英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成17年8月17日(月)

8月15日、今年の靖国神社は世代が一新していた。

若い人が、圧倒的に多くなった。すばらしいことだ。

歴史と伝統が若い世代に引き継がれている。これで

250万人の英霊は、安心したことだろう。

 

さて、安倍談話だ。語るまでもない。良いも悪いもない。

安倍さんは、総理大臣として、自己満足しただろう。政治家という人間は、

自分のマスターベーションのために、国民を犠牲にするのである。自分は

かっこよく談話を発表し満足したのである。

 

同じく、鳩山というアホウが、韓国で土下座していた。これも元総理大臣

という立場のマスターベーションである。自分は、韓国人から褒められ、

自己満足するだろう。しかし、庶民の立場はどうなるのだ。

 

総理大臣など、社会的地位の高い者は、土下座しようと謝罪しようと、

何の痛みも感じない。逃げこめる場所がいくらでもある。逆にカッコよい

パーフォーマンスとなる。しかし、庶民・国民は逃げる場所がない。

土壇場にいるのだ。国民にとって、総理大臣が謝罪するということは、

国民が前科者と断罪されることである。この本質が分かっているか。

ここが実に微妙だが、談話というものの本質的な問題なのである。

 

安倍さんも、鳩山も、決して前科者にはならないのだ。

高層建築でいうと、最上階にいて、一歩、階段を降りるだけである。

しかし、庶民は一階にいるのだ。これ以上降りる階がない。まさに土壇場

なのだ。土壇場にいる者が罪を認めることは、前科者、犯罪者となって、

後ろ指をさされながら、コソコソと、その後の人生を生きることである。

庶民は、どこに行けばいいのだ。

 

結局、ゴジラ先生は言いたい!

「総理大臣が、何の権限で、どのような根拠で、謝罪するのだ」

「どのような理由で、国民の同意もなしに、談話を発表し、謝罪するのだ」

そんなことを頼んだつもりは毛頭ない。越権行為もはなはだしい。

勝手に、韓国や中国に謝罪するな。過去二千年の歴史、そして未来永劫の

日本人の歴史を、たかが、平成の総理大臣ごときが、総括するとは

言語道断の振る舞いである。神になったつもりか。

 

平成27年8月10日(月)

安倍さん、70年談話を出すな

絶対に出すな。断固反対する。

我等の子孫に負の遺産を残すな。

 

ゴジラ先生は、かねてより70年談話に大反対である。

「出すな」と、強く主張してきた。理由は簡単である。

何をだそうとも中国 と韓国は、絶対に非難するからだ。

 

60年談話、70年談話、80年、90年、100年

談話と際限なく出し続けるつもりか。そして、際限な

く謝罪するつもりか。

 

談話という世紀の愚行をやめろ。過去、時のバカ総理

大臣が自己 満足で出した結果、日本民族に取り返しの

つかない汚 点を残したのだ。

 

安倍さんよ、おのれの自己満足でだすな。歴史に名を

残そうとして、まったく反対の、一大汚点を残すこと

になる。

 

今からでも遅くないから、談話の発表を中止しろ。

子々孫々を屈辱から救え。将来の子孫に負い目を残すな。

負の遺産を残すなかれ!