英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

我が友・田嶋幸三先生が

日本サッカー協会の会長になった

 

友の喜びに我は舞い

我が喜びに友は舞う

 

田嶋幸三先生は、ゴジラ先生の盟友である。

長年の戦友だ。肝胆相照らす仲と言ってもよい。

今、58歳である。協会は70歳定年だから、十年以上はある。

長期政権として、思い切った改革ができる。

日本サッカーはすばらしいものになる。日本サッカーは、

世界に伍して、グローバルな存在になるのは間違いない。

 

次は、国際サッカー連盟の会長をめざしてもらいたい。

金で汚れたFIFAを改革できるのは、田嶋幸三先生のような

清廉潔白な日本人である。

 

韓国の現代財閥のテイムジュンというアホ男が立候補しようとしたが、

汚職で六年間の資格停止になった。バンザイである。分限を知れと言いたい。

それにしても身の程知らずという言葉は、韓国人のためにある。

このテイムジュンという奴は、おのれを何様だと勘違いしているのだ。

国連事務総長のハンキブン(潘 基文)といかいうアホも同類だ。

 

田嶋幸三先生は、能力、識見、人望など、まれに見る逸材である。

リーダーとして、この人に匹敵する人材は政界にも官界にも経済界にもいない。

日本人として、グローバルに通用する稀有なる人材である。

 

口のうるさいことでは人後に落ちないゴジラ先生がいうのだから間違いない。

人間の能力を見抜くことでは、人には絶対に負けないと自負している。

ついに、日本にも本格的なグローバル人材が登場した。

本日は、記念すべき日だ。お目出度い日だ。祝杯をあげよう。

 

平成28年5月31日(火)

核廃絶、それは絵に描いた餅だ

 

オバマさんは、しょせん、口舌の徒である。プラハ演説も、広島

演説も、みごとな演説である。しかし、演説は演説であって、それ

以上でも以下でもない。核廃絶などということが、現実の世界では

不可能であるからだ。大本のアメリカは核攻撃力で、世界の平和を

担っているからだ。核はアメリカ存立の基盤である。その核をアメ

リカが廃絶するはずがない。

 

日本も、「唯一の被爆国」などという、カビの生えたセリフはいいか

げん止めたほうがいい。いくら被害を強調しても、何も得られない

し、生産的ではない。日本も武装をするべきである。核武装しない

かぎり、核廃絶のリーダーシップは取れない。核をもってはじめ

て、核をコントロールできるからだ。

 

世界の核を仕切っているのは核保有国である。北朝鮮の戦略眼は、

たいしたものだ。北のような貧乏国が、アメリカ相手に、丁々発止

の外交ができるのは、核をもっているからだ。悔しいけれど、アメ

リカの核の傘にある日本と、中国の核の傘の下にはおらず、独自の

核をもっている北朝鮮では、北朝鮮の方がはるかに独立国家だ。

 

バカな平和憲法やらを持ち、アメリカの核と軍事力の保護のもとで

70年も暮らした日本は、独立国家ではない。いつまでも、親のスネ 

をかじるドラ息子である。いつがきたら、日本は独立国家となるの

か。ゴジラ先生の目の黒い内に、独立を達成してくれと祈るだけだ。

 

平成28年5月30日(月)

オバマ大統領の広島訪問。

謝罪は要らぬ、しかし・・・

 

日本は、シナ国や、チョウセン国のように、謝罪なんぞは求めない。

なぜならば、われらは武士道の花咲く国のサムライの末裔だからだ。

シナ国も、チョウセン国も、まことに外道の国である。こういう手

合いの国と違って、日本は高潔で高貴な民族であることを、あらた

めて世界に示した。

 

予想通り、南チョウセン国の馬鹿マスコミが、恨みたらしく非難し

ていた。チョウセン人の慰霊碑に行かなかったからだそうだ。アホ

か、バカか、マヌケか、オバマさんと安倍さんが、献花することで

すべての犠牲者を追悼したのだ。セコイ民族だ。狭量な民族だ。

 

被爆者との対面で、最初に握手した饒舌な人ではなく、隣にいた寡

黙な人の涙と、オバマの抱擁が、世界を感動させた。沈黙は金である。

涙は百万言に勝る。翌日の新聞もトップに、感動で絶句した人との

抱擁の写真が全世界に流れた。あの光景は、作ろうとして、作れる

ものではない。

 

謝罪は必要ないが、原爆投下の正当化は許されない。真珠湾との

引き換えも許しがたい。真珠湾攻撃は、軍艦と軍事施設の攻撃で

あって純粋なる軍事作戦である。しかし、原爆投下は、罪のない

女子供を殺戮した戦争犯罪である。原爆を、大都市の上から投下

するアメリカ人の神経を疑う。この下には、無数の罪のない女子

供がいることに思い至らなかったのか。その鬼畜のごとき所業に

アジア人に対する人種差別を強く感じる。

 

平成28年5月27日(金)

舛添よ、往生際が悪い。

自民党よ、早く、舛添のクビを取らないと

有権者は自民党を断罪する。

 

舛添という男には、日本的な美学がまったくない。もちろん、武士

道精神のかけらもない。舛添は、チョウセン人ではないかという

噂があるが、彼の行動を見ていると朝鮮半島の文化の匂いがする。

セコイのだ。みみちっちいのだ。ケチなのだ。

 

武士道の花咲く国、日本人ならば、いさぎよさが美学である。噂に

なり、疑われた時点で、すばやく、身を律し、身を引くのが日本人

である。舛添は、まさに往生際が悪い。

 

弁護士を雇って、何が出てくるのだ。しかも、名前を明かさず、何

をするかもいわず、それで公平な調査ができる道理がない。舛添の

評価をますます下げただけの行為である。この男、今、何をなすべ

きかまったく分かっていないらしい。こんな奴が都知事であること

事態が、日本政治の劣化である。早くクビを取れ。

 

自民党と公明党は何をしているのだ。グズグズしていると舛添と

共犯者なる。自民党と公明党に強烈な天罰が下る。有権者を舐める

な。政治の駆け引きで都知事を使うな。一瞬でも、一秒でも早く

舛添を辞めさせることが、国民のためになる。自民党よ、お前達は、

舛添と同じでアホか、バカか、マヌケか、バカは死ななきゃ直らないか。

舛添と一緒に、自爆しろ。

 

平成28年5月26日(木)

政治家の劣化

 

政治家が劣化している。ゆえに、政治も劣化する。その代表が舛添

要一であり、民主党の山尾志桜里であり、辻元清美であり、蓮舫で

あり、イクメン元議員であり、浪速のエリカ様・上西小百合であり、

野々村竜太郎である。

 

こういう連中が政治家であることが政治不信を招く。舛添やイクメ

ンや浪速のエリカ様は、今回で政治生命を終えた。しかし、ふてぶ

てしく、 厚かましく、鉄面皮なのが、辻元清美である。この女のツ

ラをテレ ビでみると、反吐がでる。この女には生理的嫌悪感を感じる。

 

(閑話休題)

生理的嫌悪感を抱くのは、韓国の女大統領朴槿惠と、東海大学の

准教授の金慶殊という奴だ。辻元もいれて、この三人を三大生理

的嫌悪女という。とくに、金慶殊という女は最悪である。こんな

奴をやとっている東海大学は、入学者が減る。東海大学の名誉に

かけて、この女をクビにしろと言いたい。まして、東海大学には

補助金という税金が支払われている。この女をクビにしないなら

直ちに、税金を返せと東海大学に要求する。

 

さて、辻元清美だが、こいつは目立ちたがり屋であり、スタンドプ

レー屋である。その上、権力欲があるから政党を渡り歩く。社民

党の福島瑞穂を裏切り、民主党に転向した。まことに汚い女で

ある。こういう左翼者が目立つかぎり、民進党には復活の芽はない。

 

民進党は、左翼を切り、労働組合と決別しないかぎり、じり貧で

ある。アメリカの保守二大政党のように、保守党として自民党と民

進党が二大政党となることを期待したい。しかし、岡田党首のよう

な頭の悪い奴では、民進党の変身は、不可能だろう。東大出である

がゆえに、頭が固いのは、舛添と岡田と福島瑞穂と志井和夫である。

 

平成28年5月25日(水)

謝罪は求めず、精神の優位を持て。

 

オバマ大統領が広島を訪問する。オバマに謝罪をもとめる必要は

ない。静かに、見守っておればいい。その方が、オバマも良心を

痛めるはずである。日本は中国や韓国のようなゲスな国ではない。

高貴にして高尚なる精神をもった国民である。

 

太平洋戦争において、日本人は、アメリカによって、百万人単位

で殺戮された。しかし、文句も言わず、謝罪を求めず、ゆえに、

アメリカに対して精神の優位をもっている。

 

ベトナム人もそうである。今、ベトナムをオバマが訪問している。

ベトナム人も、黙ってオバマを歓迎している。ベトナム人の精神

の優位をみせた振る舞いだ。日本人とベトナム人は、ともに高貴

な精神性をもっている。

 

それにしても、沖縄人とは、日本人よりも、中国人や韓国人の方

に近いような気がする。人を非難し、批判ばかりする。人を非難

する前に、おのれの責任や自覚が欠落している。「人を相手とせず

天を相手にせよ。天を相手として、おのれを尽くして、人を咎め

ず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷隆盛)。

 

平成28年5月24日(火)

贈り物は返すな

 

タレント予備軍の若い女性が、熱烈なフアンのストーカー男に

めった刺しにされた。原因は、女が男を無視したからだ。とく

に、男からのプレゼントを送り返したそうだが、これは対応と

してまずいのだ。

 

たぶん、男は烈火のごとく怒っただろう。完全にふられたと思

った男は、可愛さから憎さ百倍になったはずである。熱烈なフ

アンは、フアンとして、良い意味で、上手に泳がしておくべき

だった。潔癖症のように、縁を切ってはいけない。

 

この女性は、あまりにも潔癖だったのだろう。男の心理やフアン

心理を理解していない。こういう場合、回りの大人が、上手に

アドバイスすべきだった。フアンなのだからフアンとして接する

方法がある。フアンから殺人鬼に変身させたのは最悪の対応だった。

 

とくに、贈り物は返却してはならない。受け取っておけばいいのだ。

受け取ったとて、特別な関係になるわけではない。フアンの一人か

らのプレゼントにすぎない。送った方も、フアンとして、送っただ

けで、特別な関係を求めたわけではないはずだ。

 

しかし、送り返されると、事態は劇的に変わる。フアンから殺人鬼

に変わる可能性がある。若い女性よ、あまりに潔癖になってはいけ

ない。男を手玉に取ってはいけないが、フアンとして、大切にして

やればいいのだ。深く考えすぎるな。太っ腹になれ。

 

平成28年5月23日(月)

女よ、夜は絶対に外出するな。

夜は、魑魅魍魎がうごめくジャングルである。

 

日本人、とくに、最近の日本の若い女は、あまりに無防備である。

夜、戸外には殺人鬼や強姦魔がまったくいないと思い込んでいる。

これも70年間の平和憲法が原因である。ノーテンキな平和主義が、

女まで油断させ、沖縄の悲劇を招いた。

 

殺された彼女のご冥福を祈る。しかし、日本人は、性善説から性悪

説にがらりと意識を変えなければならない。夜は殺人鬼や強姦魔が

うろうろしていると思わなければならない。隙があらば、女を狙っ

ている強姦魔がいることを前提に行動せよ。

 

女の夜の外出などもってのほかである。女は、夜、絶対に外出して

はならない。そのことを徹底的に女に対して教育せよ。夜の外出禁

止の規則やルールを設けて、女を守らねばならない。もし、この規

則を守らない女は、殺され、強姦されても、自業自得である。

 

アメリ兵の間では、日本の女は襲いやすいということになっている

のではないか。日本の女は簡単に、強姦できるという噂が広がって

いるのではないか。そうしないと、妻子がいる元米兵が、何時間も

女を物色していたことの説明がつかない。襲えるから、物色してい

たのである。

 

アメリカ本土では、女を襲うことは、不可能ではないか。アメリカ

の若い女は、夜、絶対に外出しない。ゆえに、米兵が日本に来ると、

日本の女は襲い易いから、虎視眈々と狙うのである。まずは、日本

の女の意識改革から始めるべし。女の夜間外出禁止である。

 

平成28年5月20日(金)

沖縄・元米兵の殺人事件。

しかし、若い女が夜八時にウオーキングとは。

あまりにも無警戒、あまりにも無防備だ。

危機管理をしっかりと教えるべきだ。

 

またもや元米兵の殺人事件が発生した。暴行目的だったのだろう。

しかしだ、しかしだ、あえて言おう。二十歳の若い女が、真っ暗

な夜の八時に外出するのは、あまりにも無謀だ。これが外国だった

ら、女が悪いと非難されるだろう。

 

最近の女は、あまりも、世間の怖さを知らない。人生を舐めてい

る。最近、女は軽薄でバカになった。コジラ先生はかねてから警

告していた。男とは、獲物を狙うハンターであることを。隙あら

ば、女を狙っているのである。それが生物学的なオスの本性である。

 

夜、女が外出するのは、トラやライオンの檻の中に、羊を入れる

ようなものである。襲ってくれと言わんばかりである。元米兵の

行為は鬼畜である。しかし、女の行為も、無知蒙昧である。人生

を舐めている。まして沖縄である。米兵というライオンやヒョウ

がウロウロしているジャングルである。

 

男女平等だの、女の権利だのと主張する前に、女と男の根本的な

違いを、根本的に教える必要がある。男女の権利は対等であって

も、男女は「平等」ではない。男女には明瞭明白に違いがある。

オスの本能と、メスの本能は異なる。男女平等だのと教えるから

男女間の違いを、錯覚するか、誤解するか、あるいは、まったく

忘れてしまうのだ。だから、夜、女がフラフラと外出するのだ。

 

男は女を襲う可能性のある動物であるが、女という動物は男を

襲わない。女が男を襲わないからといって、男と女は平等だ、

男は女を襲わないと錯覚している。女よ、よく聞け、男は女を

襲う動物であることをしっかりと認識しろ。それがオスの本能

であることを、しっかりと知っておけ。それにしても、最近の

女はバカになった。貞操観念のある大和撫子はいずこに消えた。 

 

平成28年5月19日(木)

歴史上もっともセコイ男

 

舛添都知事は、政治史上、最もセコイ男である。これほどまで

セコイ人間は世にも珍しい、まさに希少種である。政治家とい

う人間は、もともとセコイ人種であるが、ここまで超弩級で

セコイ奴は聞いたことがない。

 

今も、続々と、舛添のセコイ事例が噴出している。都民も、国

民も、あきれてものが言えないという状況だ。どれも法律には

違反していない。法律すれすれだ。だからセコイのである。前

都知事の猪瀬は金銭問題でいさぎよく辞任した。しかし、舛添

は、セコイ問題を、セコイ言葉で、言い訳をするから、国民の

顰蹙と軽蔑を買っているのだ。

 

人の上に立つ人間は、まず倫理観念と道徳心がなければならぬ。

清貧に甘んじて、身を律することだ。舛添は、贅沢三昧である。

しかも、すべての他人の金、税金だから始末が悪い。もともと

政治家の器ではなかった。学生に嫌われるセコイ学者で納まっ

ていればまだましだった。政治に色気を出したことが、失敗の

もとである。

 

人間という存在は、他人のために尽くすことが第一義である。

黒澤明の「七人の侍」の中で、志村喬が演じる島田勘兵衛が

自己中心の百姓達を叱咤したセリフを思い出す。「他人(ひと)

を守ってこそ、自分も守れる。おのれの事のみを考える奴は、

おのれをも滅ぼす奴だ」

 

ゴジラ先生も、この男が辞めるまで追求の手をゆるめない。

週刊誌も、新聞も、テレビも、徹底的に舛添を追い込んで

もらいたい。こういう男が、東京オリンピックを差配して

もらっては困る。日本の恥である。

 

とくに、自民党と都議会は、もっと激しく、きびしく追求せよ。

甘すぎる。今、舛添を追い込まないと、そのツケは自民党に

回ってくる。清算するのは、早ければ早いほどいい。ゴジラ

先生も、舛添のクビを取るまでは、徹底的に追求してゆく。

 

平成28年5月18日(水)

東京都民よ、バカな都知事を

選んだ責任は君達にある

 

都民よ、舛添を辞めさせるために、即刻、行動しろ。何をグズグズ

しているのだ。遅れれば遅れるほど、国民のフラストレーションは

たまる。舛添のような奴が日本の首都の顔では、日本国民として

恥ずかしい。都民よ、君たちが、こんなアホを選んだのだ。君たち

の責任も大きいことを自覚しろ。

 

昔、オウム真理教の幹部に、「アー言えばジョーユー」というのがい

たが、舛添も、「アー言えばマスゾエ、コー言えばマスゾエ」である。

こんなにも、言い訳と、弁解と、釈明を繰り返す卑怯な男はめずら

しい。言えば言うほど反韓、いな、反感をもたれることにまったく

気がついていない秀才バカである。「論理」は感情に勝てるが、「理屈」

は感情に勝てない。それが分かっていないのが秀才の欠点・弱点である。

 

今頃になって、自民党の谷垣幹事長が、舛添を批判していたが、遅

すぎるのだ。自民党は、舛添を選んだ責任をしっかりと反省しろ。

舛添を辞めさせるために、自民党は、即刻、行動しろ。遅れれば

遅れるほど自民党の支持率は下がる。同じ穴のムジナと見られて

いるだからだ。

 

舛添問題は、田舎者の成り上がりが権力を握ると、どうなるかの

見事な例になった。都民よ、君達にも舛添を批判する資格はない。

君達が選んだからだ。こんなアホを見抜けなかった、自分たちの

不明を恥じるべし。

 

さらに言うと、日本全国、オール舛添である。こういうアホ首長と

アホ議員が、地方政界には、ごまんといるのだ。舛添と同じ東大出

の自治官僚が、地方の知事である。結局、都民もバカだが、地方人

もアホである。ゴジラ先生の住む神奈川県では、黒岩というキャス

ター上がりの、極めつけのアホ・バカ・マヌケが知事である。唯一

の希望は、林文子横浜市長や、村井 嘉浩宮城県知事である。だが

しかし、全国的にみると、日本の政治と政治家は、今、危険水準を

越えている。

 

平成28年5月16日(月)

舛添要一を早く辞めさせろ

都民も大いに反省しろ

 

舛添という男、人間として失格である。人間性に欠陥がある。まして

都知事なんぞは言語道断のコンコンチキである。もはや、舛添は都民、

国民の支持をまったく失った。できるだけ早く辞職させて、新しい都

知事のもとで、東京オリンピックを準備すべきである。

 

記者会見を見たが、あまりのセコイ振る舞いに絶句した。正月の家族

旅行を政治資金で落した。回転寿司も落としだ。イタリア料理も落し

た。近所の衣料品店で、肌着を買い、子供のパジャマまで買っている。

たぶん政務費で落したのだろう。個人経営者が領収書を取るのは経理

上の必要不可欠の行為であるが、舛添は政治家である。収入は税金で

ある。領収書を取って回転寿司やパジャマに化けさせるつもりか。

 

舛添は、自宅を会社にして、家賃や光熱費を、舛添個人へ落としていた。

個人経営の会社がよくやる節税対策である。しかし、舛添は、個人経営

者ではない。ほとんどの収入は税金である。 ここが個人経営の商店と決

定的に違う点である。米や野菜や味噌や納豆や牛乳まで落していたので

はないかと疑いたくなる。

 

舛添は、もはやこれまでである。都民の支持を失った人間では、都政

の運営はできない。早く辞職することを勧告する。もし辞めないのなら

リコール運動を起こすしかない。こんなセコイ奴が日本の首都の顔で

は恥ずかしい。元の嫁さん、片山さつきにまで、コケにされたのでは

男として失格である。こんなアホに投票した200万人の都民は恥を

知るべし。庶民という者は、もともと、アホバカマヌケなのである。

だから独裁者や、舛添のような奴が登場するのである。東京都民よ

大いに反省しろ。そうしないと、同じことを繰り返すぞ。

 

平成28年5月13日(金)

朝日新聞は不思議だ。

なぜ舛添を取り上げないのか。

 

舛添もだんだんと土壇場に追い込まれてきた。国民や都民を舐めていた。

権力者になると、何をしていもいいと、倫理観念や、道徳観念をまったく

喪失していた。もともとそういう性格の男だった。東大教授時代、議員

時代、過去、すべて国民の税金でメシを食ってきて、個人として金を出す

という観念が、完全に欠落している男だった。ようするに、国家におんぶ

だっこしてきた男である。自腹を切るという思考がないのである。

 

だから、都知事になると、絶好のチャンスとばかり、税金を湯水のごとく

つかっても、恬として恥じないのである。本田宗一郎と対極にある人間で

ある。無私の精神、公平の精神、縁故コネを排除する精神、自腹を切って

遊ぶ精神、派閥を排除する精神など、舛添とは天と地の違いである。

 

不思議なのは、ずっと朝日新聞がまったく報道しないことである。積極的

に報道したのは、産経新聞だった。文春もそうだが、庶民感覚のないマス

コミや新聞は失格である。朝日新聞は、かっこばかりをつけて、舛添のよ

うな問題は、朝日新聞が扱う問題でないと、お高くとまっていたのである。

この朝日新聞のエセエリート主義が、朝日新聞を没落させる原因である。

朝日新聞は、庶民感覚からズレた新聞である。恐竜のような新聞で、近い

うちに絶滅するだろう。

 

それにしても、文春は立派である。庶民が何を考えているか、しっかりと

ニーズとウオンツを把握している。これを庶民の正義感覚というのだ。

産経新聞も庶民感覚をもっている。朝日新聞は、エリート腐臭がフンプン

と臭う。文春よ、産経よ、舛添のクビを取るまでは、徹底的に追求の手を

緩めるな。舛添は、庶民の敵である。韓国に媚びを売る売国奴である。

その上、嘘つきである。臍から下が入れないフロだと言ったが、大嘘で

ある。アパートの小さなフロだって、臍から上まで、湯が入る。こういう

見え透いたウソを言うから、舛添には生理的嫌悪感を感じるのである。 

 

平成28年5月12日(木)

時代は動く

 

■三菱自動車は日産の傘下に。

ゴジラ先生の予想通りになった。さすが、カルロスゴーンの動きは素早い。

三菱の社員と下請けはホッとしたことだろう。バカな経営者がいると、社

員は大迷惑を被る。三菱自動車は、会社として失格だった。ブランドにあ

ぐらをかいて、基本を忘れていたのだ。日産の傘下で、一から出直せ。

 

■舛添要一の終わりの始まりだ

舛添は、今回の不祥事で、政治生命を絶たれるだろう。知事を辞めざるを

えなくなった。猪瀬の時と同じで、不祥事は、政治家の致命傷である。

それにしても、舛添という奴は、ほんとうに嫌な奴だ。生理的嫌悪感を

感じる。言うことがイチイチ癇に触る。理屈と言い訳ばかりをしている。

日本人の美学である「いさぎよさ」がまったくない。こういう奴は政治家と

して失格だった。東京都民も自分たちの選球眼の無さを恥じることだ。

こういうアホに当選させた都民のセンスの無さを反省せよ。

 

平成28年5月11日(水)

オバマは広島で謝罪すべし

 

原爆投下は、明瞭明白な、戦争犯罪である。原爆投下は絶対に正当化する

ことができない。3月10日の東京空襲など、日本全国の非武装都市の空

襲も、明瞭明白な、戦争犯罪である。原爆投下と空襲、この二つは、アメ

リカが犯した戦争犯罪である。このことは、未来永劫、日本は主張して

ゆかねばならない。

 

負けた日本だけが、戦争犯罪を問われ、戦勝国が戦争犯罪を問われないの

は、正義に反する。戦争犯罪には戦勝国も戦敗国もない。いかなる国家で

あれ、戦争犯罪は戦争犯罪である。事実の前には、フィクションは成立し

ない。日本人は、太平洋戦争中、アメリカによって、200万人も殺戮さ

れたという事実をしっかりと認識しなければならない。

 

「アメリカの若者を助けるために原爆投下をし、戦争を終結させた」だと、

ふざけたことをぬかすな。アメリカの若者の命の方が重いのか。日本の

無辜の女子供老人の命が軽いのか。生命を天秤にかけるとは言語道断だ。

戦後のベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争を見れば分るが、アン

グロサクソンは非常に残酷な民族である。日本民族はやさしい民族だ。

 

オバマは広島で謝罪せよ。床にひざまずいて謝れ。そのことで、オバマ

大統領の価値は高まり、偉大な大統領として歴史の名を残す。オバマが

謝罪した時、アメリカは偉大な国家となる。いずにれにしても、オバマ

大統領の行動を注意深く観察しようではないか。

 

平成28年5月10日(火)

三菱自動車は三菱グループから

切り離し、身売りすべし

 

三菱自動車は、大三菱という日本おける、最強のブランドの上に、あぐらを

かいていた。社内には、普通の企業では想像できないような、歪んだエリー

ト意識が、充満していたのであろう。忠告や諫言を聞く耳をもたなかった。

まさに、唯我独尊で、傲慢無礼を地で行っていた。これは、三菱自動車に

よらず、三菱グループ全体も同じであるとゴジラ先生は推測している。

驕る平家の現代版である。

 

ここまで信用を失くしたら、三菱自動車としての再建は不可能である。

三菱グループ全体にも火の粉がふりかかってくる。リコール問題の時は、

グループで支援し、三菱グループも楽観していた。だが、今回は状況が

まったく異なる。世間どころか、世界は甘くない。三菱グループ全体に

対する非難が起きる。グループ全体の存立を危うくするだろう。

 

三菱自動車は会社存続を諦めることだ。単独での再建は不可能てある。

身売りを考えるべきである。トヨタか、日産か、ホンダか、それとも

海外メーカーか、いずれにしても、身売りして、三菱のブランドの維持

をはかることである。三菱自動車は駄目でも、三菱というブランドは、

他メーカーの傘下では、十分に価値がある。

 

三菱自動車の失敗をみると、人も組織も、驕ってはならぬということだ。

いつも初心に返ることだ。謙虚というコトバは座右の銘である。人間は

成功し金が入ると、初心を忘れ、傲慢無礼になる。バドミントンの選手

も、巨人の選手も、みんな初心を忘れ、傲慢になったのである。驕る平

家はひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。これは永遠の真理である。

 

平成28年5月9日(月)

長い休みが終った。

史上最大の作戦を遂行した。

 

5月の連休が終った。今日から仕事のはじまりだ。心身のエンジンは、まだ

本調子ではないが、少しずつ馬力をあげて、仕事に全力を尽くそう。

連休中、ゴジラ先生は、「整理整頓・掃除」「整理整頓・掃除」「整理整頓・掃除」

・・・というものすごい連続だった。長い人生の中で、こんなに整理整頓と

掃除をした記憶がない。生まれてはじめての史上最大の作戦だった。実は、

この作戦は、4月の半ば頃から、開始していたのだが、5月連休が本格的な

作戦だった。だから実質一カ月近い作戦だったのだ。我ながら、よくやった。

副次効果として、悠々、減量を達成した。フットワークが軽くなった。

 

9年前に自宅を新築して以来の大整理整頓だった。東京の高輪の事務所の山

のような文献、資料、書類を、そっくり、自宅に運びこんだままだった。

もちろん、少しは整理整頓をしたが、大部分は手つかずのままだった。つい

でに、自宅の大整理整頓も行なった。居間・台所の不要のものを一新した。

 

まず第1は、二階の書斎の大整理、第2は一階の居間の大整理、第3は台所

の大整理、第4は庭に設置した二つのイナバの物置の大整理、この四つの大

作戦だった。第1の書斎は、山のような文献や書類におおわれて、例えると、

きれいな状態の「ゴミ屋敷」だった。必要書類を、どこに何を置いてあるかを

承知していたが、ゴミ屋敷状態を、一つ一つ整理するのは大変な労苦だった。

 

土曜日は、ベランダのペンキを5年ぶりに塗り替えた。最終日の日曜日には、

庭の家庭菜園の土を耕して、畝を作り、春菊とほうれん草のたねを植えた。

この一カ月の作戦期間中に、捨てた文献や書類は、山のようになった。今まで

後生大事に取っておいたものを、思い切って、捨てた。おかげで清々した。

気分が爽快になった。この大作戦のために、中断していた原稿があったので、

これで後顧の憂いなく、執筆に邁進できる。 気持ちは五月晴れ爽快!爽快!