英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成30年4月26日(木)
夏の足音が聞こえる

昼間は暖かいが、早朝は、肌寒い。ゴジラ先生は早朝ウオーキングを
しているので、気候の変化がよくわかる。昨日も、土砂降りの中、歩いた。
土砂降りは、完全な防水をし、覚悟して歩くと何の苦痛もない。かえって
人がいないので大声の暗唱ができる。人が誰もしないことをするのは快感だ。

それでも夏のおとづれは時間の問題である。
ただ今年は、ほんとうに暖かくなるのが遅いような気がする。
いつまでたっても、肌寒いのである。

今年の夏は冷夏なのか。それとも普通の夏なのか。
気候が、何かおかしくなっているのは間違いない。
それと地震が多い。火山の噴火も多い。天変地異の前触れか。
なんとなく気色が悪い。

ここで鴨長明の方丈記を思い出した。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし・・・」
毎朝、暗唱しているが、方丈記は文章として大変気に入っている。

文語文は簡潔にして、要を得ている。現代文のように長ったらしくない。
人間も簡潔にして複雑でなかったと思う。現代人は、牛の涎のように、
ダラダラとして要領を得ない。森友、加計、セクハラ、いつまでやっているのだ。
世界の中の日本という視点がない。日本の韓国化である。李氏朝鮮への先祖返りだ。

平成30年4月25日(水)
ハリル監督の解任は当然である

クビになったサッカーの元監督ハリルが、日本で記者会見を開くそうだ。
日本語では、これを
「未練たらしい」というのだ。武士道の花咲く日本
では、
「いさぎよさ」こそが、最も大切な美学である。こんな情けない
男だったとは、クビにしてよかった。女の腐ったような男である。

田嶋幸三会長が、はるばるパリまで出かけて、礼を尽くしている。見事な
対応である。電話一本でクビを伝えても、何らおかしくない。あるいは、
東京に呼びつけて、「お前はクビだ」と、言い渡してもいい。

ゴジラ先生は、かねがね日本人監督が良いと主張してきた。外国人監督は
やめとけと言ってきた。明治の初めから、我が国では、新しい分野の黎明期
には、お雇い外国人を使ったものである。だから、サッカーも当初はお雇い
外国人でいい。しかし、今や日本サッカーはも隆盛期に入った。いつまでも
お雇い外国人に頼るのは、情けない限りである。

今回、ついに、田嶋幸三会長が決断した。英断である。快挙である。
実は、ゴジラ先生は、田嶋会長とは、20年来の付き合いがある。快男児である。
その上、創造性と独創性がある。これはリーダーとして最も重要な能力である。
日本サッカーは、これから飛躍の時を迎えるだろう。

平成30年4月24日(火)
コンドルの目を持て

現在の政治を見ていると、野党は、重箱の隅をつつく、枝葉末節なこと
ばかりに、うつつを抜かしている。今、安部さんを替えて、日本国家と
国民に何か得るものがあるのか。野党よ、コンドルの目をもて、蟻の目
を捨てろ。世界の中の日本という視点をもて。

セクハラ事件、鬼の首をとったように、野党は騒いでいる。ミーツーとか
いうアメリカの物まねをして恥ずかしくないのか。国会がやるべきことで
はない。お前たちには、年間、一億円の血税が注がれているのだ。お前たち
こそ、正真正銘の税金ドロボーである。


平成30年4月20日
魚心あれば水ごころ

セクハラ事件、あの女記者は記者の風上にも置けぬ奴だ。
録音していたというのにはあきれる。この女記者は最初から
次官をひっかけようとしていたのだ。汚い手だ。まさにハニートラップである。

女が記者をするからには、男と寝るぐらい覚悟を持てと言いたい。
芸者も、記者も,ホステスも、風俗嬢も、身体をかけての仕事だ。
記者だけが特別なのか。セクハラだと女学生のセリフか。

今後、女性記者はスクープが取れないだろう。警戒されて、最初から会見を
拒否されるだろう。とくに、テレビ朝日の女記者は、政治家、官僚、芸能人など
出入り禁止になるだろう。


平成30年4月17日(火)
新しいホームページの作成ソフトで更新している。

実は、昨日から、ホームベージビルダー21というソフトで、ホームページ
を作成している。4月7日に、新しいパソコンに入れ替えた。古い方は故障
しがちで、困っていた。買ってから七年たっていた。いっしょに、ホームぺ
ージ作成ソフトも替えた。

7日に新しいパソコンを入れてから、今日まで難儀した。古いパソコンには、
ゴジラ先生の知的財産が入っている。長年、かけて蓄積したものである。それ
を移行するのは、簡単ではなかった。パソコンを買ったヤマダデンキでは、す
べての移行ができるノウハウも、技術もない、技術者もいない。基本的な移行
だけである。ここから難行苦行が始まった。

しかし、わが戦略大学&ディベート大学には、ツッチーという天才的なパソコン
のエンジニアがいる。驚くなかれ女性である。わが戦略大学には、旧帝大など
有名大学の工学部を出たエンジニアがいっぱいいる。しかし、だれ一人として
天才ツッチーにはかなわない。

天才ツッチーは、普通の女性の概念に入らない。普通の女から見ると奇人である。
ゆえに天才の天才たるゆえんである。ことパソコンになると超天才である。困った
時にはツッチーに依頼するのである。早大の理工学部出身のエンジニアがパソコン
の故障で難儀した時、ゴジラ先生は、ツッチーに頼めとアドバイスし、解決した。

このホームページもツッチーがやってくれた。過去、すべてツッチーのおかげである。
ある人は、国家安全保障局のメンバーに推薦したらと言っている。たしかにツッチー
のような人材が、中国や北朝鮮からのサイバー攻撃に対処するのはベストである。
デブ金正恩や、習近平をギャフンと言わせるのは痛快である。ツッチーの登場を期待する。

平成30年4月16日(月)
女人禁制など、即刻、やめるべし

日本相撲協会が、ちびっこ相撲で、女の子が土俵に上がるのを禁止した。
大バカな決定である。どうして、相撲協会は、かくも頭の悪い人間が集ま
っているのだ

土俵の女人禁制は、即刻、廃止しろ。ゴジラ先生は、思想的には保守派か、
伝統派である。しかし、この女人禁制には、反対である。理由は、簡単だ。
女人禁制にする理由がないからだ。イスラム教などの宗教上で禁止されて
いることとは問題がまったく異なる。

イスラム教徒の禁止事項は、全世界のイスラム教徒の禁止事項である。
普遍的な禁止である。しかし、土俵の女人禁止は、普遍的な禁止ではない。
女人禁制を、守ったり、守らなかったり、人間の恣意的な判断がまかり
通るのである。ある部屋では、土俵をビニールシートで覆い、その上で
女性も含めて、パーティを開き、酒を飲み、食事するのである。ビニール
シートで覆っているから大丈夫だというのである。神の領域ならば、ビニ
ールシートで覆うなど言語道断である。

明治維新以降に決定されたことだそうだ。ならば歴史的、伝統的な規範ではない。
まして神事ではない。その時、その時の人間の恣意的な決まり事項である。
土俵の上で、女を禁止するならば、女相撲をどのように、説明するのだ。
女人禁制という禁忌は、歴史的、伝統的に存在しなかったのである。
相撲協会のアホ親方が勝手に主張しているに過ぎない。

以上、女人禁制は、歴史的にも、伝統的にも、論理的にも、科学的にも、
存在しない事項である。

平成30年4月5日(木)

殿、御乱心を!

初心忘るべからず。

 

ビートたけしが、所属していたオフィス北野から独立したそうな。

自分が創業し、自分の名前をかぶせた事務所から独立とは、まこと

に、おかしな話で、何かいわくがありそうである。背後には、女と

金がちらちら見える。

 

残されたたけし軍団と従業員と社長が困るだろう。稼ぎ頭のたけ

しに、とっと出て行かれては、みんな失業か、餓死するしかない。

たけしは、長年、一緒にやっきた社長や弟子や社員を放っぽり出し

たのだ。これはトップとして、無責任である。

 

どんな理由があるか知らないが、残されたものが、困るのは目に

見えていたはずだ。ビートたけしの性格からいうと、こういう

無慈悲なことはしないはずだ。とすると、女の陰がちらちらする。

ビートたけしも、70歳を超えている。こういう有名人に多い

のが晩節を汚すことだ。それも女に狂って、人生を狂わせるのだ。

 

東京では、たかが漫才師が、師匠と持ち上げられる。大阪では

ありえない。大阪の漫才師は生涯漫才師である。師匠、師匠と

もてはやされることがない。ゆえに舞い上がらない。東京は

江戸時代から、権力と権威が存在する。ゆえに権威や権力に

弱い土地である。実力ない者や弱い者が権力者に取り入って、

自分も権力者となりたがる。

 

ビートたけしは、師匠から、巨匠になり、芸術家になり、

文明評論家になり、文化人、知識人となった。もはや漫才師

ではなくなった。これが間違いのもとである。漫才師は漫才師

であって、自分の生業を大切しなければならない。そして、

他人から奉られても、決して舞い上がらず、傲慢にならず、

初心忘るべからず、を貫かねばならない。今回の騒動は、

たかが漫才師が舞い上がった結果の御家騒動である。

 

平成30年4月4日(水)

一年365日、わずか十日で桜は散ってゆく。

中国人には桜の美学など分からない。

 

わが家の庭の桜も、近所の桜も、みんな散り始めた。

桜というのは、一年365日の内、せいぜい10日である。

これほど、はかない存在はあまりない。ゆえに、日本人は

桜が好きなのである。花は桜木、人は武士である。

 

桜の散り際の見事さと、武士の振る舞いを重ねて、日本人は

いさぎよさを、美学として、精神の根底にすえて、二千年

生きてきた。これが日本文化である。中国人や朝鮮人には、

こういう美学も文化もない。

 

中国人や朝鮮人は、桜の美しさや武士道とは、正反対の文化を

もっている連中である。おのれさえ良ければ、隣人など、どう

でもよい連中である。観光で来ている連中が、空港でバッグを

捨ててゆく行為をみると、中国人には隣人愛はない。とてもじ

ゃないが、共に天をいただかず。永久に交わらない。

 

日本に住んでいる中国人も、ゴミ出しで、町内の嫌われ者で

ある。まったくルールを守らないのである。おのれの家の

ゴミを外に出せば、それで良いと考えている。これほど利己的

な連中は見たことがない。世界中で嫌われるのはよく分かる。

 

日本人は、阿吽の呼吸で、言葉に出さずとも互いに理解し合って

きた。しかし、阿吽の呼吸、以心伝心が通じない連中が、日本

列島に増えだした。彼らを阿吽の呼吸の文化に取り込むか、

言葉でもってきびしく教えるか、岐路に立っている。

 

日本人相手のように、優しく接しても、中国人に通用しない。

秋霜烈日のきびしい対応が必要である。びしびしと注意し、

断固たる取締を強行すべきである。優しく接すると、それを

温情と考えず、舐めてかかる、これが中国人である。異邦人か

エイリアンと思った方がいい。

 

平成30年4月3日(火)

貴乃花の処分に異議あり

アホ親方が100名集まっても

アホはアホ、バカはバカである。     


■貴乃花への処分は集団リンチであり、パワハラである。
デモクラシー国家において、こういう理不尽なことが行われることこそ、

相撲協会の最大の問題である。百名の年寄が、よってたかって、貴乃花を

つるし上げたのは、重大なる人権の蹂躙である。

■八角親方は、年寄会と理事会における、その場の「空気」に付和雷同し、

論理的、科学的根拠もなく、貴乃花を断罪した。これは無実の人間を

処罰した冤罪であり、人権を無視した不当な処罰である。
責められるべきは、貴乃花ではなく、相撲界の人権無視、デモクラシー

不在の体質である。この問題と比較すると、貴乃花が報告しなかったとか

いう事件なんぞは、あまりも小さな問題であり、枝葉末節の話である。

■大相撲界の最大の問題は、@暴力的風土、Aパワハラ的風土、B閉鎖的風土、

C非民主的な体質、などである。この問題に目をつぶり、解決する能力がないのが、

八角以下の無能な親方である。責められるべきは八角とそれに追随する親方衆である。

■現下の相撲の核心問題は「白鵬問題」である。
朝青龍から白鵬へと続くモンゴル力士の傍若無人の振る舞いは、大相撲の歴史の

中で最大の不祥事である。白鵬問題を放置してきた八角以下の親方衆は、問題を

貴乃花にすり替え、責任を転嫁して、貴乃花を処分して事態を納めようとしている。

■貴乃花は、協会を批判し、場所を欠席しただけである。これが大横綱を年寄と

いう最下級の地位に落とす罪になるのか。かくも枝葉末節な問題と、白鵬問題は、

どちらが大きな問題なのか。小学生にも分ることを、八角以下の親方衆は理解で

きないのか。この連中の知能指数はゼロであり、痴呆である。

■日馬富士と貴公俊の事件はまったく性質の異なる事件である。
日馬富士の事件は「暴力」による「傷害事件」である。しかし、貴公俊の事件は、「体罰」

あるいは「しつけ」である。親が子をしつける時に振るう体罰と同じ範疇の「力の行使」である。

両者はまったく違う。この違いを理解できない人間があまりにも多すぎる。ゆえに冤罪が発生し、

不当な裁きが行われるのである。