英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成30年5月31日(木)
本丸・田中英寿を早く逮捕しろ

日大問題の核心は、田中英寿である。問題は、この男に尽きる。
こいつは悪の権化である。諸悪の根源である。こいつを引きずり降ろすか、
逮捕しないかぎり、日大問題は終わらない。

それでもジワジワと田中英寿に正義の刃は迫っている。周辺から
攻略され、落城も間近い。ただし、田中英寿は、記者会見などして
問題を収めるということはできない。記者会見ができるような頭を
持っていないからだ。かぎりなく脳が空っぽの男である。

田中英寿の最後は、世界の独裁者の末路と同じだろう。日大革命が発生し、
田中英寿はみじめに追放されるか、獄につながれるだろう。日大アメフト
部の選手や父兄会や、教職員組合が、声を上げ始めているのは、日大革命
の兆候である。

この声は、田中英寿の行動が遅れれば遅れるほど、巨大な潮流となって
田中や内田や米倉などの権力者どもを飲み込んで行くだろう。あまりにも、
田中英寿の行動は遅すぎた。この男の命脈も尽きた。


平成30年5月30日(水)
大学には組織論は存在しない

世間の人は、大学について、無意識のうちに、会社組織を頭に描いて
考えている。しかし、大学には近代的な組織というようなものは存在しない。
前近代的な家業か、商店のような組織である。

大学には、教授と、事務員と、学生という三つの人間がいる。
教授は個人商店の店主である。教授会という商店主の集まりを、月に一回
開催するだけで、教授会は組織ではない。意思決定するだけで組織として
日常的に活動していない。教授会には指揮命令系統の上下の序列はない。
教授ひとりひとり対等の人間である。教授会は商店主の商店会である。

ゆいつの組織は事務局である。事務局には、部長、課長、係長、ヒラがいて、
事務的な面から大学を運営している。一方、学生は学生であって組織ではない。
一人一人、独立の人間である。

大学の序列は、教授→事務局→学生となっており、タテの関係である。授業料を
払っている学生、お客様として一番偉いはずなのに、大学では最下層になっている。
事務局職員は、教授にはヘイコラするが、学生に対しては偉そうに振る舞う。

小中高校では先生が事務的な仕事を行う。先生と事務職の両方を兼ねている。
しかし、大学では教授は煩雑な事務仕事はしない。専任の事務職員がいるからだ。

結局、大学では教授、事務職員、学生が、それぞれ独自に存在しているだけで
大学には指揮命令系統が確立された組織は存在しない。そうすると、日大理事長
の田中英寿や、内田正人のような人間がやすやすと権力を握ることができる。
すなわち、経営陣である理事を掌握すれば、大学の権力を握ることができる。
しかも、理事の数は大勢ではないから、息のかかる人間で固めることができる。

その上、大学には企業のような外部取締役や、株主総会がない。きびしくチェック
する人も組織も存在しない。いったん権力を握れば、したい放題である。日大の
田中英寿が権力を掌握するのは簡単だったはずだ。しかも、田中英寿は相撲部出身の
こわおもてである。ひ弱なインテリ教授を支配するのは、赤子の手をひねるような
ものである。田中英寿の追放がないかぎり、日大の刷新はありえない。


平成30年5月29日(火)
阿吽の呼吸、以心伝心
日大アメフト事件を論理的に考える。


内田監督は「ケガをさせてこい」と指示していないと証言した。
実はあれは真実かも知れないのである。なぜかというと、日本では、欧米人
のように、明瞭明晰に言葉を使う文化でないからだ。ようするに、言ったのか、
言わなかったのか、曖昧なのである。まさに阿吽の呼吸であり、以心伝心である。

内田監督は指示していないと主張し、宮川選手は指示があったと主張している。
真向から対立しているが、どちらの主張も正しいのである。ここに日本の
非言語のコミュニケーションの問題がある。言ったか、言わなかったか、
真相は藪の中である。

内田は、宮川選手に対して、曖昧に、以心伝心で、「ムニャムニャ」と指示した
のだろう。なぜならば、内田という男が明瞭明晰に、論理的に宮川選手に指示を
下せる人間ではないからだ。記者会見を見たらわかる通り、ムニャムニャと、
曖昧に話す男である。言語不明瞭な男である。

一方、宮川選手は、ケガさせてこいと、指示されたと
忖度した可能性がある。
あるいは誤解、曲解した可能性も否定できない。宮川選手側からすると、普段、
話したこともない、雲の上の監督の一挙手一投足を見て、忖度したのだろう。
宮川選手は、内田監督の阿吽の呼吸による指示、すなわち、潰してこい=ケガを
させろ、と忖度し、理解したのである。

この事件は、どこまで行っても、真相は明らかにならない。指示したという記録
(証拠)が残っていないからである。世間は、宮川選手が100%正しくて、
内田監督は、ウソを言った極悪人となっている。最近の風潮は、レッテルを
貼って、袋叩きにする。これを
日本の韓国化と呼んでいる。韓国は、世論が
180度ひっくり返り、袋叩きをする文化である。未熟な文化である。

日本は成熟した国家である。韓国とは違う。今回の事件で、内田監督を袋叩き
にしているが、良くないことだ。冷静に、論理的に日大問題を考えろと言いたい。
たしかに、出てくる日大の幹部がアホばかりだから、事態を余計に悪化させている。
問題解決のためには、理性と知性のある日大幹部の登場を期待する。

平静30年5月25日(金)その2
日大学長、大塚吉兵衛の記者会見を見た。
この男もカスだった。ただの大バカヤローである。
日大には、まともな奴はいないのか。
次々と出てくる奴が、どいつも、こいつも
アホ丸出しである。

大塚という学長、こんな奴が日大学長とは、フーテンの寅さんのセリフを
借りると驚き、桃の木、山椒の木、ブリキにタヌキに、蓄音機である。
大塚吉兵衛、この男、ほんとうに12万人の頂点にいる日大の学長か、
ボケた、ただのクソおやじでないか。あまりの知性の無さに、ゴジラ先生は、
口をあんぐり開けている。

もう一つ、記者の質問が全く駄目である。追求があまりにも甘い。
相手を激怒させるような質問をしろ。隔靴掻痒である。質問が甘すぎる。
これでは記者会見ではない。大塚が、のらりくらりと、はぐらかす
ばかりで本質に迫らない。肝心なところで、質問が腰砕けである。

新聞記者諸君よ、お前たちにも大きな責任がある。お前たちの知性も
内田や大塚とドングリの背比べである。日本ディベート研究協会で、
徹底的にディベートを鍛えなおしてやる。とてもじゃないが、現状では
新聞記者として通用しない。


平成30年5月25日(金)
米倉久邦、史上最悪の職員だ

この男、日大の記者会見で、記者の会見を妨害し、打ち切ろうした。
いまどき、こんな古典的な傲慢無礼な人間がいることに驚いた。
昔なら、政治家や金持ち経営者にいたかもしれない。しかし、今は
お客様や世間の評価が会社や組織の盛衰を決める時代、こんな男は
絶滅していたはずである。元共同通信社の記者だそうだ。

日大という組織がいかに腐っているか証明した。日大は、学生にも
父兄にも、世間にも、まったく顔が向いていない。ただひたすら日大
という組織のためにだけ顔を向けている。すなわち理事長の方しか顔が
向いていない。日大あって学生なし。日大あって父兄なし。日大あって
世間なしである。企業でいう顧客志向などさらさらない。

同時に、新聞記者という人間の本質を表している。会見場の記者は、この男
を猛烈に批判していたが、同時に、あの男は批判している記者の投影である。
新聞記者の本質はこういう者であるということを、あの男は示したのである。
人のふり見て我がふり直せと言いたい。

しかし、この男は、早晩、クビになるだろう。いくら世間知らずの日大でも
あの男は許容の限界をこえている。同時に、こういう男には徹底的に弾劾し
その傲慢無礼を教えてやらねばならない。北朝鮮のデブ金と同じ体質である。
日大は、一分でも一秒でも、早くこの男を追放しないと、日大組織そのものの
危急存亡となるだろう。

同時に、株式会社制度の大企業は、よくできている。こういう人間が生存できる
余地はまったくない。大学という組織は、組織をチェックする人間も機関も存在
しない。ゆえに、内田監督が存在し、田中英寿が独裁し、米倉久邦が威張っている。
大学という組織を、根本から改革しない限り、ミニ日大は全国にいくらでもある。
谷岡郁子の至学館大学など、その典型である。


平成30年5月24日(木)
往生際が悪いぞ、内田!

昨夜の記者会見、恥の上塗りである

まず第一、今ごろ、どの面下げて、記者会見を開いているのだ。
恥ずかしいと思わないのか。いやいや、内田という男の辞書には
恥という文字がないらしい。そういう意味では、韓国人と同じである。
これを恥知らずというのだ。

第二、事ここに及んで、まだ言い訳ばかりである。この男には
いさぎよさというものがない。まさに往生際が悪い。男らしさの
かけらもない。男の風上にも置けぬ奴である。

第三、日大の理事職をいったん停止し謹慎するとは、どういうことだ。
いさぎよく辞任しろ。どこまで行っても、往生際が悪い。未練た
らしい奴である。こんな男が常務理事だとは、日大の権威も威厳も
地に落ちた。

第四、指示していないだと、何をボケたことを言っているのだ。お前の
存在そのものが指示なのである。お前の態度が指示なのだ。お前の態度
を忖度して、井上コーチが実行したのだ。主犯はお前である。

第五、記者会見を打ち切ろうした、日大の広報部はアホ人間の集まりである。
明け方まで夜通しやる覚悟で記者会見をやれ。記者会見を打ち切るなどと
いう発想そのものが日大の病根の深さを証明している。組織が腐っている
ことを示している。

結局、昨夜の会見は火に油を注いだ。どころかダイナマイトを放り込んだ。
やることなすこと、表面を糊塗することばかりで、一番大切な誠意がない。
ゆえに、すべてが失敗するのである。内田と井上、そして理事長の田中英寿
これをアホ・バカ・マヌケの三重奏カルテットという。


平成30年5月23日(水)
宮川泰介クン、君は偉い。
正々堂々たるスポーツマンである。
それに反して、63歳の内田正人は人間のクズだ。
最高責任者の田中英寿はもっとクズである。


ゴジラ先生が二十歳のときだったら、とてもじゃないがあの会見は不可能である。
もし会見したとしたら、足はガクガク、手は震え、額から汗が滴り落ちただろう。
もちろん、しどろもどろで、まともに発言できないだろう。

宮川クンが卒業したら、企業でアメフトをやったらいい。あるいは、今、大学を
休学して、アメリカに留学したらいい。アメリカでアメフトの真の面白さや楽しさ
を再確認した方がいい。あんなクソ内田のせいでアメフトを捨てることはない。

それにしても、内田元監督と理事長の田中英寿は、最低最悪の人間である。いまだに、
雲隠れしている。どういう神経をもっているのか。オール日大12万人の頂点にいる
人間として恥をしれ。

関学の監督の応答も大変よい。宮川くんの態度を尊敬するという言葉に救われる。
宮川泰介クンのいさぎよさは、いくらほめてもいい。あの態度こそ日本の武士道である。
散る桜、残る桜も、散る桜。潔く散ってこそ日本の若者である。特攻隊で散っていった
若者の精神である。田中英寿と内田正人は、市中引き回しの上、打ち首獄門、さらし首である。

平成30年5月22日(火)
超巨大組織・日大に何が起きているのか
オール日大12万人の元凶は誰か

日本陸軍が世界に誇る傑作「作戦要務令綱領第10」にはこう書いてある。
「為さざると遅疑するとは、指揮官のもっとも戒むべきところとす。
これこの両者の軍隊を危殆に陥むること、その方法を誤るよりも
さらに甚だしきものあればなり」

内田を含めた日大幹部は、作戦要務令が戒めている指揮官である。
人間は、状況を判断し、意思決定する。状況がどうなっているか、このことを
正確に判断することは、人生において非常に大切である。この判断を誤ると、
すべては失敗に終わる。

内田と日大幹部には、状況判断能力がまったく欠落している。巨大組織であり、
株主のようなチェック機能がない大学では、独裁的な人間が独断的な経営を
している可能性が高い。至学館大学の
谷岡郁子などが典型的な例である。
日大もそうである。
田中英寿という相撲部上がりの人間が権力を握っている。
内田は田中の腰巾着である。子分である。田中英寿こそ、黒幕である。
こいつのクビを取らないと、日大の改革はありえない。

状況判断を誤ると、すべてが後手後手に回る。すべてが裏目に出る。
タックル事件が起きてから、内田と日大幹部は、二週間以上も傍観していた。
田中も、内田も、偏差値の低いスポーツ馬鹿である。こういう程度の低い
アホウが巨大組織日大の経営陣であることが信じられない。いかに大学経営
というものが安易であるかを証明している。

日大の大学生の数は
7万3千人である。トヨタ単体の社員数は7万8千人である。
世界のトヨタに匹敵する数である。トヨタの連結社員数は38万人である。
幼稚園を含むオール日大は12万人である。卒業生は100万人である。
日大は超巨大組織である。しかも、株式会社でないから、株主のきびしい目がない。
外部役員からの注文もない。経営者たる日大理事長の独裁体制になる。

今回の事件のすべての原因は、ここにある。この閉鎖的な独裁体制を革新しないと
日大の未来はない。日大といえども、平家物語の二の舞となる。
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰のことわりをあらわす、
奢れるもの久しからず
ただ春の夜の夢のごとし。

平成30年5月21日(月)
内田監督よ,謝罪相手の名前を間違えちゃおしめえーよ
関西学院は、kwanseigakuinである。
その上、ピンクのネクタイとは。お前はアホか


日大の内田監督、どこまで行っても大アホウである。
極めつけのアホ・バカ・マヌケとしかいいようがない。
関西学院大学(カンセイガクイン)の名前を間違えるとは、
致命的な過ちを犯した。関西の人間には常識であるが、
関東の一般の人は知らないだろう。さらに正確にいうと
クワンセイ学院である。英語ではkwanseigakuinと表記する。

内田は、自身の学生時代をいれると、半世紀以上、試合を
してきたはずだ。その相手の名前を間違えるとは、あきれ
果てて、モノが言えない。こういうのを恥の上塗りと言う。
日大の内田には、最も大切な人間の「誠意」がない。

内田は、ピンク色のネクタイを締めて、会見に現れた。
この男には脳ミソがあるのか。ピンクのネクタイをすることが、
世間の常識と大きくずれていることに気が付かないのだから、
もう何をかいわんやである。

ぶら下がり会見ではなく、正式の会見を開くということに
思い至らないのか、日大とは理解不能な人種の集まりである。
何から何まで、トンチンカンである。

日大は自分たちには誤りはない。無誤謬の存在であるという
傲慢で、尊大な態度が見え隠れしている。これが日大の体質
というものだろう。ゆえに、いまだに対応が後手後手に回り、
火に油どころか、ダイナマイトを放り込んでしまった。

そういう意味では、トキオの対応は見事だった。素晴らしかった。
間髪を入れず記者会見をして謝罪した。大火になる前に火種を消した。
日大の総帥は田中英寿である。この男が真の黒幕である。この男の
判断が日大の傷を致命的にした。日大の改革は、田中英寿のクビを
とることである。心ある日大人よ、立て、田中英寿を追放しろ。


平成30年5月18日(金)
日大の内田監督よ、
トキオの松岡昌宏を講師に招いて
危機管理と謝罪方法を学習しろ


日大はいったい何をしているのだ。あまりの遅さに驚くばかりである。
すばやく謝罪会見をしたトキオを学習しろ。とくに、松岡昌宏を
講師に呼んで、「謝罪とは何か」を勉強しろ。

作戦要務令にはこう書いてある。
「為さざると遅疑するとは指揮官のもっとも戒むべきところとす。
これこの両者の軍隊を危殆に陥らしむること、その方法を誤るよりも
さらに甚だしきものあればなり」と。

日大の経営者は、まさにこの作戦要務令のいう通りだった。
関学大が会見するより、日大が先に会見するのが常識である。
日大は常識すらもない学校なのか。組織としてまったく機能し
ていない。組織の指揮命令系統が崩壊している。

田中英寿と内田監督の独裁体制が、職員から思考力を奪っている。
思考力のないイエスマンばかりになっている。それにしても
あまりの対応の遅さ、スピード感のないのには、信じられない。
タレントのトキオのスピードと誠実さを学べと言いたい。

松岡昌宏を講師に招いて、危機管理について勉強しろと言いたい。
日大には危機管理学部があるそうだが、悪い冗談ではないのか

西城秀樹のご冥福を祈る。
スピードと身体のキレがあるスターだった。
あの身体のキレは素晴らしい才能だった。
惜しい人物だった。改めて脳梗塞の怖さを実感した。
今度は、天国という舞台で活躍してもらいたい。
君のご冥福を心よりお祈りします。


平成30年5月17日(木)
日大総長田中英寿よ、
アメフトの内田監督よ
早く出てきて、土下座し謝罪しろ


日大アメフト事件、日大の対応は世間を舐めている。
すべての対応があまりにも遅すぎる。遅れれば遅れるほど
日大はますます不利になっている。傷口は大きくなるばかりである。
日大の経営を揺るがす事態となるだろう。

現在の理事長が田中英寿である。日大相撲部あがりの独裁者である。
アメフトの内田監督は田中の腰巾着である。対応が遅れているのは、
田中英寿の責任である。多分、内田監督は、事件後、すぐ田中に
相談しただろう。そして田中は、なんとか事件を収めることがで
きると、世間を舐めたのだろう。これが致命傷になった。

田中英寿は、日大相撲部の監督として、大相撲界に多くの力士を
送り込み、大相撲界に隠然たる力をもっている。相撲を国際競技に
した男である。これは余計なおせっかいである。大相撲は、神事として、
日本文化の精髄である。国際化する必要は全くない。

至学館の谷岡郁子と同じである。危機管理が全くできていない。
独裁者には、良い情報や、アドバイスをする人間がそだっていないからだ。
その結果、裸の王様になっている。

日大にとっては、変革するための絶好のチャンスである。田中英寿の体制を
快く思っていない人は大勢いるはずだ。田中をクビにする絶好の機会である。
ネットでみると、田中は、山口組の六代目司忍とツーショットで映っている。
これは致命的な過ちである。大学の理事長が、山口組の親分と交際していては
冗談にもならない。いずれにしても田中理事長と、内田監督は、即刻、辞任
しなければならない。


平成30年5月16日(水)
日本よ、孤高に耐えるイスラエルたれ

テレビは、イスラエルの攻撃に批判的で、パレスチナ人に同情的である。
イスラエル兵の発砲を非難し、パレスチナ人の抵抗を賛美しているように
報道する。しかし、問題そんな単純なものではない。両者の民族紛争は
イスラエル建国の時代から存在する。

数千年間、世界を放浪したユダヤ民族が、1948年、故郷の地にユダヤ人
の国を建国したのである。ユダヤ人にとっては当然の建国だった。
しかし、不倶戴天の敵、アラブ諸国が干渉し、イスラエル独立戦争が
はじまった。

数多くの戦争を勝ち抜き、イスラエルは、確固たる国家を作り上げた。
ゴジラ先生は、パレスチナ人にも同情する。しかし、現実の世界は
強い民族が生き抜くのである。ユダヤ人は、数千年間の民族の悲劇と
屈辱を経験しているだけに、アラブ諸国とは根性が違う。

日本人が学ぶべきはイスラエルである。イスラエルを取り巻く、憎悪に
あふれた敵国との闘争に勝利してきたのである。日本も状況がまったく
同じである。憎悪の国、中国、南北朝鮮民族、そしてロシアに囲まれている。
この中で生き抜くには、イスラエルの経験、生存方法、軍事戦略などが、
日本の理想的なモデルである。とくに、ハリネズミのような軍事戦略を
しっかりと学ぶことである。また諜報戦略もモデルである。

イスエラルは徴兵制である。男も女も、兵士として国家の防衛の任務につく。
女性兵士が当たり前に存在するである。平和ボケしている日本とは天と地ほ
ど違う。日本は、徴兵制といえば、アホの一つ覚えのように反対するマスコ
ミと政治家ばかりである。

徴兵制は国家防衛の最終手段である。ゆえに、アメリカも、イギリスも、
フランスも、ドイツも、一旦緩急あらば、いつでも徴兵制を施行する。
徴兵制を悪だと言っているのは、世界中で日本だけである。日本人が、
いかに異常な発想をしているか、狂気な人間であるか、少しは世界の現実を
見ろと言いたい。日本は、孤高に耐える、イスラエルたれ。

平成30年5月15日(火)
白鵬よ、お前、まだやっているのか

いいかげんに引退しろと言いたい。お前の醜いツラやたるんだ腹など
とてもじゃないが、見たくない。これは日本の相撲フアンの意見である。
横綱土俵入りは、腕を曲げ、手をチョコンと横にだす、何とも奇妙な
姿である。歴史と伝統の不知火型を侮辱している。あれは変形モンゴル
踊りである。

サッカーの元監督ハリルホジッチと同じである。往生際が悪い。
未練たらしい。いさぎ良さがない。すべての職業において、引き際が
大切である。ハリルも、白鵬も、晩節を汚した。画龍点睛を欠く。

散る桜、残る桜も、散る桜。これは特攻隊の精神を表したものである。
すなわち日本精神であり、散り際の美しさである。ハリルも白鵬も、
しょせん外人だった。とうとう最後まで日本人の美学が分からなかった。

日本精神とは何か。それは武士道精神である。武士道は日本文化の象徴である。
日本が世界に誇る文化である。これは中国にも、まして朝鮮半島にはまったく
存在しない。中国や朝鮮半島の文化は、武士道精神とは対極にある文化である。
裏切り、背信、卑怯卑劣の文化である。敗者を足蹴にし、恥をかかせる文化である。
ドブに落ちた犬を叩く文化である。千年でも、二千年でも、恨みぬく文化である。

日本は朝鮮半島と断絶することが最良の政策である。米朝関係、南北関係がどう
なろうとも一切関係ない。朝鮮半島とは、我関せずである。対馬海峡がある限り、
朝鮮半島が日本に干渉する事は不可能である。

日本は、海洋国家、島国国家として、太平洋に顔を向けろ。
朝鮮半島と大陸の方を向くな、手を引け。
朝鮮半島と大陸に関わるとロクなことはない。
これが歴史から学んだ教訓である。


平成30年5月11日(金)
軍事力なき日本は拉致被害者を取り戻せない

現実の世界政治を決めるものは軍事力である。
貧乏国家・北朝鮮が生存できるのも軍事力である。
とくに核とミサイルである。これさえあれば、
世界最強のアメリカも恐るるに足らずである。

軍事力がない日本が、単独で、拉致被害者を取り戻すのは
不可能に近い。かつての大日本帝国の栄光が懐かしい。
もし帝国陸海軍が健在ならば、北朝鮮に敵前上陸し、
平壌を攻略し、ブタ金を捕虜にして、拉致被害者を奪還し、
東京に凱旋してるだろう。

日本人よ、現実に目覚めよ。軍事力の強化を図れ。軍事力が
ないゆえに、竹島は占領され、北方領土は返ってこないのだ。
日本が、今、直ちにやるべきことは、防衛費を2パーセント、
10兆円に増強することである。

今、政治は、枝葉末節な問題にかかわっているときではない。
加計だ、森友だと、あまりにもくだらん。最優先すべきことは
軍事力の増強である。3計画、5年計画、10年計画で、世界屈指の
軍事力を持て。

イスエラエルを学べ。かつて世界の流浪の民だったユダヤ人は、
今や世界屈指の軍事強国となった。徴兵制を敷き、男も女も兵士として、
国家防衛に尽くしている。平和ボケした日本人とは、天と地ほどの
違いになった。明治の祖父母が、泉下で哭いているだろう。

日本人よ、少なくとも、我らの先祖、明治以降の祖父母の精神を
学ぼうではないか。祖父母たちは偉大だった。極東の小さな島国が、
西欧列強に舐められないために心血を注いで、大日本帝国を作り上げた。
大日本帝国とは世界史の中に燦然と輝く偉大な国家だった。戦争に負け
たからといって、明治以降の歴史を抹殺するのは、祖父母に対する許さ
れざる侮辱である。

平成30年5月10日(木)
清宮には華がある
才能とは何か


清宮がホームランを打った。若いのに、この男には華がある。
華は非凡なる人間が持っているものである。凡人にはない。
長嶋茂雄のような人間が持っている。

持って生まれた天性のものというが、天性も才能である。
凡人は、何千回、何万回走っても、百メートルを9秒で走れない。
桐生にも、ウサインボルトにもなれない。

これが残酷な現実である。練習すれば、ある程度の能力は身につく。
しかし、同じような才能の人が圧倒的に多数存在する。
ドングリの背比べである。ワン・ノブ・ゼムの中に埋没する。
それを突き抜ける人間が、群を抜いた才能を持った奴である。

凡人という過酷な現実の中で、努力は遅々として結ばないが、
凡人は努力するしか生きるすべがない。大金持ちで、大邸宅に住み
左うちわで暮らせる財力はないからだ。

清宮にも、桐生にも、夏目漱石にも、渡辺淳一にもない能力を、自らの
努力で、開発するしかない。営々たる年月の努力がいる。しかし、やる
しかない。これが凡人の悲しい点だ。

ただ神様は、その努力を見守っていると、聖書には書いてある。
そういう意味では、聖書は凡人のための書である。
ゴジラ先生は、クリスチャンではないが、聖書は愛読している。
人生の教訓の宝庫だからだ。とくに、マタイ伝が好きだ。
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば
見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。


平成30年5月9日(水)
ドイツ製のユーロシムロの傘

今朝も恒例の暗唱ウオーキングにでた。
雨と風が強く難儀した。上下の雨ガッパを着て、長靴を履いて、
重武装である。これが雨の日のスタイルである。長年の経験から
編み出したものである。

傘はドイツ製のユーロシムロである。この傘は台風でもびくともしない。
高いところか落としても、車で踏んでも、壊れない。さすがドイツである。
こういう発想は日本人にはない。ドイツ人の精神を表している。
6580円である。高いが非常に高い価値がある

日本の傘は安くて便利だが、台風や春の嵐に耐久性がない。
ビニール傘はゴミになって環境を破壊する。日本人はもっと傘に金をかけ
一生ものとして大切に使うことである。ビニール傘はモノを粗末にし、
ゴミを生むだけである。廃止した方がいい。

便利であればいいという発想は、本来の日本人の発想ではない。
江戸時代から、日本人は、良いものを持ち、大切したものである。
高度成長が日本人の精神を堕落させた。金さえあれば、コンビニで
いつでも買えるという発想は良くない。ユーロシムの傘を使いだしてから
モノに対する心構えが変わった。ドイツ精神を見習っている。質実剛健。

平成30年5月8日⦅火)
寒い朝

気候がおかしい。今朝の寒さは五月とは思えない。
ゴジラ先生は、恒例の暗唱ウオーキングに出たが、
一枚シャツを重ね着した。小雨が降ったりやんだりだった。

ただし、雨の日は暗唱ウオーキングには最適なのである。
人に会う確率が低いので、大声を出せる。しかも、傘を
さしているので、顔を隠せる。

暗唱を始めて十数年になる。宮沢賢治の「雨にも負けず」
から開始する。平家物語、奥の細道、方丈記などから
作戦要務令もやる。文語文は簡潔な文体なので文体文型
の訓練には必須である。

口語文もやるが、夏目漱石や森鴎外である。現代の人間の
文章は冗漫で長ったらしいのでよくない。文章は、短文にして
簡潔にして、ムダな表現がないことが名文の条件である。

とくに、短文は名文のための必須条件である。反対に長文は
悪文である。長文を書く人は書き慣れていない人である。
長年、無数の文章を書いていると、必然的に短文になる。

もう一つ大切なことは、文章にはリズムがいる。トントンと
文章を読ませるにはリズムは必須である。

さらに言うと、限られた字数の中で、悪戦苦闘して書くことである。
字数がいくら書いても良いとなると、文章訓練にはならない。百字、
二百字の制限があると、その中で呻吟する。それが文章力を高める。
後は書いて書いて書きまくるしかない。量は質を規定する。


平成30年5月7日(月)
あっという間に連休が終わった
本日から労働の日々である。
労働者諸君、ガンバレよ


先日、春の叙勲というのがあった。あの発表があるたび、ムカムカする。
政治家や、官僚や、経営者や、知識人ばかりである。ただの一人も労働者
諸君も、主婦諸君もいない。

日本を支えているのは、サラリーマン諸君であり、労働者諸君であり
市井の名もなき商人諸君であり、家庭の主婦諸君である。

勲章は、政治家だと、官僚だと、経営者だと、大学教授だと、弁護士だと
糞くらえである。日本を作ってきたのは、テメエらではない。名もなき
市井の英雄たちである。

戦争の英雄が名もなき兵隊であるごとく、日本の日々の英雄は、労働者であり
サラリーマンであり、子育てに奮闘する主婦である。決して政治家ではない。

勲章を選ぶ側の人間が、お役人だから、日の当たる有名な人間ばかりを選ぶのだ。
軍隊には、金鵄勲章というのがあった。一切の身分を問わない。戦場で手柄を立てた
者のみに与えるのである。まことに公平だった。

階級が上の将校でも、金鵄勲章をもらった二等兵には、一目も二目も置いた。
総理大臣も、高級官僚も、大学教授も、弁護士も、一労働者、一サラリーマン、
一主婦に、敬意を払え、リスペクトせよ。

働く価値において貴賤の差別のない平等な社会にしないと、日本は住みにくい社会になる。
若者が夢と希望を持てなくなる。総理大臣の仕事も、主婦の仕事も,価値は同じである。
対等である。等しく尊敬の対象である。


平成30年5月2日(水)
山口達也クン、泥棒にも三分の理あり
君にも理あり、女にも非あり


日本には泥棒にも三分の理があるという諺がある。
泥棒にも言い分があるということだ。人生の知恵を
表したみごとな諺である。

トキオの山口達也を、マスコミは袋叩きにしているが、
山口にも理がある。女にも非がある。18才の女子高生が
男の部屋にゆくなど、言語道断である。外国だったら
女に責任があると女が非難される。それだけ女の危険さ
を戒めているのだ。かつての日本もそうだった。

しかし平和オンリーのボケた日本では、女に対して甘くなった。
男の危険さ指摘しなくなった。男はオオカミであり、隙あらば
女を犯してやろうと狙っている。これは男の生殖本能である。
動物の本能である。

どうも、最近の日本は、人の非を袋叩きする風潮である。
枝葉末節をとらえて、非難の大合唱である。官僚のセクハラ発言
モリ・カケ問題、そして山口ときた。

日本の韓国化を心配する。韓国は世論が右往左往する未成熟な社会である。
大衆が広場に集まり、政治家をつるしあげる。デモクラシーだと言っている
アホな国民だ。バカな日本のマスコミが、これを称賛する。あれはデモクラ
シーが未熟な証明である。先進国ではありえない。ゆえに韓国では独裁者が
でてくる可能性が高いのである。

日本社会は奥行きが深い。国民は成熟している。朝鮮人は、突然、狂った
ように怒り狂う。「火病」というそうだ。とにかく、南北朝鮮民族のような
キチガイ民族とは、断絶することが、最良の政策だ、アベちゃん。

平成30年5月1日(火)
早いものだ、もう五月である

一年の半分とは言わないが、今年もすでに五か月が過ぎた。
光陰矢のごとしというが、矢どころか光のごとしである。
人生はすぎてみれば早い。途中では早く感じないが、
過ぎ去ってみると、あっという間だった。人生ははかないものだと、
つくづく思うようになった。

ゴジラ先生も、人生の終わりを意識するようになったのだ。
残りの人生を、どのようにして、悔いのないように終えるか、
真剣に考えている。計画している。

金をもってあの世には行けない。今、持っている金はたいした
額ではないが、すなわち、少ない金ゆえに、計画的に使いたい。
しかし。どんと使うときは使いたい。思い切って使いたい。

金にケチケチしないことにした。以前は、若いころは、残りの人生が
長いと考えるゆえに、大切に始末して使ってきた。しかし、今や始末
するよりも、楽しんで使おうと決心している。少ない金ゆえに、一点に
集中投資である。

はてさて、こうなると、頭が痛い。大金持ちだったら、悩む必要はないが
貧乏人は、金が少ないゆえに、大いに悩むのである。ようするに、貧乏人は、
最後の最後まで、悩むということだ。

明日、考えることにしよう。明日は明日の風が吹く。
聖書マタイ伝はいう。明日のことを思い悩むな、明日は明日みずから思い悩まん。
一日の苦労は一日にてたれり。