英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

我が友・田嶋幸三先生が

日本サッカー協会の会長になった

 

友の喜びに我は舞い

我が喜びに友は舞う

 

田嶋幸三先生は、ゴジラ先生の盟友である。

長年の戦友だ。肝胆相照らす仲と言ってもよい。

今、58歳である。協会は70歳定年だから、十年以上はある。

長期政権として、思い切った改革ができる。

日本サッカーはすばらしいものになる。日本サッカーは、

世界に伍して、グローバルな存在になるのは間違いない。

 

次は、国際サッカー連盟の会長をめざしてもらいたい。

金で汚れたFIFAを改革できるのは、田嶋幸三先生のような

清廉潔白な日本人である。

 

韓国の現代財閥のテイムジュンというアホ男が立候補しようとしたが、

汚職で六年間の資格停止になった。バンザイである。分限を知れと言いたい。

それにしても身の程知らずという言葉は、韓国人のためにある。

このテイムジュンという奴は、おのれを何様だと勘違いしているのだ。

国連事務総長のハンキブン(潘 基文)といかいうアホも同類だ。

 

田嶋幸三先生は、能力、識見、人望など、まれに見る逸材である。

リーダーとして、この人に匹敵する人材は政界にも官界にも経済界にもいない。

日本人として、グローバルに通用する稀有なる人材である。

 

口のうるさいことでは人後に落ちないゴジラ先生がいうのだから間違いない。

人間の能力を見抜くことでは、人には絶対に負けないと自負している。

ついに、日本にも本格的なグローバル人材が登場した。

本日は、記念すべき日だ。お目出度い日だ。祝杯をあげよう。

 

平成28年6月30日(木)

ガンバレ、小池百合子!

義によって助太刀いたす。

東京に必要なのは華だ。

地味な陰気な元官僚ではない。

 

義を見てせざるは勇なきなり。小池百合子は、自民党内で袋叩きだ。

ならば、小池百合子を助けるのが武士としてのゴジラ先生の振る舞

いである。小池よ、ガンバレ。自民党の頭の悪いアホは、ほっとけ。

我が道を行く。正々堂々と勝負しろ。

 

官僚上がりの桜井なにがしを推薦する自民党の頭の中がよく分から

ない。桜井という男は優秀であるというが、証拠はあるのか。庶民

は、この男のことなどまったく知らない。官僚だったという理由で

優れていると決めつけるのは、官僚信仰、秀才信仰、学歴信仰の悪

しき例である。自民党は、バカな党だ。自分たちが勝手に決めた男

を庶民に押しつけようとしている。自民党の傲慢さがついに出た。

こんなことをしていると支持率を落す。

 

女というものはすごいものだ。開き直り、根性をすえると、男なん

ぞは、足元にも及ばない。小池百合子は勝負師だ。ここ一番、乾坤

一擲の大勝負にでた。それでよいのだ。石原伸晃など、東京の議員

は、どいつもこいつも頭が悪い。その上、度胸も根性も戦略眼もない。

これでは小池百合子の勝ちである。

 

安倍さんよ、官僚はやめとけ。昨日も書いたが、都知事は官僚では

ない。都には官僚がおる。その官僚の上に元官僚を置いて、官僚都

政をやるつもりか。東京は日本の看板である。華のある人間、政治

ができる「政治家」を必要としているのだ。小池は政治家だ。舛添は

政治家ではなかった。東大出の秀才だ。桜井と同じタイプの人間だ。

 

桜井では、おもしろくおかしくもない。並の都市に堕してしまう。

パッと花が咲いたような、華のある人間が、東京には必要である。

細かなことは、都の官僚がやるのだ。世界的な話題となるような

アイデアを提供し、華のある東京を作れ。陰気な、地味な、役所

風の東京なんぞ、見ったくもない。開会式には、華のある女の都

知事が、よく似合う。小池は、枯れかかっているが、まだ女だ。

 

平成28年6月29日(水)

都知事は、東国原英夫がベターだ。

官僚出身者は政治を隠蔽する。

ハゲ原なら政治がオープンになる。

 

自民党は、官僚上がりの桜井なにがしとか、元知事の片山とか、

北川とか、増田とか、斎木とか、村木とかを物色している。

ゴジラ先生は、大反対だ。理由はただ一つ。こういう秀才は

政治や政策を庶民から隠蔽するからだ。行政のプロがやって

いるから、素人は黙って付いてこいとなる。上から目線である。

 

その代表的な失敗事例が秀才政治家の舛添であった。舛添は、

一見、礼儀正しいそうであったが、慇懃無礼の代表であった。

上から目線であった。庶民の知らないところで悪事を働いた。

こういう東大出のような秀才は、下々の庶民の心情などまった

く知らないし、関心がない。そういう育ち方をしているのだ。

 

そういう点で、東国原は、タレント出身だけに、庶民の気持

に敏感である。巨悪を働いたり、せこいことをしないし、でき

ない。お笑いタレントとして、庶民から監視され、見られてき

たからだ。政治がオープンになるだろう。何といっても、宮崎

県知事の経験がある。これがポッと出のタレントとは違う。

政治家としても、行政家としてもプロである。

 

第一、おもしろいのがいい。東京なんぞは、官僚がしっかりし

おり、誰でも、知事が勤まるのだ。だったら、東京をおもしろ

くし、世界に宣伝するためには、東国原は最適である。おもし

ろく、楽しい政治をやってくれ。小難しいことをいう学校秀才

の知事は御免だ。

 

平成28年6月28日(火)

共産党の藤野保史という売国奴が、

NHKの討論会で、防衛費を

「人を殺すための予算」と言った。

 

謝罪ですむ問題ではない。藤野は、衆議院議員を即刻、辞職せよ。

モノには、口が裂けても言ってはならぬことがある。自衛隊を人

を殺す集団と理解している人間である。こういう奴は日本国民で

はない。国家反逆罪があれば、即刻、懲役20年である。

 

平成26年、比例北陸信越で当選した男である。ケツの青い議員

というよりも、常識というものを持っていないアホである。共産

党には、こういう奴が沢山いる。共産党は、ソフト路線に転換した

ように装っているが、その本質は変わらない。これが共産主義の

本質である。わが国の歴史と伝統と文化を破壊する集団である。

 

藤野は、次回、絶対に落選させる。そのためには、この藤野保史

という名前を覚えておこう。臥薪嘗胆の精神で、この男の名前を

ずっと記憶し続け、必ず落選させよう。こういう奴は、ヤクザや

暴力団よりも、はるかに悪質で、国民を害する人種である。売国

奴という言葉は、藤野や共産党のためにある。

 

NHKの日曜討論であった。自民党の稲田議員が、厳重に抗議を

した。しかし、横にいた民進党の山尾志桜里という検事上がりの

奴は、黙っていたそうだ。この女も同類である。日本を守る自衛隊

を侮辱したことは、謝罪で済む問題ではない。事態は深刻であると

認識した方がいい。国のために生命を投げ出す軍人を侮辱したので

ある。国民の一人として、藤野と山尾志桜里の弾劾を行なうことを

宣言する。

 

平成28年6月24日(金)

マスゾエ去って、ゾンビが生き返る

 

ゾンビ女、田嶋陽子が生き返った。

ソンビ知事、浅野だの、片山 だの、北川だの、

おまけに、田中康夫だのと、みんな生き生き復活だ。

ありがたや、ありがたや、セコイ様のお陰だ。

 

ハゲ男・そのまんま東までもが、大はしゃぎ。

企画力貧困のテレビ局は、視聴率を稼げて、大喜び。

吉本の阿呆タレントまでもが、にわか評論家だ。

経済効果は、マスゾエの二年間を上回る。

 

とばっちりを受けて、災難なのは、

リオ・オリンピックを物見遊山しようとした議員どもだ。

うらめしやー、舛添の幽霊が化けて出た。

 

平成28年6月23日(木)

政治家という阿呆どもには、

ほとほと、あきれ返る。

 

国会も、都議会も、県会も、市会も、町会も、

政治家と名のつく奴らは、庶民の血税でしたい放題を

していることが、今回の舛添騒動でよく分かった。

 

こいつらは、ノミか、シラミか、ヒルである。

人にたかって、血を吸い取る。

 

日本の政治制度を、根幹から革命するか、

イノベーションしないと、日本はだめになる。

政治の劣化は国家の劣化だからだ。

 

虎は死して皮残す。

舛添、去って、議員のデタラメぶりを明らかにす。

 

 

平成28年6月22日(水)

お前ら、同じ穴のムジナだ。

舛添と都議会。

 

都議会のバカ議員どもが、リオ・オリンピックの視察に行くのに、

28名で、六千万円の予算で行く計画だったそうだ。ひどい話だ。

こいつらも、結局、舛添と同じ程度のバカ議員だった。税金を湯

水のごとく浪費して、恬として恥じないのである。それにしても、

テレビで見た、都議会の自民党議員は、ひどすぎる。頭の悪い奴、

横柄な奴が多い。安倍さん、都議どもに喝を入れないと、とばっ

ちりが、跳ね返ってくるぞ

 

同じく、神奈川県の黒岩知事が、リオ・オリンピックの視察にゆ

くのに、一泊のホテル代が、10万7千円だそうだ。黒岩よ、お

前は、血税をなんと思っているのだ。人の金を使い、自腹を切る

という発想が皆無である。ゴジラ先生は、この黒岩というアホ男

を、立候補したころから、最低最悪の男だと思っていた。それな

のに、バカな神奈川県民が、知事にしてしまった。

 

東京といい、神奈川県といい、日本国中、地方議員がしたい放題

をしている。国民の血税を湯水のごとく使っていることが、今回

よく分かった。虎は死して皮残す。舛添、去って、地方議員ので

たら目ぶりを教えてくれた。物事にはすべて正と反がある。舛添

はすべて悪ではない。政治の問題をえぐりだしてくれたという効

果があった。舛添がいなかったら、アホ首長と、バカ議員がした

い放題をしていただろう。

 

結局、バカな議員を生むのは、アホな都民、県民、市民、町民が

選ぶからである。議員もバカであるが、国民もアホである。国会

には、150名もの世襲議員がいる。世襲議員がいるのは日本だ

けである。米英仏独などの先進国の議会では世襲は悪であり、皆

無に近い。日本の世襲議員と、先進国の議員の経歴を比較研究し

たが、そのすばらしい才能、学歴、経歴、職業経験に圧倒された。

欧米では、世襲のアホボンでは、絶対に、議員になれない。能力

識見ともに、群を抜いた優れた者のみが国会議員になれるのである。

 

平成28年6月21日(火)

舛添くん、それをやっちゃおしめえよ。

君の67年の生涯は音をたてて崩れた。

 

やはり舛添は最後を汚した。立つ鳥跡を濁した。人間は最後が

大切なのである。最後の振る舞いで、その人間の価値が決まる。

都庁から去って行く、舛添の態度は、最低、最悪だった。あれ

で舛添の67年の生涯は音をたてて崩れた。韓国のフエリーか

ら脱出した船長のように、あまりにも、みっともない姿だった。

舛添クン、それをやっちゃおしめえよ。

 

予想通りとはいえ、舛添とは、しょせん、この程度の男だった

のである。舛添に投票した都民も、おのれのアホさかげんを、

これからじっくりと反省してもらいたい。もし蓮舫が出ると

同じことがおきる可能性がある。バカ蓮舫を選ぶアホ都民だ。

 

マスコミも同じ程度の阿呆レベルである。舛添をほめたたえて

知事にしたのはマスコミである。今回、一転して、舛添叩きを

したのはマスコミである。都知事にしたのも、引きずり下ろし

たのも、どちらも都民とマスコミの合同作業であった。馬鹿

マスコミとアホ都民が、マヌケ舛添を上げたり下げたりした。

そして、最後は、放り出した。

 

一番よりも二番が好きな蓮舫を讃えているのは、馬鹿マスコミ

と阿呆都民である。どちらも、上っ面だけを見て、深く物事を

考えない。付和雷同して大騒ぎするだけである。舛添の後は、

どのみち人気のある奴が当選する。都知事選挙とは、人気投票

である。これは今後とも永久に変わらない。しょせん、政治家

がアホやから、政治がつまらんのである。 

 

平成28年6月20日(月)

良かった、良かった、

蓮舫が出馬しないそうだ。

舛添は、立つ鳥跡を濁した

 

蓮舫が出馬を取りやめたそうだ。岡田や枝野は前向きだったが、

蓮舫の親分の野田佳彦が止めさせたそうだ。さすが、野田だ。

よく分かっている。今回だけは蓮舫では危ないと思ったのだ

ろう。都民も、舛添に続いて、蓮舫のような馬鹿タレントを当

選させるほどマヌケではないだろうと、野田は思ったのだろう。

しかし、蓮舫がでると、当選する確率は高い。都民は、野田が

思うほど賢くはない。バカもアホもマヌケも多い。

 

一時、その気になっていた蓮舫の顔をテレビで見たが、顔から

嬉しさが、隠しても、隠しても、にじみ出てるというツラをし

ていた。当人は、その気になっていたのだ。蓮舫のような目立

ちたがり屋のパフォーマンス女は、都知事は絶好のチャンスと思

ったのだろう。辞めたとたん、ニヤケ顔が、消えた。蓮舫さんよ、

お前のツラは都知事のツラではない。二番が似合うツラだ。

 

舛添は、立つ鳥、跡を濁した。最後の最後の去り際を汚した。

最後の記者会見をして、「申し訳ありませんでした」と、いさぎ

よく頭を下げると、武士道の日本では、逃げる者の追い討ちは

しない。そうすると復活の可能性もあった。しかし、舛添は去

り際を誤った。だから、辞めた後も、批判と非難を受けるのだ。

これで舛添の復活の道は完全になくなった。すべては自業自得だ。

 

江戸時代、大坂商人には、始末・算用・才覚の三つのコトバが

あった。算用はソロバンであり数字ある。才覚は発想であり企画

力である。始末とは、始めと終わりである。始末をつけることが

大坂商人の最低限の条件であった。始末をつけられない人のこと

を始末に困るといった。舛添は始末に困る人間であった。始末が

できない人間であった。

 

平成28年6月17日(金)

蓮舫が立候補するだと

冗談は顔だけにしておけ

この馬鹿パーフォーマンス女め!

 

蓮舫の当選だけは、絶対に阻止しろ。いかなることがあろうとも

阻め。こんなパーフォーマンス女は、舛添よりも、もっとタチが

悪い。スーパーコンピュータの世界一を邪魔したアホウである。

真贋が見抜けない女である。ものごとの価値判断ができない女で

ある。こんな女が、東京選出の国会議員であること自体、国民に

とって恥である。こんな女や舛添を当選させた都民は、舛添や、

蓮舫以上の大アホウである。

 

ハカな都民が、蓮舫を当選させる危険性は十分ある。二年前、舛

添を当選させたオッチャン、オバチャンには、蓮舫の頭の悪さなど、

まったく分からないからだ。舛添の二の舞がおきる可能性がある。

ノーベル賞受賞者が、ぜひとも、記者会見を開いて、蓮舫の都知

事反対を打ち出してもらいたい。

 

過去、何度も言ったが、ゴジラ先生が、この世の中で一番嫌いな

女が、辻元清美と蓮舫と南チョウセン国のボクキンケイ(朴槿惠)

である。こいつらのツラを見るだけで嘔吐を催す。その蓮舫が、

よりによって都知事に立候補しそうなのである。こりゃ悪夢である。

 

舛添もおのれが分らぬ人間だったが、それ以上に、おのれの能力

が分かっていない女である。自分のツラをとくと、鏡でみてみろ。

おのれが東京の都知事になれる顔か。立候補するだけでも、冗談

は顔だけにしておけと、警告したい。おのれを何様だと勘違いし

ているのだ。国民を舐めたら、舛添の二の舞になる。舛添、蓮舫

と、二度も続く悪夢だけは、拒否したい。

 

平成28年6月16日(木)

ゴジラ先生の予想通り、

ドンピシャッと当たった。

 

6月13日の本欄で、「舛添は、ここ三日で辞める」と予想した。

その通りになった。函館の田野岡大和君の時も、必ず見つかると

予想した。理由は何もない。直観である。直観というものは理論

や論理や理屈ではない不思議なものである。ただし、論理を徹底

的に追い詰めた先に、直観はひらめく。論理と直観は、思考の二

大方法である。論理を鍛え、直観を養うのは、大切なことである。

 

ものごとには正と反がある。舛添のお陰で、死んでいた人が、テ

レビで、続々と復活した。テレビ局は視聴率を上げた。都議会が

広く知られた。無名だった都議の顔が知られた。庶民は、公職選

挙法のからくりを知った。都知事の強大な権限を知った。巣鴨の

オバチャンまでも、生き生きと政治を語った。舛添の功績である。

 

ただし、怒っているのが、二流のビジネスホテルの経営者である。

湯河原の住民である。喜んでいるのが、ホテル三日月である。美

術館である。画廊の経営者である。回転寿司屋のおやじである。

湯河原の下着を売っている商店だろう。舛添がはいているパンツを

買いにくるだろう。最後までねばり抜く根性をつけるためである。

 

人生には山があれば谷もある。何事も順調に行っている時こそ、

気をつけなければならない。有頂天になって自分を見失う。その

上、舞い上がっている自分を、冷静に見分けるのがものすごく難

しい。舛添のような冷静な男でも、自分を見失ったのだ。すべて

ほどほどに分限をわきまえて、地道に、一歩一歩、歩くしかない。

 

ゴジラ先生は、すべからく、腹八分目である。山に例えると、頂

上を控えた八合目で待機して、様子をみることを人生の哲学とし

ている。頂上まで登ってしまえば、後は降りるより他になくなる

からだ。自分は八合目の人間だと自覚し、あせって頂上を目指さ

ないことだ。八合目が最高度ということもありえるからだ。

 

平成28年6月15日(水)

舛添よ、君は死んだ。

四国八十八カ所を巡り、おのれを見直せ。

 

ここまでくると、舛添の復活の道は完全に絶たれた。もう二度と

再び、社会には出て来れない。君の人生は終った。日本のどこか

でひっそりと生活するか、外国に亡命するか、それしか君の生き

る道はない。

 

あまりにも、長く、醜態をさらしすぎた。数カ月前ならば、すべ

てを投げうって、土下座し、謝罪していたら、復活の可能性はあ

った。しかし、もう遅い。しかも、醜すぎる。戦後70年、人間

の引き際において、これほど醜態をさらした人はいない。

 

舛添には、諫言する友人はいないのだ。教えさとす師はいないのだ。

引き止める女房はいないのだ。これほど孤独な人間もめずらしい。

人間の最大の不幸は、師匠、友人、後輩、そして心底、忠告して

くれる女房をもっていないことだ。

 

舛添という男は秀才である。しかし、いかに偏差値が優れていても、

状況を判断し、戦略をたて、物事をみる目は違う能力なのである。

学校の成績は人生を生きる上で、なんの役に立たないのだ。策士、

策に溺れる。この世の中は、色即是空、空即是色だ。人間は、時

には、「空」になったり、「無」になったりすることだ。その時、自分

の置かれた位置が分る。舛添よ、空になり、無になって、すべてを

打ち捨てて、四国八十八カ所をめぐってみよ。君の新たな人生が

見えてくるだろう。

 

平成28年6月14日(火)

君達の腕じゃ、舛添には勝てぬ。

 

都議会の議論をみた。自民党を筆頭に、どいつもこいつも、討論

技術が下手くそで話にならない。あれでは舛添の優勢勝ちである。

アー言えばじょうゆー(上祐)という、オウム真理教に口が達者

な男がいたが、舛添がはるかに上だ。アー言えばマスゾエである。

この男、悪智恵が働き、詭弁と強弁を駆使する、したたかな男だ。

 

トップバッターが自民党の鈴木隆道。どうして自民党はあんな下

手くそな男をたてるのだ。まったく追求できていない。しかも、

ペーパー見ながらでは、迫力がない。討論は、相手の目をしっかり

と見据えることが前提である。ペーパーなど言語道断である。

 

その上、前置きが長い。修飾語が長い。余計なことを言ってはなら

ない。無駄なコトバを省く。形容詞や副詞を多用するな。ディベー

ト力がない。とくに尋問力、質問力がない。相手の意見を聞くな。

イエス・ノー質問をせよ。5W1Hの質問をせよ。

 

わがディベート大学の精鋭を出さないと、舛添を追い詰めること

は不可能である。ディベートの素人では、無理である。日本では

国会議員から地方議会までディベートの素人の集まりである。あれ

では舛添を土壇場に追い込むことはできない。昨日も、舛添は悠々

と逃げきった。

 

さらにいうと、日本においては、大前提として、議論の場合、偽証

罪や、詭弁罪の罰則を設けないと、いくらでも逃げることができる。

知りません、記憶にありません、反省しています。真摯に努力しま

す。全身全霊取り組みますと、漢語を並べて逃げることができる。

漢語は、言い訳するのに、大変便利なコトバである。

 

キリスト教国では、聖書に誓うから、ウソはいわないし、詭弁を

使うことも禁じられている。しかし、日本では宗教的な裏付けが

ないから、いくらでも、偽証と詭弁がまかり通る。舛添が優勢勝ち

になる理由である。舛添よ、お前は、たいした男だ。その粘り腰や

根性を、自分のためだけに使うのではなく、世のため、人のために

つくすと、少しは違った人生かあったのだが。いずれにしても、

どう転んでも、君の政治生命は終わった。

 

平成28年6月13日(月)

安倍さん、

舛添に引導を渡さないと大変なことになるぞ!

 

安倍さんよ、自民党よ、あまりにも危機感がたりない。舛添の居直りに

よる自民党の危機をまったく理解していない。もう危険ラインに入った。

このまま放置しておくと、参議院選は大敗する恐れがある。民進党や共

産党が躍進して、政治が停滞どころか、左翼リベラルへと後退する。

一番、喜ぶのが、沖縄の翁長とシナチャンコロ国である。

 

もはや猶予はならん。一分でも、一秒でも早く舛添を辞めさせろ。勝負

の期限は今週中である。これに遅れると、自民党は大打撃を受けるだろう。

それにしても、自民党の感度の鈍感さに呆れてものがいえない。都の会長

の石原伸晃は、どうかしている。この男、政治的センスがまったくなくな

った。以前はもっとシャープだと思っていたが、最近、ドン臭い男になった。

 

ゴジラ先生は、舛添用語というものを作ってみた。

「真摯」にガンバル。「粉骨砕身」、「全身全霊」、「不退転の決意」、「生まれ変

わったつもり」などなどを乱発している。しかし、これらのコトバは、みん

な、昔から、政治家がよく使う政治用語であり、抽象語である。だいたい

生まれ変わった舛添なんぞ、反吐が出そうで、見たくない。

 

具体的な方法・手段がないから、コトバとくに漢語を使って、勇ましく表

現するのである。自分のホンネとはかけ離れたウソである。だいたい漢語

を使い始めると、行きづまっていることを証明している。もはや、コトバ

では誤魔化せない段階であるのに、漢語を使うと、なんとなく、やれそう

に見えるだけである。舛添の断末魔の叫びである。もう終わりは近い。

さすがの鉄面皮・舛添も土壇場になった。ここ三日で辞めると予想しておこう。

 

平成28年6月10日(金)

市川海老蔵とかいう世襲のアホ歌舞伎役者。

ゴジラ先生は歌舞伎が大嫌いなのだ。

 

舛添が一段落したと思ったら、市川海老蔵とかいう世襲の歌舞伎役者が

テレビで出っぱなしである。海老蔵のヨメハンが、ガンだ、病気だと

大統領なみの報道である。テレビ局は気が狂っているのではないか。

こんなアホ役者を報道する神経が理解できない。テレビは公共財である。

アホな役者の個人の家庭の問題を、公共の電波をつかって報道するとは、

言語道断である。公私混同である。テレビは、舛添の公私混同を責める

ことができるのか。テレビ局こそ、公と私の区別がつかない低能人間の

集まりである。それにしても、舛添もアホだが、舛添を責めるテレビ局

のアナウンサーも、キャスターも、おのれの顔を鏡でみろ。

 

ゴジラ先生は、何が嫌い言って、世襲ほど嫌いなものはない。蛇蝎の

ごとく嫌悪している。とくに政治家の世襲、歌舞伎の世襲、芸人・タ

レントの世襲、落語の世襲、世の中の世襲を撲滅したいのである。

縁故、コネも同じである。とくに、公共財であるはずのテレビ局は

縁故とコネが巾を効かせている。徹底的に弾劾したい。

 

さすがに、企業では、世襲はほとんどなくなった。上場の大企業で

はありえない。セブンイレブンの鈴木会長が退任する原因も、自分

の息子をトップに据えようとしたという噂である。鈴木会長は否定

しているが、自分の息子を入社させること自体が、だめである。

名経営者であるだけに、画竜点睛を欠いた。

 

ゴジラ先生は本田宗一郎を最も高く評価している。自分の子供どこ

ろか、役員の子弟を一切、入社させなかった。車の運転は自分の車

を、自腹でガソリンを入れて、自分で運転した。徹底した公平無私

の人物である。これほど公明正大、公平無私をつらぬいた人間はい

ない。まことに偉大な人物である。ゆえに、ゴジラ先生の尊敬する

人は、吉田松陰、内村鑑三、本田宗一郎である。あと一人、付け加

えると、クロネコやまとの創業者、小倉昌男である。みんな無私の

人である。舛添や、世襲の海老蔵と対極にある人物である。

 

平成28年6月9日(木)

舛添よ、オリンピック選手に講演してやれ。

絶対にめげない精神力、最後の最後までがんばる根性を教授してやれ。

選手は、舛添のような 「 鉄」の心臓と「炭素繊維」のツラで戦えと。

 

すべての物事には、正と反がある。善と悪、長所と欠点がある。絶対善

絶対悪というのはありえない。これは、長年、ゴジラ先生が思考の根本

原理としているものの見方であり、考え方である。これが弁証法である。

弁証法は、人間が生き行く上で、極めて有効な考え方である。弁証法を

心得ていると、世の中に対する見方や考え方で、誤ることは少ない。

 

弁証法でみると、舛添要一にも、正と反がある。昨今、世論やマスコミ

で叩かれているのは、舛添の反の面である。しかし、この男にも、正が

ある。すなわち、あの根性である。絶対にめげない精神力である。あれ

ほどの精神力をもっている人間にお目にかかったことがない。金正恩と

よい勝負である。世界の非難を浴びているプーチンも驚く根性である。

 

舛添よ、オリンピック委員会で、選手を前に講演してやれ。絶対に諦め

ない精神力を。どんな状況になっても、最後の最後まで戦いぬく根性を

講演してやれ。自衛隊もいい。あるいはアメリカ海兵隊からもお呼びが

かかりそうである。舛添の凄まじい敢闘精神である。

 

舛添は、もう一つ、大きな功徳を施した。死に体だったはずの田嶋陽子や、

東国原英夫や、元三重県知事の北川正恭や、元宮城県知事の浅野史郎など

がテレビで息を吹き返した。舛添のお陰である。テレビ局も、舛添のお陰

で、連日、視聴率を取れてバンザイである。寝ていたはずの都議会議員も、

大活躍だ。自民党も、公明党も、共産党も、民進党も、みんな元気はつら

つとしてきた。とげ抜き地蔵の巣鴨のオバチャンまでも、都政を語るよう

になった。これが舛添要一の弁証法である。

 

平成28年6月8日(水)

舛添も嫌だが、佐々木善三とかいう

ヤメ検弁護士、 こいつには心底腹がたった。

 

佐々木という奴に代表されるように、元検事とかいう人間には、おのれ

を何様のつもりだと、勘違いしている傲慢不遜が多い。六法全書しか知

らないくせに、検事という権力者になって、偉そうに国民を監視し、取

り調べてきた。江戸時代、庶民に嫌われた、岡っ引きか、目明かしである。

岡っ引きも、検事も、 権力の手先になってで弱いものいじめをする職業だ。

権力を摘発する正義の味方などといのは、 大ウソである。自分自身が権力

者ではないか。だからスタンドプレーを して、無実の人間を逮捕したりする。

権力者は権力に溺れるのだ。

 

昨日の記者会見の、この手の人間の本性がみごとに出ていた。痛いとこ

ろを突かれると、逆ギレして、怒って相手の言動を封じるのである。こう

いう恐喝まがいのことで、多くの善良なる人間を取り調べてきたのである。

そのくせ、検事を辞めて弁護士となると、小渕優子や、猪瀬直樹や、舛添

のような、金持ちの権力者に取り入って、太鼓持ちをするのである。

 

こいつの名は、佐々木善三であるが、ほんとうは、佐々木悪三である。

なんとも言っても、嫌なのが、あのツラである。いかにも小者ヅラをし

ている。唇が薄く、アゴも小さく、人間としての魅力がまったくない。

薄情で、冷酷な顔である。あの顔には人情のかけらもない。自分の能力

を過信し、エセ正義感ぶって、舛添の弁護に乗り出したつもりが、逆に、

みにくい本性をさらけ出し、火だるまになった。この男も終わりだ。

 

舛添も大失敗だった。第三者の調査を期待したつもりが、火に油を注ぐ

結果になった。こんな悪徳弁護士が出てくるのも、舛添が天に見放され

ているからだ。これで舛添の生きる道はなくなった。後は、いつ辞める

かになってきた。その決定打が、佐々木という傲慢無礼な人間のオウン

ゴールである。結局、舛添と佐々木という二人の悪党を成敗できて、

庶民は拍手喝采である。天網恢恢疎にして漏らさず。

 

平成28年6月7日(火)

舛添の心臓は鉄製だ。

顔は炭素繊維だ。

 

神経は鉄筋コンクリートだ。血管はポリエステルだ。こんな厚か

ましい奴はいない。いやいや厚かましいなどというコトバが、軽

すぎる。政治史上、空前絶後の鉄面皮である。いやいや人間の歴

史上、この男のツラに匹敵する者はいない。カエルのツラに小便

などというものではない。北朝鮮の金正恩か、シナの習近平か、

韓国の女大統領と、ツラの厚さくらべをすると、いい勝負である。

 

それにしても、弁護士の佐々木とかいう野郎は、まさにエリート

意識が顔にでて、上から目線の偉そうな奴だった。佐々木に反論

されて引き下がった記者はだらしない。「アンタは舛添の太鼓持ち

か、幇間か、金をいくらもらったのだ」と徹底的に攻めるべきだった。

記者という人種はディベート力がまったくない。

 

佐々木という奴はほんとうに反吐がでるほど嫌な奴だった。日本の

弁護士が嫌なのは、金をもらっているくせに、金など眼中にない。

正義に基づいているというポーズをとることだ。正義の見方づらす

する、その偽善ぶりに腹がたつ。

 

エリート意識をちらつかせ、上から目線のもの言いである。昨日の

会見など、その典型的なものだった。報酬のことや、会議に出た人

に会ったのか、痛いところを突かれると、声を荒らげて、怒って

強弁した。記者がとろいから、それ以上、追求できなかった。

新聞記者よ、テレビの記者よ、一度、わが日本ディベート研究協会

で、ディベートを徹底的に勉強しろと言いたい。 

 

平成28年6月6日(月)

大和君の生存、ゴジラ先生の予言通りだった。

この事件、断じて親の責任ではない。

正しいしつけだった。 

 

北海道の大和君、ゴジラ先生は生きていると確信し予言していた。

理由は、子供の生命力である。大人は自分の衰えた体力で、ものご

とを判断するから間違えるのだ。さらに、大和君は、捜索範囲より

ももっと遠くへ行っているとゴジラ先生は主張していた。理由は、

子供の足は、大人が考えるよりもはるかに達者だからだ。

 

道警の函館中央書はオオバカヤローだ。田野岡君の親による心理

的虐待の疑いがあるだとして指導相談書に書面で通告したそうだ。

この警察は大アホウである。田野岡君の父親の行動は正しかった。

いささかも文句を言われる筋合はない。どうして、警察という

のは、いつも、後手後手で、マヌケなのか。あきれ果てる。

 

最近は、子供の人権だのと、子供に過度に肩をもつことが流行っ

ている。親がしつけのために、罰を与えるのは、日本における

歴史と伝統の躾け方法である。まったく問題はない。虐待だと、

函館署よ、お前らはアホか、バカか、マヌケか。

 

しつけの権利は親がもっている。子供に責任があるのは親である。

親のすることに、警察が干渉するな。田野岡家が、仲の良い最高の

家族であることは、その行動から証明されている。警察の目は節穴

である。そのくせ、お前らは、虐待や、ストーカー被害を未然に

防止したことがない。お前ら、いつも後手後手で、被害者が殺され

ている。言うに事欠いて、田野岡家を虐待の疑いがあるだと、お前

ら警察は、大アホウであることを天下に知らせたようなものだ。

これを恥の上塗りというのだ。

 

平成28年6月3日(金)

北海道の不明の子供の捜索を縮小するだと、

バカな決定をするな。

逆だ、一千人、二千人を大量投入しろ。

全国からボランティを募れ。

発見した人には三千万円の賞金を出せ。

 

全国の若者、大学生、高校生、オッサン、オバサンにボラン

ティア(義勇軍)として応援を要請しろ。学生には捜索に参

加したら、単位をやるのだ。どなたか大金持ちは賞金を出せ。

見つけた人には、一千万、二千万、三千万円をあげればいい。

 

どうも、警察も消防も、アイデアがなく、あまりにも常識的

で、陳腐である。大胆不敵な発想で捜索をやれ。民間の智恵

やアイデアを借りろ。捜索を縮小するとは、とんでもないこ

とだ。子供も発見するまで、徹底的にやれ。諦めるな。捜索

は、これからが本番だ。

 

平成28年6月2日(木)

北海道で行方不明の子供。

必ず生きている。

 

北海道で、親がしつけのために、一時的に放置した子供。

捜索の初動に問題があった。もっと人間を投入すべきだった。

ゴジラ先生は、大学生や高校生を集めて、500人から一千人

を投入しろと主張していた。警察と消防だけの100人強では

少ない。自衛隊が投入されたが、もっと投入しろ。

 

学生の投入は、ボランティアすなわち義勇軍の派遣である。

北海道だけではなく全国から若者よ、駆けつけろ。雨が降っ

たので午後4時に捜索を中止したそうだが、バカヤロー、

24時間体制で捜索しろ。若者よ、今からでも遅くないから、

続々と北海道へ駆けつけろ。ちなみにボランティアとは義勇兵、

ドラフトは徴兵である。

 

テレビが、お父さんに、なぜ、「置き去り」にしたのかと、イン

タビューしていたが、武士の情を知らぬ大バカヤローである。

「置き去り、置き去り」とマスコミは連呼していたが、あれは

置き去りではない。しつけである。もっとも心配しているのが、

あのお父さんである。心が張り裂けるばかりであろう。後悔

の念で、夜も寝られないだろう。死にたいくらいだろう。

 

ゴジラ先生が予言する。男の子は生きている。どこかで必ず

生きている。今日あたり、発見というニュースが飛び込んで

くる。お父さんよ、心配するな。万一、間違っても自殺など

するな。あなたは間違っていない。父親としての当然のしつ

けをしたのだ。ゆえに子供は必ず生きている。神を信じろ。