英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

 

 

平成29年3月31日(金)

撤退の困難さ

 

昨日は、高校生の雪崩事件における撤退の決断の難しさを

のべた。日本の歴史をみると、撤退の成功事例もあるのだ。

ガダルカナル島から撤退は戦史ののこる決断だった。全滅

を免れ、一万人が生還した。もちろん、膨大な犠牲を出し

たが、当時の司令官の決断は正しかった。

 

戦後、帝国陸軍の硬直した考えをぼろくそに批判するが、

ガダルカナルのような見事な撤退もあった。そういえば、

キスカ島から撤収作戦もあった。これも見事な成功事例

だった。

 

太平洋戦争の初期の頃は、大本営も、現場の参謀や司令官も、

冷静だった。しかし、戦争末期になると、撤退しようにも、

撤退できなくなった。撤退するための船や、撤退を援護する

兵力もなくなって、玉砕せざるを得なかった。

 

人間は成功の頂点にいると、形勢があやうくなった時、その

失敗を認めて、撤退するのがきわめて難しくなる。小池百合

子知事も、支持率の高さで、今、頂点にいる。しかし、そろ

そろ、豊洲中止という成功体験から撤退し、豊洲移転を決断

する時がきている。

 

人間は成功がいつまでもつづくと錯覚する。形勢が不利にな

っている情勢を認めたがらない。だから、撤退の時期を見誤

るのである。今回、雪崩事故、後世への教訓は、撤退という

永遠の課題への勉強になった。君子危うきに近寄らず、臆病

を恥じるな。腰抜けを恥じるな、敢然と撤退せよ。

 

平成29年3月30日(木)

撤退する決断の難しさ

 

雪崩事故、人間の決断の難しさを示す事件である。東日本

大震災の時、大川小学校の生徒と先生80名が流されて、

亡くなった事件と同じで、人間の決断の難しさである。

なぜ近くの山に避難せずに、危険な方に行ったのか。

雪崩事故、なぜ訓練を中止しなかったのか。

 

両者とも、後からいくらでも非難と批判はできる。しかし、

自分が、その場にいたら、訓練を中止し、撤退したか。

大川小の場合、安全な方に避難したか。正しい決断という

ものはきわめて難しいものだ。

 

雪崩事件について、ゴジラ先生のそこそこ長い人生体験か

らいうと、「君子危うきに近寄らず」が原則である。危険な

予感がする時は、臆病になることだ。勇気、まして蛮勇は

禁止である。臆病と言われようと、腰抜けと非難されよう

と、中止を決断することだ。

 

大川小学校の場合は判断が難しいが、だだっぴろい平原だっ

たらどこに行けばいいのか分からない。しかし、後に山が

あるのに、海岸の方に向かったのは、明らかな判断ミスで

ある。津波に対する平素からの知識不足である。これを教訓

として、今後はテンデンコに逃げることである。命を他人の

判断に委ねることはできない。

 

雪崩事故、これは今後とも、先生の責任は問われ続けるだろう。

ハリの山に座ることになる。重箱のスミをつつくように、責任

をつつく嫌な人間がいるものである。いくら責任を追求しても

高校生は帰ってこない。どの辺で許し合うか、人間性の問題だ。

 

ただし、高校生の冬山登山の全面禁止はやりすぎだ。いかにも

小役人の官僚的発想である。戦争に敗けたからと、全面的に戦

争を禁止し、平和憲法を制定した愚かな日本人の発想と同じである。

 

平成29年3月29日(水)

天は、なぜ高校生を見捨てたのか

 

高校生の雪崩での遭難事故、なんとも言いようがない悲劇

である。映画「八甲田山」の中で、北大路欣也が、雪中に

立ち往生し、「天はわれを見捨てたのか」と叫んだセリフを

思い出した。ゴジラ先生が高校生の親ならば、神も仏もあ

るものかと、神と仏を恨むだろう。

 

世の中には、籠池のような悪人が一杯いるのに、よりに

よって、純真な若者、これから日本を背負う高校生を死な

せるとは、「神」というものの存在を疑いたくなる。しかし、

同時に、神というものは、そういうものかもしれないのだ。

 

神は、人を救う存在だと思うのは、錯覚かもしれないのだ。

神は、人間を救う存在だと思い込んでいる人間の方が間違

っている。神は大きく打てば大きく響き、小さく打てば小

さく響くのである。神は善でも悪でもない。神は無であり

空であるのだ。色即是空、空即是色。

 

いずれにしても、人間は、現実を受け入れなくてはならない。

それが残酷であろうとも。ゆえにこそ、人間は、恵まれた時

には、謙虚に振る舞い、悲劇の時にはたんたんと我慢をして

現実を受け入れるのだ。教師と高校生、8人の冥福を祈る。

今度、生まれ変わった時には、最高の幸せがあるように。

 

平成29年3月28日(火)

稀勢の里は武士道を体現している横綱だ。

しかし、武士道精神を体現していないモンゴル出身

力士が大相撲のガンだ。

 

相撲取りにおける武士道の条件とは何か。まずなによりも

感情を顔に出さないことである。勝っても、負けても、

たんたんとした無表情であることだ。これが歴代の名横綱

の共通の行動だった。大鵬しかり、北の湖しかり、貴乃花

しかりである。これが日本の武士道を体現している名横綱

である。その伝統をつぐ横綱が稀勢の里である。

 

しかるに、モンゴル人が出てきてから、武士道精神が消えた。

朝青龍が最悪の横綱だった。白鵬も、途中から、朝青龍二世

になった。あれでは大横綱どころか横綱失格である。大関の

照の富士も危険だ。たしかに強い。しかし、あの顔ではダメだ。

むきだしの闘志を顔にだしている。あれでは大関どころか、

相撲取り失格である。相撲取りは武士の再来である。顔に

一切の感情を出してはダメである。

 

相撲は勝てばいいのではない。相撲は、普段の振る舞いから

土俵の上のあらゆる所作まで、すべてが武士道精神を体現し

たものでなければならない。モンゴル出身者は、出稼ぎ根性

があるので、勝つことばかりを目的としている。相撲の勝負

は第二義的である。結果として勝てばいいのだ。最優先すべ

きことは、武士道を体現した相撲取りとしての所作、振る舞

いである。

 

大相撲の場所に見学にゆけば分るが、館内全体がお祭である。

酒を飲みながら、談笑しながら、一つのショーを楽しんでい

るのである。お客は勝ち負けに、さほど関心はない。お祭で

である。プロレスと似ているのだ。ボクシングとは違う。

相撲は、真剣勝負だけれども、お祭なのである。あの場内の

雰囲気は、テレビでは絶対に分からない。一度、大相撲を見

学することを奨めたい。

 

相撲協会に言いたい。外国人が入門してきたら、何よりも、

最優先で教えることは、武士道としての相撲道である。これ

を体現していない奴は、相撲取りにしてはいけない。武士道

精神は、勝敗よりも重視しなければらない。ゆえに、十両の

時、幕内に入幕した時、三役になった時、大関の時、そして、

横綱に昇進した時、各段階で、武士道としての相撲道をきび

しく教えなければならない。

 

そのことが欠けているから、朝青龍や白鵬や照富士が出てく

るのだ。最近、とくにけしからんのは、倒れた相手を起こす

ことをしない相撲取りが増えた。とんでもない大相撲の堕落

である。厳重に、相撲協会に文句を言いたい。八角理事長よ、

もっと相撲取りの教育に全力をつくせ。武士道を体現しない

モンゴル力士ばかりになると、大相撲は間違いなく閑古鳥が

鳴くぞ。

 

平成29年3月27日(月)

籠池は生まれつきの詐欺師である。

 

籠池という男、もって生まれた天性の詐欺師である。

当人には、詐欺をしているという意識がないのである。

自分がサギやペテンで、人をだましているという意識

がまったくない。だから天性の詐欺師というのである。

籠池のような天性の詐欺師には素人は、簡単に引っか

かる。籠池からみると赤子の手をひねるようなものだ。

 

安倍さんも、夫人も、籠池の術中にはまったのである。

とくに、お嬢さん育ちで、人のよい昭恵夫人は、まん

まと騙されたのである。籠池の詐欺師ぶりを見破るの

よほどの人間でないと無理である。テレビを見た多く

の国民も、今でもなお、騙され続けている。

 

国会議員はもとより、テレビの司会者やコメンテーター

などの頭の悪い電波芸者は、すっかり騙されている。

ゴジラ先生も、一時、騙されかかったが、籠池の本性を

見破った。籠池なんぞに騙されたのでは、ゴジラ先生を

やっている資格はない。

 

いずれにしても、世の中には、籠池のような天才的な

詐欺師がいることに注意せよと言いたい。この男には

悪事を働いている意識がまったくない。人を騙してい

る観念がない。普通の人間がもっている良心というも

のがない。だから、顔色を変えず、当たり前の顔をし

て、詐欺を働くのである。当然、善人は、真っ先に

騙される。それが安倍総理と夫人だった。

 

平成29年3月24日(金)

カゴイケ劇場。

籠池に始まり籠池に終った。

 

籠池という男、天性の詐欺師か、ただの鉄面皮か。

昨日の証人喚問、籠池の圧勝だ。圧倒的な優勢勝ちである。

国会議員を圧していた。どいつもこいつも下手くそな質問

ばかりで、まったく籠池は動じなかった。悠々たる態度、

満々たる自信で、議員を圧倒した。

 

証人喚問には大きな問題がある。肝心かなめのところは

「刑事訴追を受けるので解答を控えさせていただきます」

と言えば、追求はそれで頓挫する。昨日も、肝心な点 は、

この切札を使って、籠池は悠々と逃げた。究極のところで

逃げることができる刑事訴追制度は大問題である。

 

証人喚問における刑事訴追制度 をやめることだ。逆に、

刑事訴追しないから、自由に話してくれ、なんでも喋って

くれ と言ったら、ペラペラと喋らせ、真相に迫ることがで

きるだろう。肝心な点を喋らなくていい、この制度はおか

しいと思わないのか、国会議員諸君よ。

 

平成29年3月23日(木)

国会もマスコミも天下国家を論じろ!

いつまで重箱のスミをつついているのだ。

 

国会も、マスコミも、籠池だの、豊洲だのと重箱のスミを

つつく議論ばかりを、連日、取り上げて、大騒ぎしている。

いいかげんにしろと言いたい。今、論ずべきは、北朝鮮の

核ミサイルであり、中国の危険で、横柄で、傲慢無礼な拡

張主義である。中国の軍拡は留まるところを知らない。

 

北朝鮮の核ミサイルが皇居を直撃したらどうするのだ。

天皇・皇后両陛下が爆死したらなんとする。皇統2500

年の歴史と伝統になんといってお詫び申し上げるのだ。

皇居には、核ミサイルに耐える避難壕はあるのか。

一時的に皇居から退避する、第二、第三の退避壕を備え

た皇居を用意してあるのか。

 

今、国民も、マスコミも、政治家も、すべての日本人が真

剣に取り組むべきテーマは、防衛問題である。日本をいか

に防衛するかである。戦後70年間、アホの一つ覚えのよ

うに唱えてきた専守防衛論は破綻しているのだ。専守防衛、

すなわち、もっぱら守るなどいうのは空論である。専守防

衛論は、無抵抗主義と同義語である。ひたすら、頭を抱え

て、うずくまって、攻撃に耐えるというのか。反撃という

攻撃はしないのか。攻撃は禁止なのか。バカは死ななきゃ

直らないとは、専守防衛論を奉じている政府と自衛隊だ。

 

攻撃は最大の防御である。防御のみでは、攻撃を防ぐこと

はできない。攻撃があってこその防御である。そのためには、

先制攻撃戦略こそが、最大の防衛政策である。北朝鮮や中国

を先制攻撃できる兵器を準備せよ。北京と平壌に照準を合せ

た弾道ミサイル、潜水艦発射ミサイル、大型爆撃機、戦闘攻

撃機など、攻撃型の兵器の配備に取りかかれ。遅くとて3年

以内に、攻撃型戦略に転換し、そのための準備を完了すべし。

 

平成29年3月21日(火)

百条委員会、あまりにも質問が下手だ

 

腐っても鯛だ。石原慎太郎の優勢勝ちである。石原

を追求できなかった理由は簡単である。どの議員も

ディベート力がまったくないからである。とくに

尋問力、質問力がまるでなっていない。あれでは

石原のような海千山千の人間を追求するのは無理だ。

 

ゴジラ先生は、昭和55年(1980年)から、

36年間、ディベートを研究してきた。その後、日本

ディベート研究協会を立ち上げ、多くの人に、ディベ

ート技術を教えてきた。今も現役で教えている。

ディベートは、無数の実践体験がなければ、相手が

窮するような質問、尋問はできない。

 

昨日の百条委員会での追求が不発に終ったのは、質問

する都議がディベート技術をもっていないからである。

どいつも、こいつも、まったくの素人であった。本来

政治家にとって、ディベート技術は必須のものである。

しかし、国会議員から地方議員まで、ディベート技術

をまったく勉強していない。その結果、昨日のような

無残な結果になるのは予想通りである。

 

それにしても、過去をいくら追求しても、「記憶にない」

というのは当たり前である。1分前のことも覚えていな

い84歳のジイサンが10年や20年も前のことを覚え

ているはずがない。こういう記憶合戦のようなことは

不毛の時間の浪費である。だいいち、過去を暴き出し

て、何の意味がある。人間にとって、過去は大切である。

しかし、いつまで過去にとらわれては、前に進めない。

 

豊洲移転は、当時の関係者が、みんなで、寄ってたかって

決めたのである。それが日本的意思決定のメカニズムである。

石原慎太郎を責任をいくら追求しても何もでてこない。過去

をいくら悔やんでも生産的でない。大切なことは未来だ。豊

洲をどうするのか、早急に結論をだせ。小池さんも、いたず

らに判断を先伸ばしてはならない。小池さんへのブーメラン

として跳ね返ってくるだろう。

 

平成29年3月16日(木)

朝鮮半島とは断絶せよ

 

金輪際(こんりんざい)、朝鮮半島すなわち北朝鮮と

南朝鮮(韓国)と、一切、関わらないことである。

これは日本の国是、外交原則としてもらいたい。過去

百年以上、朝鮮半島と付き合って、何の益もなく、

いつも苦杯を飲まされ続けたからである。

 

朝鮮民族と日本民族とは、まったく異質の民族である。

女大統領・朴槿惠に対する韓国人の行動をみれば、よ

く分るはずだ。朝鮮民族の思考や行動様式は、日本人

には理解不能である。エイリアンだと思ったらいい。

同じような顔しているから、話せば分ると、百年間

錯覚してきたのである。韓国幻想から目覚める時である。

 

西郷隆盛の征韓論も、西郷の善意から出たものだった。

しかし、当時、西郷が韓国と交渉しても、西郷の善意は

通用しなかっただろう。盟友・大久保利通は、西郷の善

意は、日本国家を危殆に陥れると、征韓論に反対したの

である。

 

しかるに、大久保なき後、日本は韓国救済という善意

にもとづいて、日韓併合を行なった。この善意は大失

敗だった。昭和20年の敗戦後の、韓国への援助や肩

入れも失敗だった。ところが、最近、岸田という善意

な外務大臣は、過去の大失敗から、まったく学ばず、

「韓国とは価値観を共有する友好国」などという寝言を

言っている。

 

今、日本に必要なことは、このノーテンキな外務大臣

をクビにすることである。こういうお人好しが、外務

大臣では、国を誤る。そういう意味では、このノーテ

ンキ大臣は、日本を危険さらす、危険人物である。

 

平成29年3月15日(水)

侍ジャパン、

でかした、でかした!

 

侍ジャパンの快進撃がつづいている。ゴジラ先生の

気分も最高だ。日本人全員を元気にし、GDPにも

プラスである。人間というものは、気分がよいと、

モノを買いたくなり、国全体の消費は上がる。

 

実をいうと、昨夜、菅野が打ち込まれた場面で、

テレビを消して寝た。あの状態を見続けると、興奮

して寝られなくなるからだ。野球によらず、スポー

ツに熱中すると、神経が高ぶって、寝られない。

結果、翌日の活動に悪影響がでる。

 

今回のWBCも、日本の形勢が悪化し、負け始めると、

テレビを消して寝ることにしている。心の中でこう決め

ている。「これで終わり、とりあえず敗戦だ。ただ明朝

新聞を見て、勝っておれば、万々歳!」と決めて、野球

のことを、一切、頭から消し去って、寝るのである。

そうすると、頭がリセットでき、よく寝ることができる。

 

ということで、今朝も、気分よくめがさめた。そして、

「負けてもともとと、勝っていればバンザイ」と、テレビ

をつけると、侍ジャパンの勝利というニュースが飛びこ

んできた。結果、気分は最高となる。この睡眠方式は、

寝不足になる心配がなく、神経も高ぶらず、気持よく朝

を迎えられる。野球で興奮している人にぜひともお薦め

したい。

 

平成29年3月14日(火)

小池百合子さん、気をつけなさい

潮目が変わりつつある

 

豊洲移転問題で、小池百合子に吹いていた風が逆風に

なる可能性がでてきた。海の潮目が変わりつつあるのだ。

その原因は、袋叩きにした石原慎太郎の逆襲である。

腐っても鯛である。今なお強力な反撃力がある。その上

昔からの石原フアンが大勢いる。戦後を代表する知識人

であり、政治家である。

 

小池百合子よ、安易な石原叩きは止めた方がいい。ブー

メランのように、小池百合子を襲う可能性がある。その

最大の理由が、豊洲移転への遅れである。石原慎太郎の

言うように、店晒しにし、無作のままでいると、無作為

の責任を問われることになる。

 

小池百合子よ、すみやかに豊洲移転の明確な計画を発表

せよ。一日遅れるたびに、小池百合子の知事としての能

力を疑われることになる。作戦要務令の第10にはこう

書いてある。

 

「成さざると遅疑するとは、指揮官の最も戒しむべきとこ

ろとす、これこの軍隊を危殆に陥らしめること、その方法

を誤るよりも、さらに甚だしきものあればなり」

 

今、小池百合子の行動は、作戦要務令第10の通りである。

世論や、世の中の空気や、状況の変化を、的確につかんで、

決断を下さねばならない。それが指揮官たるものである。

最近の小池百合子のカンは、鈍っているのではないか。

権力を獲得した者が、失敗する原因である。小池百合子よ

心せよ。大衆の心なんてものは、うたかたの泡のように

浮かんでは消える、移ろいやすいものだ。

 

平成29年3月13日(月)

テレビ局よ、

お前達はいつから神になったのか

 

森友学園問題、重大なので、ふたたび警鐘を鳴らしたい。

籠池氏が裁判で有罪判決を受けたのなら、彼を袋叩きに

するのもいいだろう。しかし、籠池氏は犯罪者ではないし、

容疑者でもない。なのに、籠池氏を袋叩きするマスゴミの

行動は大変危険である。

 

マスゴミはいつから検事か、裁判官になったのか。疑わし

きは罰せずが、民主主義の根本原理である。籠池氏が、

逮捕されたとしても、有罪判決がでるまでは、基本的人権

は尊重されねばならない。日本は韓国や北朝鮮やシナではない。

 

マスゴミによる異常な袋叩き、論理や理性を踏み倒す狂乱は、

情緒法が支配する韓国とそっくり同じである。デタラメなコ

メントを言い、憶測や推測で、勝手気ままに、非難している

テレビマスゴミは、おのれの行動を恥よ。

 

悪質番組を批判する審査会があるように、今回のような籠池

問題で熱狂し、嘘をまき散らすテレビ番組を弾劾し、撤回さ

せる「テレビ番組審査会」を立ち上げることを提言したい。

善良なる市民が、ある日、突然、テレビ局によって袋叩きさ

れ、基本的人権を破壊されることを防ぐためである。

 

平成29年3月10日(金)

籠池氏に対するマスゴミの行動は、

人民裁判か、シナの文化大革命だ

 

森友学園に押し寄せるマスゴミの連中をみると、人民裁判

に歓喜する愚かな民衆を彷彿とさせる。籠池理事長を取り

囲み、口々に喋っている姿をみると、小学生以下の野次馬

である。理性も、良心も、倫理観念もゼロである。外国の

暴動事件で、商店のガラスを割りまくる連中と同じである。

日本人が礼儀正しいというのは大嘘である。

 

テレビもまったく同じである。狂乱するテレビ局の体質こそ

放送倫理上の問題として、きびしく弾劾されねばならない。

ある日、善良なる市民が、テレビによって、極悪人と断定

され、人民裁判で、激しく断罪される恐れがあるのだ。

今、籠池氏は、マスゴミによって人民裁判にかけられている。

あのテレビの光景をみて、喜んでいる国民が、無数にいると

思うと日本人の良心というやつも怪しいものである。

 

シナ・チャンコロ国の文化大革命と同じである。日本は

デモクラシー国家である。人間の基本的権利を守るのが

マスコミであるのに、籠池氏の人権を無視し、プライバ

シー蹂躙し、袋叩きにしている。

 

テレビ局の司会者やコメンテーターと称する電波芸者が、

籠池氏を非難し、煽り立て、上から目線で、神になった

ごとく、袋叩きしている。まさにマス生ゴミである。

狂乱する、狂気のごときマスゴミを見ていると、韓国で

朴槿惠の弾劾に狂乱する愚かな民衆と同じである。日本

人も、とうとう朝鮮民族と同じに成り果てた。情けない

ものである。

 

平成29年3月9日(木)

韓国も、少しはシナ国の本質が分ったか

 

THAADの韓国配備で、シナ国が、韓国製品とくに

ロッテを排撃している。韓国への配備は、北朝鮮のミ

サイルの脅威に対抗するための当然の措置である。国

家の防衛のために、何をしようと、その国家の主権で

ある。他国からとやかく言われる筋合はない。

 

シナ・チャンコロ国とは、こういう無茶苦茶な国家である。

他国への尊敬はゼロで、傲慢無礼を絵に描いたような国だ。

ゴジラ先生が、シナ・チャンコロ国と呼ぶのは、この国が

狂気の国家だからだ。「中国」などと言うのは、言語道断

である。こういう中華帝国・軍国主義国家には、シナ・

チャンコロ国と呼んで、最大限の侮蔑をすることである。

 

韓国も、ようやくシナ・チャンコロ国の本質が分かって

きただろう。朴槿惠女大統領は、シナ・チャンコロ国に、

すり寄り、媚びを売ってきたが、大失敗だった。シナ・

チャンコロ国は、韓国を柵封体制下の保護国ぐらいにし

か考えていない。属国と思っているだろう。

 

しかし、それでもなお、韓国を信用できない。シナ・チ

ャンコロ国への従属心は、一千年の歴史があるからだ。

南北の朝鮮民族には、シナ国へのポチ根性が染みついて

いる。シナ国へ尻尾を振って、媚びるのは、朝鮮民族

の悲しい性である。朝鮮半島の哀れな歴史である。

 

平成29年3月8日(水)

森友学園問題、日本もとうとう他者を

袋叩きにする朝鮮半島文化になったのか

 

森友学園は教育勅語を教えている素晴らしい学校である。

日本の歴史と伝統を教える学校である。ゴジラ先生は、

学校の建設に伴う問題には関心がない。注目するのは、

ユニークで独創的な教育方針である。こういう独創的な

学校があってもいい。

 

なのに、コメンテーターと称する電波芸者どもが、鬼の

クビをとったように、森友学園を非難している。お前達

に森友学園を非難する資格があるのか。お前達は聖人君

子なのか。人を非難する前に、おのれ自身をふり返るこ

とである。

 

聖書の中にはこんな話がある。姦淫したという女が、

イエスの前に引き据えられ、この女を石で打てと、大勢が

叫んだ。その時、イエス・キリストは、「君たちの中で

罪を犯したことのない者が、まず石で打て」と静かに言った。

そうすると、群衆は一人去り、二人去り、誰もいなくなった。

 

最近の日本は朝鮮半島のような文化になった。人を非難し

袋叩きする。寄ってたかって、ごうごうたる非難を浴びせる。

昨日も言ったが、日本は、惻隠の情という高貴な武士道文化

の国である。朝鮮半島のようにドブに落ちた犬を叩く外道文

化ではない。日本人よ、武士たれ、高貴たれ、外道に陥るな。

 

平成29年3月7日(火)

電波芸者が踊る

 

石原慎太郎の記者会見について、政治評論家やコメンテー

ターと称する「電波芸者」が、得意気に、そして、したり顔

で非難していた。とくに、鈴木哲夫とかいう電波芸者は酷

いものである。こんな奴が政治評論家とは、よほど政治評

論という世界は低級・低劣なのであろう。

 

大物政治家を「知っている」「取材した」「関係がある」などと匂

わせ、さも情報を握っていると、思わせぶりに喋る。まさに

「講釈師、見てきたような嘘を言い」の典型的な奴である。

許せないのは、一つか、せいぜい二つ、三つの事例でもって、

真理のごとく、普遍化するのである。これはマスコミ人として、

致命的な過ちである。絶対にやってはならぬことである。

 

昨日も書いたが、石原慎太郎を追求して何が得られるのだ。

電波芸者どもが、醜いのは、石原慎太郎という落ちた偶像を

叩くことである。日本には武士道文化がある。惻隠の情が

ある。落ちた者を叩くのは朝鮮半島の文化である。テレビ

の司会者やコメンテーターと称する電波芸者は、とうとう

朝鮮人に成り果てたか。情けない連中だ。

 

ゴジラ先生は、小池百合子フアンだが、豊洲移転に関しては

早く決断しなければならない。先のばしする意味がない。

先のばしにして、風評被害をまき散らしたのは、結局、小池

百合子ということになる。政治は結果責任である。石原慎太

郎のリーダーとしての結果責任を問うならば、小池百合子の

都知事としての不作為の責任もきびしく問われることになる。

 

科学の専門家が大丈夫と判断しているのに、小池さんが素人

判断で、ウケを狙って、先のばしにしたと非難されるだろう。

もはや、決断の時である。豊洲移転を直ちに実行することを

提言する。百合子ちゃん、ケツをまくれ、女の決断の時だ。

 

平成29年3月6日(月)

腐っても鯛だ、石原慎太郎

 

ゴジラ先生は、小池百合子のフアンである。石原慎太郎

については、半世紀以上、熱烈に支持してきたが、昨年

から、石原慎太郎への長年の支持をやめた。理由は二つ

である。第一は、金権田中角栄を褒めはじめたからである。

石原慎太郎の思想と哲学は、金権田中に対する闘争の歴史

だった。それを放棄したら、もはや石原慎太郎は死んだも

同然である。

 

第二は、ドラ息子・石原伸晃、可愛さのあまり、判断を

誤ったからである。闇政治家のドン内田と石原伸晃と自

民党を支持し、小池百合子を非難した。石原慎太郎も、

老いたものだ。自民党の責任と闇政治が見えなくなった。

天下の情勢を読めなくなった。石原、老いたり。

 

しかし、石原慎太郎も、腐っても鯛である。3月3日の

記者会見だ。記者がよってたかって、石原を攻撃したが、

石原の防衛勝ちである。開き直って、死をも覚悟した人

間の強さである。ケツの青い、ニイチャン、ネエチャン

記者では、能力不足で、攻めきれない。石原慎太郎は、

やはり戦後の代表する天才の一人である。晩節を汚したが、

この人間の果たした功績を忘れてはならないだろう。

 

小池百合子さんに忠告したい。潮目が変わりつつある。

圧倒的な小池有利が不利に傾く危険がある。豊洲移転問

題で、 決断を先のばししていると、一気に、小池百合子

不利に なる。石原慎太郎が激しく批判したように、 科学

の専門家が移転に賛成しているのに、なぜ、移転し ない

のか、小池百合子の不作為の責任は、これから問題 にな

るだろう。下手に決断を先のばしすると、火の粉が、逆に

小池百合子にふりかかってくる。

 

石原慎太郎の過去の責任をいくら追求しても、何も出て

来ない。今、必要なことは、今後のことだ。未来のことだ。

テレビの評論家やコメンテーターと称するアホ達が、得意

気に石原慎太郎を非難していたが、豊洲移転の風評被害を

まき散らしたのは、テレビや新聞ではないか。おのれの責

任にほっかむりして、人を非難するのは、人間として、最

も醜いことである。ゆえに、小池さんも、あまり石原慎太

郎を非難するのはやめた方がいい。もっと大局的な観点か

ら、石原慎太郎非難を止めれば、さすが小池ということに

なる。人の過ちを許すことが、人間を大きく成長させる。

 

平成29年3月2日(木)

「無慈悲」という言葉があるが、

この言葉を北朝鮮の金正恩とかいう

デブ野郎に呈したい。

 

金正恩というデブ男、世の中には、こんなにも無慈悲

な奴がいるのかと、驚き、あきれる他はない。暗殺さ

れた金正男は、なんとなく憎めない奴だった。愛嬌が

あり、取材にもきさくに応じていた。北朝鮮で生きる

には、あまりにも、人が好すぎたのだ。

 

ディズニーランドが好きで、家族と一緒に入国した

ところを捕まって、本国へ送還された。あの時の

外務大臣が田中真紀子だった。拉致被害者と交換

できる千載一遇のチャンスだった。こういうのを

万死に値するというのだ。何万回、死んでも、田中

真紀子の罪はぬぐえない。

 

ディズニーランドに行こうとして捕まるとは、ご

愛嬌である。金正男には政治的な野心はない。

それゆえに、北朝鮮と取引する絶好の機会だった。

みすみす逃がした田中真紀子という女がいかにバカ

かを証明した事件だった。外務大臣どころか政治家

として失格である。

 

兄を殺した金正恩はいずれ地獄へ行くだろう。地獄

で、ありとあらゆる責め苦を負うだろう。この事件

で 金正恩の運命が定まったのではないか。この政権、

あっさりと瓦解する可能性がある。中国が、本格的

に金正恩の排除に動き出すだろう。北朝鮮を生かさず

殺さず、生殺しで、温存するのが中国の方針である。

しかし、デブ金は中国という虎の尾を踏んだ。デブ

金の運命も決まったようだ。あるいは、民衆が蜂起

して、ムッソリーニのように 逆さつりにして、殺され

るだろう。

 

平成29年3月1日(水)

刑期にもディスカウントがあるのか

 

女性タレントをめった刺しにした男の判決が14年

6カ月だとさ。求刑が17年だった。この刑を下し

たアホ裁判官に糺したい。

第一、17年の求刑を、2年6カ月ディスカウント

した理由はなんぞや?

第二、判決14年6カ月の「6カ月」とはなんぞや?

 

こういう世間知らずのアホ・バカ裁判官が結構多い。

この男には、遺族の怒り、悲しみ、世間の憤激や

正義の怒りというものが、まったく分からないらしい。

こういう常識が欠落した奴を裁判官にするのは大変な

間違いだ。六法全書しか知らぬアホである。このアホ

裁判官を、即刻、クビにせよ。こういう奴は不要だ。

 

検察の 求刑17年でも少なすぎる。検察が17年を

求刑 したら、裁判官は20年、30年、場合によっては、

死刑判決を下すのが、誠実な裁判官である。14年6カ月

にした、この裁判官の頭の中味をみたいものである。

ゴジラ先生が、家 族だったら、法廷で、この裁判官を

徹底的に罵倒してやる。

 

「テメエ、ふざけんな。テメエの娘が34個所も刺されたら

どうするのだ。テメエには人間としての血が通っているのか。

テメエは人間じゃネエ、犬畜生にも劣る外道だ。テメエは

死ぬとき、苦しんで死ぬだろうよ。天国どころか、地獄で

閻魔様に、徹底的にいたぶられるだろうよ。その時が楽しみだ」