英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

■今月の主張■

「平昌オリンピックをボイコットすべし」

 

慰安婦像を全世界に拡散させ、日本を貶めることに狂奔する韓国に、断固たる鉄槌を下せ。

慰安婦像を止めさせるには、国交断絶を含む、強烈な一撃を食らわすしかない。

 

韓国人、朝鮮民族には良心や道徳心というものは存在しない。

慰安婦とは売春婦である。恥ずべき職業である。その売春婦の像を建てまくる韓国人は

人間でない。外道、餓鬼道に堕ちた民族である。北朝鮮の金正恩と共に、世界でもっと

も恥知らずな民族である。恥知らずな民族とは断絶せよ。

 

まずは平昌(へいしょう)オリンピックをボイコットせよ。

韓国人にガツンと一発かませろ。 日本を舐めるな韓国人、甘えるな韓国人!

 

■今月の主張その2■

白鵬の勝利至上主義を排す!

 

1057勝か58勝かしらないが、あの時の白鵬の顔を見たか。

下品極まりない顔と態度である。 あれが横綱の顔か。

まして手を高々と上げるなど言語道断だ。 品格のかけらもない男だ。

朝青龍以来、大相撲は勝利至上主義に堕した。

 

大相撲は勝つことが目的ではない。正々堂々たる勝負が目的である。

ここに決定的な違いがある。正々堂々たる勝負こそが大相撲の神髄

である。白鵬もマスコミも、この肝心な点を理解していない。

決定的に誤解している。勝利は、正々堂々たる勝負の結果として

得られるものである。それが日本伝統の大相撲である。

 

勝つことのみを目的とするから、汚い手が多発するのだ。横綱が

張り手を使う。だめ押しをする。今、大相撲は変質した。日本古来

の大相撲道が失われつつある。大相撲の危機である。

 

白鵬を礼賛するマスコミの態度は、情けないのきわみである。

マスコミも、国民も、大相撲の意味を分かっていない。

だから白鵬をもてはやす。だから、この男は、余計に傲慢無礼な

振る舞いをするのだ。

 

白鵬に対して大相撲道の神髄を教えろ。従わない時は横綱を剥奪しろ。

今こそ、大相撲を武士道の原点に返す運動をしないと、大相撲は勝利

至上主義に堕した汚いショーなるだろう。

 

白鵬は横綱失格である。 勝つことが横綱ではない。

正々堂々とした「受けて立つ」相撲の結果、勝つのが

横綱である。勝利至上主義を排す。

 

第一、「品格、力量、抜群につき横綱に推挙す」

   これが明治神宮での横綱推挙式における言葉である。

   とくに品格がきわめて重要である。力量だけでは横綱失格である。

   白鵬には品格が決定的に欠落している。ゆえに横綱失格である。

 

第二、白鵬の面をみろ。感情むき出しである。あまりもに品格がない。

   双葉山、大鵬、千代の富士、貴乃花、みんな淡々として勝負に望んだ。

   横綱が感情を表にだしてはならない。能面こそが日本の伝統である。

 

第三、横綱が張り手をするな。大相撲はプロレスではない。

   まして下位の力士を張り倒すとは言語道断である。横綱の張手は禁じ手だ。

   横綱は、いかなる時も、受けて立つのである。自分から張り倒すとは

   最悪、最低の横綱である。

   

第四、ダメ押しをする。倒した相手に手を差し伸べ、いたわる精神がない。

   賞金を受け取る瞬間のなんとも品のない顔。すべて下品な横綱である。

 

第五、昨年は怪我と衰えで優勝から遠ざかっていた。日本人力士ならば、

   いさぎよく引退している。出稼ぎ根性で、勝つことばかりにこだわっている。

   勝てばいいのではない。後進に道を譲るという日本の伝統の美学がない。

 

第六、武士道精神が決定的に欠落している。

   @品性と品格、Aいさぎよさ、B敵に塩を送る惻隠の情

 

この男、勝つことばかりを横綱だと誤解している。たしかに全盛期には、勝つことが

条件である。しかし、ある年数を経ると、後進に道を譲ることで、次代の力士が育つ

ように振る舞うのが横綱である。双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花は、

たった数回の敗戦で引退した。いさぎよさである。大相撲は優れて武士道精神を

体現したものである。武士道精神が分らぬ、白鵬は横綱失格である。

白鵬が勝てば勝つほど、日本人はしらけてくる。この空気を読めないのも

この男のダメな点である。1057勝の達成だと、アホか、冗談は顔だけにしろ。

 

平成29年7月28日(金)

稲田の辞任は惜しいネ。

蓮舫の辞任はめでたいネ。

 

稲田さんは筋金入りの保守政治家である。竹島問題の時、

佐藤正久と新藤義孝の三人の議員で竹島上陸をめざした。

しかし、ソウルで韓国側に阻止され、やむをえず帰国した。

この時のことを鮮明に覚えている。ゴジラ先生は、その行動

に拍手喝采した。自民党の腰抜け議員ばかりの中で、稲田

さんは度胸と根性がある政治家である。

 

愛国心に富んだ勇気ある政治家である。将来性のある人な

どで、捲土重来を期してもらいたい。もともと安部さんが

防衛大臣に任命したのが間違いである。防衛大臣は、総理

大臣のもと、外務大臣とならぶ二大閣僚である。アメリカ

のマチス長官のように、軍事の専門家を任命しなければな

らない。複雑な軍事情勢や日進月歩する軍事技術に素人は

無理である。

 

蓮舫がやめるそうだ。めでたい、めでたい、拍手をしてや

ろう。遅きに失したが、辞めることそれ自体が、民進党に

とって良いことだ。この女では、しょせん、代表など無理

である。荷が重すぎる。蓮舫とは偏差値の低い丸川珠代で

ある。すなわち頭の悪い丸川珠代である。両人とも、喋る

機械である。説得力はゼロである。

 

民進党には、保守思想をもった優秀な人材がいる。前原誠司

玄番光一郎、渡辺周、松原仁、離党したが長島昭久などである。

民進党は左翼を切り捨てることである。左翼がくっついている

かぎり、政権をとるのは不可能である。アメリカの共和党

と民主党のように、自民党と民進党として存在するのだ。

左翼は古すぎる。日本を愛する党としての自民党と民主党

であって、伝統保守か、リベラル保守かである。

 

平成29年7月27日(木)

いいかげんにしろ、稲田叩き。

 

今、国会も、マスコミもポピリズムの狂気に陥っている。

先陣は、森友学園の籠池一色であった。それが下火になると、

豊田ハゲ発言一色となり、安部と加計叩き一色となり、そし

て、芸能人の松居一代一色となった。よくぞ次々と問題を

持ち出すものだとあきれ果てる。

 

これらが一段落すると、以前から、叩かれている稲田大臣を

再び叩く。本日のテレビも週刊誌も、稲田叩き一色である。

これでもか、これでもかという報道である。

 

籠池泰典のような奴は、韓国人のツラに熱湯、カエルのツラ

にションベンだが、稲田大臣のように、普通の神経をもって

いる人間には地獄だろう。

 

今、東アジアは危機的状況にある。稲田叩きなどしている

時間はない。北朝鮮の核ミサイルにどのように対処するのか。

先制攻撃するのか、座して死を待つのか。日本人の覚悟が

求められている。

 

戦後70年の平和は終った。日米安保の上にあぐらをかいて

きたが、安保条約では北朝鮮の核攻撃から日本を守ることが

できない。日本は日本としてどうするか、戦略、戦術、作戦

を練る時がきた。戦後70年、日本人は瀬戸際における決断

の時がきたのである。

 

平成29年7月26日(水)

故・大滝秀治曰く

「国会の議論はつまらん!」

 

国会討論を見た。相変わらず、人の揚げ足をとる議論で終始している。

とくに蓮舫と共産党の小池である。この二人の討論は品性も品格もない。

人の揚げ足をとることが目的である。政治上の、大義や思想や哲学がない

から、テーマが矮小なものになり、他人の誹謗中傷になる。

 

まず蓮舫だが、この女のツラをみると反吐がである。この女を形容すると

干からびたイワシである。ノドに筋を立てて、顔を引きつらせて相手を責

めたてる。しかし、中味がまったくない。喋る機械である。その上、小池

百合子のような年増の色気や情緒がまるでない。あれではまったく説得力

がない。見る者、聞く者に、感動も感銘も、あたえない。ゴジラ先生は、

蓮舫は偏差値の低い丸川珠代と定義している。頭の悪い丸川珠代である。

 

丸川珠代は権力者のスピーカーか、代弁者である。頼まれればどこにでも

首をだして喋る。この女には、恥という概念がないらしい。思想と哲学も

ない。やはりアナウンサー上がりで、シナリオ通りのことしか話せない。

能面のようなツラをして、機械のように口が動く。お喋りロボットである。

 

共産党の小池とかいう奴、こいつも最低最悪である。えらそうに鬼の

クビをとったごとく、責めたてる。自分の意見が通らないと、議論を

中止し、大声で、「ダメだ、ダメだ」を乱発する。自分は正義の味方の

ごとく、人の揚げ足ばかり取る。女蓮舫というところだ。

 

名優・故大滝秀治の弁を借りると、「国会の議論はつまらん」である。

この言葉につきる。大臣の揚げ足をとり、姑息な手段で、引きずりおろす

話ばかりである。国会は、シナを論じろ。北朝鮮を論じろ、韓国の慰安

婦問題を徹底討論せよ。生産性の高い討論をせよ。税金のムダ使いを止めろ。

 

平成29年7月20日(木)

「慰安婦記念日」だとさ

サウスコリア(韓国)につける薬はない。

 

本日の産経新聞によると、サウスコリア(韓国)の文在寅大統領が、

慰安婦記念日を設けるそうだ。ブンザイトラ(文在寅)よ、そこま

でやるか。そこまで日本を侮辱し貶めるか。朝鮮人にはつける薬はない。

バカは死ななきゃ直らない。とうとうサウスコリアと、国交断絶を決断

する時がきた。われわれ日本人も、覚悟を決める時だ。

 

韓国からの侮辱には、堪忍袋の緒が切れた。断固たる制裁を行なう

時である。経済、軍事、文化、あらゆる制裁を発動せよ。安部さん、

国交断絶の覚悟を決めろ。韓国と国交断絶すれば、日本人は拍手喝采し、

支持率はぐんと跳ね上がるだろう。安部さん、即刻、やるべし。

 

戦後70年、日本政府の甘すぎる対応が、今日の惨状を招いたのである。

今後とも、韓国は、世界中に慰安婦像を建てまくり、日本を誹謗中傷し、

貶め続けるだろう。韓国に良心を期待するのは、太陽が西から昇ることを

期待するようなものである。

 

解決策はただ一つ、国交断絶である。甘すぎる対応をし続けたゆえに

甘やかせ、舐められたのである。国交を断絶すれば、韓国も少しは、

気がつくだろう。しかし、気がついた時は遅すぎる。韓国に制裁を加えて、

締め上げることだ。日本を舐めると、大火傷をすると、教えてやることだ。

 

平成29年7月19日(水)

日野原重明先生のご冥福をお祈りします。

 

日野原先生は、保守派であり、天皇を尊崇していた。昭和20年

志願して、帝国海軍の軍医少尉と なった。その研修のために入学

した病院や学校が、ゴジラ 先生の横浜戸塚区の住まいの近くにある。

 

その病院が「旧海軍病院」(現国立医療センター)であり,学校が、

併設されていた「海軍軍医学校戸恤ェ校」と「戸塚海軍衛生学校」で

ある。ここで、軍医少尉と して研修を受けた。この旧海軍病院は、

平成になって建てかえら れて、国立医療センターという近代的な

病院になった。その敷地 の中に、海軍衛生学校の跡を記念する碑

がひっそりと建っている。 病院職員のための寮の裏庭にあるので

ほとんどの人は知らない。 病院の医者や看護婦でも知らないだろう。

 

ゴジラ先生がなぜ知っているというと、国立医療センターの敷地

は、散歩コースだからである。海軍病院の跡だから、敷地は広大

である。早朝散歩に最適である。その散歩中に偶然、その碑を

見つけた。何か碑らしきものが建っていたので、なんだろうと、

近寄って、碑文を読んで、分ったのである。日野原先生の経歴は

以前から、知っていたので、碑文と日野原先生の関係を理解した。

 

日野原先生はクリスチャンであるが、愛国者でもあるのだ。

「いつも目を覚ましておきなさい」という聖書の中の一節を、しば

しば語っていた。いつも目を覚ましておかないと、@泥棒にものを

取られる、Aイエスキリストがきた時、寝ていると気がつかない

ではないかと、この二つのことを意味している。

※「いつも目を覚ましておきなさい」という一節は、マタイ伝第24章42節

 マルコ伝第13章33節などにある。

 

これは危機管理の原則を言っているのである。この聖書の一節に

もとづいて、聖路加病院は、平素から危機管理の医療体制を整えていた。

だから、サリン事件の時、だだちに病院の総力をあげて対応できたのである。

日野原先生の偉大さを証明する事績である。日野原先生のご冥福を心より

お祈り申し上げます。

 

 

平成29年7月18日(火)

いいかげんにしろ!

いつまで松居と船越を放送しているのだ!

 

テレビ局が、かくも阿呆人間の集まりだったとは、あきれ果てる。

毎日、毎日、連日のごとく、アホの一つ覚えのように、松居と船

越のことばかり放送している。テレビ局とはアホ、バカ、マヌケ

の集まりか。良心のある人間や、賢人はいないのか。

 

それにしても、テレビ局の人間は、自分たちがやっていることに

疑問を抱かないのか。出演しているバカタレントも、出演料さえ

もらえるならば、犬畜生にも劣ることをやる。こいつらには良心も、

道徳心も、倫理観念もない。犬畜生どころか、それ以下である。

腐肉にたかるハイエナか、ハゲワシである。

 

優れた企画マンが、テレビ局にはいないのだろう。あまりにも

企画が貧困である。各局とも、同じ企画を放送するということは

全テレビ界に、アイデアマンや、イノベーションを起こす人材

が枯渇しているのである。狭い世界なので、同じ企画、同じ番組

のオンパレードになる。

 

外部から良い血をいれて、刷新しないと、テレビ局は、視聴者

から飽きられ、見離される。まともな大人なら、松居や船越を

絶対に見ない。大人は、倉本聰の「やすらぎの郷」をみる。

あれは最近の大ヒット作品である。心がやすらぐ番組である。

 

テレビ界に、大人の鑑賞に耐える番組を望むのは、韓国に反日を

止めることを望むようなものだ。北朝鮮にミサイルを止めること

を望むようなものである。

テレビ界と朝鮮民族、バカは死ななきゃ直らない。

 

平成29年7月14日(金)

外道に堕ちたテレビ局

 

豊田が終ったと思ったら、今度は松居と船越であるもはや

テレビは異常な空間である。しかも、この異常さに気がついて

いないことが、さらに異常である。テレビ局は、頭の狂ったデ

ィレクーターやプロデューサーばかりになったようだ。

 

テレビ局から良心というものが消えた。視聴率さえとれれば

良い、おもしろければ良い、興味本位の番組作りに狂奔している。

安倍叩きも、その一貫である。ポピュリズムの煽動はテレビ局が

率先してやっている。

 

国民の大多数は軽佻浮薄である。野次馬根性をもっているのが

庶民というものである。国民は賢いというのは幻想である。興味

本位で、右顧左眄するのが国民である。いつの世も、権力者と

マスコミの宣伝で躍り狂うのが国民というものだ。国民は良心

があるというのは錯覚である。これが国民の悲しい性である。

 

ヒットラーは、ナチスのプロパガンダと、マスコミの宣伝によっ

て登場した。ポピュリズムの元祖である。その味をしめたヒット

ラーは、ゲッペルスという天才的な煽動家を使って、ナチスドイ

ツの宣伝に勤めたのである。

 

マスコミ、とくに現代のテレビマスコミは、ゲッペルスの再来で

ある。ただし、ゲッペルスには、第一次大戦で敗戦国となり、弱

体化したドイツをナチスによって強大にするという目的があった。

しかし、テレビ局には戦略的な目的はない。ただ野次馬が騒ぎ立

てるように煽動するから余計に始末が悪い。

 

ここは国民の良心のふんばりどころである。ただし、この国民と

は大多数の軽佻浮薄は国民ではない。幕末の志士のように死を賭

して国家の大義に準ずることのできる国民である。ゆえに、せい

ぜい数千人であろう。これがいつの世にも志士という人間である。

 

平成29年7月13日(木)

重箱のスミをつつく時代

魔女狩りの時代。

 

最近のテレビ、新聞、マスコミをみると、人の欠点、失敗

をあげつらう報道ばかりである。まさに重箱のスミをつつ

くように、揚げ足をとる。しかも、総掛かりで、人を攻撃

し、袋叩きにする。やられた方はたまったものではない。

社会的に死刑にされたようなものである。

 

典型的な例が豊田議員である。6局という多数のテレビ局

が、「ハゲー」「バカー」「お前ーはアホか」と、豊田議員の罵

詈雑言を垂れ流したら、どういうことになるか。豊田は悪

鬼か、極悪非道の女か、魔女狩りで火あぶりの刑である。

 

これは豊田に対する人権問題である。殺人鬼でも、人権は

保護される。こうなると、テレビ局の行為は犯罪である。

凄まじいイジメであり、言論による暴行であり、豊田は

完全に、社会的に抹殺されたも同然である。

 

こういう日本の状況は異常である。よってたかって袋叩き

にするのは、お隣の朝鮮民族だけだと思っていたら、とう

とう、日本にも伝染したようだ。テレビは視聴率だけを

稼ごうと、興味本位で、取り上げる。一局の行為が六局

も集まると、集中豪雨のような報道になる。せめてNHK

だけは、良心の最後の砦として、踏みとどまってくれと

言いたい。

 

平成29年7月12日(水)

民進党は完全な保守政党へ脱皮せよ。

左翼色を切って捨てろ。

 

梅雨はどこに行ったのだ。関東地方は、一向に雨が降らない。

ムシムシとして、うっとしい天気である。さっと降って、

さっと梅雨が上がってほしい。こういう煮たか沸いたか分か

らない天気は嫌だね。まるで民進党のような天気だネ。

 

保守のようで保守ではない。左翼のようで左翼ではない。

コーモリのような政党である。蓮舫では民進党の支持率は

上がらない。蓮舫のタレント人気で、党首したのが、大きな

間違いである。政党は軽佻浮薄なタレント集団ではない。

 

民進党は左翼を切って、保守色を旗幟鮮明にすべきである。

アメリカの二大政党、共和党は保守であるが、民主党はリベ

ラルであるが左翼ではない。共和党も、民主党も、共通して

いるものは国を愛する政党であるということだ。

 

民進党には、国を愛するという思想が鮮明でない。左翼色が

チラチラと見えるから、国民の支持がないのである。もとも

と日本人は保守的である。1万年か、数万年か、日本列島で

稲作をし、土地を守ってきた。一所懸命に土地を死守してき

百姓民族である。保守的であるのは日本民族の本性である。

 

日本民族のルーツを忘れた政党は大きく伸びない。せいぜい

共産党止まりである。一定の支持はあるが、共産党は、体制

をひっくり返す革命政党だから、百姓民族としての日本民族

の思想とはまったく相反する。ゆえに大きな政党にならない。

公明党は、宗教政党だから、保守である。民進党よ、早く

保守の旗幟を鮮明にせよ。自民党の受け皿としての保守党へ

の脱皮を期待する。

 

平成29年7月11日(火)

ペテン師の籠池

詭弁家の前川

お喋りショーに税金を浪費するな。

 

昨日、東西でペテンと詭弁のオンパレードだった。西は森友

の籠池泰典である。東は元文部科学省の次官前川喜平である。

下品なペテン師と、学校秀才の詭弁家のショーだった。籠池も

前川も、議員程度のディベート力では、打ち破れない。きゃつ

らは、天性ペテン師であり詐欺師なのである。

 

大阪府での参考人招致は、天性の詐欺師・籠池泰典の独占場

であった。オウム真理教のアー言えば上祐(ジョーユー)なん

ぞは、カゴイケに比べたら可愛いものである。カゴイケのツ

ラは、鉄面皮どころか、宇宙ロケットもびっくりの超合金製

である。熱湯をかけても、まったく動じない。大阪府のケツ

の青い府議では、太刀打ちできないのは、最初から見えていた。

 

東、国会の参考人は、いかにも学校秀才の前川である。一見

上品そうで、そのくせ、腹は相当黒いと見た。国会議員が

質問していたが、まったく歯が立たない。前川の詭弁を打ち

破る議員はいない。結局、前川ショーで終った。

 

カゴイケやマエエワを論破するには、ディベート力しかない。

わがディベート大学に一年くらい留学して、徹底的にディベ

ート訓練を受ける必要がある。ディベート大学には、日本を

代表するディベーターが揃っているから、彼等の胸を借りて

徹底的にディベートをやるしかない。

 

ディベートはコトバのボクシングである。観念論ではない。

激しい実践訓練によって、議論・討論・論争の能力と技術を

習得することだ。国会や地方議会の議員のディベート力は、

あまりにも拙劣である。これは同時に、壮大な税金と時間の

無駄を生んでいる。籠池と前川の、饒舌なお喋りショーを

税金を使って、お膳立てするとは、言語道断である。

 

平成29年7月10日(月)

九州の豪雨被害

わが屋の災害対策。

 

九州地方は、コジラ先生が物心ついた頃から、台風シーズン

には、毎年のように豪雨災害が起こっていた。子供心に、

大変だ、気の毒だと思ったことを覚えている。最近、地震は

例外として、日本そのものが災害には強くなったと思ったが、

どっこい豪雨災害は生きていた。

 

東北震災や熊本地震で、地震ばかりに目が向いていたが、

豪雨災害も地震に匹敵するほど危険である。ゴジラ先生が

住んでいる横浜は、地震は日常的にあるが、危険な川は少

ない。しかし、これは油断である。豪雨がきたら、横浜は

九州よりも危険である。山や崖が圧倒的に多いからだ。

 

崖に面した危険な家は、横浜には、どこにでも存在する。

崖の上に建っている家はいたるところにある。たまたま

横浜は、九州のような豪雨が少ないから、今まで、災害が

なかった。しかし、異常気象の時代である。いつなんどき、

豪雨が襲うかもしれない。

 

油断は禁物である。ゴジラ先生は、非常持ち出しのリュック

は枕元に用意してある。倉庫には大量の水を用意してある。

ペットボトル、一升瓶など、使い終わったあらゆる空きビン

には、直ちに水を入れて保存している。庭には、大きなプラ

スチックのごみ箱を水のタンクにしている。

 

とにかく、空(カラ)のものには、なんでも、水を詰めて、

保存している。水はサバイバルの根本対策である。昨日も、

飲み終わった2リッターの日本酒「鬼殺し」に水を詰めたば

かりだ。酒がまじっているので、水は長持ちするのではな

いかと思っている。安酒の「鬼殺し」も、役に立つ。

 

平成29年7月7日(金)

泥棒にも三分の理

豊田真由子にも三分の理がある。

 

豊田真由子という議員が袋叩きにあっている。連日、テレビ

は、この女の言動を垂れ流しにしている。しかし、あそこま

でやると、やりすぎだ。あきらかにテレビによる暴力である。

豊田の人格や人間性や人権など、どこかにすっ飛んでいる。

正義漢ぶるテレビ局の偽善が鼻持ちならぬ。

 

豊田という女の言動も激しいが、テレビの暴力はもっとひ

どい。豊田には人権はないのか。日頃、正義面をして、人

権を主張するテレビ局の人権感覚を疑う。テレビの言葉に

よる暴力、映像による暴力と比較すると、豊田の言動など

屁のようなものである。

 

日本には、古来より、「泥棒にも三分の理がある」という諺が

ある。豊田のすべてが悪で、秘書のすべてが善ではない。

双方には善も悪もある。弁証法の見方が大切である。さらに

いうと、 すべてのものごとには、原因がある。豊田が激昂し

た理由は、 秘書の無能にある。

 

この男55歳である。55歳になって、 秘書稼業を渡り歩く

のは無能の証明である。こういう無能で、 KYな奴を秘書に

した豊田にも責任がある。結局、無能な秘 書と、世間知らず

のアホ議員が共演するお笑い番組である。

 

とうとうテレビは芸能番組と化した。

テレビをつけると、市川ザリガニがどうした、小林なにがし

がどうした、船越だ、松居だと、河原乞食パート2すなわち

テレビ芸人の話題ばかりである。公共の電波を使って、芸人

の私的な出来事を垂れ流している。テレビは、品性や品格と

いう大切なものを完全に喪失した。それにしても、松居のひ

きつった顔は無残である。気の毒に、この女は完全に神経が

いかれている。おもろい女だったのに惜しいネ。

 

平成29年7月6日(木)

自民党大敗の原因

 

昨年6月29日、小池百合子は都知事選挙に立候補した。

この時点で、今回の都議選の自民党の大敗、小池百合子

の大勝利という図式は決まっていた。あの時の小池の

不退転の意思と、その空気を読めなかった安倍総理周辺

の政治家の責任は重大である。すなわち、

 

自民党大敗のA級戦犯は石原伸晃と内田茂であり、それ

を後押しした菅義偉である。丸川珠代や片山さつきなど

の尻軽女や、その他有象無象も戦犯である。どいつも、

こいつも、政治家として三流である。

 

丸川珠代や片山は東大出で偏差値は高いが、頭脳はポン

カラである。正解のある問題しか解けない偏差値バカで

ある。小池は、幾多の修羅場を潜ってきた一騎当千の政

治家である。あらゆる問題を解く能力がある。ゆえに都

知事になった。

 

昨年の6月29日、小池百合子が立候補した時、反対せず、

彼女を 候補者に決定しておれば、今日の体たらくはなかった。

そういう意味で、石原と内田と菅義偉の責任は万死に 値する。

なのに、いまだに、いけしゃしゃーとして、 経済産業大臣を

する石原の神経が分からない。この恥 しらずぶりは、朝鮮民

族も真っ青である。

 

安倍さんは、小池百合子とは、悪くない関係にある。 ゆえに、

安倍さんは、この一年、反小池の動きを封じる 必要があった。

腹心の菅義偉などが反小池に動いたために 身動きがとれなく

なったのであろう。自民党総裁として の権限で、反小池を押

さえ、小池百合子を支持すべき だった。人間というものは

正しい状況判断をするのはむつかしい。

 

その上、最近の安倍さんの状況判断能力に疑問符がつく

安倍一強といわれ、驕り高ぶったのである。いつの時 代も、

平家物語の法則は貫かれている。奢れるもの久 しからず、

ただ春の世の夢のごとし。

 

平成29年7月5日(水)

今の世の中ジコチューだらけ。

 

佐々木五段もジコチューだったが、もっとジコチューが

北朝鮮のデブ金と、売春婦像を建てまくる韓国人である。

こいつらには、おのれの朝鮮民族のことしか頭にない。

他民族との、融和や友好なんぞは、はなから欠落している。

こういうキチガイ民族とは、絶交が一番の薬である。

安倍さん、朝鮮民族との国交断絶の時期がきた。断絶す

れば、都議選の大敗をだだちに、カバーでき人気が回復する。

 

朝鮮のお隣には、習近平という超超超ジコチューがいる。

こいつは自分の権力しか興味がない。そうそう、アメリカに

もトランプというアメリカファーストのジコチューがいた。

そうすると、ファーストが大好きな小池百合子さんもジコ

チューというのが論理的必然である。

 

安倍さんも、最近、ジコチューになっていた。だから大敗し

たのである。ゴルフは特権階級の娯楽になった。とくに、

ここ二三年の安倍さんのゴルフは、危険な兆候だった。

ゴルフをする奴は、ジコチューな理屈をつくる。安倍さんも

加計はゴルフ仲間の親友だから、何が悪いという態度だった。

権力者がそれを言っちゃおしめえよ。失脚した韓国の朴槿惠も

親友との濃い関係が、失脚の最大の原因である。

 

人気がある内は、寛容な国民も、権力に陰りが見えると、とた

んに非寛容になる。バッシングを開始する。それが庶民という

ものだ。庶民が善良だと思っていたら甘ちゃんである。庶民と

いう人種ほど、薄汚く、狡賢い人間はいない。戦国時代、落ち

武者狩りをするのは百姓だった。弱いものを叩き、強いものに

なびくのが、庶民の悲しい性である。

 

安倍さん、頭を丸めて、一から出直すことだ。ゴルフは絶対的

に禁止だ。ゴルフは庶民の怨嗟の絶好の的になる。安倍さんが

政権を続けたいのなら、身を律し、清貧に徹することだ。優れ

た権力者は清貧が絶対条件である。安倍さん、天皇皇后両陛下

の爪の垢でも煎じて飲みなさい。2600年皇統が連綿と続い

た秘密がある。 清貧と公平無私がリーダーの条件である。 

 

平成29年7月4日(火)

それみたことか、藤井クンがテレビから消えた。

KY棋士佐々木のバカタレめが。

 

「佐々木を悪者にしてはいかん」などと、したり顔に、正義面を

したコメントがネットに出ていた。ゴジラ先生は、昨日も言っ

たが、本日もはっきりと言う。佐々木はアホだ、バカだ、マヌ

ケだ。昨今、こういうジコチューが多い。おのれのことしか眼

中にない。全体をみる観点が欠落している。憲法残って国ほろ

ぶ、戦後ジコチュー日本の象徴である。

 

ゴジラ先生が嫌悪するのは、勝つためには手段を選ばない佐々木

の態度である。何回も対局場に、こっそりと入り込み、ジロジロ

と事前偵察をしている姿は、褒められたものではない。あの態度は、

ゴジラ先生の武士道精神に反する。しかも、目付きが悪い。極めて

陰険な目付きをしている。勝ったあとの態度も、いかにも、やっつ

けた、どうだという態度だった。慇懃ゆえに無礼である。

 

昨日から、将棋の中継がなくなった。巣鴨のバアちゃん、ジイちゃん

から楽しみを奪った。にわか将棋女子や将棋ギャルもがっくりだ。

せっかく連日報道されて、食堂の出前のオジサンも出番がなくなった。

将棋会館のグッズの売上がガタ減りである。谷川会長も「佐々木のアホ

ンダラ!」と、タテマエは別に、内心は、怒髪天をついているだろう。

 

ゴジラ先生も、毎日、テレビを見るのが楽しみだったのに、佐々木の

バカタレ野郎めが、とんでもないことをしてくれた。少なくとも将棋

界のためには、35〜40連勝までは、やらせるべきだった。しょせん

勝負は時の運だし、実力は伯仲しているのだ。だったら、しばらく中学

生を踊らせてやれ。そんなことで傲慢になるような藤井ではない。この

子は、稀に見る逸材である。品格も人格も素晴らしい。大成する。

佐々木のような姑息な手段を弄さない品性がある。それにしても佐々木

のバカタレめが、思い出すと、腹が立つ。

 

平成29年7月3日(月)

佐々木五段は大局観が分らぬアホだ。

この男、絶対に大成しない。

 

佐々木という奴は、将棋ブームという大きな風船を針でパチン

と破裂させた。せっかく将棋ブームが起きつつあるのに、その

一大ブームにザブンと水をさしたようなものだ。空気が読めな

いKY棋士である。藤井の出現で、オバチャンからギャルまで

フアンを広げたのに、水をさした大馬鹿野郎だ。

 

佐々木には、「負けて勝つ」という大局観がまったく欠落している。

ここはおのれの勝利や名誉よりも、将棋界に何十年ぶりに吹いて

いる風を、大型台風にするという大局観が必要なのだ。しかるに

佐々木は、勝ちばかりにこだわった小者である。テレビ局も、

がっくりきているだろう。藤井と佐々木ではスター性が違う。

 

しかも、佐々木は、事前の偵察など、勝つための戦術や小手先

の戦術こだわっていたようだ。その上、目付き、顔つきが悪い。

棋士の風格がまったくない。とくに、目ダマがキョロキョロし

て落ち着きがない。

 

それにして反して、藤井クンは、堂々たるものである。品格が

ある。超一流棋士になるのは間違いない。両人の師匠を見たが

藤井クンの師匠は藤井を育てた品格がある。しかし、佐々木の

師匠は、しょせん佐々木の師匠である。二流棋士と見た。

 

将棋連盟の会長も、表では褒め讃えているが、家に帰ったら

カアチャンを前に、「佐々木のバカヤロー、せっかくの将棋の

一大ブームをぶっ潰わしかねない愚行だ!アホンダラ!」と

嘆いただろうよ。世の中には、佐々木のようなKYがいるか

ら困るのだ。安倍さんの足を引っぱった失言代議士と同じだ。

 

自民党の大敗。

一年前、小池百合子が都知事に立候補した時、今日の事態は

完成していた。石原伸晃と内田ドンなど自民党都議団の責任だ。

すべの責任はこの二人にある。佐々木五段と同じで、大局観が

欠落した大馬鹿野郎だ。