英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成30年3月30日(金)

武士道をわきまえぬ、八角と外道親方ども。

問題をすり替え、貴乃花に責任を転嫁した。

 

窮鳥懐にいれば猟師もこれを撃たず。

昨日の貴乃花親方に対する処罰、まさに武士道における

武士のなさけや、惻隠の情を欠いた外道の振る舞いだった。

貴乃花に対する処罰は、国民に対する処罰である。八角と

アホ親方の行為は、国民を敵に回したことになる。いずれ

ブーメランとなるだろう。

 

大相撲界の問題は、白鵬問題である。日本の大相撲の伝統

と慣例を無視した数々のふらちな行為にある。その象徴が

日馬富士の暴行問題である。貴乃花を処罰して、喜んだの

は白鵬である。これで白鵬はよけいに傍若無人になるだろう。

 

八角は、おのれの無能を、貴乃花に転嫁してほっかむりした。

まことに卑劣な奴である。貴乃花に怒号を浴びせた親方衆も

同罪である。百人もいて、ただの一人も、白鵬問題を解決でき

ないではないか。モンゴル会の横暴を許してきたではないか。

 

もう一つ重大な問題がある。肥満のデブ力士によるつまらん

相撲である。決まり手は、押し、突き、叩きだけである。

かつては当たり前だった四つに組んだ水入り相撲は皆無である。

数秒で勝負がつく勝負ばかりである。あっけなくバタンと倒れ

るブタ力士なんぞ見たくもない

 

一日の稽古時間はたった2時間である。11時ごろには終る。

あとは、たらふく食って、昼寝である。ビールを飲む場合も

ある。そして夕方になると、晩飯を食って後は寝るだけである。

野球ならば朝から夕方か夜まで練習している。サッカーでも、

陸上でも、あらゆるスポーツは、数時間は練習する。

 

たった2時間の大相撲は、極楽天国である。練習不足である。

ゆえに、肥満のブタ力士ばかりとなる。トレーニング方法が

科学的でない。練習不足と食い過ぎで、ブタ力士になり、

取り組みが、押し、突き、叩きとなる。大相撲の改革に

ついて、八角と100人の親方はまったく分かっていない。

改革のない相撲人気は、いずれ坂道を転げ落ちるだろう。

 

平成30年3月29日(木)

防衛費GDP2%・10兆円をめざせ。 

 

最近の国会と政治家の動きを見ていると、まさに戦術的な

ことばかりをしている。戦略的な思考と行動が決定的に欠

落している。

 

デブ金が習近平と会談した。トランプもデブ金と会談する

予定だ。韓国と北朝鮮の首脳会談も行われる。ひとり日本

のみが蚊帳の外である。あまりにも日本の存在感がない。

 

佐川だ、森友だ、昭恵夫人だと、世界情勢にまったく関係

のない枝葉末節なことにとらわれているからだ。これは

日本人の民族的な大きな欠点である。とくに主犯は朝日新

聞である。この新聞は、もう廃刊しか生きる意味はない。

売国新聞、朝日の死ぬ時がきた。

 

世界史では、こういう内輪の問題ばかりやっている国は

滅ぶのは歴史上の事実である。李氏朝鮮国も、清朝 末期か

らの中国の混乱もそうだった。

 

日本人よ、目覚めよ。国家百年の計のもと、日本国の

建て直しをはかる時である。まずは、防衛費のGDP

2%を必達せよ。国家の根幹は軍事力である。軍事力

こそ、国家を骨太にし、他国からの干渉を防ぎ、亡国

を防ぐ唯一の方法だからだ。

 

軍事力の意味と価値を見直せ。150年前の明治の先

人たちが、なぜ富国強兵を図ったのか、その意味をしっ

かりと考え直せ。平和ボケは、日本国家百年のための

最悪の病気である。アメリカ頼みは奴隷の根性である。

福沢諭吉は言った。「一身独立して一国独立である」

まずは独立自尊の精神を奮い立たせろ。

 

平成30年3月28日(水)

国会よ、政治家よ、お前らはアホか。

世界をみろ、激動の世界情勢を考えろ

重箱のスミをつついている時か

 

朝から夕方まで佐川氏の証人喚問ばかりである。

いいかげんにしろと言いたい。佐川がどうした。

森友がどうした。そんなみみっちいことに関わ

っている時か。悠久の歴史の中で、屁のように

些細なことにすぎない。

 

金正恩が北京を訪問した。プーチンと西欧諸国

が対立している。トランプが貿易戦争を始めた。

世界は激動しているのだ。その中で、日本は

どのように生きていくのだ。佐川だ、森友だ

政治家どもよ、お前ら、アホとちゃうか。

 

平成30年3月27日(火)

貴乃花よ、今は我慢だ

アホ八角理事長が再任だそうな

 

貴乃花が、一兵卒として、ゼロから出発すると言った。

偉大な横綱に、こんな言葉を言わしめるのは、なんとも

やりきれない。孤軍奮闘していたが、矢折れ、刀尽き

たのであろうか。

 

そんな貴乃花を見て、名前は分からないが、あるバカな

親方が、親方を剥奪して角界から追放せよと言ったそうだ。

この親方の名前を突き止めて、つるし上げようではないか。

こういう不埒な奴がいるから、大相撲が改革できないのだ。

 

大相撲には問題が多すぎる。まず第一、土俵が狭すぎる。

江戸時代から続く広さを昭和6年に61センチ拡大した。

なんと61センチである。昭和の改革は偉大である。

現代も、肥満体の力士で、土俵が狭すぎる。10センチ

から30センチくらい拡大すればいい。

 

第二、食事が栄養過多で肥満力士ばかりになる。ゆえに

取り組みが、突き出し、押し出し、叩きばかりである。

四つに組んでの水入れ相撲などが完全に消えてしまった。

かつて相撲とは、四つ相撲だった。

 

第三、トレーニング方法を改良せよ。稽古量が少なすぎる。

一日一回、関取は9時ごろからわずか2時間である。その後は、

ビールを飲み、メシを食らい、昼寝である。そして、夕方になる

と、二度目のメシを食らい、あとは就寝を待つばかりである。

これでは肥満のブタ力士を作るだけである。 野球でも、サッカー

でも、陸上でも、バレーでも、たった二時間の練習などありえない。

 

ようするに、大相撲には、山のような改革事案がある。しかし

八角親方には、そんな意思も意欲もない。この男、何を考え

ているのか分からない。ただ、頭が悪そうなことだけは確かだ

こんなアホ男を選ぶ100人の親方も、アホ・バカ・マヌケ・

トロクソである。貴乃花の登場は、いつになるか、国民として、

応援し、八角と100人の阿呆どもを追放しようではないか。

 

平成30年3月26日(月)

散る桜、残る桜も、散る桜

 

ゴジラ先生の庭の桜が、七分咲きになってきた。

今から十年前、桜を三本植えた。庭で花見をするのが

夢だったからである。三本の中では染井吉野が一番

早く咲くのである。後の桜はまだ先である。

 

桜を漫然と見ていただけだったが、わが屋に桜を植えて

からは、桜が花開くまでには、時間がかかることが

よく分かった。十年はかかるのである。そして、一週間

くらいで、散ってゆくのである。世の無情を感じる時である。

 

桜には虫がつくのでやっかいである。我が家の桜にも、

夏には、虫が一杯たかりあっという間に、葉を食い散ら

かすである。放置しておくと、一晩で、桜の葉がなくなる

のである。

 

虫が葉を食っている音が、聞こえるのである。ブチ、ブチ

ブチ・・・・と、小さな音がするのである。昨年も、虫に

やられたので、泣く泣く、枝を切った。そのため、今年は、

枝ぶりがいびつになっている。それでも桜は桜である。

今年も、束の間の桜を楽しんでいる。

 

花は桜木、人は武士。

散る桜、残る桜も、散る桜。

願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

 

平成30年3月23日(金)

色即是空 空即是色

 

ゴジラ先生は、今年から、「空」という言葉に執着している。

空とは何か。色即是空、空即是色とは何か。おりに触れて

考え続けている。

 

もちろん、当然、当たり前だが、分からない。そんなに

簡単に分かったら、歴史上の偉大な僧は苦労しなかっただろう。

弘法大師空海や伝教大師最澄は、どのように考えていたのか。

 

ゴジラ先生なりの理解はこうだ。色とはこの世の中のすべての

存在である。第一は現実に目で見て、手でさわることができる

モノである。第二は観念や思索や思想や哲学などのコトである。

色、すなわち、 すべてのモノとコトが空である。色即是空である。

 

ならば空とは何か。空とは存在しないことである。無を含む存在

の否定である。無か有かの無だけではない。無だけにすると

範囲が狭くなる。空は、宇宙を含む無限大の広がり、空間である。

 

結局、色は空であり空は色である。色すなわち世の中の存在は

すべて空である。ならば空は何か。空は無限であり有限である。

無は有であり、有は無である。色と空はものごとの裏と表である。

 

とここまで考えてくると、またまた訳が分からなくなる。

まさに堂々巡りである。分かったようで分からない、分からない

ようで分かる。まことに色即是空、空即是色である。

 

いずれにしても、これから先も、ずっと考えることにする。

空は人生最大の謎であり、最大の課題である。ただ言えることは、

空という言葉を考え続けると、何かを悟るような気がする。

 

人生も死も。成功も、失敗も、栄光も、敗残も、名誉も、

汚辱も、すべて空だと思えば、気が楽になる。

人生は生きるに値する。ケセラセラと生きればいい。

 

平成30年3月22日(木)

殺人が無くならないごとく

暴力は無くならない

 

貴乃花部屋の力士の暴力事件が問題になっている。識者を含めての多くの日本人は、

「暴力はあってはならない」とか、「暴力はいけない」とか、「暴力を無くそう」とか、

したり顔で言う。しかし、残念ながら、暴力は無くならない。人間という動物が

存在するかぎり、暴力は永久に無くならない。殺人が永久に無くならないごとく。

これは人間の歴史上の事実である。この事実を冷静に認めないといけない。

そして、理想論や、机上の空論を言っても、何の解決にもならない。

暴力は無くなる、あるいは、無くせる、と思うのは、人間の大いなる錯覚であり、

間違いである。殺人がなくならないように、暴力はなくならない。暴力がなくなる

ならば、殺人は、とっくの昔に無くなっているはずだ。これは、戦争はいけない、

戦争を無くそうといっても、戦争が無くならないことと同じである。

■戦後日本人は、平和ボケすぎて、現実感覚を喪失している。
戦前の祖父母の世代の方が、はるかに、現実感覚が豊かで、平和主義や、暴力に

対して、理想や空想を持っていなかった。なぜか、戦前の日本には、戦争や暴力が、

日常茶飯事に存在したからである。戦後日本人は、戦争はいけない、暴力はいけない

と言いながら、言うだけであって、何の解決策も提示できていない。理想論、空論を

念仏のように唱えるばかりである。

■戦争や殺人や暴力が存在する現実を直視せよ
我々は、理想論や、机上の空論から脱却しなければならない。脱却するためには

何をするか。それは現実や事実を認めることである。すなわち、戦争は無くならない、

暴力は無くならない、殺人は無くならない,このことを認めることである。

人間が 人間であるかぎり、暴力は永久になくならないことを、大前提にするのである。

いくら暴力反対を叫んでも暴力は無くならない。殺人反対をさけんでも殺人は無くならない。

■人間社会は、殺人がおきることを前提にし、法律が存在している。
我々は理想論から脱し、暴力がおきることを前提に、思考し、行動しなければならない。

殺人に懲役刑があるごとく、暴力には厳罰で望むしかない。貴乃花がいくら、暴力はい

けないと言い、そのために弟子の教育をしても、暴力はなくならない。それが現実である。

人間は神様ではない。不完全な存在である。だから、殺人があり、暴力がある。 

■暴力反対が行き過ぎると、肉体の鍛練まで禁止する危険性がある
さらに問題なのは、暴力は無くせるという空想を信じているゆえに、必要な肉体の鍛練

までも抑制し、禁止するという、愚かな行為に行き過ぎる可能性がある。あらゆる

スポーツは、肉体のぶつかり合いである。激しい肉体と肉体の戦いである。ラクビーは

激しいタックルで人を倒す。サッカーは身体をぶっつけてボールを奪う。ボクシングは

相手の顔面をぶん殴る。意図的に力を振るう。これは広義に定義すれば暴力である。
暴力と、スボーツにおける激しい肉体のぶつかり合いの間に線を引くことは不可能である。

暴力を正確に定義できる人はいるのか。親が子供をしつけのために、身体を叩くことは

暴力なのか。親に、叩かれ、ぶん殴られなかった人はいるのか。

■鍛練を否定するなかれ
現代のように、暴力に対して潔癖なまでの否定の風潮は、鍛練を否定し、スポーツの

醍醐味を失わせる。また、たくましく育てなければならない男の子を、軟弱な肉体と

精神にしてしまう。女と男は異なる教育が必要である。女には肉体鍛練は原則として

必要ない。男と女では、肉体・筋肉の構造と性質が異なっているからである。男は、

激しい肉体鍛練を必要とする。ライオンやトラや熊などの動物を見れば分る。人間も

動物であることを忘れてはならない。
 
■結論・・「暴力は永久に無くならない、殺人が永久に無くならないごとく」。
まず、このセリフを大声で言ってもらいたい。無くならないことを前提に暴力を

考えてほしい。理想論や空論を唱えているかぎり、暴力問題の解決は不可能である。

このセリフを出発点にして、暴力とは何かを、徹底的に考えることである。もう暴力

反対とか、暴力を無くすべきだとかのベキ論を止めようではないか。もっともっと、

現実を直視しようではないか。

もう一度言おう、暴力は無くならない、殺人が無くならないごとく!
 

平成30年3月20日(火)

貴乃花、痛恨のミス

福の神と貧乏神

 

貴乃花部屋の十両の貴公俊が暴力をふるった。よりによって

貴乃花部屋の力士である。まさに悲劇である。相撲界を改革

しようと、孤軍奮闘している親方の気持を、親の心、子知らず

である。起きたことは取り返しがつかない。覆水盆に返らず。

 

最近の貴乃花を見ていると、貧乏神がついているようである。

ゴジラ先生は、昔より、福の神と貧乏神の理論を持論として

きた。人間には福の神がつく奴と、貧乏神がつく奴の二つが

ある。福の神がつくと、すること成すこと、何をしても、

うまく行き、成功する。

 

貧乏神がつくと、何をしてもうまく行かない。失敗するのである。

長年、人を観察していると、福の神がついている人と、貧乏神が

ついている人が、明瞭に分るのである。とくに貧乏神がついてい

る人は、ゴジラ先生にはよく分かるのである。そういう人に対し

ては、貧乏神が落ちてなくなるように、なぐさめ、励ましてきた。

 

最近、貴乃花には、貧乏神がついたようだ。これは何とか、払い

落とさないといけない。もし可能ならば、貴乃花の部屋に行って

貧乏神を退散させる儀式をやってあげたいが、無理だとなると

遠くから、貧乏神退散を祈るほかはない。

 

至学館大学の谷岡郁子という学長にも、貧乏神がつきはじめた。

今までは、福の神がついていただろうが、あの記者会見が転機

だった。福の神は、傲慢無礼な人間からは、するりとすべり落ちる。

代わって、貧乏神が、背中に張りつくのである。これが張りつく

と、よほど悔い改めないと、貧乏神は退散しない。谷岡郁子は

坂道を転げるように、運勢が悪化するだろう。

 

以上が、福の神と貧乏神の理論である。人間というものは、

謙虚に、人のために、一所懸命に努力していると、福の神がつい

てくれる。神様は、ちゃんと見ているのである。ただし、これみ

よがしに、人前で善行を見せびらかせてはいけない。聖書には

「施しをなす時、右の手の成すことを、左の手に知らすな」と書い

てある。黙って、静かに、成すべきを成せということである。

 

平成30年3月19日(月)

至学館大学はつぶれて当然だ

馬鹿なリーダーが組織をつぶす。 

奢れるもの久しからず、 ただ春の世の夢のごとし

 

金曜日に続いて続編である。谷岡郁子という学長は、自分が法律だ、

自分が王様だ、と思っている女である。唯我独尊と傲慢無礼を絵に

描いた女である。「私が不埒なマスコミに抗議して、騒ぎを収めて

やる」と、勢いんこんで出てきた会見だった。

 

しかし、まったく逆になった。最低・最悪の会見となった。至学

館大学のイメージを、学長みずからが、大きく傷つけた。志願者

が減るのは間違いない。親や高校の先生なら、受験は止めとけと

いうだろう。

 

もともと無名な大学であるのに、ちょっとレスリングで有名なっ

たからと、大学も有名ブランドになったと錯覚した。下手すると、

この大学は、つぶれる可能性がある。レスリングをのぞいたら何も

ない大学である。あっという間に、坂道を転げ落ちるだろう。

 

冷静沈着な参謀がいたら、こういう事態にならなかった。最初から

低姿勢で記者会見をしていれば良かったのだ。「本日はお忙しい中、

マスコミの皆様には、お集まりいただき、まことありがとうござ

ます」と、切り出し、「世間をお騒がせして申しわけありません」と、

謝罪し、記者会をすれば良かったのだ。そういう意味でバカな女だ。

 

救済する方法ある。それは、もう一度、記者会見を開き、前回の

記者会見を謝罪することである。「前回、言葉が足りず不快な思い

させ、申しわけありません。心からお詫び申し上げます。伊調馨

さんにも心から謝罪します。栄和人についての不手際については

まことに申し訳ありません」と、世間と伊調馨に謝罪すればいい。

 

ひたすら低姿勢で、演技でもいいから、ハンカチをもって涙を浮か

べながら、下を向き、ただひたすらお詫びをすれば、世間の風向き

というのは、コロリと変わるものである。

 

結局、至学館大学は経営が危機になるだろう。大学そのもののが

つぶれる可能性がある。しかし、女子レスリングの至学館大学へ

の一極集中体制を打破し、開かれたレスリング界のためには、

アホな女学長のバカな行為は、ケガの功名となった。

 

平成30年3月16日(金)

至学館大学学長の谷岡郁子という奴

こいつは何様のつもりだ

 

至学館大学というのが名古屋にある。女子レスリングで金メダル

を輩出している大学である。伊調選手に対するパワハラで、今

話題になっている。この大学の学長の谷岡郁子という奴が記者会

見をした。マスコミ報道に腹が立って反論のために開いたそうな。

 

しかし、まったく逆効果だった。この女、傲慢を絵に描いたよう

な女だった。会見は、最初からケンカ腰である。元参議院議員で、

お金持のお嬢さんという傲慢の条件が揃っている奴だから、あの

ような無礼な態度が自然と出たのである。哀れなのは、自分が傲

慢だとまったく自覚していないことだ。裸の王様である。

 

「栄和人にはパワーはありません。だからパワハラなんぞでき

る権限をもっていません」と、訳の分からないことを発言した。

自分の方が権限をもっているのだということを言外に言いたい

のである。栄なんぞは、私の部下である。吹けばとぶような

人物で、大物ではない。なんで、大騒ぎするのかと言っている

のである。自分の方がはるかに大物だと言いたいのだろう。

 

「伊調さんは、選手ですか」と発言した。これには驚いた。

これは伊調選手に対するパワハラ発言である。この学長の存在

そのものがパワハラである。大学の学長とは、学識と人徳の両

方を備えた人間がつく地位である。しかし、この女はただの傲慢

無礼で、鼻が天を向いている。こんな女が大学の学長であること

に驚くほかはない。

 

この女のジイさんが、大阪商業大学や、神戸の大学の創立者で

ある。世襲の世間知らずのお嬢さんである。学識も識見も人徳

も何もない奴である。栄監督のパワハラと、この学長のパワハ

ラは表裏一体である。この女のもとに、栄和人あり、パワハラあり。

 

最後に一言すると、とうとう日本にも、この手のゴツイ女が出てき

たかと思った。単純で、頭は悪そうだが、度胸がある。下手な男は

ぶっ飛ばされそうだ。栄監督も頭が上がらないだろう。伊調選手の

真のパワハラ相手は、この女でないかと思った。

 

平成30年3月14日(水)

ガンバレ、貴乃花

クタバレ、八角

 

貴乃花が、日本相撲協会を、内閣府に告発した。

貴乃花よ、徹底的にやったれ。八角と協会の態度は、自分たちに

誤謬はない。完全無欠だ、といわんばかりで、その態度が気に食わない。

 

八角という男は、何を考えているのか、よく分からん奴だ。

八角のような頭の悪い奴がリーダーになると、組織は沈滞する。

この男、既得権益を守るのに汲々としているだけである。だいいち

顔が陰気である。この男には貧乏神がついている。貧乏神がつくと、

人生、下向きになる。

 

八角は、自分の無為・無策・無能を貴乃花にすり替え、貴乃花を罰した。

それに同調する親方衆もだらしない。日本相撲協会の最大の責任と罪は、

白鵬をのさばらせたことである。白鵬は横綱失格の男である。しかし、

八角は白鵬をしたい放題にさせた。その結果、白鵬は、日本の歴史と伝

統の相撲道を破壊した。罪、万死に値する。

 

とくに最近の白鵬の横綱土俵入りは、おかしくて吹き出すようなケッタイ

な踊りである。ゴジラ先生は、「変形モンゴル踊り」と命名した。手が伸びず

曲がったまま、その上、チョンと、横に手を出す様はマンガである。白鵬の

行為は、歴史と伝統の不知火型を汚す、許されざるものである。

 

しかるに、親方も、八角も、まったく注意しない。八角に聞きたい、なぜ、

白鵬の土俵入りに対して、厳重に注意しないのか。まさに無為無策である。

早く八角を引きずり降ろせ。貴乃花が理事長になると、おもしろいだろう。

白鵬を追放し、モンゴル会を解散させ、どんな改革をするか楽しみである。

貴乃花の登場を待望する。

 

平成30年3月13日(火)

いいかげんにせい!

くだらん森友問題なんぞ、ほっとけ!

 

いつまで森友問題をやっているのだ。新聞、テレビは森友一色だ。

地球規模で見ろ、考えろ、森友なんぞ、だれも知らない、だれも

関心がない。トランプが知っているのか、プーチンが知っているのか

習近平が知っているのか。とうとう日本人も、朝鮮民族のように、

枝葉末節なことで、バカ騒ぎするようになった。嘆かわしいことだ。

 

日本人よ、もっと目を大きく見開き、思考力を地球規模、世界規模

までに拡大して考えろ。森友問題は日本の息の根を止めるような重

大問題か。日本国家百年の問題か。あまりにもくだらんことに、

精力を使っているバカな日本人である。

 

テレビ、新聞のばカ騒ぎにはうんざりする。野党は鬼のクビを取った

ようにはしゃいでいる。野党議員よ、税金を浪費するな。お前たちに

はやることが山のようにある。とくに、福山哲郎という奴は顔つきから

下品なアホづらである。人の揚げ足をとるのが野党か。くだらんネ。

 

朝鮮半島は激動するだろう。米朝会談で問題が片づくほど単純ではない。

トランプとデブ金が会談しても、朝鮮半島が平和になるわけがない。

デブ金王国が、存続するかぎり、朝鮮半島に平和はこない。

 

だいたい朝鮮民族というものは、戦略的、大局的に考えることはでき

ない民族である。枝葉末節なことで、揉める、ケンカする。いつまで

たっても、問題は解決しない。朝鮮半島の統一は半永久的に無理である。

 

平成30年3月12日(月

3月10日東京大空襲の日

3月11日東北大震災の日

 

3月は二つの巨大な事件が重なっている。中でも3月10日の

東京大空襲は、日本史の中に、刻まれ続ける悲劇の日であった。

一晩で10万人が焼け死んだのである。これは明らかにアメリカ

による戦争犯罪である。一般市民の虐殺である。

 

焼夷弾という木造家屋を焼き払うため、ガソリンのようなものが

使った爆弾を使った。これだけでもアメリカによる残虐なる意図

が見える。最初から一般市民を虐殺するための爆撃だった。

 

同時に、この頃、日本全国が爆撃を受けた。全国で50万人以上

の罪なき市民が死んだ。アメリカに対して、一般市民を虐殺した

責任を、追求し続けなければならない。日米友好とは別問題である。

犯罪は犯罪である。アメリカの戦争犯罪を謝罪させるべし。

 

2011年3月11日の東北大震災は、今も、生々しい。いまだ

歴史上の物語ではない。地震は、戦争と違って、防ぎようがない。

人智を超えるものである。しかし津波は予知し、逃げることがで

きる。原発も同じである。とくに、原発事故は、人災である。

あまりにも想定が甘い。

 

その後、福島原発は津波対策をとっているのか。写真で見たかぎり、

原発を津波から防ぐための巨大な堤防が見えない。当時のままである。

シェルターのようなものはできつつある。しかし、巨大堤防は、

どうなっているのか。他の地域では、見上げるような巨大な防波

堤が完成している。原発の前面の海の中に、そびえるような巨大

堤防を建造しないのか。どうなっているのか、聞きたい。

 

平成30年3月8日(木)

国民栄誉賞は勤勉なる国民のもの

 

本日も、午前4時50分頃、家をでた。雨が降っていなかったので

100メートルくらい歩くと、急に雨が降ってきたので、あわてて、

傘をとりにもどった。そして、再び歩き始めたが風が大変強い。

寒さと、雨と、風の、歩行にとって、最悪のコンディションの

三条件がそろった。

 

それでも、まず恒例の、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」から暗唱を

開始した。暗唱は気持を勇気づける。ただ黙って歩くだけだったら、

やる気が萎えてくる。しかし、暗唱は、いったん開始すると、体内

プログラムが一人で動く。明らかに、暗唱が歩行をうながすのである。

暗唱に引っぱられて、歩行がどんどんと進むということだ。これが

暗唱ウォーキングの効能であり、すばらしさである。

 

いつも歩いているコースの途中に神奈中のバス停がある。だいたい

5時15分ごろから人が並び始める。本日も三々五々、寒い雨の中

を並び始めた。心の中でご苦労さまと言う。これから労働者諸君の

労働が始まるのである。日本人の勤勉さ、ここにありと実感する。

 

多くの日本人は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を実践している。

この精神があるかぎり、日本は安泰だと思う。国民栄誉賞は

この勤勉なる国民に与えるべき賞である。オリンピック選手や

有名人だけが国民栄誉賞ではない。労働する勤勉なる国民が

あっての日本である。労働者諸君、本日もガンバロー。日本を

支えているのは諸氏である。誇りをもって出陣しよう。

 

平成30年3月7日(水)

北朝鮮のデブ金の言うことなんぞは信用するな

 

デブ金が韓国の特使と会談したそうな。米朝対話する

用意があるそうな。体制を保証してくれるならば、核を

もつ必要はないと言ったそうな。ほんまかいな。そうかいな。

 

デブ金の体制を保証すれば、国民は不幸になるだけである。

一刻も早く、デブ金を放り出すことが北朝鮮のためになる。

デブ金は、体制といいながら、実際はおのれの身の安全を

願っているだけで、国民のことなど、これっぽっちも考え

ていない。

 

しかし、北と南、うまく合意などできるはずがない。必ず

揉めて頓挫する。朝鮮民族とは、そういう民族である。

内部で争うのが、民族性である。

 

日本としては、お手並み拝見でいい。関わる必要はない。

だまって見ておればいい。何も言う必要はない。とにかく

朝鮮半島とは関わらないことだ。必要最小限の付き合い

だけでいい。

 

むしろ、朝鮮半島とは、政治、経済、文化を含めて、すべて

の交流を絶つことである。明治以来150年、朝鮮半島との

関わりの結果、得た教訓である。ついでに、東海大学の金慶珠

とかいう整形女を朝鮮半島に追放してもらいたい。

 

平成30年3月6日(火)

今日は、風が強く、冷たい

 

ゴジラ先生は、早朝、暗唱ウオーキングをしている。

春と夏は午前4時出発、真冬は午前5時出発である。

約一時間歩く。一日の事始めで大切な「行」である。

 

今日は、風が大変強かった。風が強いと体感温度は

ぐっと冷える。寒さが倍増、三倍増する感じがする。

 

歩くコースは、横浜医療センターという病院の広大な

敷地内である。かつて海軍病院だった。戦後もずっと

そのまま使っていたが、15年くらい前に新しく建て

替えられた。海戦で負傷し、入院していた海軍兵のこ

とを思う ことがある。

 

この敷地は、出入りが自由で、広大な駐車場を真ん中に

して、一周すると一キロ弱はある。これを3周〜4周す

るのである。なぜ、この敷地を選んだかというと、途中

で人に会わないから、大声の暗唱に適しているのである。

 

以前は、道路を歩いていた。そうすると、突然、人に出

くわすのである。大声か、あるいはブツブツと暗唱しな

がら歩いていると、奇人変人と誤解される可能性がある。

出会った相手も、ぎょっと驚くのである。

 

人と出会うので、道路での暗唱はやりにくい。

大声を出しながらの暗唱に集中できない。結局、この

病院の広大な敷地の中を歩くことに落ち着いた。お蔭様で、

数多くの文を暗唱することができた。祇園精舎の鐘の声、

諸行無情の響きあり・・・。とくに古典の暗唱が良い。

暗唱は、喉が強くなり風邪対策となり、脳は活性化する。

 

平成30年3月5日(月)

小平奈緒の行為は美談か

韓国に媚びているだけではないのか

 

スケートの小平奈緒選手が、ヒラマサ・オリンピックで、

敗れた韓国の選手を抱き抱えて、なぐさめたことが、美談

となっている。しかし、はたしてそうなのか。

 

最近、ゴジラ先生は、小平奈緒は韓国に媚びているだけだ

と思っている。日本人は、 韓国相手となると、昔からよく

ある媚態か、おもねる行為である。小平の フアンであったが、

一瞬で、夢が覚めた。何ら美談ではなく、ただの媚態だ。

 

とくに、小平が唇に手を当てて、シーと言った光景なんぞは、

媚態の典型である。あれは場内の日本人の観客に対する上から

目線の行為である。日本人に注意をうながすという行為は、

韓国に媚びている典型的な態度である。

 

しかも、小平は、自分が韓国に媚びていることをまったく気が

ついていないだけに哀れである。小平の価値は劇的に損じた。

小平よ、 やはりお前もかと思った。

 

カーリング娘よ、なにがモグモグだ

冗談ではないぞ

 

あの韓国産のイチゴは、韓国人が、日本から種やノウハウを

盗み、パクッて作ったイチゴである。さらにひどいのは、

盗んで作ったイチゴを輸出し、日本の強力なライバルに

なっていることだ。

 

日本のありとあらゆるものを盗んで、成立している国が韓国

である。家電、半導体、鉄鋼、自動車、グリコポッキー、

カロリーメイト、テレビ番組など、韓国オリジナルのものは

ない。テコンドーは空手をバクった。剣道も、茶道も、すべ

て日本から盗み、自分たちが作ったと主張している。世界で

もっとも恥ずべき国家・国民である。

 

ゆえに、小平奈緒の美談も、カーリングのモグモグタイムの

イチゴも、まったく喜ぶことができない。慰安婦問題も

なんでも日本のせいにする。日本に対しては何をしても

良いという文化である。日本を完全に舐め、バカにして

いる。日本政府よ、もういいかげんにしろ。韓国に対する

断固たる制裁を課せ。まずは国交断絶の通告をせよ。日本

よ、腹をくくれ。アメリカに遠慮することはない。堪忍袋の

緒が切れたと通告してやれ。

 

平成30年3月2日(金)

伊調馨のパワハラ問題

権力は腐敗する

 

告発された栄和人強化本部長は優秀な指導者だろう。

しかし、こういう人物には権力と金が集まり、いつの

まにか唯我独尊になる。これは平家物語の昔から歴史

の必然である。誰も注意もアドバイスもできなくなり

独裁者となるのである。

 

権力は分散するか、権力の期限を区切るかである。

権力を分散せず、期限を区切らずでは、北朝鮮の金王朝

と同じになる。権力は腐敗する。習近平もすでに、権力

の腐敗に陥っている。長期政権をめざすそうだが、いず

れ、平家物語になる。人間は自分のこととなると分から

ないものなのである。

 

レスリング協会は、情報を公開し、誰が、どこで、何を

しているか、国民に説明しなければならない。なぜならば、

国民の税金が使われているからである。今どき、税金が使

われていないオリンピック種目は存在しないからだ。

 

新聞によると伊調選手は、告発状に関わっていないそう

である。真相は藪の中である。ただ、権力に長く関わる

のは、止めた方がいい。当人の意図と違って、不利を被

ったと思う人は必ずいるからである。栄和人氏はいさぎ

よく辞任し、後進に道を譲ることだ。白鵬ではないが、

長くやりすぎると、引き際を間違え、晩節を汚す。

 

平成30年3月1日(木)

早いもので、もう3月1日か

光陰矢のごとし、光陰光のごとし

 

本日は、朝から雨が降っている。どしゃぶりに近い降りだ。

庭の芝生にとっては良い雨である。昨年から今年にかけて

雨が少なく、庭が乾いて、つちぼこりが舞いそうである。

こんなに乾くと、芝生にとって、大変悪いから、水でも

まいてやろうかと思っていたところだった。

 

雨というものは、善人にも悪人にも、等しく降ると聖書

に書いてある。人生における条件は同じである。この条件

を良きものにするか、悪くするか、それはその人次第だ。

 

運命というものがあるが、運命とは、受け身のものなのか

変えられないものなのか。ゴジラ先生は運命とは、変える

ことができると考えている。積極的に関わって、切り開く

ものだと思っている。

 

たしかに、世の中には、貧乏神を背負っている人がいる。

何をしても、裏目にでる。反対に、何をしても成功する

人がいる。福の神を背負っている人である。

 

福の神となるか、貧乏神となるか、人生への関わり方で

決まる。かねがね、ゴジラ先生は、貧乏神を背負っている

人から、貧乏神を取り除くように行動してきた。貧乏神を

取り除き、福の神を背中に背負わせるのである。貧乏神

を退散させ、福の神を招き寄せるのだ。ゴジラ先生と

関わった友人と思うゆえに、福の神を共に背おうのだ。