

黙れ、チャンコロ国!

くたばれ!南チョウセン国!

 

靖国神社の参拝に対するチャンコロ国と南チョウセン国の干渉には

断固たる抗議を行え。

黙れ!チャンコロ国、

くたばれ!南チョウセン国。

 

安倍さん、黙っているから、いくらでもつけあがるのだ。

250万人の英霊に対する許しがたい無礼であり、侮辱である。

 

安倍さん、もう小手先の芝居を弄するな。

正々堂々と靖国神社にゆけ。

 

この問題は日本という国家がある限りに発生する。

腹をくくれ、徹底的に対抗せよ。

 

国交断絶をしてもかまわん。

われら国民は安倍さんを断然支持する。

 

日本の歴史と日本人の誇りと名誉をかけて

チャンコロ国と南チョウセン国(韓国)と徹底的に戦え。

一切の妥協をするな。

 

これを機会に天皇陛下の参拝をお願いしろ。

天皇陛下を先頭に、すべての閣僚、すべの国会議員が参拝するのだ。

そしてすべての国民が靖国神社の杜を埋めつくすのだ。

8月15日は、「日本国民・靖国神社参拝の日」の祝日とせよ。

 

平成25年4月19日(金)

平和幻想から覚め、ただちに憲法改正にとりかかれ。

憲法改正の戦機は熟した。

 

改憲の時がきた。

自民党と維新の会は、連合して改憲にかかれ。

公明党とは絶縁をしろ。

この党は売国の党である。

シナに媚び、チョウセンに叩頭する。

 

こういう宗教政党が存在すること自体が異常である。

公明党の存在そのものが憲法違反である。

韓国で布教活動をしているから、韓国に媚びる。

公明党あって国家なしである。

 

今、改憲の絶好のタイミングである。

この機会を逃すと、またぞろ平和主義者が跋扈するだろう。

自民党の中にも、空想的な平和主義者がいるからだ。

 

改憲は安倍さんの決意次第である。

安倍さんが歴史に残る宰相となるのは、アベノミクスではなく

憲法改正である。

改憲は、戦後、誰もなしえなかった偉業となるだろう。

 

7月の参議院選挙での勝利はまちがいない。

そうすると、一気呵成に憲法改正に突っ走れ。

戦機は熟したのである。

戦勝のタイミングを逃すな。

安倍さん、憲法改正をやるべし。

戦後政治の偉大なる宰相として名を残せ。

期待している。

 

平成25年4月18日(木)

中国の傲慢無礼に対して、

日本は軍事力が唯一の対抗手段である。

 

現状の弱い軍事力では、中国の脅迫は今後も続く。

中国に直接打撃を与える軍事力こそシナ対策である。

すなわち、核ミサイルで北京を標的とせよ。

シナ人は這いつくばって和を請うだろう。

強いものにはヘイコラする。

これがシナ族とチョウセン族の民族性である。

 

■中国があいかわらず日本にたいする無視と蔑視を続けている。

日本に対するシナ族の態度は傲慢無礼も極まっている。

そこまで無礼を働くならば、ゴジラ先生も言おう。

「シナ国よ、シナチャンコロ族よ、おのれを何様のつもりだと思っているのだ

世界の帝国になったつもりか」

結局、シナ人は、昔も今も、チャンコロという侮蔑語にふさわしい民族である。

 

チャンコロ族が今のままの無礼を働き続けるならば、

日本は軍事力の強化で応ぜよ。

とくに、核ミサイルの配備をせよ。

北京、上海、杭州など中国の心臓部をねらう核ミサイルで応戦せよ。

 

日本の軍事力が弱体化しているから、日本を無視し、侮辱しているのだ。

日本の軍事力は、シナチャンコロ国にとって、蚊が刺した程度である。

その証拠に、中国を狙うミサイルを配備しているインドやロシアには微笑外交である。

中国や韓国や北朝鮮のような儒教国家は、強いものにはへりくだり、這いつくばるが、

弱いものには居丈高になる。これが儒教の特質である。

 

シナ中国に対して、軍事力なき交渉は無力である。

まったく意味がない。効果がない。

シナを脅かす強力な軍事力のみが有力な対抗手段である。

 

日本よ、ただちに軍事力の強化に取りかかれ。

3カ年や5カ年の計画を立て、強大な軍事力を配備せよ。

漫然とシナの出方を待っていると、問題は永久に解決しない。

日本独自の軍事力の強化にただちに取りかかれ。

 

とくにアメリカ頼みから脱せよ。

アメリカが日本を助けるという保証はない。

もはやアメリカは頼りにならない。

 

第一、アメリカ頼みや、他国頼みをしていると、国家の独立は保てない。

国家はますます衰退するだけである。

国家の繁栄は、国民の危機感にある。

 

危機感をもって、おのれの力で独立を維持し、繁栄を勝ち得ないと

国家はまちがいなく滅ぶ。

これが国家民族5千年の歴史の教訓である。

 

平成25年4月17日(水)

あらためて三国連太郎の凄さを思う

 

三国連太郎の顔をみると、

名優の顔とは、かくのごとき顔をしているのかと思う。

人生の苦悩、人生の歓び、人生の年輪を刻んでいる顔だ。

 

あらためて、最近の歌舞伎役者のノッペラ顔の安っぽさを思う。

最近、死んだ勘三郎とか、団十郎とかいう世襲の歌舞伎者には、

三国のあの表情は出せない。

 

世襲の政治家や歌舞伎俳優には、人生の苦悩はない。

苦闘に苦闘を重ねた男の顔はない。

 

三国連太郎は、戦争から帰り、27、8歳という遅い年齢でデビューした。

金も、縁故もない俳優ならば、これが当たり前である。

自分の実力一本で生きて行かねばならないのだ。

だからこそ、余計に、世襲歌舞伎のバカ役者が安っぽくみえるのだ。

こいつらには、人生の苦闘と苦悩がない。

 

日本は世襲に甘すぎる。

世襲の歌舞伎をもてはやす風潮があるから、政治家の世襲も安易に容認するのだ。

世襲を認めない実力社会、アメリカンドリームのアメリカ社会を見習え。

 

ゴジラ先生が歌舞伎にきびしいのは、世襲という不公平、不平等な社会をなくしたいからだ。

金もなく、コネもなく、学歴もない貧しい青年、少女に対して

平等に機会を与えてこそ、自由主義社会である。

中国や韓国のような縁故社会にするな。

 

非縁故社会が、国家の活力を生むのだ。

福澤諭吉は、130年前、「門閥制度は親の仇でござる」と

徹底的に平等を説いたのだ。

福澤の精神を失うと日本は衰退するぞ!

クタバレ歌舞伎、クタバレ世襲議員!

 

平成25年4月16日(火)

名優・三国連太郎

 

三国連太郎のような俳優を名優といい、まことの俳優という。

歌舞伎の世襲のアホバカ俳優とは、天と地ほどの違いがある。

三国連太郎に、歌舞伎論を聞きたかった。

たぶん、

「親の世襲で役者がつとまるとは気楽な稼業だね」

「歌舞伎など演劇とは認めないよ」

と切って棄てただろう。

 

大滝秀治を失い、今回、三国連太郎を失った。

三国や大滝のように、戦争体験世代の顔はあきらかに違う。

あれが本来の日本の男の顔だ。

男としての威厳がある。

戦う男としてのきびしいツラ構えがある。

 

最近、男のツラがやさしくなった。

戦う戦士としてのツラでなくなった。

男は戦ってこそ、その存在意味がある。

戦わない男なんぞ、動物として失格だ。

 

最近、テレビをみると、オカマが大手を振って歩いている。

こんなにも、大勢のオカマが、テレビでもてはやされるのは異常だ。

オカマは、生殖機能を喪失し、人類の生産性になんらの貢献をしていない。

本来ならば、日陰でひっそりと生きる分際の人間だ。

オカマをもてはやすテレビマスコミは少子化で悩む日本人の敵である。

そして人類の敵である。

 

三国連太郎とはオカマとは対極にある男だった。

男の中の男だった。

冥福を心からお祈りいたします。

さようなら、スーさん。

 

平成25年4月15日(月)

最近、地震が多いネ。

しかし諦めが肝心だ。

起きるものは起きる。

諦観の哲学で気楽にゆこう。

 

最近、地震が多い。

東北大震災後、地震の活動期に入ったそうだ。

地震というやつは、いつ、どこでおきるか分からないので、困ったものである。

並の地震ならば、怖くないが、東北大震災のような大地震が起きるかもしれないので

よけいに、やっかいである。人間では手のうちようがない。

 

ただ日本人は、この列島に住み着いていらい、地震と共存してきた。

昔の人は、諦観というのか、どうしようもないことはどうしようもないので

あるがままに受け入れてきた。抵抗したところで現状が変るわけではない。

 

だから、あまりジタバタしないで、「あるがままになすべきをなす」

という心でゆくよりほかにない。

「考えてもしかたないことは考えるな」というのは、

故中山正和先生の教えだった。

 

以上のように、考えると、気分が楽になる。

天変地異が来ようとも、あるがままの自然体である。

なまじっかの科学知識があるばかりに現代人は往生際が悪い。

縄文人、弥生人、天平人、平安人、鎌倉人、安土人、江戸人、明治人、大正人、昭和人

これらの先人の生き方をしっかりと見習うことだ。

 

大地震だって、どうってことはない。

起きるものは起きるのだ。

揺れるものは揺れるのだ。

怖いものは怖いのだ。

深刻に考えてもしかたない。

ケ・セラセラ!

 

平成25年4月12日(金)

太った狼少年・金正恩

またの名を牛丼・ブタ丼・親子丼・テポドン

 

撃つ、撃つ、撃つ・・・といって一向に撃たないネ。

まるで狼少年だ、しかも、太った、デブチンのオオカミ少年だ。

「デブチン金正恩よ、早く撃て、さっさと撃て、ただちに撃て」

「何をトロトロしているのだ、とくに、韓国向けに早く撃て」

 

南も北も、チョウセン民族とは、ハッタリ・ペテン民族であるが、まさにその通りである。

はったり、こけおどし、偽装、ペテン、詐欺、うわべ、見栄が、この民族の特性である。

日本民族とは、まったく別種の民族である。

天と地ほどの違いがある。

 

日本民族とは、実直、正直、真面目、几帳面、誠実、質実である。

正反対である。

だからチョウセン民族とはまったくウマが合わないのだ。

 

北チョウセンのミサイルなんぞ、まったく怖くない。

ノドンか、牛丼か、ブタ丼か、クソ丼か、何か知らないが、

そんな安物のミサイルが200発、飛んできても、へっちゃらである。

 

日本人は、太平洋戦争で、絨毯爆撃をくらっているのだ。

全国津々浦々、焦土になり、焼け野原になったのだ。

北チョウセンのミサイルぐらい、なんともないのだ。

日本人は、民族としての抵抗力は確固として、できている。

だからこそ、醜いデブチンよ、さっさと撃てと言っているのだ。

よかったら、ついでに、ノドンではなく牛丼1000万発、撃ってくれ。

 

平成25年4月10日(水)

「アメリカ、韓国と緊密に連携して・・・」

このセリフを聞くたびに反吐がである。

 

アメリカと連携することはあっても、

韓国と連携することなど、断じてありえない。

第一、韓国が「日本と連携して」などと言ったことがあるか。

韓国は、完全に日本を無視しているのだ。

日本との軍事的な協定さえ結ぼうとしない国だ。

 

それなのに、日本政府はアホの一つ覚えのように、

「韓国と連携して・・・」などと言っている。

口が裂けても、こんなセリフを言うな。

日本国家としてのプライドはどこにいったのだ。

 

日本は日本独自の軍事力を強化せよ。

アメリカとの連携なしにも、単独で北朝鮮を攻撃できる軍事力をもて。

北朝鮮を殲滅できる軍事力である。

 

それにしても、大日本帝国の栄光がなつかしい。

大日本帝国だったならば、北朝鮮など鎧袖一触である。

無敵皇軍を誇った帝国陸軍、

太平洋を圧した帝国海軍、

あの栄光の大日本帝国陸海軍を再興せよ。

強大な軍事力は国家存立の基盤である。

 

平成25年4月9日(火)

北朝鮮と南朝鮮(韓国)の共倒れを期待する。

 

北朝鮮と南朝鮮(韓国ともいうそうだが)、どっちも嫌な国だ。

ゴジラ先生は、反吐がでるほど嫌いだね。

世界でもっとも嫌われている民族である。

北は、核兵器をオモチャにするキチガイ国家であり、

南は、戦前戦後、日本からの恩義を忘れた忘恩の民族である。

 

南朝鮮と北朝鮮は互いを非難するが、

「ちょっと待った、君達、同じ民族だろう」といいたい。

南が、金正恩を非難することは、自分の顔に唾するようなものだ。

結局、チョウセン民族の狭量さが、60年間の分断を生んでいるのだ。

世界をみわたしても、同じ民族同士で、戦争状態にある民族などありえない。

 

英語では、ノースコリア(北朝鮮)とサウスコリア(南朝鮮)である。

韓国人は、自分のことを、大韓民国と言っているが、何が大韓民国だ。

いかにもハッタリ好みのチョウセンジンの名乗りそうな名前である。

韓国は、英語では、平凡な「サウスコリア」すなわち南朝鮮である。

「大韓民国」とは、臍が茶をわかす。

 

第二次朝鮮戦争が起こっても、日本はまったく関わらないことだ。

中立である。

もちろん在日米軍の出動を拒否することだ。

反日国家・南朝鮮を助ける理由がない。

 

日本にとって、北も南も、どちらも敵国である。

とくに、韓国人には、日本の重大性を嫌というほど知らせてやれ。

日本なしには南朝鮮は生存できないことを徹底的に教えろ。

そうしないかぎり、断固として、南朝鮮への援助を拒否する。

 

平成25年4月8日(月)

亀田、こいつは三流のボクサーだね

 

昨日の試合を少しみた。

あまりにもつまらんので、途中でチャンネルを変えた。

亀田という男は、なんとも退屈で、下手くそなボクサーであることか。

こんな奴がチャンピオンとは、インチキか、詐欺である。

 

技術的にいうと、終始、下がり続けていた。

下がりながら、打つのであるから、力が弱まり、相手に打撃を与えることはできない。

どうして、こういうボクシングをするのか、理解できない。

 

ボクシンクは攻撃あるのみである。

前進、前進、前進あるのみである。

かつてのフアイティグ原田や、大場を見習えといいたい。

 

ちなみに、ゴジラ先生は、昭和20年代の白井義男の時代から見ている。

昭和30年5月30日の試合は、視聴率96パーセントだった。

この視聴率は、空前絶後の視聴率である。

こんごともありえない視聴率である。

 

白井義男は、敗戦後の日本人のまさに希望の中の希望だった。

あの人気と期待は空前絶後である。

現代のマラソンの高橋尚子や、ハンマーの室伏、いかなる選手をもってきても

白井義男の人気と栄光には足元にも及ばない。

 

さて、亀田のボクシングは、腰をひき、逃げ続けているというイメージのボクシングである。

あれで勝ったと後で聞いて、インチキも極まっている。

相手選手に対して、日本人として大変恥ずかしい。

 

こういう茶番をいつまでやるのだ。

亀田を追放せよ。

スポーツマンとして失格である。

スポーツそのものを汚す。

 

スポーツはフエアであることが第一義だ。

こんな詐欺試合を放送して、テレビ局は恥ずかしくないのか。

亀田よ、君を今日から詐欺師、ペテン師とよぶ。

 

平成25年4月5日(金)

どうして電車の車内放送は紋切り型で退屈なのか。

おもしろい放送を流せ。

 

昨日、述べたが、今の日本の電車の中は、ブスッとした人間が

ブスッとして仏頂面で乗っているだけだ。

互いにまったく話しかけない。

まるでお通夜のようである。

 

ゴジラ先生は、以前から考えていることがある。

電車の放送内容だ。

現状はあまりにも芸がない、智恵がない、アイデアがない。

紋切り型の放送ばかりしている。

あんな退屈な放送はやめろと言いたい。

 

もっとおもしろい放送にするのだ。

対話を促すような放送をするのだ。

例えば、

 

「みなさん、スマイルしてますか」

「スマイル、スマイル、スマイル、笑いましょう」

「ニコニコ顔には福の神がくる」

「そのブッスとした顔を止めましょう」

 

「みなさん、席をつめて、できるだけの多くの人に座ってもらってください」

「お年寄りや、身体の不自由な人に席を譲ってください」

「シルバーシートには若者は座ってはいけません」

「心の貧しい若者が座る席です」

「席を二人分、占領しないように譲り合いましょう」

 

「袖すりあうも多少の縁、隣人同士で、お喋りしましょう」

「ゆかいに語り合いましょう」

「人生はたった一度しかない。ゆかいに過ごしましょう」

 

「今朝、朝飯をたべましたか」

「何を食べましたか」

「戸締りはしましたか」

「家族の健康ですか」

「お子さまは元気ですか」

「みなさんの体調はどうですか」

 

ようするに、対話を促し、ほのぼのした暖かい雰囲気にする放送だ。

車内の雰囲気が、温和で、愉快で、暖かいことだ。

電車にのっている人みんなが、ニコニコしながら座っていることだ。

見知らぬ隣人同士が、お喋りに夢中になるような雰囲気だ。

車掌の代わりに落語家に話してもらうのも方法だ。

 

人生は一度しかない。だったら楽しくしようではないか。

ブスッとしても人生、ニコニコしても人生、

だったらニコニコした方が心身ともに健康になる。

ブスッとしていると、胃ガンか、心臓病か、神経を病む。

ニコニコしていると、人生を無病息災にすごせるのだ。

お金も向こうからやってくる。

 

平成25年4月4日(木)

高校野球は巨大高校が優勝した。

歌舞伎俳優が傍若無人に歩いている。

金と権力をもっている連中や、

名門でコネや縁故のある者が支配する嫌な社会だ。

 

今の日本には希望がない。夢がない。

ホリエモンや村上や江副のような無手勝流で、

のし上がった者が、狙い撃ちされ、撃墜される。

 

戦後60年たって、新しい階級ができあがった。

社会が固定化した。

まことにつまらん時代になった。

 

終戦直後のような、沸き立つような熱気がない。

金も、権威も、コネも、何もない連中が頑張った時代がなつかしい。

 

この閉塞感をぶち破ろうではないか。

創造的破壊を行おうではないか。

固定化した日本社会をぶっ壊そうではないか。

 

第二の明治維新である。

明治ルネッサンスである。

明治維新の原点に帰れ。

 

ようするに、もっとおもしろい社会にしろと言うことだ。

熱気にあふれ、希望に満ちた社会だ。

道行く人々がニコニコしながら歩く社会だ。

電車の中で、見知らぬ隣人同士が、ニコニコと喋る社会だ。

 

日本をいったんゼロベースにすることだ。

日本をリセットするのだ。

ヨーイドンで、再スタートだ。

 

議会も、内閣も、官公庁も、すべて御破算だ。

小中高大の学校制度もすべて御破算だ。

マスコミ、新聞、テレビ局もすべて御破算だ。

 

すべて御破算にして、一から作り直すのだ。

おもしろいぞ。

おもろい社会が再構築できる。

楽しみだ。

 

平成25年4月3日(水)

歌舞伎、この反吐がでる世襲集団

くたばれ歌舞伎!

その昔、河原コジキだった連中が、

いつから名門、上流階級になったのだ

 

テレビを見ていると、歌舞伎の話題ばかりだ。

ゴジラ先生はすぐにチャンネルを変える。

あの歌舞伎の連中のたるみきった顔をみると反吐がでるからだ。

キャスターもアナウンサーも、手放しの絶賛である。

権威におもねるテレビ局にも反吐がでる。

 

しかし、地方では、歌舞伎など、話題にもならんだろう。

大阪ではニュースになっているのか。

大阪人にとって、歌舞伎など、異国の世界の話だろうよ。

 

まして、我が故郷・四国の 田舎の人間にとって、

市川鯛ゾウ、否、市川エビフライ、否、市川クルマエビ、否、市川ザリガニ

といっても、 まったくピンとこない。

「それ誰や?」ってなとこである。

 

関東在住の歌舞伎かぶれか、その手合いが、いかにも知ったかぶりで

得々と、「市川ザリガニ」を絶賛している。

権威にへりくだる、こいつらのツラを見ると反吐が出る。

権威におもね、阿諛追従する連中だ。

 

歌舞伎座では、歌舞伎俳優の小さな子供を、親が手をひいて出演させていた。

伝統の演出なのだろうが、ゴジラ先生には「公私混同」の極致と映った。

 

歌舞伎は歌舞伎の世界でじっとしていろ。

世間にシャリシャリ出てくるな。

まして、シェークスピアや現代劇など言語道断である。

 

昔の歌舞伎俳優は、歌舞伎を辞めてから映画、演劇に出演した。

市川歌右衛門、市川雷蔵、大川橋蔵、中村錦之助などである。

歌舞伎と外部(映画)のけじめをきちんとつけていた。

 

しかるに、今の歌舞伎俳優は、歌舞伎俳優でいながら、

どこにでも、出てくる。恥しらずな連中ばかりになった。

戦後日本人はケジメをなくしたが、その筆頭が歌舞伎の大根役者である。

 

平成25年4月2日(火)

長島茂雄に国民栄誉賞だと冗談ではないゾ!

国民栄誉賞など、はるかに越える超存在、それが長島だ。

チンケな賞で長島を貶めるな。許さん! 

 

長島には「天皇陛下賞」こそがふさわしい。

われらの英雄の中の英雄、それが長島茂雄だ。

戦後60年間の最大のヒーローである。

国民栄誉賞だと、長島茂雄をバカにするな。

 

ゴジラ先生は、今も鮮明に覚えている。

昭和49年10月14日引退の日、出張先のホテルにいた。

30歳だった。

 

バスタオルを首に巻いて、「さあ、今日は思いっきり泣くぞ」と準備した。

試合が終わり、長島が泣きながら場内を一周しはじめた頃、

ゴジラ先生も涙がとまらなくなった。

 

あんなに大声で泣いたのは最初で最後だろう。

男たるもの、人前では涙を見せないものだからだ。

しかし、あの日は例外だった。

 

全国民がひとしく泣いた。

あの瞬間、日本人は、同じ心境に達し、心から涙を流したのだ。

いい時代だった。

国民が涙を共有することができた良き時代だった。