英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

我が友・田嶋幸三先生が

日本サッカー協会の会長になった

 

友の喜びに我は舞い

我が喜びに友は舞う

 

田嶋幸三先生は、ゴジラ先生の盟友である。

長年の戦友だ。肝胆相照らす仲と言ってもよい。

今、58歳である。協会は70歳定年だから、十年以上はある。

長期政権として、思い切った改革ができる。

日本サッカーはすばらしいものになる。日本サッカーは、

世界に伍して、グローバルな存在になるのは間違いない。

 

次は、国際サッカー連盟の会長をめざしてもらいたい。

金で汚れたFIFAを改革できるのは、田嶋幸三先生のような

清廉潔白な日本人である。

 

韓国の現代財閥のテイムジュンというアホ男が立候補しようとしたが、

汚職で六年間の資格停止になった。バンザイである。分限を知れと言いたい。

それにしても身の程知らずという言葉は、韓国人のためにある。

このテイムジュンという奴は、おのれを何様だと勘違いしているのだ。

国連事務総長のハンキブン(潘 基文)といかいうアホも同類だ。

 

田嶋幸三先生は、能力、識見、人望など、まれに見る逸材である。

リーダーとして、この人に匹敵する人材は政界にも官界にも経済界にもいない。

日本人として、グローバルに通用する稀有なる人材である。

 

口のうるさいことでは人後に落ちないゴジラ先生がいうのだから間違いない。

人間の能力を見抜くことでは、人には絶対に負けないと自負している。

ついに、日本にも本格的なグローバル人材が登場した。

本日は、記念すべき日だ。お目出度い日だ。祝杯をあげよう。

 

平成28年4月29日(金)

舛添よ、直ちに税金を返せ!

こういうアホはリコールをかけてクビにしろ

 

庶民の血税を浪費して良心が痛まないのか

お前が世界中を豪遊して歩いた飛行機代、ホテル代、

贅沢三昧は、市民の血税だ。

 

一生を通じて、海外に一歩も行けない人がいくらでもいる。

なんたる贅沢、なんたる豪遊、政治のトップとして、失格だ。

すぐに辞表を出せ。

 

舛添という奴、こいつは最低の男だ。

良心も、道徳心も、庶民へのいたわりの心もない。

舛添よ、警告する、お前の使った金は庶民の血税だ!!

 

世界でもっとも貧しい大統領から学べ。

世界のリーダーは清貧が常識である。

 

舛添よ、お前は、金正恩となんら変わりがない。

人の言うこと聞かず、勝手気ままに、金を使い放題しているのだ。

こんなアホ知事は直ちにクビにしろ。

 

平成28年4月28日(木)

舛添という大馬鹿野郎を弾劾する

驕る舛添は久しからず

 

舛添という男は、こいつは自分を何様だと思っているのだ。

日本のトップになったと錯覚しているのではないか。こうい

う東大出の成り上がり者が出世すると始末に困るのだ。田舎

者のくせに、東大を出て、出世すると、鼻持ちならぬエリート

意識をもつようになり、腐臭を発する人間となる。

 

自民党時代も、国会議員時代も、失敗ばかりしている男だった。

気をみるに敏で、コウモリのような人間である。ニコニコして

いるようだが、外面がいいだけで、権力主義者である。理屈を

つけ、人の意見を聞かない。韓国人学校の問題などその例だ。

 

舛添は、偶然の機会がめぐってきて、たまたま都知事になれた

だけだ。おのれは実力があると錯覚し、おのれは人気があると

錯覚している。こういう男は、リコールで失脚させることだ。

この男の不始末を徹底的に暴いて、叩いて、早く都知事から引

きずりおろすことである。

 

三菱もそうだが、舛添も同じだ。成功すると、驕る平家となる。

栄枯盛衰を心得て、謙虚にし、分限をわきまえて、生きないと

必ず、つまずきひっくり返る。三菱は潰れる。潰した方がいい。

舛添も潰れる。こういう傲慢無礼な奴は、早く潰した方がいい。

週刊誌よ、ガンバレ、舛添を徹底的に叩け。こいつは、韓国人

学校のために、都の土地を提供する売国奴である事を忘れるな。

 

平成28年4月27日(水)

潜水艦輸出の失敗。

武器輸出の未経験が致命傷だ。

その上、豪州は中国の横やりに屈したのだ。

 

中国はアホ国家だけれども、オーストラリアもつまらん国家だ。

こんな国を相手にするのが間違いだ。日米豪などという幻想を

抱くのが間違いだ。日本は日本独自の軍事力を強化し、オース

トラリアやシナチャンコロ国なんぞ、相手にするな、「寄らば

斬るぞ」という戦争覚悟の政治と外交をやればいいのだ。

 

武器輸出が未経験なのも致命傷だ。武器を輸出したことのない

日本が潜水艦のような超秘密兵器を輸出できると思ったら大間

違いだ。日本の潜水艦は、優秀だ、優秀だと自画自賛しすぎだ。

フランスもドイツも日本以上に優秀だと自覚することが肝心だ。

日本人は自己満足のマスターベーションに陥る欠点がある。

 

日本の潜水艦が優秀だという根拠はどこにあるのだ。日本は、

潜水艦を輸出したことがないのだ。フランスも、ドイツも

潜水艦を含めて、兵器輸出の大国だ。どうも日本人は自己を

過信し、相手を正しく評価しない。太平洋戦争の時にアメリカ

を過少評価し負けた。戦後は、同じく技術過信に陥って、韓国

や中国を見くびって、手痛い敗北を喫したのだ。

 

この手痛い経験を生かせ。武器輸出に本腰で取り組め。戦後

70年間も、平和主義で生きてきたのだ。まったく処女である。

バカな平和主義を捨て去ることから開始せよ。韓国のごとき

チンケな国家が、戦闘機や、潜水艦を輸出しているのだ。

しかし、韓国を見くびるな、兵器輸出では進んでいる。その

上、汚い手を使って、日本を邪魔する。アジアの兵器市場の

奪い合いが始まる。ライバルは中国と韓国である。

 

平成28年4月26日(火)

つまらんデザインだ

日の丸とサクラは必須である

 

もとより、デザイナーに責任はない。

そこまでの能力だからだ。

問題は、あのデザインを選んだ阿呆どもだ。

センスのない奴らが、東京五輪のデザインを選ぶ権限があるのか。

どういう基準で選考委員になったのだ。

 

なぜ国民投票にかけなかったのだ。

デザインを10〜20に絞り込み、最後の判断は、

国民投票にかけるべきだった。

ネットでも、ハガキでも、電話でもいい。

選ぶ権利と権限を国民に託すべきだった。

 

国民からデザインを募集すのなら

選ぶ権限と権利も国民に託すのが道理である。

これが民主主義の公開の根本原則である。

選考委員会は密室である。

 

日の丸と桜を入れるべきだ。

この二つを欠いたデザインは失格である。無国籍デザインだ。

今回の案は、地味すぎる。あのデザインでは勇気も元気も

まったく湧かない。日本らしくないのが致命傷である。

つまらん奴が、集まると、独創性がなくなり、平均値を選ぶ。

最終的には、どうでもいいつまらんデザインとなるのだ。

 

 

平成28年4月25日(月)

驕る三菱は久しからず。

三菱グループに自動車会社は不要である。

三菱自動車は潰せ。

 

またやったか三菱自動車。さもありなんと思う。ゴジラ先生が、ベトナム

で、韓国軍の残虐行為を調査していた時、乗った車が三菱の四輪駆動車だ

った。これが途中で、エンジンから水蒸気を吹き出して、止まってしまっ

た。ボンネットを開けると、説明の文字が漢字だった。中国製だろうと

思った。内部のエンジン汚く、配線がむき出しだった。日本ではお目に

かかれないエンジンの汚さだった。ドアとドアの継ぎ手も歪んでいた。

 

救援のために来たのが、まったく同じ型の三菱の四輪駆動車だった。1時

間以上、いじったが、直らなかった。乗用車に乗り換えて、目的地に向か

って出発した。同行していた神奈川大学工学部の名誉教授が、この三菱の

車は、偽物だと言った。部品をもってきて中国で組み立てたニセモノの三

菱車ではないかということだった。

 

帰国後、エンジンの内部写真や、外部の写真を添えて、三菱の社長あて

に、「こんなひどい車が走っていますよ、三菱のブランドに傷がつきませ

んか」という趣旨で、連絡をしてあげた。だいぶ経ってから、消費者室の

担当者から電話があった。三菱として注意すべきでないかと、忠告して

あげたが、何やら言い訳じみたことを、長々と、クズグズと言った。

 

言い訳がひどいので、「バカヤロー、善意で言ったのがわからんのか、三

菱はダメになるぞ。社長に言っておけ、バカな会社だ!」とガチャンと電

話を切ってやった。報告書の執筆で超多忙だったので、こんなアホ会社

を相手にしておれんと思ったからだ。この時、この会社はダメだと直観

した。謙虚さがまったくない。聞く耳をもたず、傲慢で非礼な会社だった。

 

今回の燃費問題が起きた時、さもありなんと思った。三菱自動車は潰せ。

潰れた方がいい会社だ。三菱グループだから、みんなが寄ってたかって、

延命措置をしているが、三菱グループのためにも、潰した方がいい。三菱

グループは、自動車会社をもつ必要はない。その上、もっと大きな大罪は、

日本の名誉と誇りを傷つけたことだ。驕る三菱は久しからず、ひとえに風

の前に塵に同じ。

 

平成28年4月21日(木)

山上の垂訓(聖書マタイ伝第6章)

ラッパを鳴らして、慈善活動や奉仕をするなかれ

 

汝ら見られんために、

おのが義を人の前にて

行なわぬように心せよ。

しからずば、天にいます汝らの父より報いを得じ。

 

さらば施しをなすとき、

偽善者が人の崇(あが)められんとて、

会堂や街(ちまた)で為すごとく、

おのが前にラッパを鳴らすな。

誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報いを得たり。

 

汝は施しをなすとき、

右の手のなすことを左の手に知らすな。

これはその施しの隠れんためなり。

さらば隠れたるに見たまふ汝の父は報い給わん。

 

タレントや俳優や歌手、実業家や経営者が、これみよがしに慈善活動や

奉仕活動を、テレビの前で、大々的に宣伝している。慈善活動は、黙って

隠れて、密かにやれと山上の垂訓は言っている。こころすべき言葉である。

 

平成28年4月20日(水)

災害は最良の教育だ

災い転じて福となす

 

「日本列島には安心して住めるところがどこにもない」ということを

今回の熊本地震で日本人は学んだ。そういう意味では、ノーテンキ

な日本人にも大きな教訓を残してくれた。47名の尊い犠牲のお陰

である。心からご冥福をお祈りする。

 

ゴジラ先生は、水と食料をもっていたが、野外で煮炊きできるため

の固形燃料を用意することにした。今の時代、火を起こすにも薪が

がないからだ。テントも欲しい。そうすると、いざという時、屋外

で野宿できる。避難所などに滞在すると、心身がおかしくなる。

 

避難所に逃げた場合でも、プライバシーを守り、安眠するための、

屋内用の簡易版のテントなどがいる。水と食料は大量に届くが、

簡易ベッドなどの安眠するための器材の準備ができていない。

 

とくに、トイレはもっともっと大量に用意する必要がある。工事

現場で使っている簡易トイレも数が足りない。その上、汚く使う

不心得ものがいるから困るのだ。もっと単純な一人用の簡易トイ

レを用意することが重要である。使ったらそのまま捨てられる

トイレである。

 

いずれにしても、今回、多くの教訓を得た。とくに、指揮統制で

きるリーダーの必要を痛感した。そのためにも、「徴兵制度」が必要

である。一年か、もっと短時間、若者を集めて、サバイバルのため

の教育を施す。この若者が、いざという時、中心になる人材だ。

 

平成28年4月19日(火)

メシぐらい自分で炊け

 

「おにぎりに2時間並んだ」と、苦情を言っているアホがいる。そんな

くだらん不平不満を言うな。災害時にはメシが食えなくて当たり前だ。

新聞もそういうアホな情報を書くな。自助努力の精神が欠落した人間

が多すぎる。これでは日本の前途が大変心配だ。地震のたびに、こん

状態では、自衛隊も警察も消防も対応できない。人員が不足するのは

当然である。もし、北朝鮮がミサイル攻撃したらどうするのだ。

 

平時から危機に備えよ。その最大の危機が、戦争や地震である。

戦後日本には、平和主義という病気が蔓延して、危機管理ができない

人間ばかりになった。昔の教育勅語には、「一旦緩急あれば義勇公に

奉し・・・」とある。国家が危急の時には、国民が一致協力として国

家(公)のために尽くすことを教えていた。危機管理を国民全員が

共有していた。

 

これを機会に危機管理教育を、日本国民に徹底させることだ。水と

米があれば、米など15分もあれば炊ける。広場にカマドを作って

飯を炊くことだ。現代日本人は、あまりにも、無能である。ヒナド

リが親がエサをくれるのを口を開けて、ピーピーと泣き叫んでいる。

あまりにも情けない日本人になった。危機管理能力がゼロである。

 

あらためて徴兵制度の必要を痛感した。徴兵制とは、あらゆる困難

を突破できる人間を育成する教育制度である。青年は、一年か二年

の兵隊生活を経験することが必要である。昔の日本の青年は、危機

に強く、たくましかった。軍隊生活で鍛えられた男だったからだ。

避難所において、リーダーを決め、分担して、避難所での生活が快

適になるようにしろと言いたい。青年が率先してやるべし。

 

平成28年4月18日(月)

あえて苦言を呈す。喝!

自助努力が足りない!

 

熊本地震の多くの避難者が、「水がたりない」「食べ物が足りない」と、

泣き言を言っているのを聞いて、ゴジラ先生は、そのノーテンキぶ

りに驚いた。「自助努力」がまったくない。お上だのみ、他人だみの

話ばかりである。水と食料は、最低でも3〜4日間を、普段から準

備しておけと言いたい。

 

冷蔵庫の中を探せば食料はある。お米は、家庭では、在庫している

はずだ。唯一の難点が水である。しかし、この水を準備しているか

どうかで、平素からの危機管理が問われている。泣き言を言ってい

る連中は、普段からの備えがない。危機意識がない。最近、こうい

う他人だのみの無責任な人間が増えた。こういう連中が増えると、

税金がなんぼあっても足りない。自衛隊や警察や消防の負担が増す

ばかりである。

 

ゴジラ先生は、普段から水を在庫している。使い終った2ℓのペ

ットボトルには、必ず水を入れて保管する。飲み終わった酒の一

升瓶にも水を入れて保管している。ペットボトルと一升瓶を合わ

せると約100本である。庭には、直径1メートルくらいのプラ

スチックの容器に、水を入れてある。小さな唐津製の入れ物を庭

に置いて雨水を貯めてある。

 

庭には、大型のイナバの物置を二つ設置してある。宣伝広告で、

百人乗ってびくともしないというやつだ。これが二つあるから、

家族が悠々と寝ることができる。毛布が足りないと泣き言を言っ

ていたが、シュラフ(寝袋)は、自助努力の一貫として用意せよ。

ゴジラ先生の親の世代は、戦争の空襲を経験しているから、準備

は万全だった。その親を見て育った世代なので、危機感が若い人

よりも本能的に刷り込まれているのは事実である。

 

平成28年4月15日(金)

熊本で強い地震があった。

明日は我が身、日本では誰にも起こり得る。

熊本県民に対して心からお見舞いを申し上げます。

 

日本列島は、ほんとうに、地震の巣窟である。いつ何どき、我が身に

ふりかかるかもしれない。いつ起きても、対処できるように、心構え

と物理的な準備をしておこう。

 

ゴジラ先生の家では、水を常時ためこんでいる。2リッターのペットボ

トルと、酒の一升瓶に水を入れて保存してある。現在、50本以上、在

庫している。ポカリスエットや酒を飲んだ後、捨てずに、すぐに水を入

れて保存する。空になった思ったら、間髪をいれずに水を入れることが

肝心な点だ。空のままにしておくと、捨てる可能性があるからだ。

 

庭には、直径1メートルくらい塩化ビニール製のオケに水を貯めてある。

これは、昔、町内にあった防火用水と同じである。飲料用と防火とトイレ

用の水として使う。他にも空いた入れ物にも、雨水を貯めてある。これは

いざという時、トイレ用に使う。水はいくら在庫してもいいので、これか

らも、水のため込みには励む予定である。

 

地震の後、一番困るのがトイレ用の水である。断水するとトイレが流せない。

食料は、三日くらいは、どの家庭にもかき集めると在庫があるから心配ない。

また食料はすぐに救援がくる。しかし、水だけは、自衛隊などの給水車に頼

らざるとえないので、十分にもらえない。ようするに、すべて自己防衛の体

制を準備することだ。最近の日本人は、何でもお上頼みで、自分を守る準備が

出来ていない。家族を守ることは、おのれの力、自助努力でやることが根本

原則である。

 

平成28年4月14日(木)

提案!桃田よ、もう一度記者会見を開け、

ゴジラ先生が謝罪会見の極意を伝授してやろう。

 

桃田の記者会見は、最低最悪だった。あれでは世間の許しを得ることは不可能だ。

謝罪会見の根本精神は、ひたすらの謝罪であって、コトバは要らないのだ。ひた

すら頭を下げ、涙を流しつづけることである。言い訳や、釈明や 説明は、絶対

にやってはならぬ。一粒の涙は百万言に勝る。謝罪コンサルタントのゴジラ先生

に任せてくれたら、謝罪の極意を伝授してあげよう。

 

第一、頭は坊主だ。しかも、ツルツルの禿げ頭にすることだ。

第二、服は死に装束である。真っ白の着物を着ることだ。

第三、目が真っ赤に見える薬か、催涙弾のような涙が止まらない薬を目に入れる。

第四、直立不動か、あるいは、土下座して会見する。

第五、モノを言わないことだ。意味不明のコトバを発し、涙を流しながら、絶句、

   絶句の連続である。コトバは要らぬ。涙、涙、涙の物語を演じることだ。

 

昔、山一証券が潰れた時、社長が記者会見で「社員は悪くありません」と号泣した。

あれも謝罪会見のモデルの一つだ。先日の巨人の高木の謝罪会見も同情を呼んだ。

立ったままで、涙を流したからだ。日本人は涙に弱いのだ。桃田は泣かなかった。

あれはいけない。だから、薄ら笑いしていたとか、にやついていたとか、態度が

デカイとか、非難されるのだ。

 

日本社会は、コトバではなく態度なのだ。「頭を下げること」と「涙」である。頭を

下げないと、「頭(ず)が高い」と怒鳴られるのだ。そっくり返っていると、「態度

がデカイ」となるのだ。頭を下げ、涙を流し、一言も発する必要はない。ここが欧

米社会と根本的に異なる。欧米では「アポロジャイズ」と言えば、オーケーである。

コトバが、態度よりも優先し、最重要な手段であるからだ。

 

聖書ヨハネ伝にあるごとく、「初めにコトバがあった。コトバは神とともにあった。

コトバは神であった。万物はコトバによって成った。コトバによらず成ったものは

何一つなかった」とある。コトバがオールマイティである。コトバ=神という社会

である。だから、アポロジャイズと謝罪すれば、許してくれるのだ。日本では

態度で示せとなる。コトバよりも態度が優先するのだ。欧米は正反対だ。

 

平成28年4月13日(水)

つれづれなるままに

 

桃田に対する罰が軽すぎる。30日間の出勤停止は甘すぎる。NTTは

問題の深刻さが分かっていない。お前たちの管理責任が甘すぎるから

ふざけた奴を出したのだ。茶髪で、ネックレスをして、バトミントンを

するとは言語道断である。記者会見では、一転、頭を黒く染め直した。

あの茶髪と遊び人風の格好は何だったのだ。スポーツは修行である。

鍛練である。宮本武蔵の精神が必要である。桃田は最低一年謹慎しろ。

 

山尾志桜里とい民進党の女のことだが、ゴジラ先生は、志桜里とかいう

今風の名前が反吐がでるほど大嫌いである。昔風の、節子、さくら、雪子、

冬子、春子、夏子、秋子、がいいネ。昔の名前には情緒があった。品格が

あった。優雅さがあった。名前は読めることが第一条件である。最近は

読めないようなバカな名前をつけるバカな親が増えた。迷惑するのは子供だ。

 

何といっても、腹がたつのは歩きスマホする奴だ。少しは減ったかと思っ

たが、そうでもない。やっとマスコミが、その弊害に注意を喚起しはじめ

たが遅すぎる。テレビでの取り上げ方が少ない。出演するタレントが、

歩きスマホをしているからだ。ゴジラ先生は、少し前までは、駅で何回も

注意したことがある。とくに階段を降りながらやっている奴には「どけっ、

邪魔だ」と怒鳴ったことが何回もある。

 

電車に乗ると、横並びの座席で10人中、7人くらいは画面を見ている。

世間や人間をまったく観察していない。回りの人に対する思いやりがない。

他人に対する気配りもできない。もちろんコミュニケーションは絶無だ。

自分のカラに閉じこもる人間が増えた。友人や家族など顔見知りとしか

対話ができない。内向き人間が増えた。陽気で、開放的で、積極果敢な

人間が減った。とにかく、住みにくい世の中になったもんだ。

 

平成28年4月12日(火)

山尾志桜里とかいう民進党のエリート女

権力志向でエリート然として反吐が出るネ。

 

バドミントンの事件が騒がしくて、山尾の問題もどっかに飛んでいた。

ついでに清原もどっかに飛んだ。大きな事件が起きると、陰に隠れて、

助かる奴が出てくる。しかし、山尾の問題は、黙って見逃すわけには

いかない。山尾は、権力の街道をずっと歩んできたゆえに、許せんのだ。

 

それにしても、ベッキーは可哀相だネ。マスコミ界から死刑判決を食

らったようなものだ。こういう権力と関係のないひ弱なタレントをい

じめるなと言いたい。週刊文春の罪は重い。人を裁くなと言いたい。

天網恢恢疎にして漏らさずである。いつか週刊文春にも天罰が下るだ

ろう。世の中、そんなに甘くない。

 

山尾は、東大法学部を出て、司法試験に受かり検事になって、小沢ガー

ルで当選し国会議員になった。まさにエリート街道まっしぐらである。

かわいい顔をして、腹の中は、エリート意識が強く、権力志向である。

記者会見で、「蓋然性」とか、「猛省」とか、いかにもお役人が使うコトバ

を使って、ごまかそうとした。

 

難しいコトバを使うのは、自分を弁護し、他人を目くらましして誤魔化

すためだ。詐欺師の手口と同じである。お上意識がフンプンとして匂う。

反吐が出るような表現だ。ボキャブラリーが乏しい奴が、漢語や、カタ

カナ英語を使いたがるものだ。コトバは人間そのものである。コトバは

人間性や人格を表す記号だ。やさしい言葉を使い、他人に優しい人間に

なろう。

 

平成28年4月11日(月)

刑罰に当てはめると、主犯田児は懲役10年、

従犯桃田は懲役3年だろう。もちろん執行猶予はなし。

 

田児が「桃田にチャンスを与えてください」と泣きながら言って

いたが、甘い、甘すぎる。世間はそんなに甘くない。刑罰にあ

てはめると、田児が懲役10年、桃田3年ぐらいだろう。主犯

と従犯の違いであって、罪を犯したことに変わりない。許され

ると思ったら、言語道断である。

 

田児はかなり覚悟していたが、桃田にはどっか他人事のような

気持ちがある。それが顔に出ていた。甘すぎる。おのれも違法

行為をしたのだ。学生のいたずら事件と違うぞ。桃田の思考の

中には、まだ許してもらえるという甘い考えがある。

 

あの茶髪は何だったのだ。髪を染め、派手なネックレスのよう

なものをつけ、遊び人風の風体は何だったのだ。記者会見で、

黒髪にして染め直していたのはどういう意味だ。茶髪に派手な

格好は何だったのだ。悪いという意味だったのか。だったら

茶罰で、長年、バドミントンをしていた行為を何と説明する

のだ。カジノ以外にも、茶髪を謝罪せよ。

 

ここで余談だが、それにしても、パフォーマンスが下手くそだ。

ゴジラ先生が、NTTの監督だったら、ひたすら頭を下げさせ、

涙を浮かべ、ハンカチで顔を覆う。場合によっては土下座する。

日本ではいかなる釈明も、一粒の涙に勝てない。論理よりも情

に弱い社会である。ところで、今後、謝罪する必要のある人は、

ゴジラ先生に一報をいただきたい。謝罪コンサルタントとして

かけつけ、演技指導する。ただしコンサル料は高いよ。

 

平成28年4月8日(均・筋・禁・菌・・・金)

ガジノで遊んだとは、ふざけた野郎だ。

税金を返せ、NTTは電話賃を返せ。

 

桃田、田児とかいうバドミンドン馬鹿。髪形や、顔つきが、

見ただけで、いかにも遊び人風である。これがスポーツ選

手かいう風貌である。ちょっとバドミントンが強いからと

いって、おのれを何様だと思っているのだ。

 

桃田は若いので東京オリンピックには許してやろうなどと

アホなことを言っている。アホか、バカか、マヌケか、国

民を舐めるな。強化費の税金を返せ、NTTは電話賃を返せ。

 

スポーツばかりして、教育が足りなかっただと、教えなかっ

ただと、アホか。こんな問題は、教える問題ではない。人間

として最低限の常識だ。小学生でも知っている常識だ。人を

殺してはならないと、わざわざ教えるのか。それと同じだ。

 

金が入り、チヤホヤされて、舞い上がり、慢心し、増長した

のだ。昔、ブジヤマのトビウオと言われた古橋広之進は、イ

モをかじりながら猛練習したものだ。古橋の爪の垢でも煎じ

て飲め。長島茂雄や、王貞治が、金が入ったからとて、そう

いうことするか。今なら、松井秀喜の人間性を勉強しろ。

バカや奴だ。スポーツの夢を砕いた罪は重い。大罪である。

 

平成28年4月7日(木)

闇カジノに関わったバトミントン選手、

最近、スポーツ選手が、特権意識をもち

奢りたかぶり、慢心し、増長しているのだ。

 

バドミントン選手が、闇カジノに出入りしていたそうだ。今朝、

産経新聞の第一面をみて、びっくり仰天した。産経のスクープ

だろう。朝日新聞にも、日経新聞にも出ていない。朝のテレビ

も何にも放送していなかった。よほどのスクープだ。

 

最近、アマチュアのスポーツ選手が、特権意識を持ち始めたの

はでないか。その象徴的な事件かもしれない。一流選手になると

金があつまる。国の補助や、スポンサー企業からかなりの金が

集まる。自分が偉くなったように錯覚するのだ。慢心し増長し

ているのだ。驕る平氏は久しからず。

 

国民の税金が注がれているのだ。闇カジノに関わった選手から

税金を返還させろ。スポーツ界から追放せよ。人生を舐めている。

後輩らしい選手が、集団で、ラケットをもって、闇カジノに来た

という。闇カジノは、暴力団の資金源である。あきれ果てる。

 

最近の日本人は、倫理観念と、道徳心を失くしたようだ。清原

の麻薬、巨人選手の野球賭博、少女誘拐事件、殺人事件、老人

を突き落とした事件、虐待事件・・・と次々と起きる。日本人

が伝統的にもっていた清廉潔白の精神が失くなった。人生は金

にあらず。正義や、道徳心や、良心こそが最も価値あるものだ。

 

平成28年4月6日(水)

わが誕生日を祝す!

花は桜木、人は武士

 

4月6日は、ゴジラ先生の誕生日だ。ちょうど、庭の桜が満開で

大変おめでたい。昨年までは、桜がまだ未熟だったが、今年は十

分に鑑賞にたえるまでに育った。植えてから十年かかった。

 

しかも、その上、本日は晴天である。例年、関東では、桜の季節

は天候が不順で、花見も満足にできない。このことに関しては、

関東の人を気の毒に思っている。ゴジラ先生の故郷四国では桜の

季節は晴天が普通だった。雨に打たれた桜の記憶はない。

 

散る桜、残る桜も、散る桜。

花は桜木、人は武士

敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花

 

桜は日本人そのものである。ぱっと咲いて、ぱっと散る。これが

日本人の感性にぴったりである。シナやチョウセンのアホウとは

まったく感性が違う。あいつらには、桜の美しさも、桜の心も、

桜の謙虚さも分からない。

 

ぱっと咲いてぱっと散る、これは日本人の謙譲の美徳を表している。

シナ人のけばけばしい色彩感覚や 朝鮮人の大声で泣き叫ぶ、下品

な文化とは、まったく異なる。日本人の日本精神、武士道精神を世

界に発信しよう。

 

平成28年4月5日(火)

週刊朝日、サンデー毎日

学歴を煽るクズ雑誌

 

昔から、この二つの雑誌は不愉快だった。大学合格のニュースとく

に東大、京大などの名前を煽り立てるからだ。人生は学歴ではない。

人生は東大ではない、京大ではない、学歴ではない。本田宗一郎や

松下幸之助をみろ。東大、京大に、彼ら以上の人物がいるのか。

 

世の中が落ちついてくると、学歴がはばをきかすようになる。明治

維新や、終戦後、世の中が混乱時には、学歴なんぞは屁のようなも

のである。まさに下克上で、実力がものをいう社会であった。学歴

が革命やイノベーションを起こすわけではない。

 

明治、大正から昭和に入って、学歴が軍人社会でも、はばを効か

せるようになった。秀才の軍人官僚が権力を握った。結果、日本

は破滅へと走ったのだ。学歴は国を誤る。国家は破綻させ、国民

を不幸におとしいれる。学歴の弊害は、想像する以上に害毒を世

の中に流す。世の中、非東大や、無学歴が多数派だ。日本を支えて

いる、この人たちのやる気を喪失させるのが学歴の最大の弊害だ。

 

現代日本も、学歴そして、縁故、コネがはばを効かせている。政界

も、マスコミ界も、芸能界も、学歴や縁故とコネ社会になった。

そういう悪しき風潮を煽っているのが、週刊朝日とサンデー毎日で

ある。戦前、戦争を煽った朝日新聞と同じである。この二誌は国民

の敵である。ぶっ潰せ。人生は学歴にあらず。学歴を誇る前に、人

としての魅力や、豊かな人間性を育てよ。 

 

平成28年4月4日(月)

花見の季節だ

 

ゴジラ先生の庭の桜がほぼ満開になったので、昨日夕方は桜を見な

がら、花見をした。自宅で、花見をするのが、長年の夢だった。

昨年より今年がたくさん咲いた。植えてから10年になるが、よう

やく満足できる花見ができるようになった。

 

今年は柿も期待している。昨年の柿は裏作だった。柿は植えて十年

になる。三年目あたりから生った。お陰で、毎年、おいしく味わっ

てきた。ただし、表と裏がある。表は一杯になるが裏は少ない。

 

柿の裏表と同じで、人生には山あり谷ありである。良いときもあれ

ば、悪い時もある。また、いつまでもよい時も、悪い時も続かない。

良い時は、いつ終わってもいいと覚悟しておき、悪い時は、いつか

終るとじっと我慢する。

 

ただし、山と谷の落差を小さくすることだ。そのためには、日常か

ら、平常心を保つようにすることだ。大言壮語せず、大きな願望を

抱き過ぎず、不必要に萎縮せず、淡々と平常心で生きることである。

そうすると、むこうから運が転がり込んでくる。

 

平成28年4月1日(金)

山尾とかいう民進党のエリート然とした

アホ議員、自分で自分の墓穴を掘った。

「人を裁くな、裁かれざらんためなり」

 

民進党の女の政調会長が、ガソリン代を230万円も使っていたそうだ。

地球を五周できるほどのガソリンだそうな。この女、東大出の元検事だ。

待機児童の問題で、安倍内閣をきびしく非難していた。予算委員会で

カッコよく、検事気取りだったそうな。

 

民進党はアホだ。ちょっと見がいいと思って、起用すると、こういう若

手の議員には、必ず弱点がある。経験不足で脇があまい。古手の議員は、

こういう点では隙がない。だから困るのだが。山尾のような東大→検事

→国会議員という絵に描いたエリートには、世間のことが何にも分かっ

ていない。だから、墓穴を掘ることなる。

聖書マタイ伝には、こう書いてある。

 

「人を裁くな、裁かれざらんためなり、

おのが裁く裁きにて、おのれも裁かれ、

おのが量る計りにて、おのれも量らるべし」

 

これは有名なマタイ伝の「山上の垂訓」の一節である。ゴジラ先生はクリス

チャンでないが、聖書は座右の書である。山上の垂訓の重要な聖句は暗唱

できる。聖書は、人生の智恵の宝庫である。数千年の人間の智恵が いっぱ

い詰まっている。山尾は元検事だから大勢の人を上から目線で裁いてきた

だろう。。こういう聖句もある。

 

「なにゆえ、兄弟の目にあるチリをみて、おのが目にあるうつばりを認めぬか。

見よ、おのが目にうつばりのあるに、いかで兄弟の眼より、ちりを取り除きえん。

まず、おのが眼よりうつばりを取り除け、さらば明らかに見えて、兄弟の眼より

ちりを取り除きえん」

 

うつばりとは丸太のような大きい物のことである。聖書の暗唱文 は、文語体である。

文語体は、歯切れがよく、無駄がなく、筋肉質の文章である。 文語体の暗唱は文体

文型練習に大変有効である。