■名優・津川雅彦先生の来賓を仰いでの公開講座■

日本を代表する名優であるとともに、知識、知性ともに

   日本第一級の知識人あり文化人である(7月27日)

  縄文文化、平安文化、江戸文化への造詣は深い

西郷隆盛を合祀することによって靖国神社は国民のものとなる

気さくで、やさしくて、ホスピタリティの極致のような人

   迎えの車の前で、冗談を言い、大爆笑!

 

名優津川雅彦先生と一緒に(平成24年3月5日帝国ホテルにて)

 

 

       

 

 

英雄・小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

祝、祝、祝、祝!!!!!偉大なる世界的人物、

■李登輝先生(元中華民国総統)からの手紙■ 

 

●シンクタンク戦略大学は、2月21日、台湾の李登輝先生(元中華民国総統)に手紙をだした。

長年の日本に対する愛情ある、ご後援、ご支援に対して、日本の国民として、感謝と御礼の意思を、

みんなで国旗日の丸にサインし、手書きの手紙を添えて出した。

 

●純粋なる御礼と感謝の意思であって、もとより返事なんぞは、夢にも思わなかった。

ただ、日本人としての感謝と御礼の気持だけだった。ところが夢が実現したのだ。

3月16日午後3時45分ごろ、郵便局の配達人が、台湾からの郵便ですと届けに来た。

 

●封を切ると、手紙がでてきた。なんと、なんと、なんと、あの李登輝先生からの手紙だった。

ただ、ただ、ただ驚いた、感激した、感動した。あの偉大な李登輝先生からの手紙である。

大正12年生まれ、現在92歳である。見知らぬ日本の我々のような者に対して、きちんと

返事をくれたこと、なんという謙虚な行為であることか。日本では、国会議員だとか、有名人

だとか、知識人だとかで、傲慢無礼なアホな奴はいくらでもいる。しかるに世界的な人物の

李登輝先生が手紙をくれたのだ。いかに李登輝先生が、謙虚で、人間性豊な人物であるかを

証明している今回のできごとである。あらためて李登輝先生の偉大さを思った。李登輝先生、

いつまでもお元気で長生きしてください。

 

手紙は、以下のような文章である。

 

「謹啓 未だ寒さ厳しい弥生の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、この度は皆さまからの日章旗の寄せ書きと、身に余るメッセージを頂戴し

誠にありがとうございました。

面映くも存じますが、武士道や日本精神は日本が世界に誇るべき財産であり、

世界に通じる道義だと信じる私の主張に、少なからぬ日本の皆さまが耳を傾けて

下さることに大変心強く感じております。どうか今後とも、私のみならず台湾に

対して関心をお寄せいただき、応援して下さることを心よりお祈り申し上げます。

末筆ながら、寒さ厳しき折り、皆様ともどもお身体をご自愛くださいますよう

お願い申し上げます。

                              謹白

            二〇一五年三月一〇日

北岡俊明様

                   李登輝(※李登輝先生の署名です)

                       

           登輝用箋(※赤で李登輝先生専用の便箋となっています)     」

 

 

平成27年3月31日(火)

いい加減にしろ、沖縄!

甘ったれるな、沖縄!

 

翁長という沖縄のバカ知事には、ほとほと愛想がつきた。

「沖縄の民意」だと。

冗談ではない。

「日本の民意」はどうなんだ。

沖縄の民意よりも日本の民意が、けたちがいに優先する。

 

沖縄、沖縄、沖縄・・と沖縄を連呼するな。

沖縄は日本国である。

沖縄国ではない。

日本国である以上、日本国の民意に従え。

翁長よ、君達は、共産中国の属国を希望しているのか。

 

沖縄にも、日本国を思う良識ある人が多いはずだ。

愛国心のある「日本人」が多数派であるはずだ。

しかし、翁長をはじめとして、反戦、反米、反日の左翼思想の

持ち主の意見が、声高に聞こえてくる。

 

沖縄は日本防衛の最前線である。

基地を強化し、重武装し、中国の侵略に備えて、

ハリネズミのような防衛体制を敷くのは当たり前である。

 

沖縄に対する地方交付税を廃止しろ。

投資を止めろ。

沖縄に厳重なる警告を発しろ。

沖縄の甘えを許すな。

甘ったれるな、沖縄!

いい加減にしろ、沖縄!

 

平成27年3月30日(月)

大塚久美子よ、社長は有限だが、親子は永遠だ

君は何か勘違いしているよ

 

社長の任期なんてのは、しょせん、長くて十年だろう。

いずれ退く時がくる。大塚久美子が社長を辞める時がくる。

しかし、親子の関係は、時代がどんなに変ろうとも、永遠である。

大塚久美子よ、父と母を、敵に回してどうするのだ。

父と母を足蹴にしては、人倫の道に反するよ。

それだけはやっちゃいけないよ。

 

譲るべきは、娘たる君だ。

父や母に勝ってどうするのだ。

老いたる父も母も、早晩、死ぬ時がくる。

だったら、父母をたてなければならない。

いずれ君に社長の座が回ってくるのだ。

何をあせって、功を急いで、父と母を敵に回すという愚かなことをしたのだ。

 

大塚久美子社長には、家庭も、子供もいないようだ。

「子を持って知る、親の恩」

さすがの才女も、この人類永遠の真理が分からないらしい。

もし、君に子供がいたら、こういう愚かなことをしていないだろう。

 

君は、老いたる父母の死に目に会えないだろう。

今のままでは、父と母は、君を絶対に許さないだろう。

君は、父母が死ぬ間際、そして、死んだ後、自分の人生を後悔することになるだろう。

こういう愚かな娘には、勘当を言い渡せばいい。

親子の縁を切ればいいのだ。

 

世間も、株主も、マスコミも、キャスターも

みんなピント外れの解説ばかりをしている。

会社の目先の経営ばかり論じている。

娘の経営方針が時代に合っているとか、親父の経営のやり方は古いとか、

目先きの話ばかりである。

 

企業経営なんてのは、長い、長い、はるかな長い目で見ないと分からないものだ。

あの栄光のソニーが、今日の状態になることを誰が予測できたか。

パナソニックを、シャープを、日本の家電業界、半導体が、凋落することを

誰が予測できたか。

 

大塚久美子の経営方針というものも、しょせん机上の空論である。

この女の経営といっても、まだ5年である。

この女に経営能力があるとは、誰が判断できるのだ。

だったら、創業者父親の数十年の経験こそが、まだ確実性がある。

娘の経営なんぞ、海のものとも、山のものとも分からないのだ。

大塚久美子の傲慢と、マスコミ、キャスター、株主の頭の悪さを知った騒動だった。

 

平成27年3月27日(金)

大塚の女社長よ、相手は父親だ、

あんたが引いて、父親をたてるのが子としての恩義だよ

 

大塚家具の女社長の顔をみると、情(惻隠の情)というものがまったく感じられな顔をしている。

ロボットのような無機質な顔だ。

苦労知らずのエリートお嬢さんの顔だ。

あの顔では、部下は付いてこないだろう。

それに反して、親父は、苦労人の顔をしている。

惻隠の情を知っている顔だ。

 

女社長に忠告する。

会社の社長は有限だが、親子の関係は無限である。

親父を追い出しても、親に対する負い目は、一生、残る。

会社よりも親の恩を大切しろ。

社長になるよりも、親の恩はもっと大きくて深い。

それが万国共通の人間の常識というものだ。

 

大塚久美子社長は、一橋大学を出て、大手銀行につとめたエリートである。

会社は学問どおりにはゆかない。

親父が苦労して、ここまで大きくした会社だ。

創業者に対する尊敬の念をもて、親父を追い出して、何が得られるのだ。

死ぬ間際になって、悔いるだろう。

 

ゴジラ先生は、文句なしに親父さんの味方だ。

理由などない。親の恩は、すべての理論、理屈、学問、論理に優先するからだ。

久美子氏よ、君は経営者である前に、人間の道に反している。

両親がいなかったら、君は、この世にすら誕生していない。

この大前提、前提の中の前提を忘れてもらっては困る。

 

一橋大学で、何を学んだか知らないが、その一橋大学への進学も親の恩だ。

一橋でケインズを学んだそうだが、一橋大学よ、ケインズの前に親の恩を教えろ。

学問よりも、理論よりも、親の恩を教えろ。親の恩を前提にして後の学問だ。

この順番を間違えるのな。 

 

久美子氏よ、今からでも遅くないから、親父をたてろ。

一歩も、二歩も、三歩も、さがれ。

負けてもいいではないか。

親の恩は、君が考えるよりも、はるかに大きくて、深いものだ。

 

平成27年3月26日(木)

高校野球がつまらん

マンモス私立大学の下請け、 マンモス私立高校のための甲子園である。

私立大学の代理戦争である。

 

昨日も書いたが、高校野球がまったくつまらん。

何やら舌を噛みそうな名前の高校ばかりである。

マンモス私立大学の下請け野球バカ高校ばかりである。

 

かつてのなつかしい名前、高松商業、松山商業、高知商業、徳島商業、

そして、池田高校という名前がなくなった。

 

昔、ゴジラ先生が見に行ったころの春の甲子園は、まだ寒かったが満員だった。

しかし、今は、閑古鳥が鳴いている。

まるで、都市対抗野球のような状態である。

野球バカ高校の親戚、縁者、関係者ばかりが、一人で騒いでいる。

これぞマスターベーション野球である。

 

一度、現在の高校野球を御破算にして、ゼロから作り直せ。

各県の代表校は、県人のみで、構成する。

越境入学は禁止する。

 

このまま放置すると、金のある私立マンモス高校のための甲子園になる。

さらに私立大学の下請け高校ばかりが出場する甲子園になる。

日大だの、駒大だの、大阪産業大だの、龍谷大だのとマンモス私立大学の代理戦争である。

県立高校の出場は不可能である。

甲子園野球の死である。

 

平成27年3月25日(水)

白鵬の傲慢無礼、

相撲界から追放せよ

 

横綱 白鵬の傲慢無礼には、堪忍袋の緒が切れた。

まったく反省なし。品格なし。朝青龍と同じである。

日本の相撲文化を舐めている。

 

相撲協会理事長の北の湖がまったくだらしない。

この男は、統治能力のない完全なるアホだと、

ゴジラ先生は、昔から見放していた。

 

まったく白鵬を管理する能力がない。

白鵬を呼びつけて、厳重なる注意をしないから、

増長し、傲慢になったのである。

 

白鵬の振る舞いは、まるで独裁者のごとき態度である。

日本の相撲文化を無視し、日本人を馬鹿にしている。

横綱を辞めるか、謹慎するか、呼びつけて言い渡せ。

いずれにしても、日本文化の神髄、大相撲を侮辱する奴は、追放せよ。

 

大阪桐蔭高校を甲子園から追放せよ

 

大阪桐蔭の職員どもが、裏金をつくって、飲み食いし、ブランド品を買っていた。

大阪桐蔭高校の補助金を全額カットし、過去の補助金も返還させよ。

現在、熱戦中の春選抜の甲子園から追放せよ。

 

だいたい、こういうマンモス高校・プロ野球予備軍のような高校が、

高校野球をつまらないものにしたのだ。

本来の高校野球とは、純粋な県人で固めた、各県代表校が戦うのである。

 

越境入学した野球バカで固めた、マンモス高校が支配するようになってから

高校野球は堕落し、試合はおもしろくなくなった。こいつらは、甲子園を

プロ野球のための踏み台にしか考えてないのだ。

その代表校が、大阪桐蔭である。

ゆえに、起こるべくして起きた不正流用事件である。

 

生徒には責任がないだと、あるさ、大いにある。

志願して入学したからだ。自己責任である。

野球さえできれば、他のことは関係ないという連中だ。

 

大阪桐蔭は、進学校らしいが、こういう連中も同じだ。

有名大学に進学できさえすればいいという連中だからだ。

こういう連中が、官僚になり、政治家になって、日本をダメにするのだ。

 

野球バカ、進学バカも、根は同じだ。

おのれの出世しか考えていない自己中心の連中である。

最近、こういう高校が増えた。

 

白鵬の傲慢、マンモス野球校の傲慢、日本も堕落したものだ。

武士道精神よ、どこに行った。

 

平成27年3月24日(火)

沖縄あって、日本なし

 

翁長という沖縄のアホ知事は、絵に描いたよう売国奴である。

沖縄あって、日本なしである。

この男と、この男を支持する沖縄人には、日本という国家と国民の意識が欠落している。

 

沖縄は日本である。

昔も、今も、日本防衛の最前線である。

重武装するのは当たり前である。

 

基地に反対するのは、中国を利する利敵行為である。

国家反逆罪である。

日本政府よ、沖縄を甘やかすな。

秋霜烈日の対応をせよ。

日本の国益を害する輩には断固たる処断を行なえ。

 

対中国戦に備えて、沖縄の重武装をすすめよ。

すべては、日本国のためである。

沖縄は、沖縄のものにあらず、日本国のためにある。

 

沖縄よ、甘ったれるな。

日本あっての沖縄である。

沖縄あっての日本ではない。

 

それにしても、沖縄人と韓国人はそっくりだ。

権利ばかりを主張し、裏切りと、背信行為を平気でやる。

ジコチュウの固まりである。

偽善者の集まりである。

 

ついでにいうと、沖縄人が自慢する守礼門とは、

琉球王が、中国の使節の前にひれふして、「三跪九叩頭の礼」(さんききゅうこうとうのれい)

を行なった場所である。

 

三跪九叩頭の礼とは、使節の前で、三回ひざまずき、一回ひざまずく毎に、

頭を三回、床に打ちつける儀式である。合計九回、頭を床に打ちつけるのだ。

世界に、これほど屈辱的な儀式はない。

これをやっていたのが、朝鮮と沖縄である。

恥さらしの連中である。

 

こういう屈辱と卑屈を、数百年も、一千年もやるから、

民族の根性が腐るのである。

裏切りと、面従腹背の卑屈な民族となる。

 

武士道の日本とは決定的に異なる。

「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う、山桜花かな」(本居宣長)

「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

日本精神とは、かくも高貴であり、気高いのである。

 

 

平成27年3月20日(金)

松本サリン事件、地下鉄サリン事件

犠牲になった人に黙祷を捧げる

 

平成6年6月27日松本サリン事件 死者8名

平成7年3月20日地下鉄サリン事件 死者13名

負傷者は数千名である。そして、今も、後遺症に苦しむ人が多数いる。

 

麻原彰晃を早く死刑にせよ。

ただし、ただの死刑では、亡くなった人に対して、申し訳が立たない。

犠牲者が悶え苦しんだように、今も苦しんでいる人のように、徹底的に苦しめてから成敗せよ。

時間をかけて、じわじわと、いたぶってから成敗せよ。

2年でも、3年でも、5年でも、10年以上かけて天誅を下せ。

 

上村君を殺した18歳殺人鬼も同じだ。

上村君の苦しみを徹底的に味わわせてやれ。

いたぶって、いたぶって、三人の殺人鬼を成敗せよ。

 

こういう奴には一切の同情は不要である。

ユダヤ人を虐殺をしたヒトラーや、アイヒマンのような奴である。

あっさりと死刑にしては、犠牲者の霊が浮かばれない。

 

それにしても警察はおかしい。

三人の鬼畜に、ブルーシートをかけて、隠している。

警察は、いったいどういう権限があって、ブルーシートをかぶせるのか。

国民は知る権利がある。

三人の鬼畜の顔を知る権利がある。

 

バカな警察の小官僚が、人権などというバカな概念を振りかざしている。

人権は、善良なる人間に対するものであって、罪人には存在しない。

警察よ、恥を知れ。お前たちは、過去、無実の罪、冤罪の人間の人権を守ったか。

拷問し、脅かして、ウソの自白をさせて、どれほどの人権を蹂躙したのだ。

 

平成27年3月19日(木)

籾井さん、もうアンタを弁護できないよ

引導を渡すから、辞職しろ

 

国会で、民主党議員が、NHK会長の籾井氏の発言をつるし上げていた。

鬼のクビを取ったように責めたてていた。

ゴジラ先生は、弱者の味方だから、「籾井さん、ガンバレ」と応援してあげた。

アホ議員が、税金を浪費して、あまりにもつまらんことに質問するからだ。

 

しかし、ここ二三日で、籾井会長のゴルフ問題が浮上してきた。

今年1月2日、NHKで使っているハイヤーに乗ってゴルフに行ったそうだ。

その支払いがNHKに回ったそうだ。

 

ハイヤーを呼んだ時、籾井氏は、自分で払うと言ったそうだ。

しかし、実際の支払いは、3月に入ってからだそうだ。

社内の手続きが間違って、遅れたそうだ。

というのはタテマエで、この男、自分で払う意思はまったくなかったとみえる。

自分で払うと言ったそうだが、なぜ、1月2日、その場で払わなかったのだ。

自分の財布から、金を出して払わなかったのだ。

 

だいたい、1月2日の正月に、NHKのハイヤーを使って

ゴルフに行くこと自体が公私混同である。

こいつは、元大手商社の副社長までした男である。

商社時代も、会社の交際費を使いまくっていたのだろう。

 

責める民主党もいい加減だが、籾井もいい加減だ。

大商社の副社長までした男だから、民主党の屁のような若造議員とは、

少しは違うだろうと思ったが、錯覚だった。籾井も屁のような男だった。

 

ここで、あらためて本田宗一郎の偉大さを痛感した。

本田宗一郎は、会社の金やモノや人を、一切、私用で、使わなかった。

完全に公私を峻別していた。

 

通勤は、自分の車を運転して出勤した。

ガソリン代は彼が払った。

もちろん、運転手は付いていない。

 

当然ながら、交際費は使わない。

というより、当時のホンダには、交際費というもの自体がなかった。

すべて自腹であった。

遊びは自腹が当たり前で、大いに自分の金を使って遊べと奨励した。

 

トップは部下を家に招きたがるが、役員も社員も、一切、自宅には招かなかった。

全員を招くことは、不可能だから、不公平になるという理由だ。

 

一切の学閥や派閥がなかった。

「わが社には、たった一つだけ派閥がある。小学校閥だ!」

とカラカラと腹を抱えて笑ったそうだ。

 

彼ほど徹底的な「公平無私」を貫いた人はいない。

ゴジラ先生は、日本の歴史上もっとも偉大な経営者だと思っている。

偉大な経営者を、もう一人あげると、クロネコヤマトの創業者小倉昌男である。

それでも、本田宗一郎はダンドツに偉大である。

 

籾井よ、本田宗一郎の爪の垢でも煎じて飲め、と言いたいところだが、

籾井と並べると、本田宗一郎の名前が汚れる。

まさに屁のようなNHK会長だ。

こんな人物をよくもNHK会長にしたものだ。

 

平成27年3月18日(水)

日本と韓国の違い

 

日本人「嘘つきは泥棒の始まり」

韓国人「嘘つきは韓国人の始まり」

 

 

日本人「他人のものを盗ってはいけません」

韓国人「他人のものはオレのもの」

 

日本人「捏造・偽造をしてはいけません」

韓国人「捏造・偽造は韓国の始まり」

 

日本人「モノマネはいけません」

韓国人「韓国は日本のモノマネ国家です」

 

日本人「パクリは泥棒です」

韓国人「パクリは韓国人の始まり」

 

日本人「韓国人を見たら泥棒と思え」

韓国人「同感まったく同感、ザッツライト」

 

日本人「歴史に学び、歴史を直視しよう」

韓国人「歴史を捏造し、歴史を曲解しよう」

 

日本人「売春は違法です」

韓国人「売春は韓国人の天職です」

 

日本人「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり」

韓国人「韓国人とは整形による整形人です」

 

日本人「朴槿惠は反吐がでる女だ」

韓国人「その通りです」

 

平成27年3月16日(月)

理不尽がまかり通る、理不尽な世の中よ!

 

女子マラソン選考の理不尽がまかり通った。

結局、増田明美さんの抗議は通らない。

とくに、大新聞、テレビ局がだんまりを決め込んでいる。

 

みんなかおかしいと思っているのに、それがまかり通る。

70年前、インパール作戦、みんながおかしいと思っていたのに、まかり通った。

結果、数万人の屍が、ビルマの山野に残された。

 

日本人は空気に流されやすい。

徹底的に抗議して、撤回させることをしない。

ゆえに、何十年、一日のごとく、ものごとが変わらない。

おかしな奴が、生き残る。おかしな制度が生き残る。

 

江戸270年もそうだった。

イノベーションを拒否するのが日本という国である。

だから、世界の変革に遅れるのだ。

 

農協改革がようやく始まろうとしている。

70年もかかった。

農協をぶっ潰せ。

 

戦後70年間、日本国中のドン百姓どもが、

われら国民の税金を、湯水のように無駄遣いした。

豪邸に住み、数台の車を乗り回す、ドン百姓どもみると、怒髪天を衝く。

 

次なる改革は教育である。

日教組を中心とした既得権益集団の改革である。

まずは日教組を解散させろ。

日教組を徹底的に破壊しろ。

 

平成27年3月13日(金)

増田明美さん、よくぞ言った!

また・また・またか・・マラソン選考の非論理にあきれ果てる

 

日本のマラソン選考は、瀬古敏彦や中山竹通の時代から物議をかもしていた。

だいたい選考基準が、あいまいなのだ。論理的でないのだ。

女子では、有森裕子と、松野明美の争いが有名である。

 

今回は、名古屋を優勝した田中智美が漏れて、大阪3位の重友梨佐が選ばれた。

陸連の発表会場で、増田明美が、異議を申し立てのだ。

あのような場面では、日本人は、黙ってしまってモノを言わないのが普通だが

増田明美は、何度も、何度も、異議を申し立てたてて、引き下がらなかった。

 

ゴジラ先生は、「増田明美よ,君はエライ!」とテレビに向かって叫んだ。

選考基準が曖昧なのは大昔からだ。いまだに直ってないのに、驚いた。

同時に、猛烈に腹がたった。こいつら、長年、いったい何をしていたのだ。

その頭の悪さに心底腹がたった。

 

すべてのスポーツがそうだが、国民の支持がないと成り立たない。

財政的にも、税金を含めて、国民が支援しているのだ。

ましてマラソンは国民のスポーツである。

 

陸連のアホ委員が、密室で選考するのは、とんでもない間違いである。

選考内容をオープンにし、情報をディスクロージャーし、

国民の支援と支持が絶対条件である。

陸連の頭の悪い連中が勝手に決める権限も権利もない。

すべて国民の支援と支持が大前提である。

 

今回の発表をみていると、さらに致命傷は、女性の委員がいない。

女子マラソンでありながら、男子ばかりがアホづらの雁首をならべて発表している。

こいら、アホでないか。これほど女性の時代だと、安倍さんが音頭を取っているのに、

女性不在の発表であった。

 

こういう点でも、会場で雁首を並べていた陸連の委員という奴らは、

驚くほど感度が鈍い。アホか、バカか、マヌケか、トロクソか、

いずれにしても頭の悪いことは極めつけだ。

 

ゴジラ先生は、JOCアカデミーで講師をしている。

昨年の教え子の一人が、第一生命女子競技部監督の山下佐知子さんだ。

今回の選考で外れた田中智美を指導している監督だ。

 

そこですぐに、山下佐知子さんに、激励と応援のハガキを送った。

田中智美さんを励ましてやってくださいと書いた。

「優勝して見返してやれ」と。

それにしても、この世の中には、理不尽なことがあるものだ。

 

とりわけ、頭の悪い奴が、権力と権限を握ると、悲劇がおきる。

歴史上には、ノモンハン事件だの、支那事変だの、真珠湾攻撃だの、

ガダルカナルだの、インパール作戦だの、沖縄戦だのと悲劇だらけである。

 

外国では、ヒットラーも、スターリンも、毛沢東も、アホだった。

現在では、習近平も、朴槿惠も、岡田克也も、鳩山由紀夫も、

みんな、極めつけの頭の悪い、アホバカ指導者である。

 

平成27年3月12日(木)

またもや警察の怠慢だ、不作為の罪だ

淡路島の5人殺害事件の責任は警察にあり

 

淡路島の殺人事件、被害者は9回も警察に相談した。

犯人の行動が、恐ろしいから、警察に言ったのだ。

なんとかしてほしいと、取締をお願いしたのだ。

 

しかるに、警察は犯人を野放しにしたままだった。

その結果、5人が惨殺されたのだ。

なんたる怠慢、なんたる鈍感、なんたるトンマだ。

あきれてモノがいえない。

 

洲本警察は何をしていたのだ。

署長以下、全員が、居眠りをしていたのか。

それにしても、警察の感度の無さにあきれ果てる。

 

ゴジラ先生は、この欄で、しつこいほど警察の怠慢と

不作為の罪を追求しているのに、識者も、コメンテーターも、

マスコミも、誰も警察を批判しない。

これはどういうことだ。

 

警察が怖いのか。

警察を恐れて自主規制しているのか。

言論の自殺行為だ。

 

淡路島の5人の殺人を見逃した警察の罪は大きい。

これは徹底的に追求して、官僚化した警察を弾劾しなければ、

こういう事件は、これからもひんぱんに起きる。

 

吉永小百合という偽善

 

吉永小百合は偽善者である。

平和だとか、戦争反対とか、原発反対とか

誰もが反対できないようなテーマを、持ち出し、

結果として、反対意見を封じる空気をつくる。

 

言論を封じる点では、シナチャンコロ国と根が同じだ。

いかにも、おのれのみが、正義という顔をする。

正義を振りかざす点では、吉永小百合とシナチャンコロ国は同じだ。

リベラルを気取る吉永小百合には反吐がでる。

 

和合亮一とかいうリベラルを気取る詩人がいる。

こいつが指導する子供の詩を、吉永が朗読したそうだ。

以下のような偽善に満ちた詩だ。

 

「今も、原発という戦車は、放射能という弾をうち、人々の心をうちぬく」

 

反吐がでるほど嫌な偽善的な詩だ。

ならば、ゴジラ先生は、こういう偽善的な詩を撃ち倒す詩を書く。

 

「今も、吉永小百合(和合亮一)という偽善者は、

平和という嘘をばらまき、人々の心をだます」

 

戦車を、鉄砲でも、大砲でも、戦闘機でも、軍艦でも

刀でも、車でも、何でも置き換えることができる。

こういうのは詩ではない。

コトバのすり替え、偽善というのだ。

子供に教える詩ではない。

和合亮一よ、テメエは極めつけの偽善者だ。

子供を洗脳し、偽善者にする似非詩人だ。

 

平成27年3月10日(火)

メルケルさんよ、

アンタにだけは言われたくない

 

「過去の総括は和解のための前提だ」とさ。

そりゃそうだろう。お前たちドイツ人のやってきたことは

弁解のしようがない犯罪だ。過去を総括しなければドイツ民族は

生き残れないからだ。

 

しかし、日本とドイツはまったく違う。

日本は、ユダヤ人虐殺のようホロコーストをやっていない。

ホロコーストは戦争ではない。民族浄化か、民族殲滅だ。

 

日本は戦争をしたのだ。

戦争は、国際法で認められている国家行為である。

日本の戦争は、国際法のもとでの純粋なる戦争だった。

メルケルさんよ、おのれの国の「人道に対する罪」という犯罪を棚にあげて

日本を説教するとは、ツラの厚かましさも極まっている。

 

本日は、3月10日だ。

東京大空襲の日だ。

罪のない一般市民10万人を虐殺したアメリカによる大量虐殺事件だ。

 

我が故郷の徳島でも、空襲で、罪なき市民が、たった一晩で、一千人も死んだ。

犠牲者の六割が女性だった。

この時、ゴジラ先生は、阿鼻叫喚の地獄の中を、母親の乳母車に載せられて逃げまどった。

最後は、新町川の中に逃げ込んで、燃えて流れてくる船や、死体を押しやりながら

一晩、水の中で過ごしたそうだ。焼け死ぬ寸前だったそうだ。

 

同じ日に、一晩で、四国の都市が全部やられた。

アメリカ軍の無差別爆撃で、日本全国の一般市民の犠牲者は、50万人だそうだ。

正確な数字は分からないが、アメリカは膨大な一般人を虐殺したのだ。

 

ドイツも、アメリカも、ソ連も、欧米人は虐殺民族である。

日本人は平和的な民族である。

メルケルよ、ドイツと日本を一緒にするな。

君達は、まったく反省というものがない。

 

平成27年3月9日

おいおい、警察よ、

どこまで過保護なのだ

 

18歳殺人鬼の現場検証が行なわれた。

驚いたことは、この殺人鬼のために、人間が入れる縦長のボックスを用意し

さらに、ビニールシートで、殺人鬼を完全に目隠し、したことだ。

 

警察による過保護、過剰警備、過剰反応もここに極まった。

ゴジラ先生は、川崎警察に厳重に抗議したい。

殺人鬼を隠す根拠はなんだ。

なぜ、そこまで過保護にするのだ。

 

人権擁護だと。

冗談ではない。ブルーシートで隠すことは人権擁護ではない。

人権擁護は、裁判を受けさせる権利で十分だ。

それ以上の行為は、過剰警備であり、税金のムダ使いだ。

もっと大切なことは、国民には知る権利があることだ。

国民の知る権利が、殺人鬼の人権よりも、はるかに優先する。

 

川崎警察署のバカな警察官僚が、サル知恵を働かせて、

ブルーシートで覆ったのだ。いかにも「人権擁護をしています」という

小役人根性丸出しの浅知恵である。

 

警察よ、殺人鬼をブルーシートで覆って、人権擁護をしているつもりだろうが

警察には、庶民の人権を蹂躙してきたおぞましい歴史がある。

数多くの冤罪事件を起こして、庶民を途端の苦しみに放り込んできた歴史がある。

いまさら、ブルーシートを持ち出して、いかにも人権擁護をしていますという

ボーズをとる。警察は偽善者である。

 

今回のような国民注視の事件になると、警察は、もったいぶって、

いかにも人権擁護をしていますと、ハッタリと偽善をするのだ。

警察よ、ブルーシートで殺人鬼を覆うヒマがあったら、

街へ出て、不良グループや暴力団を取り締まれ。

ブルーシート業者から金でも、もらっているのか。

 

平成27年3月6日(金)

少年虐殺事件、

警察の不作為の罪を追求せよ。

 

上村君が虐殺された大きな原因は、警察の怠慢にも大きな責任がある。

不作為の罪である。

18歳殺人鬼と不良グループの暴力を見逃していたのは警察である。

暴力団と同じような凶悪な犯罪集団を放置していたのだ。

 

最近の警察官は、見て見ぬふりをする。

毎日のように、コンビニの前で、少年がたむろしているのに

まったく干渉しない。

不良グループがしたい放題である。

治安が悪い。すべて警察の怠慢であり不作為の罪である。

 

コンビニの店主も、警察に通報しても、相手にされないから、

怖いながらも、触らぬ神に祟りなしで放置せざるを得ないのである。

結果、図に乗った不良少年が、常時、たむろする。

誰も怒鳴ったり、怒ったりしないからだ。

不良少年はしたい放題である。

 

ゴジラ先生は、提言する。

警察は、不良少年に対して、積極的に関与することを強く主張する。

 

名前と顔写真を載せた、

週刊「新潮」よ、良くやった!

 

17歳、18歳が、少年なんぞとは、臍が茶を沸かす偽善である。

この三人の殺人鬼は大人の男だ。

死刑に処して、罪を償わせろ。

それなのに、例によって例のごとく、弁護士という偽善集団が、

少年法の趣旨に反するだとさ。

 

こいつらには、殺された上村君の無念が理解できぬ冷酷非情な鬼畜である。

天国に行って、上村君の前で、言ってみろ。

上村君は、こう言うだろう。

「私の無念は誰が晴らしてくれるのか」と。

 

 

平成27年3月5日(木)

警察官よ、もっと働け!

 

最近、街中で、警官を見ないということは、 警官が、事務所に閉じこもって、

外にでないのだろう。 ようするに、書類整理とか、事務処理とか、楽な事務の仕事を優先して、

外回りをしていないのである。 警察官というよりは、事務処理をする小官僚か、小役人になっているのだ。

 

そのくせ、ネズミ取りという卑怯卑劣な弱いものいじめには熱心だ。

交通のネズミ取りほど、楽な仕事はない。

署として、そして、署長として、点数をあげ、実績をあげる仕事である。

だから、ネズミ取りのような楽な仕事には、熱心になるのである。

 

警察官よ、署内に閉じこもらず、積極的に外回りをしろ。

もっと、市民と交われ、少年と交流せよ。

そうすれば、上村君のような事件はなかっただろう。

 

警察が、札付きの不良グループを見逃していたことは、重大な職務怠慢である。

所轄の署長、警察官に対して、厳重なる処罰をおこなえ。

犯罪を未然に防ぐことが、警察の使命である。

犯罪を防止できない警察など不要である。

犯罪が起きてから、警官が出動するのは、ネズミ取りと同じで、ラクな仕事だ。

 

「まわりの大人がなんとかできなかったのだろう」とか。

「近所の大人に助けを求めるべきだった」とか。

「学校は生徒のサインを見逃すな」とか・・・・・とかとか。

日本人は優しい。みずからの責任として自戒している。

 

しかし、それでは事件の本質をすり替えることなる。

まわりの大人に第一義の責任はない。

学校にもない。

責任は不良グループになる。

そして、それを放置していた警察にある。

 

一般庶民が、暴力団のような不良グループに注意できるはずがない。

こういう暴力団グループを撲滅するのは、警察の役割である。

庶民の役割ではない。

 

警察よ、上村君の事件、もっともっと深刻に自分たちの職務を反省せよ。

しかるに、警察から、反省のコトバが、まったく聞こえてこない。

聞こえるのは、一般庶民と先生と大人の反省の弁である。

反省すべきは、全国の警察である。

積極的に外に出ろ、市民と交われ、少年に声をかけろ。

今も闊歩している暴力団予備軍・不良グループを撲滅しろ。

 

平成27年3月4日(水)

警察官よ、もっと街へ出よう!

 

上村君の事件。

未成年者に対する警察官の関与が、アメリカと比較して、非常に少ないと、

前回、この欄で述べた。

 

今回の事件も、警察官の関与がほとんどなかった。

殺人鬼・18歳男を中心としたグループは、普段から、不良グループとして有名だったそうだ。

だったら、なぜ、警察は、その不良グループに介入し、解散させなかったのだ。

以前から、暴力や万引きや恐喝・恫喝をくり返していた連中である。

 

一般市民は、怖くて、近寄ることさえできない。

そういう暴力団のような連中が、街を傍若無人に闊歩しているのである。

解散させ、暴力や恐喝には、逮捕するのが警察の役割である。

 

最近、警察官を街中で見かけない。

昔、ゴジラ先生が子供の頃は、警察官は、しょっちゅう街中で見たものだ。

無灯火で自転車を走らせて注意されたり、街中でローラースケートをして怒られた。

警官と子供は密接な関係があった。もちろん大人も関わりも深かった。

 

しかし、いつの頃から、警官を見なくなった。

街中を歩いても、繁華街を歩いても、警官をみることはほとんどない。

ニューヨークやロセサンゼルスでは、警官は、街中でしょっちゅうみる。

地下鉄などでは、警官が何人もたむろしている。

 

日本は、凶悪犯罪が少なく、治安が良いから、警官が必要ないのかもしれないが、

そのことが、かえって、小暴力や、不良グループの闊歩を許しているのだ。

 

警官よ、もっともっと、積極的に街中へ出よう。

市民とふれあおう。

子供に関与しよう。

声をかけよう。

 

ちょっとした警察官の行動が犯罪を防止するのだ。

いじめを防ぐのだ。

不良グループの闊歩を許さなくなるのだ。

 

平成27年3月2日

18歳男の名前と顔写真の公開を要求する

 

上村君を虐殺した18歳の男、

こいつを絶対に許してはならぬ。

名前と顔写真を公開せよ。

 

18歳が少年だと、臍が茶を沸かすぞ。

この殺人鬼は、立派な大人の男だ。

江戸時代ならば、市中引き回しの上、はりつけ、獄門さらし首である。

 

警察は、何をしているのだ。

18歳男を、ブルーシートで隠すは、とんでもない行為だ。

むしろ、逆だ。

意図的に、ブルーシートを外して、顔が見えるようにするのが、

警察としての世間に対する計らいである。

 

18歳男を、ブルーシートで隠すのは、人権という偽善を振りかざす、

警察官僚による官僚的、小役人的、紋切り型、ステレオタイプの行動だ。

警察よ、ちっとは世間の風というものを理解せよ。

君達は、世間の空気が読めない、小官僚か、小役人である。

 

それにしても、上村君がかわいそうだ。

あまりにもかわいそうだ。

なぜ、上村君の命を救えなかったのだ。

ゴジラ先生は、絶叫したいほどの怒りを感じる。

怒髪天を衝く怒りをぶっつける。

 

日本の警察は、もっと、もっと、もっと、もっと・・・・不良少年に関与せよ。

アメリカでは、警察官は、驚くほど、積極的に少年に関与するのだ。

夜、未成年が、うろついていると、警察官が、ホールドアップして

帰宅を命令する。(実は、これはゴジラ先生の息子が、アメリカ留学時代、

コンビニに行こうとして、実際に車を背にして、ホールドアップさせられたことがある)。

 

ゴジラ先生も、ニューヨークの街中で、昼間、たむろしていた少年グループを、

警察官が、命令して、解散させた光景を目の前で見たことがある。

さすがアメリカだと感心したことを覚えている。

 

また、息子が留学していた大学には、常時、警察官が駐在していた。

この警察官は、ひとなつっこい女の警察官で、ゴジラ先生に向かって

息子を指さしながら、「ナイスボーイ!」と言ってくれた。

息子は、この女警察官が駐在していた部屋に、よく遊びに行っていて、親しかったそうだ。

警察官が、学校に駐在しているのは当たり前だそうだ。