英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成27年6月23日(火)

日韓友好、ヘソが茶を沸かす

日本人はあまりにもお人好しである。

日本は、140年間、朝鮮人に騙され続けてきた。

もういい加減に朝鮮半島と付き合うのは止めようではないか。

朝鮮半島とは、断絶するのが、日本国家百年のための最善最良の戦略である

 

日韓友好と書いて、偽善と読み、大嘘と読む。

朝鮮民族とは面従腹背の民族である。

表でにこやかにし、裏で悪口を言い、裏切りを画策する。

歴史的に、中国人は、朝鮮民族は、絶対に信用できないと言っている。

 

朝鮮半島の文化は「裏切り」の文化である。

人を裏切り、人を貶め、人を騙し、人を後から斬りつける。

保身のためには、空気を吸うごとく嘘をつく。

古来から、東アジアでは朝鮮民族とは、信用できない民族、

信義も恩義もない連中であるというのが常識である。

 

こういう連中とは断交するのが最良である。

北朝鮮、南朝鮮、双方と断絶、断交、一切の交際を断つ。

そうすると、日本国家百年は安泰である。これほど日本

人にとって精神衛生の良いことはない。

 

平成27年6月22日(月)

韓国のヅラ外相がカメレオンのごとく変心した。

だから朝鮮民族は信用ならんのだ。

 

韓国のヅラ外務大臣が日本にきた。世界遺産に賛成するそうだ。あっと言う

間に変心した。これが朝鮮民族というものだ。いつでも裏切り、いつでも

味方になる。まったく信用ならん連中だ。こういう民族とは、決して、共に

くつわをならべて戦うことはできない。いつ何どき、後から斬りつけるか

分からん連中である。決して、心を許してはならないのが、朝鮮民族である。

 

日韓友好なんぞ、大嘘である。今回、世界遺産に賛成したからと絶対に油断

してはならない。いつでも裏切るのが韓国人だからだ。信義も、仁義も、誠

もない。武士道文化の日本とは真逆の文化である。同じような顔をしている

からと思ったら、大間違いだ。日本人は、明治以来、それで騙されてきた。

 

※ついでにいうと、日本人と韓国人は似ているようで、まったく違う顔を

している。日本人には、韓国人のようなノッペラ顔は少ない。目が左右に薄く

広がっていない。西郷隆盛、南方熊楠、テニスの錦織のような目がぱっちり

とした人間がいる。朝鮮半島では皆無である。

 

明治44年、善意で韓国を併合した。戦後は善意で韓国を助けた。政治も、

経済も、文化も、製品も、技術も、ありとあらゆるものを与え、助けた。

しかるに、後足で砂をかける。後から斬りつける。裏切りが平気の平左だ。

恥も、裏切りも、善意も、信義も、誠も、人倫人道を表現するようなコトバ

やボキャブラリーが、韓国の辞書にはない。まことに朝鮮民族には、つける

薬がない。

 

「ユダヤ人は嫌われている」という誤解があるが、ユダヤにはユダヤ教があり

信仰があり、旧約聖書という教典があって、厳しい人間としての倫理観が

ある。しかし、朝鮮半島には、宗教がない。ゆえに、宗教心がないから、

人道がない。道徳心がない。朝鮮半島の儒教は、上下関係の秩序を維持す

るための規則にすぎない。宗教ではない。ゆえに、教典もない。信仰心もない。

 

鬼畜に等しい人間の集まりだ。その代表選手が、北の金王朝であり金正恩で

ある。南の朴槿惠である。こいらには、人道はない。人倫の道はない。道徳

心もない。仁義も信義もない。だから北朝鮮は人を拉致する。南は平気で嘘

をつく。犬畜生と同じレベルと認識したほうがいい。人間ではないのだ。

だから日朝友好は、絶対にありえないし、日韓友好も絶対にありえない。

どっちも、人倫を知らぬ朝鮮民族であることを、日本人よ、夢忘れるなかれ。

 

平成27年6月18日(金)

韓国の陰気な女大統領、ヅラの外務大臣

 

■韓国の伊炳世(日本語で読むとイヘイセイ)という奴が、 はじめて日本へ

来るそうだ。外相になって、四年もなるのに、日本に来たことがない。

これは世界の外交上の、無礼、非礼の極めつけの話である。この男は、世界

遺産で、日本の悪口を、世界で吹聴して回っている男だ。根っからの反日野郎

である。どの面さげて、日本の土を踏むのだ、 恥を知れと言いたいところだが、

韓国の辞書には、恥という文字はないのだから、恥しらずがいても不思議ではない。

 

※ついでにいうと、イヘイセイ外相の頭はヅラだそうだ。

ネットでみると、ハゲ時代の写真が載っている。ほとんど毛がない。バーコード

も印字できないようなハゲである。なぜ、ハゲを隠すのか、理解を越えるが、

ここに韓国という見栄はり国家、背伸び国家、虚栄国家の本質がある。

 

カツラとは、陰気で、下劣な人間性を表す記号である。自分を隠し、オープン

マインドでない。外相になって、陰口外交、告げ口外交がそれを証明している。

人間というものは、ハゲようと、髪がふさふさとあろうと、その人間の人格や

人間性にまったく関係はない。ハゲを堂々と見せる人は、心の広さや、度量の

大きさを示している。人間は、いかなる場合でも自分を虚飾してはならない。

ヅラの外相、陰気な女大統領、どちらも陰気で陰湿な韓国の実態を証明している。

 

もう一つ、ついでにいうと、ユル・ブリンナー、ショーンコネリー、ブルースウィルス、

ケビンコスナー、ニコラスケイジ、ジャンレノ、ジェイソン・ステイサム、ヴィン・ディーゼル

ドウェイン・ジョンソン・・・ハゲはいくらでもいる。おっと渡辺謙もいるぞ。

ハゲている俳優こそが名優であり、一流の証明である。どうだ分かったか、イヘイセイ外相よ。

ハゲを隠すお前は、二流三流の人間ということだ。

 

■それにしても、朴槿惠(ボクキンケイ)も、伊炳世(イヘイセイ)も、まったく

品性下劣な顔をしている。人間の顔には、その人の人間性や人格がでるものだ。

美智子皇后陛下は、品性高潔な顔をされている。まさに日本人を代表されている

お顔である。尊い貴人のお顔である。朝鮮半島では、太陽が西から出ても、あり

えないお顔である。いくら整形しても、本性は隠せない。

 

■韓流ドラマを見ると、 どいつもこいつも、背中が、ゾッゾッと、するような気色

悪い面をしている。 ツラも整形、心も整形、頭はカツラ、朝鮮人には、品性高潔な

る思想や哲学はない。事情次第で カメレオンのように、顔も心も変る。朝鮮半島と

いう行き止まりの、クソ溜め国家の宿命である。くみ取りしないのでミソもクソも

見分けられず、ただただ腐臭を発 するのみである。

 

「これって、ヘイトスピーチなのか」

「ザッツライト、おっしゃる通り、その通り!」

「心配すんな、朝鮮人には、ヘイトスピーチなんぞ、カエルの面にウンコだ」

「だいたい、戦後70年間の反日は、ペイトスピーチどころか、ヘイトクライム

日本民族差別である。日本人蔑視だ。女大統領も、外相も、日本民族に対する

蔑視政策を、世界中で 告げ口して回っているのだ。世界遺産反対も、日本侮蔑政策の一貫だ」

 

平成27年6月17日(水)

ケンカを仕掛けたのは韓国だ

 

日韓の争いの原因は韓国にある。韓国がケンカをしかけたのだ。

ところが、新聞・マスコミをみると、日韓の冷戦の原因は双方

にあると書いている。キャスターというバカ者も、したり顔で、

日韓の双方が努力せよと、のたまう。

 

バカも休み休みに言え。日韓の冷戦の原因は、韓国にある。

韓国がケンカを仕掛けてきたのだ。殴り掛かってきたのだ。

日本に原因はない。すべて韓国の責任だ。

 

日本は、降りかかる火の粉は、払わねばならないと、応戦した

だけである。日本が自衛上、立ちあがったのだ。自衛戦争である。

 

すべての原因は、ケンカを仕掛けた韓国のバカな女大統領にある。

この女の顔をみると反吐がでる。なんという嫌な顔をしているのか。

陰気で、ネクラで、まさに反吐が出そうな嫌な女という形容がぴっ

たりである。最近、こんなに嫌な人間を見るのはめずらしい。

 

日本からは何もする必要はない。今もなお、世界遺産の問題で、

韓国はドイツなど、世界中で、日本を避難し、告げ口外交で、

足を引っ張っている。

 

韓国は、明々白々に、日本の敵国である。日本を貶めることに血道を

あげている不倶戴天の敵国である。日韓友好という幻想はドブに捨て

敵国として、完膚なきまでに、叩きのめすことである。

 

強い者には媚び、弱いものには居丈高になるのが朝鮮民族である。

世界でもっとも狡賢い朝鮮民族には、絶対に油断してはならない。

背中を見せるな。隙をみせると、寝首をかく。後から斬りかかる。

恩義も仁義も礼儀礼節も、朝鮮民族の辞書にない。武士道の花咲く

日本とは真逆の民族である。

 

平成27年6月16日(火)

国会の神学論争

 

安保法制とやらの国会の議論を見ていると、さっぱり分からない。

ほとんどの国民も、何をやっているのか、まったく理解していないだろう。

聖書の神学論争か、禅問答である。きゃつらバカな国会議員が、軍隊というもの

の本質をまったく理解していないから神学論争が起きるのである。

 

国会の机上でいくら論じても、実践の場では、事態は千変万化する。

現場の自衛官に決定権を与えて、自由に判断し行動してもらえればいい。

がんじがらめに縛っては、戦場では動きようがない。

作戦要務令にあるごとく、独断専行の余地を与えないと効果的な作戦はできない。

 

ようするに、国会議員、とくに野党議員は、⑴戦争の本質と、⑵軍隊の本質を

まったく理解していないのだ。戦争は国際紛争を解決するための手段である。

軍隊は、法律を超越する存在である。軍隊を法律で縛っても、軍隊は法律を

越えて行動できるし、行動する。それゆえに軍隊なのである。

 

軍隊の行動を、はなから、がんじがらめで縛るバカな国は日本ぐらいである。

軍隊とは、超法規の存在である。なんでもできるのが軍隊である。

軍隊とは、国家の存亡の危機を救うために存在するのである。

軍隊は、国家・国民のためには、政治家や国民を越えることができる。

 

アメリカでは、大統領が最高司令官である。

日本では、総理大臣である。国民は、指揮権限を最高司令官に委ねている。

最高司令官は、国民の負託に応えて、軍隊をうごかせばいいだけのことだ。

バカな議員が、アホなことを議論し、神学論争する必要はない。

 

平成27年6月15日(月)

救急車

 

ゴジラ先生の住まいの近くに、「国立行政法人・横浜医療センター」という大きな病院がある。

昔の「海軍病院」である。敷地は広大である。10年くらい前に、最新の横浜医療センターとして、

建て直したのである。昔の海軍病院の時代は、もっと広大だった。それでも、敷地の広さは

後楽園ドーム、一個以上、はいる大きさである。もちろん横浜球場よりもだいぶ大きい。

 

この横浜医療センターは、病院、駐車場、公園などから構成されている。

駐車場と公園は一体で、広大である。自由に入って散歩できる。

ゴジラ先生は、その中を、毎朝、散歩している。一周すると10分はかかる。

そこを5回〜6回、周回するのである。なぜ国立医療センターかというと、安全だからである。

 

真っ暗な冬の日などは、安心して周回できる。ゴジラ先生も、安全安心だが、もう一つ、街中だと、

午前4時頃、オッサンがウロウロ歩くと、怪しまれる。医療センターであれば、誰にも会わない。

さらに、かなり大きな声を出して、暗唱しながら歩いているので、誰にも怪しまれない。

街中だと、真っ暗の中、声を出して歩くと、間違いなく危険人物となるだろう。

 

病院には、救急センターがあって、救急車が、サイレンを鳴らしてやってくる。

これだけは、早朝だろうが、夜中だろうが、盆も正月も、雨の日も風の日も関係ない。

今朝も、4時半ごろ、周回していると、救急車がサイレンを鳴らしてやってきた。

一人の患者が下ろされ、病院の中に運びこまれていた。

 

早朝暗唱ウォーキングでは、普通、三日に一度、二日に一度くらい救急車に遭遇する。

本日は一人だったが、たいていは、付き添いの奥さんらしき人や、家族らしき人を見る。

盆も正月もなく、救急車が走る光景をみると、人生の無常を感じる。

 

ゴジラ先生は、偶然、通りかかった人間で、他人事であるが、運びこまれた当人はもとより、

家族の気持は、堪らないだろうと想像する。あの光景をみると、本日も健康に、一日を送ろうと、

改めて、気を引き締める。

 

平成27年6月5日(金)

冨田という水泳バカのあまりのお粗末さ。

こいつは日本人の恥である。

 

韓国でカメラを盗んだとして、逮捕された水泳の冨田が、昨日、記者会見して

控訴を断念したと言っていた。以前にも、書いたが、この男、煮えているのか

沸いているのか、さっぱり分からん男で、見ているとイライラする。

 

26歳にもなって、きちんと意見を主張できないのには驚くほかはない。

小さな声で、何やら聞き取れないことを、 ぶつぶつと言うばかりである。

どういう教育を受けてきたのか。 ざっくりいうと、大人になっていない幼児である。

まったく成人として いない甘ったれた、幼児のような男である。

 

幼児性の強い人間というのは、世間にもたくさんいるが、ここまで幼児性の

強い人間はめずらしい。これでよくぞ日本代表となれたものだ。それに驚く。

日本水泳連盟は、どのような基準で代表を選んでいるのか、聞きたいものである。

 

ゴジラ先生ならば、冨田のような男は、はなから代表にしない。世界記録のよう

な抜群の記録をもっていれば、別だが、そこそこの記録をもった選手であろう。

こんな男が海外にゆくと、なんらかの問題を起こす確率が高い。その見事な例である。

カメラを盗んだという疑惑を受けただけで、日本代表として失格である。

 

「罪を認めないと、日本に帰国できない」といわれたので、罪を認めたというのに

及んでは、何をかいわんやである。まるで子供の対応である。一人前の大人なら、

まして日本を代表している選手ならば、断固として抗議し、徹底的に無実である

ことを死んでも貫くものである。まして敵地の韓国である。徹底抗戦あるのみである。

 

ゴジラ先生が腹がたつのは、韓国ごときの未熟な国家、野蛮な国で、告訴されたことだ。

日本国と日本人の恥さらしである。控訴して、徹底的に戦い、韓国のデタラメな法治国

家ぶりを世界に知らせるべきである。

 

控訴を取り下げたということは、罪を認めたことである。冨田は、カメラ泥棒だったこ

とが決定したのである。記者会見で、いくらブツブツと言い訳を言っても、大人の世界

では通用しない。冨田は、カメラ泥棒が確定したのである。冨田が、無罪を主張し、

控訴していれば、社会復帰もできたが、罪を認めてしまっては、冨田の人生も終わりである。

 

今からでも遅くないから徹底抗戦しろ。徹底抗戦しないのなら、日本から出て入ってくれ。

ゴジラ先生は、冨田を日本人として認めないからだ。武士道の花咲く国の、大和魂をもった

日本人として忠告する。「腹を切れ」と。

 

平成27年6月4日(木)

健康学と塩

 

ゴジラ先生は、長年、健康については、人一倍、研究してきたつもりだ。

身体に良いと聞くと、片端から試みてきた。良いという食材は何でも食べてきた。

とくに、食べ物については研究し、そして、自ら食べてみて、人体実験をしている。

昨日の玉ねぎ料理などは、その一つである。

 

健康に関する知識、方法、ノウハウ、技術、これを総称して健康学と命名することにした。

健康学の第一の原則は、世間の「常識」を疑うことである。

その代表的なものが、塩分に関する嘘である。

今、テレビを見ても、雑誌を読んでも、識者やコメンテーターという低能どもが、

アホの一つ覚えのように、「塩分を取りすぎてはいけない」とか、「塩分は身体に悪い」とか言っている。

この減塩の大合唱は、恐ろしいほどである。塩を弾圧するフアッショか、全体主義である。

 

塩は身体に悪いというのは、恐るべき迷信である。

こういう迷信や邪教を広めたマスコミの責任は重大である。

塩は身体に悪いどころか、まったく正反対であって、塩ほど身体に良いものはない。

塩は人間の身体に欠かせない根本食品である。

塩がなくなると、人間は死ぬ。塩を断つと、人間は萎びた野菜のようになる。

塩は人間を健康にし、元気に保つ根本食材である。

 

監獄では、意図的に塩を減らして、凶悪犯の精力を減らし、暴れないようにするそうだ。

塩と血圧は関係がない。このことはすでに多くの学者が証明し、エビデンスもある。

昔、東北地方の人間が短命なのは、漬け物の塩が原因であるという調査がでた。

この調査がまったく根拠がないことが、すでに証明されている。

 

なのに、バカなマスコミや、アホな料理人や、マヌケなコメンテーターという連中が

アホの一つ覚えのように、「塩を減らしましょう」と言っている。こいつらは、まったく

勉強をしていない。十年一日のごとく、壊れたスピーカーのように、同じことを言っている。

 

塩が不足すると、「塩気がない」というように、元気がなくなる。精力が衰える。

ゴジラ先生は、積極的に塩をとっている。

毎朝、目覚めると、真っ先に、枕元に置いてある塩入りポットのお湯を飲む。

これは、前の晩、ポットに塩を入れ、お湯を注いだものである。

 

ただし、塩は、ベトナムの塩や沖縄の塩のような「自然の塩」である。

江戸時代からの製法で作った塩である。

ここが重大なポイントである。スーパーで売っている塩は絶対に使ってはならない。

あれは、塩化ナトリウムが100パーセントに近い、化学塩、精製塩であって、

伝統的な塩ではない。本来の塩には、数多くのミネラルが含まれている。

 

塩化ナトリウムは「塩(しお)」ではない。化学物質である。ゆえに、身体に悪い。

ゴジラ先生は何度かベトナムに行ったが、ベトナムは、塩とコーヒーが抜群によい。

ベトナムの塩は美味しい。毎日、使っているのはベトナムの塩である。

 

平成27年6月3日(水)

玉ねぎ料理

 

うっとおしいが、なくてはならぬ、梅雨の季節がきた。

こういう時は、玉ねぎ料理を食べて、元気を出すのが一番である。

 

玉ねぎ料理といえば、まず第一が、「玉ねぎの煮込み」である。

玉ねぎを圧力鍋で煮込むだけの簡単な料理である。

レシピは、圧力鍋に、ダシと一緒に、まるまる一個の玉ねぎを入れて15分ほど煮込む。

ダシは、「創味シャタン」と「ヒガシマルのうどんスープ」を混ぜて使う。

創味シャンタンだけてもいいが、和風にするためにヒガシマルを使うのである。

まるまる一個の玉ねぎが、驚くほど柔らかくなり、そのまま食べられる。

 

第二が、「酢玉ねぎ」である。

これは、玉ねぎを刻み、30分ほど空気にさらす。

それを、パックの容器に入れて、酢を注ぐ。

そのまま、冷蔵庫に、1〜3日置いてから、食べる。

酢は、普通の酢、リンゴ酢、黒酢などいろいろある。

我が家では、普通の安物の酢を使っている。

食べる時は、お皿に、玉ねぎを取り、一緒に、漬け込んだ酢も注ぐ。

玉ねぎの上にカツオ節をかける。必要に応じて醤油もかける。 

 

ゴジラ先生は、昨年12月から、毎日、この玉ねぎの煮込みと

酢玉ねぎを食べている。一日も欠かさない皆勤賞である。

血液がサラサラになるそうだが、これは検査していないので分からない。

しかし元気モリモリになった。疲れを知らなくなった。

若ければ、精力絶倫というところだろう。

 

今、我が家では、玉ねぎの消費量が、物凄いのだ。

毎日、5〜6個が、確実になくなるので、スーパーで買っていたのではおっつかない。

次男坊が、サーフィンで、千葉に行くので、新玉ねぎを買ってきてもらっている。

先日も、三袋買ってきてもらった。一袋千円である。

一袋に80個くらい入っているので、今、2〜300個くらい在庫している。

庭の一角に、脚立を立て、棒を渡して、それにぶら下げて保存してある。

 

とにかく、今、猛烈な勢いで、玉ねぎを食べている。

元気もりもりで、この梅雨を乗り切ろうと思っている。

 

 

平成27年6月2日(火)

安保法制の議論、神学論争はやめろ

 

国会での与野党の安保法制の議論を聞いていると、

なにがなんだか、さっぱり分からない。まさに神学論争である。

 

だいたい「戦争」のことを、机上で論じても意味がない。

時々刻々、変化し、そして、瞬時にも変る戦場のことである。

平和で、ノーテンキな国会議事堂で、議論しても、分かる道理がない。

 

戦争のことや、戦場のことは、原則や原理を決めておいて、

後は、現場の自衛隊の指揮官の判断に任せるしかない。

 

日本人は、事細かに、決めすぎるのだ。机上の空論が多すぎる。

ものごとは、原則と原理がしっかりしておれば、それでいいのだ。

後は臨機応変に、状況の変化に応じて、対応すればいい。

後方の机上で、がんじがらめに縛っては、現場の自衛官が金縛りになって動けない。

 

日米安保にもとづいて、集団自衛権を発揮する。ただそれだけでいい。

攻撃されたら反撃する。敵対行為を受ければ攻撃する。

戦争は自由なる行為である。戦争はフリーハンドである。

 

軍隊とは、いかなる行為も、原則自由である。

現場で戦う兵士を、がんじがらめに縛っては、兵士に犠牲がでる。

兵士が、戦いやすいようにするのが後方支援、政治家の役割である。