英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成30年6月20日(水)
日本サッカーの歴史的勝利を祝す
日本対コロンビア戦。
やった、やった、とうとうやった。
歴史的な勝利だ。
監督と選手諸君にお祝いを申し上げる。

運が良かった。
天佑神助である。
運も勝利のための大切な要素である。

次は25日のセネガル戦である。
ナポレオン曰く、最大の危機は勝利の瞬間にあり。
秋山真之曰く、勝って兜の緒を締めよ。


平成30年6月18日(月)
是枝というクソ野郎

金曜日の続きであるが、考えれば考えるほど、是枝という男が許せないと
思うようになった。こんなクソ野郎の映画で、世界中が日本文化を万引き
文化だと思われると、無性に腹が立ってくる。売国の映画である。

是枝の映画をボイコットせよ。徹底的に無視せよ。今後は、是枝の映画に
対する助成金を拒否せよ。国民として、納税者として、断固たる反対をする。
科研費で、反日を研究する学者や、軍事研究を拒否する日本学術会議と同じである。

戦後、長い間、この手の反日学者や反日文化人を許してきたが、今後は、
納税者の視点から拒否したい。われら庶民の血税が、日本人を貶めるような
ものに投じられることを、断固として拒否したい。

是枝に、庶民を無視し、バカにすると、とんでもないことになることを教えよう。
映画監督という文化人を気取っているが、その本質は、国民庶民を上から目線で
見下しているのである。万引き家族という映画がその証拠である。

フランス政府の申し出には尻尾を振るくせに、日本政府の申し出は拒否する。
甘えるのもいい加減にせい。鼻もちならない、反吐が出るような男である。
いずれにしても、是枝の映画を徹底的にボイッコトしよう。


平成30年6月15日(金)
是枝監督の思い上がり
こいつは左翼小児病にかかった売国奴である


是枝映画監督の映画「万引き家族」が、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した。
そこで参院文教科学委員会において、立憲民主党の神本美恵子が政府に対して、「政府は是枝監督を祝福
しないのか」と質問した。それに対して林文部科学大臣は、「パルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく
誇らしい。(文科省に)来てもらえるか分からないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と発言した。
しかし、問題は、その後、文部大臣の祝意の申し出を拒否した是枝の発言である。是枝は次のように言った。

「映画がかつて、国益や国策と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですが
このような平時においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞い
なのではないかと考えています」

この発言には、次のような見逃すことができない問題がある。

■第一、まず彼の考え方そのものが、カビのはえた左翼リベラルもどきの発想である。権力と対峙することを
かっこよいと考えているあまりにも古い発想である。ソ連の崩壊とともに絶滅したはずの左翼思想がいまだに
生きていたことに驚いた。ようするに、是枝の発言は、左翼風の人間がよく使う紋切り型の発言である。
腐臭がただよう発想である。手垢がついた思想である。こういう古臭い発想をする人間が映画監督とは
驚くほかはない。この手の紋切り型の発想をする人間の作品は評価できない。万引き家族という作品は、
奇をてらった作品にすぎない。日本人を誤解させる恥ずべき作品である。

■第二、是枝の認識は、戦前=悪という固定観念で固まっている。戦前はすべて間違った時代だったという
前提に立っている。七〇年前のマッカーサーとGHQそのままの認識である。是枝は日本の歴史に対して全く
無知である。とくに戦前の歴史に対して無知蒙昧である。明治・大正・昭和のわが先祖がつくった大日本帝国
の輝かしい歴史と実績を冒涜している。明治以来の私たちの祖父母に対する愛情がない。リスペクトのかけら
もない。歴史を否定するものは歴史から罰を受けるだろう。

■第三、是枝がいう公権力とは具体的に何か。誰なのか。何を指しているのか。公権力などという抽象的なものが
存在するのか。是枝に言いたい。公権力とは政府である。政府とは国民を代表した存在である。ゆえに、公権力とは
国民そのものである。公権力と距離を保つとは、国民から距離を保つということである。国民の意思、国民の願い、
国民の祝意を拒否することである。思い上がりも甚だしい。自分を何様だとおもっているのだ。

■第四、是枝監督の作品は、文化庁が所管する独立行政法人・日本芸術文化振興会の「文化芸術振興費補助金」から
二千万円の助成を受けている。国の助成を受けて、映画を作っておきながら、公権力と距離を置くとは、矛盾している。
青臭い考えである。しかも、もともとカンヌ映画祭は、フランス政府の主催で始まった映画祭である。フランス政府が
深くかかわった映画祭で賞をもらいながら、日本政府からの祝福を拒否するとは、矛盾どころか、思い上がりである。
フランス政府には尻尾をふり、日本政府には粋がって断って見せる。しょせん是枝は、左翼かぶれの小児的な男にすぎない。
文化庁の助成金を返還し、次回からカンヌ映画祭に行くなと言いたい。文化庁の助成金とは国民の税金である。
是枝よ、即刻、助成金を返せと言いたい。何が映画監督だ、単なるクソ野郎にすぎないではないか。


平成30年6月14日(木)
トランプはトランプファーストである。
米朝会談、金正恩の勝ちである


金正恩は、アップアップし、溺れかかっていたのに、
トランプが助けてしまった。トランプは、派手なことが
好きな男である。自分の政治ショーのための米朝会談だった。
日本や韓国、東アジアの平和など関心がない。

アメリカファーストというよりトランプファーストの男である。
自分の利益になればいいと考えている超現実的な男である。
まさにビジネスマンである。トランプカンパニーにとって
利益なればいいのである。日本や韓国など眼中にない。

今回の米朝会談は、トランプのための会談であって、その結果
金正恩は体制保証という大きな利益を手に入れた。ゆえに
金正恩の勝ちである。トランプも、再選というおのれの利益を
手に入れた。東アジアの政治状況では金正恩の勝ち、トランプ
ファーストとしてはトランプも利益を得た。

トランプは、最初から北朝鮮相手に、軍事攻撃や戦争をする覚悟
はなかった。ビジネスマンが危険を犯すはずがない。ギリギリの
交渉をして実利を得たらそれでいいという考えである。金体制を
保証し、韓国や日本から兵を減らし、軍事費を削減し、アメリカが
豊かになればいいのである。世界平和や拉致問題などの人権問題に
は関心がない。

トラ君(トランプ)はそういう男である。歴代アメリカ大統領が
もっていた世界の警察官の使命感や。正義の味方の理想主義など
さらさらない。日本は、防衛費gdp2パーセント、10兆円を達成し
強力な軍事力を持ち、独自の外交を進めるべし。アメリカ依存から
脱却すべし。福沢諭吉いらい150年の独立自尊の国家を実現せよ。

平成30年6月11日(月)
新幹線の中で亡くなった一人の英雄に対して
金鵄勲章を贈呈する。
新幹線も飛行機と同じように金属探知機の検査を行え

新幹線の中で殺人事件がおきた。この手のキチガイは防ぎようがない。
ゆいつの解決策は、飛行機と同じ、手荷物検査を行うことである。
飛行機ほど厳重にする必要はないが、金属探知機を通ることは、
義務づけたらいい。そうすると、今回のようなナタの持ち込みは
防ぐことができるだろう。

それにしても女性をかばって、亡くなった38歳の男性が気の毒である。
こういう人には、国家が残された家族のために生活保障を行い、同時に
名誉勲章を授与すべきである。くだらん勲章などは廃止して、国家国民
のために命を投げ出した人を厚く褒章することである。

名称は「金鵄勲章」と命名すればいい。歴史と伝統のある良いものは
良いものとして復活すべきである。その代表が金鵄勲章である。戦前は
軍人の最高の栄誉だった。日本は天皇が日本国を象徴する国家である。
天皇は日本国民の尊崇を集める存在である。ゆえに、天皇からいただく
褒章こそ、最高の褒章である。

なぜ国民栄誉賞が権威がないか。それは総理大臣が表彰するからである。
日本の最高の賞は天皇陛下からいただく賞こそ最高に権威ある賞である。
総理大臣ではあまりにも軽すぎる。国民栄誉賞の名前を改めて「国民天皇賞」
と改名すべきである。天皇陛下から、直接、いただく賞である。国民天皇賞
の創設と、金鵄勲章の復活を提案する。

今回、新幹線内で戦死した英雄に対して、ゴジラ先生は、個人として
金鵄勲章を授与して、その名誉を讃えたい。jr東海は新幹線の中に、男性の
写真を飾り、その栄養をたたえてもらいたい。彼こそ英雄である。


平成30年6月8日(金)
児童相談所の大失態だ

結愛ちゃんを救えなかった最大の責任は児童相談所にある。
所長以下、所員は何をしていたのだ。二度も訪問し、二度とも
会えなかっただと、テメエラはアホか。何たる怠慢、何たる無策
これらのバカ所員に対して厳重なる処罰を行え。虐待死の片棒を
担いだという自覚をもって、心からの反省と謝罪を行え。

昨年、全国で58人の子供が、虐待で、亡くなっているそうだ。
これは届け出があった数字で、実態は、その三倍はあるとテレビで
虐待専門の弁護士が述べていた。

東京都の対応が全く遅れているそうだ。職員がまじめに対応しないと
弁護士が述べていた。小池さんよ、何をしている。直ちに対策をとれ。
親に拒否されても、相談員が家の中に踏み込む権限を与えよ。有無を
言わさず子供も保護する権限を与えよ。このままでは、虐待死が増える
ばかりで減ることはない。

幼い子供を見殺したのは大人の責任である。そのことをすべの大人は
強く自覚せよ。結愛ちゃんの事件を二度と起こすな。疾風迅雷の対応が
必要である。虐待の兆候が見えたら、有無を言わさず、保護しろ。

それに反して、和歌山のヒヒジジイの死は、天罰である。50億の資産を
持ちながら、犬に相続させると言ったり、22歳の女と結婚したり、こん
な阿呆は天国に行けるはずがない。地獄の閻魔大王の前で地獄の罰を受け
ているだろう。

金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るよりもむつかしいと
聖書に書いてある。和歌山のヒヒジジイはその通りになった。
天網恢恢疎にして漏らさず。神様はこういう悪人を逃がしはしない。

平成30年6月7日(木)
結愛ちゃん、天国で幸せになれよ

鬼畜という言葉があるが、その通りの人間がいた。
五歳の女の子を虐待し、食事を与えず、衰弱死させた。
この男と女(実母)に対して、同じ罰を与えて、女の子の
苦しみを味あわせてやりたい。

女の子はどれほど苦しみ、泣き疲れ、死んでいったことだろう。
意識が薄れる中で、なお、母の名を呼んでいただろうと思うと、
ゴジラ先生は涙が流れてやまない。

この男女は、過去、二度三度と虐待している。3月には顔を殴って
逮捕されたそうだ。過去、これほどの虐待があったのに、なぜ保護
しなかったのだ。警察や保護施設は何をしていたのだ。虐待した男と
女の罪も大きいが、保護しなかった警察と施設の責任も重大である。
五歳の女の子の命を救わなかった、その責任、万死に値する。

過去、このような事件は一度や二度ではない。かなりの数が起きている。
その都度、保護する側の不徹底な対応が問題になってきた。なのに、
また痛ましいことが起きた。いい加減にせい、と言いたい。

安倍さんよ、内閣よ、野党よ、動け、放置するな。直ちに対策をとれ。
警察と保護施設の責任者を叱咤せよ。きめの細かい政治をしてこそ
政治というものである。野党よ、モリカケや改ざん問題など、くだらん
問題に時間と税金を浪費するな。

「もうおねがい、ゆるして、ゆるしてください」
これが結愛ちゃんがノートに書き残した言葉である。
ああ、何たる言葉だ。何たる叫びだ。五歳の女の子の
悲痛な叫びである。ただただ涙を禁じ得ない。
この殺人鬼どもを死刑に処し、天国に送り、結愛ちゃんに
土下座して詫びさせろ。そのあと地獄へ追放しろ。


平成30年6月6日(水)
日大の独裁者・田中英寿の最後が迫っている。
独裁者の末路は哀れである。


日大の幹部、出てくる奴、出てくる奴が、どいつもこいつも
三流人間ばかりで、あきれはてる。せっかくの日大ブランドも
この連中のアホウぶりに、下がる一方である。

知性があり、良識のある人間が、出てこないと事態はますます
悪化するばかりである。組織というものは、独裁体制が、長く
続くと、幹部はアホウばかりになるのである。田中独裁体制の
恐るべき弊害である。

ゆいつの救いは、日大教職員組合である。独立した組織である
ゆえに、今まで存続できたのであろう。田中にしてみれば、たか
が、組合と思っていただろう。今までは、田中体制を脅かすもの
ではなかった。

今、組合にとって追い風である。世間の関心がこれほど盛り上がると、
組合を踏みつぶし、もみ消すことができなくなった。これが世論の
強さである。こうなると、田中包囲網は、着々と、狭まっている。
今までのように、強権を使って、もみ消すことができなった。

今、田中体制は、八方ふさがりである。万策がつきている。世の中を
なめてきたツケである。いつの世も、独裁者の晩年は哀れである。
大衆のつるし上げを受け、ムッソリーニか、チャウエスクか、カダフィか、
畳の上で死ぬことはできない。田中英寿も、無残な最期を迎えるだろう。
その時は、そこまで来ている。田中よ、南無阿弥陀仏、成仏せよ。

平成30年6月5日(火)
本日も天気晴朗なり
理科系脳と文科系脳


ゴジラ先生の技術不足で、ホームページの更新ができず、
6月の更新が本日になりました。

実は、わが研究会には天才ツッチーという人がいて、パソコンの
ことなら、いかなる難問も解きます。昨日からホームページの更新
で四苦八苦していましたが、やはり困ったときの天才ツッチーで
レスキューをお願いしました。おかげで見事に解決し、今、更新を
行っている最中です。

かねがね思っていることですが、パソコンのソフトの才能はいったい
どうなっているのか不思議です。天才ツッチーのように、やすやすと
分る人がいるのに、分らない人にとってはチンプンカンプンです。

学生時代の数学をイメージします。数学的才能のある人は、やすやすと
問題を解きますが、才能がない人はチンプンカンプンです。パソコンの
フソトも全く同じように思います。これを文科系の才能と理科系の才能と
でもいうのでしょうか。

ゴジラ先生は正真正銘の文科系脳です。理科系脳ではありません。
これは生まれつきのものだと思います。後天的に獲得できるものでは
ありません。どっちが良くて、どっちが悪いというものではなく、
人それぞれです。世の中は、この両者の才能があって成立しています。
両方の才能が必要だということです。