英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成28年2月1日(月)

我が友・田嶋幸三先生が

日本サッカー協会の会長になった

 

友の喜びに我は舞い

我が喜びに友は舞う

 

田嶋幸三先生は、ゴジラ先生の盟友である。

長年の戦友だ。肝胆相照らす仲と言ってもよい。

今、58歳である。協会は70歳定年だから、十年以上はある。

長期政権として、思い切った改革ができる。

日本サッカーはすばらしいものになる。日本サッカーは、

世界に伍して、グローバルな存在になるのは間違いない。

 

次は、国際サッカー連盟の会長をめざしてもらいたい。

金で汚れたFIFAを改革できるのは、田嶋幸三先生のような

清廉潔白な日本人である。

 

韓国の現代財閥のテイムジュンというアホ男が立候補しようとしたが、

汚職で六年間の資格停止になった。バンザイである。分限を知れと言いたい。

それにしても身の程知らずという言葉は、韓国人のためにある。

このテイムジュンという奴は、おのれを何様だと勘違いしているのだ。

国連事務総長のハンキブン(潘 基文)といかいうアホも同類だ。

 

田嶋幸三先生は、能力、識見、人望など、まれに見る逸材である。

リーダーとして、この人に匹敵する人材は政界にも官界にも経済界にもいない。

日本人として、グローバルに通用する稀有なる人材である。

 

口のうるさいことでは人後に落ちないゴジラ先生がいうのだから間違いない。

人間の能力を見抜くことでは、人には絶対に負けないと自負している。

ついに、日本にも本格的なグローバル人材が登場した。

本日は、記念すべき日だ。お目出度い日だ。祝杯をあげよう。

 

平成28年2月29日(月)

小保方晴子さんに

復活復権の機会を与えてやれ

 

小保方さんに対するバッシングがひどすぎる。社会的からの抹殺で

あり、社会的な死刑である。凶悪事件を起こさないかぎり、死刑

はありえない。まして死刑廃止の時代である。しかるに、小保方

さんは、死刑判決を受けたのと同じ扱いである。日本社会から、

完全に抹殺された。復帰も復権を絶望的である。

 

これは少し異常ではないか。ゴジラ先生が、警告しているように、

日本社会は、きわめて不寛容になった。徹底的に人を痛めつけるよ

うになった。すさまじいばかりのバッシングである。イクメン元

議員も、野々村も、ベッキーも、桂文枝も、甘利元大臣も、袋叩

きである。

 

小保方さんは、三年ぐらいの社会奉仕活動をやったらいい。謹慎

である。それから復活すればいいのだ。社会的な影響力のある政

治家や文化人が、最近のバッシングの風潮に警告を発してもらい

たい。「バッシングを止めよう」と、強く声明を発表し、新聞、マ

スコミも、大々的なキャンペーンを張ってもらいたい。

 

現在のバッシングの風潮を放置すると、日本社会は、人を痛めつ

け、非難し、足を引っ張る、やりたい放題の無法社会となる。

まさに、日本の韓国化である。日本人が歴史的伝統的にもってい

た、寛容の精神、惻隠の情が失われている。武士道精神がなくな

った。そのための試金石として、まず小保方さんの三年後の復活

復権を期待したい。「小保方チャンの復活はアリーマース!」 

 

平成28年2月26日(木)

ああ、シャープよ!

 

あのシャープが台湾メーカーの傘下に入るらしい。あのシャープが!

日本を代表するメーカーだったのに!栄枯盛衰、世の習いとはいえ

えもいわれぬむなしさだ。心の中に寒風が吹くようだ。ゴジラ先生

の家の最初のテレビはシャープだった。昭和28年だった。

 

ゴジラ先生の大学時代の親友が、シャープに勤めていた。シャープ

の本社は、ゴジラ先生が通っていた大学から一駅のところにあった。

長池という地名である。下宿からも一駅だった。ゆえに、シャープ

は、余計に身近な存在だった。本社には何度も行ったことがある。

 

早川徳次という日本史にのこる、偉大な発明家にして、立志伝の事

業家が、起こした会社である。早川徳次といえば、シャープペンシ

ルを発明したことでも有名な人物である。テレビも、ラジオも、

計算機も、いつもトップを切って、世に出していた。

 

日本の電機業界のたそがれをつげる鐘のようだ。ソニーが没落し

パナソニックも往時の元気はない。東芝もふらつき、日立ももう

一つぱっとしない。電機業界の衰退は、日本の工業の衰退でない

ことを切に願う。新しい早川徳次、新しい松下幸之助、新しい

井深大よ、出でよ!ベンチャー精神にあふれた冒険家よ、出でよ!

 

平成28年2月24日(水)

野々村なにがしというフロ屁のような男。

いじめる価値もない。

 

記者会見で、泣きわめいて有名になった元県議・野々村竜太郎。

この男を、テレビがまたまた、集中的に取り上げて、いじめている。

もうこんなフロ屁のような男のことは許してやれ。こいつにだって

親も兄弟もいるのだ。

 

ゴジラ先生が、この欄で、いつも言っているように、「人を裁くな、

裁かれざらんためなり。おのが裁く裁きにて、おのれも裁かれ、

おのが量るはかりにて、おのれも量らるべし」。

 

人間は失敗する動物だ。失敗したからとて、叩いて、叩いて、再起

不能なまでに叩くのは、武士道に反する。韓国ならいざしらず、わ

が日本の風土にはない。逃げる敵を追わざること。人の窮境に陥る

を見て喜ばざること。これが武士道精神である。

 

日本人は不寛容になった。人の失敗を喜び、人の粗探しに熱中する

嫌や人間が増えた。テレビ界とは、ゲスな人間の集まりである。

大手スポンサーは、こういうゲスな番組からおりろ。吉本の下品

な芸人が騒ぐだけの番組、ミヤネヤという傲慢無礼をアホが司会

する番組など、トヨタ、ホンダ、日産、花王・・・大手はおりろ。

テレビ界を浄化するには、兵糧で日干しにするのが一番である。

 

平成28年2月23日(火)

桂文枝よ、女の手仕舞が不十分だ。

 

桂文枝、昔の桂三枝が、女との浮いた話で、マスコミを賑わせている。

ほっとけ、ほっとけ、ほっといてやれと言いたい。浮気も、芸人には

肥やしになる。最近の日本は、芸人の艶話に不寛容になった。ジジイを

あんまりいじめるな。もう残りは少ないのだから。

 

世の中、男と女である。男と生まれたからには、艶っぽい話の一つや

二つ、なくて何とする。男の勲章である。ただし、想像だが、文枝は、

女との手仕舞が、きちんとできていなかったと見える。女に家の一軒

でも、店の一つでも、持たせて手仕舞するのが、芸人の甲斐性という

ものだ。そういう意味では、文枝は、芸人としてセコイのだ。

 

昔、あの鞍馬天狗の嵐寛寿郎は、女と別れるたびに、全財産を渡して、

自分が家を出た。だから、別れた多くの女から、慕われたのである。

男というのものは、浮いたことをするときには、アラカンほどの器量

がなくてもはならぬ。文枝には、そういう大きな度量がない。

 

そうは言っても、文枝は、ゴジラ先生と同じ歳である。最近の文枝を

みると、老人特有の症状で、頭がピクピクと震えている。「いらっしゃ

ーい」の三枝も、歳をとったものだ。もう若いネエチャンを相手にする

ほどの元気はないだろう。元気を出すと、ドリフターズのカトちゃん

のように、ボケ気味になる。カトちゃんも同い歳だが、ヨメはんが若

すぎる。無理をしているとボケが進むぞ、カトちゃんよ。

 

平成28年2月22日(月)

復権と復活を許す社会

 

最近の日本社会は余裕がない。一度失敗すると、二度と起き上がれない。

小保方晴子も、イクメン元議員も、このままでは二度と、社会に出てこ

られないだろう。凶悪殺人をしたわけでもないのに、日本社会から抹殺

されるのである。まさに社会的な死刑である。ギロチンである。

 

小保方さんも、イクメン元議員も、3年から5年くらいの社会奉仕活動

をさせて、悔い改めさせて、再び復権復活させることである。チャンス

を与えてやることだ。そうしないと、日本では、失敗を恐れて、大胆不

敵な独創的な仕事をする人間がいなくなる。

 

人生とは失敗の連続である。失敗を恐れていては、人間が縮こまるばか

りである。フロの湯船の中の屁のような、匂いも、音もしない。つまら

ん人間ばかりになる。強烈な匂いも、あっと驚くような音もたてて、人

生を豊かに、大胆に、ベンチャー精神で、生きるべし。

 

昭和20年代、終戦直後には、日本には大胆不敵な風土がみなぎって

いた。本田宗一郎も、松下幸之助も、井深大も、終戦直後の混沌たる

社会から生まれたのである。混沌は、創造を生む、変化を生む、チャ

レンジを生む、チャンスを生む、そして、冒険家を誕生させる。そし

て、社会は大胆不敵に変化する。

 

平成28年2月19日(金)

逃げる敵を追わず

 

イクメン議員を、これ以上、いじめるのはもういい。袋叩きにする

のはもう止めとけ。武士道に反する。逃げる敵を追わざること、

惻隠の情こそ、武士道精神である。しかるに、テレビは、それ見た

ことかと、微いり細にうがつように、イクメンの粗探しで、叩いて、

叩いて、叩きまくっている。お前たちに人を裁く資格があるのか。

 

ゴジラ先生がいつも言っているように、イエスキリストの前に、

姦淫したという女がつれてこられ、民衆が「この女を石で撃ち殺そう」

とイエスに言った。イエスは顔をあげて静かに言った。「罪を犯した

ことのない者から石で打て」と。すると、一人去り、二人去り、誰も

いなくなった。

 

「人を裁くな、裁かれざらんためなり。おのが裁く裁きにて、おのれ

も裁かれ、おのがはかる量りにて、おのれも量らるべし」。マタイ伝

山上の垂訓にある。人間は不完全である。過ちを犯す者である。過ち

を犯した者が、謝罪した時、それ以上、深追いするのはやめとけ。

キリスト教も、武士道も、そう教えている。

 

イクメン元議員が、将来、どうなるかは知らない。しかし、この男の

過ちをいくら追求しても、得るものは何もない。そんなことよりも、

もっと生産的なことを考えようではないか。人生とは何かを考えよう

ではないか。人生をいかに生きるべきかを考えよう。なぜならば人生

は短い。やるべきこと、考えるべきこと、人のために尽くすことが

山のようにあるからだ。

 

平成28年2月18日(木)

本日はサンデーモーニングとかいう

屁のような番組に罵詈雑言を放つ

 

関口宏という奴、こいつは、自分を何様だと思っているのだろうか。

リベラルを気取っているが、リベラルとはバカと同義語である。

理由は、誰でも言えることを言うからである。「平和」とか、「戦争

反対」とか、「暴力反対」とか、「いじめ反対」とか、誰もが考える常

識を、自分が発見したごとく喋るのである。ゆえにバカだという

のである。逆に、平和反対、戦争賛成、暴力賛成、いじめ必要とか、

言ってみろ。その理由と根拠を考えるのは、関口の頭では、無理だ。

 

岸井成格と張本勲である。まず岸井とかいうクソ野郎は、自分を

何様だと思っているのか。この男、元新聞記者らしいが、新聞記者

という人種は、「新聞記者は偉い。社会のエリートで、大衆を啓蒙し

てやる」と、錯覚している連中である。岸井は、テレビの中で、安保

法制を廃止すべきであるとコメントをつけ、大問題になった。こう

いう日本社会の進化を妨げる人間は、凶悪という点で、凶悪殺人鬼

と同類である。死刑が妥当だろう。

 

張本勲という韓国人、こいつは何様のつもりだ。なぜ、日本よりも、

韓国をひいきにするゲス野郎をテレビに出すのか。即刻、テレビか

ら追放せよ。日本選手の活躍に対して、苦々しげな顔をする。韓国

の活躍を喜んでいる。ここは日本だ。日本で金を稼いで生きてきた

くせに、日本国籍を取らず、韓国籍のままである。こんなバカなこと

を許すな。あまりにも日本を舐めている。張本に、大大大大喝だ!

 

平成28年2月17日(水)

お隣の国の屁のようなクソ女大統領に

本日は罵詈雑言を提供しよう。

 

お隣の国の女大統領、言いつけるのが大好きな女大統領、更年期障害

の女大統領。そうそう、朴槿惠とか言った女であるが、こいつが北朝

鮮のロケットのことで、日米と協力して対処すると、述べたそうな。

 

アホも休み休みに言え、このクソ女!!三年間も、日本を無視し、

日本の悪口を世界に言いふらしていたクソ女。オバマ大統領の前で

安倍さんに恥をかかせた、このクソ女が、いまさら、何を言って、

ケツカンネン。冗談は顔だけにしろ、このクソ女。

 

このクソ女大統領の顔がテレビで映ると、反吐がでそうである。猛烈

に気分が悪くなる。もちろん、ゴジラ先生は、ただちにチャンネルを

変える。陰気で、陰険で、クソ意地の悪そうな女である。韓国人は、

いつも、こんな陰気な女を大統領にしているのかと思うと同情する。

 

ここで、我が国内に目を向けると、いた、いた、日本にもいた。

辻元清美と蓮舫だ。お隣のクソ女大統領と同類だ。とくに、辻元

清美を見ると、直ちにチャンネルを変える。こいつも、目立ちた

がりで、いつも幹部ヅラをして、テレビに出たがる。

 

昔、ソーリ、ソーリ、「アイムソーリー」と言ったそうな。このクソ

女 がいるかぎり、民主党の人気は絶望だ。もとより絶対に政権を

取れ ない。朴槿惠よ、辻元清美よ、蓮舫よ、顔に雑巾をかぶせて、

テレビに出てくれないか。頼ノンマス。

 

平成28年2月16日(火)

鬼畜のような奴だ。

 

今朝、六時のニュースを見ていたら、昨年、川崎の老人ホームで、

三人の老人がベランダから転落した事件があったが、その犯人が

逮捕されたと報道していた。一人を投げ落とした犯行を自供した。

しかし、三人が転落した時に勤務していたのが、23歳のこの男

だから、残りの二人も投げ落とした可能性が高い。

 

96歳や、86歳の抵抗もできない老人を投げ落とすとは、鬼畜

の所業である。この男に、ロープをつけて、バンジージャンプの

ように、ベランダから投げ落として、その恐怖を体験させてやれ

ばいい。殺された三人分、一カ月間、毎晩、落してやれ。自分の

罪の深さを心底、味わってみるがいい。

 

最近、親殺し、子殺し、妻殺し、夫殺しと、残酷な事件が多い。

しかも、親という尊属殺人が増えているような気がする。昔は

尊属殺人というのは、特別に罪が重かったそうである。殺人を

何でも一緒くたにするのはおかしい。幼い三歳の幼児を虐待し

頭にかかと落としで殺した鬼畜がいる。こいつは死刑である。

 

何か殺伐として、住みにくい世の中になったもんだ。ゴジラ先生が、

子供の頃は、日本全体が貧乏だった。しかし、こんな残虐な事件は

少なかった。貧乏は人間に連帯と思いやりを生む。豊かさは日本人

から人間性を奪い去った。せちがらい、住みにくい世の中になった。

 

平成28年2月15日(月)

イクメン議員とかいう奴、

軽い、軽い、 ほんまに軽いやっちゃ

 

イクメン議員とかいう宮崎謙介なる男、ほんまに風船より軽い、

というと、風船に悪い。フロの中の屁のようなやっちゃ。音も

匂いもない。一度、やってみな、フロの中で屁をこくと、音も

匂いもない。これはほんとうに不思議なことなんだ。

 

こういう軽い奴を選んだ選挙民にも、同罪の大きな責任がある。

しかるに、こいつを選んだ京都の選挙民が、テレビで、クソミ

ソに批判していた。オイオイ、お前も同罪だ。恥を知らんのは

屁のような男と、屁のような選挙民の「お前だ!」と言いたい。

 

最近、屁のように軽い奴というと、一に国会議員と、二に大学

教授、三に弁護士、四が芸能タレントである。反対に、重い人

間が、営々と、黙々と働く、サラリーマンと労働者諸君である。

彼らこそ、日本の真の英雄である。日本は彼らが作ったのだ。

 

政府の叙勲は、大変な間違を犯している。政治家や官僚や学者

やタレントに叙勲している。とんでもないことだ。こいつらは

サラーリーマン、労働者の血をすする吸血鬼である。日本を作

り、日本を豊かにしたのは、サラーリーマン、労働者である

彼らこそ、縁の下の力持ちであり主役である。叙勲は、彼ら

に与えてこそ、日本の真の叙勲制度となる。今の叙勲制度は、

大変、間違っている。ぶっ飛ばせ、屁のような勲章を! 

 

平成28年2月12日(金)晴

川崎の殺人鬼に対する刑期が

懲役9〜13年だって、

それって、どうーゆー意味だね。

 

オイオイ、女裁判官よ、刑期に最大から〜最小まであるのかい。

刑期とは、懲役10年、25年、30年と確定した数字でないのか。

9〜13年という曖昧な刑期があるとは、驚き、桃の木、山椒の

木だね。ドーユー意味かさっぱり分からん。

 

まさに日本社会の曖昧さを証明した刑期だ。こういう判決を下す

裁判官は、裁判官失格だ。秋霜烈日の厳しさで、判決を下すのが

裁判官の裁判官たるゆえんである。こんな曖昧模糊とした判決を

するのなら、最初から裁判官はいらん。

 

人を殺しておきながら、最小の刑期9年で出てくる可能性がある。

場合によっては、5年や6年で、出所する可能性もある。こんな

バカな判決があるか。この裁判官は、六法全書バカの大アホウで

ある。上村君は、殺され損か。上村君の仇を、上村君に代わって

討つのが、裁判官というものである。

 

六法全書に精通しているかもしれないが、人生におけるもっとも

大切な、「常識」というものがない。だからアホだというのである。

そこらの市井の八ッツアン、クマさんがもっている世間の常識と

いうものが、致命的に欠落している。ゆえに裁判官失格というよ

りも人間失格である。裁判官である前に良き市民としての常識を

もつべし。日本の裁判と裁判官は狂っている。アホの集まりだ。

 

平成28年2月10日(水)

日本よ、北朝鮮のド根性を見習うべし。

巨人の星だ。金親子の根性物語だ。

 

クソ憲法をあがめ、平和国家だと偽善をぬかすのが、戦後日本だ。

世界のどこに平和があるというのだ。おのれさえ良ければ、世界が

どうなろうと、かまわんのが戦後日本だ。北朝鮮のミサイルに腰を

抜かし、アメリカ様のひざに取りすがって、泣きわめいているのが、

偽善の平和国家としての戦後日本だ。

 

八方美人を演じているのが戦後日本だ。腰抜け国家、臆病国家だか

ら、右顧左眄して、偽善の平和主義をばらまいているのが戦後日本だ。

世界から同情を呼ぼうとしているが、こんな腰抜け国家を、誰が相手

にするというのか。軽蔑され、侮蔑され、腰抜け国家よと、陰口を叩か

れていることに、気がつかないのか。KY国家、日本よ。

 

日本よ、北朝鮮を見習え。北朝鮮のドドドド・・・・ド根性を学べ。

「おのれ正しければ、百万人といえど、我ゆかん」。

これを地で行っているのが北朝鮮ではないか。

あのデブチンを見ろ。世界の最新の流行やフアッションなどお構いなしに、

あの刈り上げ頭で、闊歩している。たいした根性だ。

フーテンの寅さんの啖呵売のセリフを借りると、こうなる。

 

「たいしたもんだよ、カエルのしょんべん、見上げたものだよ、屋根屋のフンドシ」

「結構毛だらけ、ネコ灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけ」

「やけのやんぱち、日焼けのなすび、色は黒くて食いつきたいが、わたしゃ、入れ歯で、歯がたたぬ」

「男は度胸で、女は愛嬌、坊主はお経で、学生は勉強、庭でウグイスホーホケキョ」

 

「四谷、赤坂、麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋なねえちゃん、立ちしょんべん」

「白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが、水臭い」

「あなた百まで、わしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで」

なんだか、訳がわかんないが。これが北朝鮮というものだ。終わり。

 

平成28年2月9日(火)

カエル(金正恩)のツラに小便だ

 

日本も、アメリカも、韓国も、中国も、ロシアも口先ばかりである。

暴挙だの、許せんだの、安保決議違反だのと、いくら叫んでも、金正恩

は、なんの痛痒も感じない。逆に、世界が注目してくれるからと、余計

にハッスルするだろう。

 

北朝鮮のみが、有言実行だ。こういう開き直った国はほんとうに強い。

カエル(金正恩)のツラに小便である。馬に念仏である。まったく効

果なし。処置なしだ。どうする?オバマ、習近平、プーチンよ。

 

軍事力で北朝鮮を殲滅しないかぎり、あのデブチン男には、効き目なし。

アメリカにも、中国にも、その気がまったくなし。韓国にいたっては

北朝鮮の核兵器もミサイルも、ウリナラ民族の財産だと大喜びである。

 

けしからんを連呼する日本人も大変な偽善者である。戦争なき解決など

夢想である。平壌を空爆し、自衛隊が、敵前上陸して、北朝鮮を屈伏

させないかぎり拉致被害者は取り戻せない。戦争をする勇気も根性も

ない日本人こそ、金正恩の爪のあかでも煎じて飲めばよい。まさに

あのデブチンは、日本の反面教師である。

 

平成28年2月8日(月)

北朝鮮の身になって考えた。

一寸の虫にも五分の魂

 

北朝鮮の立場に立てば、そういうことになる。米露中などが弾道ミサイルを

もっているのに、何で俺たちが持ったらいかんのだ、ということだ。米露中

インド、パキスタン、イスラエルが原爆を持っているのに、なんで俺たちが

持ったらいかんのだ、ということだ。

 

北朝鮮がけしからんのならば、殲滅すればいいのだ。北朝鮮のミサイル発射

基地を攻撃して、撃滅すればいいのだ。原爆実験場をミサイル攻撃して殲滅

すればいいのだ。金正恩の自宅をミサイル攻撃して、このデブチンをぶち殺

せばいいのだ。しかるに、アメリカも、中国も、韓国も、日本も、ロシアも、

みんな口先ばかりで、何もしない。

 

北朝鮮の身にになってみれば、よく分かるはずだ。生き残るために必死決死

なのである。ハリネズミのように固めて、自己防衛しないと、この国はすぐ

に死滅するからだ。国家が死滅しないように、捨て身で生きているのだ。

こういう国家は強い。腹をくくって、座り込んで、「煮るなと焼くなと、好き

なようにせい」と、開き直った国は、手がつけられない。

 

今のままでは、拉致被害者も、当然、戻らない。解決は不可能である。

理由は簡単だ。平和憲法というクソ憲法があるかぎり、拉致被害者は、帰っ

てこない。戦争のみが唯一の解決である。戦争は、国際紛争を解決するため

の最終手段であり、切札である。日本が、戦争をできる国家になったとき

拉致被害者は、取り戻せる。

 

いつになったら、そんな日がくるのか。それは国民の覚悟しだいだ。日本

人が戦争をする覚悟を決め、戦争を発動したら、明日にも取り戻せる。

拉致被害者のために、日本国民が、血を流す覚悟がありやいなやである。

政治家も、学者も、マスコミも、大衆も、口先だけの偽善者ばかりである。

同胞を救うために血を流すことが戦争である。明治、大正、昭和戦前期の

日本人では常識だった。明治いらいの一世紀で、もっとも、腰抜け、臆病

者、卑怯者が、卑劣な奴、それが戦後70年の日本人である。恥を知るべし。

この哀れな時代に遭遇した拉致被害者に対して、心から同情する。

 

平成28年2月5日(金)

執行猶予というのは無罪とちゃうんかい。

何のために手錠をかけ、逮捕し、監獄に放り込み、

裁判するのだ。税金の無駄使いはやめろ。

 

「清原は初犯だから執行猶予だ」と、弁護士がしたり顔で喋っていた。

冗談ではない。バカも休み休みに言え。執行猶予というのは無罪と

同義語である。なぜならば、その日から監獄を出て、普通の生活が

できるのだ。手錠を掛けられ監獄に入るから有罪であって、監獄に

閉じ込められないのなら、まさに無罪そのものでないか。

 

ゴジラ先生は、かねがね、この執行猶予というものに、大なる疑問を

もっていた。こんな理解に苦しむことはない。執行猶予にするなら、

最初から、逮捕するな、手錠をかけるな、裁判するなと言いたい。

 

シナでは、麻薬を運んだだけで、死刑である。日本では麻薬を使って

も執行猶予ということだ。なんという太平楽な国であることか。人間

を甘やかせる悪しき法律がまかり通っている。少年を殺した19歳の

殺人鬼が15〜20年の刑だそうな。この国は狂っている。

 

日本の法律はおかしい。間違っている。裁判官、検事、弁護士という

鼻持ちならぬエリート意識をもった連中の茶番である。まったく世間

知らずの六法全書バカである。とくに、弁護士という国内だけで通用

するガラパゴス人間が、テレビで、偉そうに、したり顔で、したり顔の

コメントをつける。こいつらは何様のつもりだ。

 

だいいち、清原のためにもならん。一年くらい監獄に閉じ込めないと

この男、間違いなく再犯する。その時、責任は法曹界にあることを警告

しておこう。昔からいうではないか、情は人のためならずと。

 

平成28年2月4日(木)

清原よ、お前は人生をなめとる

天網恢恢疎にして漏らさず

 

清原という男は、一見、破滅に向かって落ちてゆく破滅型にみえる。しかし、

この男は、破滅型ではない。破滅型は確信犯的である。破滅にむかって進む

信念がある。清原はおのれに甘い、甘えん坊にすぎない。

 

誰かにかまってもらいたい幼児と同じである。身体はでかいが、精神は子供

である。こういう男は、一度、監獄に入って、徹底的な挫折を味わったらいい。

苦労したと報道されているが、あんなものは苦労ではない。野球で大金を稼ぎ

銀座を飲み歩いた、ただのアホである。

 

それにしても、テレビを見ていると、キャスターやコンメンテーターは甘すぎる。

とくに、ミヤネヤの宮根はいったいどういうつもりだ。この男、終始一貫、清原

を弁護したくて強弁していた。清原と個人的に親しい奴は、異口同音に、素晴ら

しい選手だったと、未練たらしく弁護する。しかし、過去、どんな栄光があろう

とも、覚醒剤をやったらおしまいだ。弁護の余地も、弁護の必要もない。

 

清原を徹底的に弾劾せよ。こういう有名人の甘えた野郎を社会から追放せよ。

世の中には、今、食うものもなく、飢えている人が一杯いる。母子家庭で

居酒屋でアルバイトして、子供を育てている人がいる。両親がいなくて、養護

施設で暮らしている子供や少年がいる。

 

川崎の少年殺人事件のように、理不尽にも命を奪われた少年がいる。清原の苦し

みなんぞ、苦しみには入らない。甘えるな清原、甘やかせるなマスコミよ、キャ

スターよ。清原には、これから長い苦しい人生が始まる。もう一度、しっかりと

人生をやり直せ。

 

平成28年2月3日(水)

とうとうやったか、

清原のバカタレが

 

黒光りする顔が異様だった。ヤクザまがいの振る舞いが異常だった。

専門家は、あの黒光りする顔をみて、ヤクをやっていると思っていたはずだ。

素人でも、何か、おかしいと感じていた。ゆえに、今回の逮捕には、やっぱ

りなと思った。

 

清水健太郎も、何回も逮捕された。薬物中毒から脱するのは、困難である。

清原も、これから何回も、警察のやっかいになる可能性がある。よほど

しっかりした奥さんと家族が、つかないと危うい。しかるに、清原は

すでに離婚していたそうな。この男の転落の始まりは離婚だ。奥さんから

三行半をつきつけられていたのだ。

 

人生は一寸先は闇である。何がおきるか分からないのが人生というものだ。

分限をわきまえ、身をひきしめ、謙虚に謙遜に生きることだ。自分の身の

たけの大きさで堅実に生活することだ。希望と夢はしっかりと持ち、そして

分不相応の背伸びをするなということだ。まさに反面教師としての清原の

逮捕劇である。

 

平成28年2月2日(火)

不寛容の時代

 

最近の日本は寛容でなくなった。ゴジラ先生は、不寛容の時代と命名する。

甘利大臣、SMAP、ベッキー、殺された三歳児と、非難され、攻撃され

る事件が頻発している。これらの人々は哀れな犠牲者である。とくに三歳

児は、あまりも哀れで、涙が止まらない。犯人を死刑にしろ。

 

攻撃側の代表選手が、週刊文春である。この編集長は、おのれを何様だと

思っているのか。神になったつもりか。こういう奴こそ、暴力団よりも、

はるかに陰険で、陰湿で、暴力的である。こういう奴こそ、死刑にしたい。

いずれ天罰がくだることを予告しておこう。

 

大衆は、この不寛容に迎合して、野次馬根性で、煽りたてる。

さらに、その大衆を煽るのが、テレビマスコミである。最近は、ミヤネヤ

という奴の傲慢無礼な振る舞いが鼻につく。この野郎も自分を何様だと

思っているのか。自分を偉いと勘違いしている代表的な男である。

 

古館伊知郎、関口宏、宮根、これを傲慢無礼な三バカ司会者という。

古館は降りたが、関口というアホ、宮根というバカ、こいつらが大衆を煽動する。

大衆は、もともと、大バカだから、すぐ付和雷同する。

 

それにしても、関口宏の番組は、キャスターは、左巻き人間のオンパレードである。

その上、張本いう下品な韓国朝鮮人が、威張っている。こんな奴は、即刻、降ろせ。

張本こそ、大喝、超喝、喝・喝・喝だ。

 

張本勲、金正恩、朴槿惠、この三人を見よ。これがチョウセンジンという人種の本質だ。

謙虚さのかけらもない。嘘つきであり、独善的であり、独裁的であり、その上、非常な

残虐性をもっている。結局、こいつらこそ、不寛容の時代の代表選手である。