英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

平成30年12月3日(月)
天皇陛下は靖国神社を参拝すべし

平成天皇は来年4月で退位する。その前になんとしても実行して
いただきたいのが靖国神社の参拝である。平成天皇の靖国神社の
参拝なくして、平成は終わらす、戦後も終わらない。

昭和天皇は靖国神社を途中までは参拝していた。しかし東条英機
大将以下の七人が合祀されてから、参拝を止めた。誰の入れ知恵
か知らないが痛恨の行為だった。どんなことがあろうとも、天皇
陛下は靖国神社を参拝しなければらない。なぜならば、タテマエで
あろうと、ホンネであろうと、250万人の英霊は天皇陛下バン
ザイを叫んで、死んでいったからである。

平成天皇は平和主義者である。その後を継ぐ、皇太子はさらに
輪をかけて、平和主義者である。まして雅子さんは靖国神社を
一顧だにしないだろう。今後、天皇陛下の靖国神社参拝は、
永久とは言わないが、見通しうるかぎり実現しなくなるだろう。

こんな状態では、日本人は誰も祖国のために命を投げ出さなく
なるだろう。たしかに、現在、国際政治において、安倍さんは、
よく頑張っている。しかし靖国神社の参拝なくして、彼の政治は
臥龍点睛を欠くことになる。重大な欠陥政治である。

安倍さん以下の日本の政治家はだらしない。中国や韓国の非難を
恐れている腰抜けどもである。中韓と一戦交える覚悟で靖国参拝
する政治家はいない。今の政治家は小粒になった。中韓を圧する
ような迫力を持った政治家がいない。政治家不毛の時代である。

幕末、幕藩体制が崩壊寸前の時、吉田松陰以下の志士が登場した。
今はだらしない時代であるが、平成の志士が必ず登場すると、
ゴジラ先生は信じている。

平成30年11月30日(金)
徴用工判決、韓国と断交せよ。

韓国は近代国家ではない。古代国家である。韓国は封建時代
を通過し、経験してないゆえに、近代へと進化できなかった。
これが韓国に対する学者の共通認識である。日韓併合前の
李氏朝鮮は古代国家だった。韓国の歴史は、進化が止まった
まま、一千年以上、過ごしてきた。

古代国家だから、今回、新日鉄住金や三菱重工に対する判決
を出すのである。こういう論理が欠落した国家、科学的思考力
のない国家には、理詰めで説得しても効果も意味もない。

韓国のような国家には、力づくで、強引に攻めるのが効果がある。
国交断絶を含む、ありとあらゆる制裁を科して、痛い目にあわせ
ることが一番効果がある。戦後70年間、腫れものに触るような
扱いが、韓国人を増長させたのである。秋霜烈日のきびしい制裁
を行うべし。日本を舐めると痛い目に会うことを教えてやれ。

観光を自粛せよ。渡航を制限せよ。文化交流を禁止せよ。
資本を引き揚げろ。投資を中止しろ。韓国への輸出、韓国から
の輸入を禁止しろ。韓国が土下座するまで徹底的に痛めつけろ。
韓国人には、実物教育しか効果がない。口で言ってもブタの耳
に念仏である。カエルのツラにションベンである。

平成30年11月29日(木)
東京地検特捜部よ、ガンバレ

ゴジラ先生は、昔から、東京地検特捜部などという権力は大嫌いである。
こいつらは、自分たちの手柄のために、しばしば、大物を逮捕したりする。
そのエリート意識が鼻もちならないのである。

今回のゴーンの逮捕も、半信半疑であった。また手柄のためにやったの
ではないかと思ったりした。しかし、ここへきて、欧米からゴーン逮捕に
ついて批判が噴出している。アメリカのウォールストリートジャーナルが
日本の司法を批判し、宗教裁判だなどと文句をつけている。

フランスの動きもそうだが、欧米人対日本人という図式になっている。
欧米人は、フランス国籍をもつ白人のゴーンを擁護しているのだ。
ウォールストリートも同じ穴のむじなだ。アジア人、日本人をバカに
している。日本の司法制度のその内容について、共産国家・中国と同じ
とみている。独裁国家と同じだと批判している。

こうなると人種差別である。欧米人による日本人差別である。日本には
司法がないがごとく批判している。欧米人の日本蔑視は断じて許せん。
ゴーンを徹底的に取り調べろ。ゴーンが罪を認めるまで、とことん拘留しろ。
ゴーンも日本人を舐めたのである。ルノーでは不正はしないが、日産では
不正工作をしているのである。日本蔑視である。ゴーンを徹底的に締め上げて
欧米人の鼻をあかしてやろうではないか。東京地検特捜部よ、ガンバレ!

平成30年11月28日(水)
長年の貴乃花フアンだが、最近、
この男について疑念をもっている


長年の貴乃花フアンである。いっさいの疑念なしに彼を支持してきた。
しかし、今回、奥さんとの離婚の発表を受けて、長年の疑念が噴出し
ている。この男の行動は、人間として、間違っているのではないか
と思うようになった。

母を切り捨て、兄を切り捨て、弟子を切り捨て、とうとう奥さん
を切り捨てた。ゴジラ先生は、親を最も尊敬し、尊重し、大切に
するという価値観をもっている。親とは地上でもっとも偉大な存在
であると思っている。まして母親は聖なる存在である。文句なし、
疑念無しの崇高なる存在である。その母と縁を切るということ
は人間としてありえざる振る舞いである。母を裏切ることは、
人間以下の外道、餓鬼道に堕ちた行為である。

ゴジラ先生のように、幼いとき、母を失った人間にとっては
母は永遠にあこがれ、尊崇する存在である。母の前にひざま
ずき、無償の愛を注ぎたい存在である。この母と縁を切り、
ないがしろにするのは、絶対に許せないのである。
世界中のありとあらゆる民族において、白人でも、黒人でも
アジア人でも、人間にとって、母は観世音菩薩である。聖母
マリアである。

貴乃花の相撲にかける情熱は立派である。しかし、言っている
ことと、していることに、大きな矛盾がある。相撲を愛するならば
いかなる困難があろうとも、相撲界を捨ててはならない。弟子を
愛するならば、協会にとどまらねばならない。部屋を畳んではな
らない。結局、貴乃花の行為は偽善である。相撲を愛していると
いうのは嘘である。これが貴乃花の行為を、論理的に分析した結果
その結論となる。

しかし・・・・それでもなお、貴乃花の翻意を期待しているゴジラ
先生である。そして多くの貴乃花フアンも同じ思いであろう。

平成30年11月27日(火)
「評伝小室直樹」を読んだ

村上篤直氏の「評伝小室直樹」(ミネルヴア)は、もの凄い本だ、
としか表現しようがない。近来、これほどの本に、お目にかか
ったことがない。上下二巻1400頁を超える大冊である。
ぐんぐんと引き込まれ、一気に読了した。もちろん、引用が
長く続くページは、どんどん飛ばし読みした。

小室直樹先生には、長年、お付き合いいただき、大変お世話に
なった。小室直樹先生と小野田寛郎さんに、お目にかかった
ことは、ゴジラ先生の人生で最大の喜びである。謦咳に接する
とは、このような方々とのふれあいのことである。

ゴジラ先生が、小室直樹先生にお目にかかった時には、すでに
結婚されており、「ジェントルマン」としての小室直樹先生だった。
しかし、本書で若き頃の小室直樹先生の破天荒な生きざまが、
描かれており、抱腹絶倒とした。

まさに天才、否、超天才である。天才の中の天才である。戦後
最大の天才である。というより明治の超天才・南方熊楠か、小室
直樹先生であろう。これほどの天才は、今後、出ないだろう。

本書では、ゴジラ先生とディート大学のことが二回にわたって
取り上げられており、大変光栄である。村上篤直氏の実質的な
処女作である。素晴らしい人がでできたものだ。46歳、これ
からが大変楽しみである。弁護士の資格をもっているが、今回の
ようなノンフィクションの世界で頑張ってもらいたいと思った。

平静30年11月26日(月)
武士道精神の貴景勝、優勝おめでとう

貴景勝が表情を変えないのは、対戦相手に失礼だからと
元師匠の貴乃花に教えられたからである。相撲は武士道
であると貴乃花は教えているのである。その通りである。

大相撲は武士道精神を体現した武道である。スボーツではない。
このことを全く理解していないのが白鵬である。白鵬野郎の
相撲はプロレスである。汚い、下品、醜い。白鵬はできるだ
け早くが引退せよ。あんな奴は相撲界には不要である。

貴景勝は有望である。来場所は関脇である。大関も近い。
このまま伸びてくれれば、横綱も夢ではない。突き押しの
横綱の誕生で、相撲がおもしろくなる。白鵬と鶴竜が引退し
日本人力士が全盛になると、大相撲の人気が沸騰する。
白鵬よ、鶴竜よ、いつまでも醜い姿をさらすな。

横綱はみずからの限界を知った時、速やかに引退するのが
伝統であり、美学である。大鵬しかり、北の湖しかり、
千代の富士しかり、貴乃花しかりである。

平成30年11月22日(木)
★緊急宣言★
慰安婦問題、旭日旗、徴用工、BTSの原爆シャツ。
日本人の堪忍袋の緒が切れた。もう我慢ならん
韓国に断固たる制裁を科せ!


■もう堪忍袋の緒が切れた。

 慰安婦問題、旭日旗、徴用工、BTSの原爆シャツなど、
韓国の数々の無礼に対して、日本人の堪忍袋の緒が切れた。
かつては大日本帝国の一員だったゆえに、戦後七〇年間、
腫物に触るように扱ってきた。しかし、もう我慢ならん。
日本人の怒りは沸点に達した。ただちに韓国と関係を絶て。
国交断絶を含む、あらゆる制裁を科せ。

■安倍総理よ、日本政府よ、決断の時がきた
 韓国には愛国無罪がある。日本には何をしてもいいというのだ。
許しがたい侮辱である。これを放置しておくと、世界中で日本の
名誉と尊厳がいちじるしく傷つく。韓国に対して、
断固たる制裁を科して、二度と再び愛国無罪を言わさぬように
しなければならない。現在の甘い対応では、愛国無罪はとどまる
ところを知らず、世界に拡散する。安倍総理の決断の時がきた。
国交断絶を突き付けろ、秋霜烈日の制裁を科せ。

成30年11月21日(水)
ゴーンは、今、なに思う

豪邸に住むカルロス・ゴーンが、昨日は寒い牢獄ですごしたことだろう。
質素な味噌汁か、スープを飲み、麦飯か、パンを食らい、何を思ったことか。
自分の半生をふりかえり、悔悟の涙にくれたか。それとも、大声で喚き、
怒鳴りつけていたか。

しかし、すでに遅い。審判はくだされた。栄光のゴーンも終わった。
ナポレオンではないが、古今東西、英雄の末路はあわれである。
ゴーン、ゴーンと経営の神様のごとく、奉られていたが、もはや
一介のジジイである。栄枯盛衰世の習いとはいえ、哀れなものである。

人間は奢るとろくなことはない。頂点にある栄光のときは、もてはやされるが
いったん、転ぶと手のひらを返すごとく、袋叩きである。栄光が大きければ
大きいほど、その攻撃は激しい。

それにしても100億円か、50億円かしらないが。いったい何に使うのだ。
庶民には、一生かかっても、使い切れない額だ。ゴーンが、稼いだ金を貧しい人
に寄付でもしていれば、少しは救われるが、そんな話は聞いたことがない。

だいたい金持ちというものは、ドケチである。だから大金持ちになったのだろう。
人間、勤勉に働いて、正直に生きるにかぎる。人生、そんな甘い話はない。
コツコツと一所懸命に働くことだ。フーテンの寅さんではないが、
「労働者諸君!」「稼ぐに追いつく貧乏なし」である。。

平成30年11月20日(火)
カルロス・ゴーンの逮捕。
平家物語は、今も、生きている。


奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
平家物語が800年前から言ってることは、現在も、これからも
人生の真理である。ゴーンは日産を立て直した優れた経営者である。
しかし、裸の王様となっていた。

権力と富が集中すると、人間は、自分も、周りも見えなくなる。
異常なことを、当たり前だと思うようになる。人の意見、諫言を
聞かなくなる。独裁者となり、ヒトラーと同じになる。

それにしても、5年間で100億円も得ていたとは、驚き、桃ノ木
山椒の木、ブリキに、タヌキに、蓄音機である。ゴーンの行動様式
は日本人の伝統と全く異なる。日本人の文化と伝統は、メザシの
土光敏夫である。質素・倹約こそが日本文化である。

日本では将軍や大名でも質素であった。フランスのルイ王朝のような
贅沢はなかった。代表的な大名は上杉鷹山である。内村鑑三の「代表的
日本人」には、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人
の五人が取り上げられている。みんな質素倹約に心がけた偉人である。

庶民は、何十億円も稼がないから、ゴーンのように逮捕されることはない。
しかし、ゴーンに言いたい。そんなに稼いでどうするのだ。聖書が言って
いる、金持ちが天国にゆくのは、ラクダが針の穴を通るより困難だと。
人間は、質素倹約に、地道に生きることが肝要であると、ゴーンの逮捕
をみて、改めて深く肝に銘じた。
色即是空 空即是色 この世の中は
すべて空である。空こそ人生を生きる指針である。


平成30年11月19日(月)
アメリカを目指す移民集団の不思議

中南米諸国からアメリカを目指す移民集団が、メキシコを北上し
とうとうアメリカとの国境に到達したそうだ。ゴジラ先生は第一に、
移民が逃げ出した国の責任を追及したい。第二に逃げ出した人間の
責任も追及したい。

国家も、国民も、責任を放棄している。日本人は、過去、歴史上
艱難辛苦があったけれども、この日本を豊かにするために、獅子
奮迅の努力をしてきた。決して国を捨てはしなかった。
国を捨てる行為には、一見、大義があるように見えるが、無責任
である。まずは自国を豊かにする努力しなければならない。
日本は、島国で行き場がないから、逃げようがなく、みんな必死
で働いたのだ。

しかし、大陸の国家は海がなく、陸続きだから、いとも簡単に
国から逃げだすのである。豊かな国家の豊かな果実だけをいた
だくために、押しかけるのである。これでは、押しかけられた
方はたまったものではない。豊かな国は、先人たちたちが営々と
努力して国を豊かにしてきたのである。

移民キャラバンに同情するが、ものごとの原因と本質を忘れては
ならはない。まずは中米諸国は、自国民を保護しろ。そして、その
国の国民は、獅子奮迅の努力せよ。安易に国家を捨ててはならない。
人道問題にすり替えて、物事の本質を隠してはならない。

平成30年11月16日(金)
稀勢の里、休場
だから言わんこっちゃない


稀勢の里の休場は、初日に貴景勝をぶっつけた相撲協会の
バカなやり方が根本原因である。勝つことに汲汲とし、ヨタ
ヨタしている稀勢の里に対して、やる気マンマン、度胸と
根性の貴景勝をぶつけると、どういうことになるか、想像力
を欠いた八角親方など協会の頭の悪い親方衆のアホな判断である。
結局、稀勢の里をつぶし、大相撲人気を下げた。

横綱の土俵入りのない大相撲は、間が抜けている。
唯一の救いは貴景勝が強いことだ。この力士は身長は
ないが根性がある。このまま伸びてくれると、強くて
人気力士になる。スター不在の大相撲だから期待できる。
その上、白鵬と鶴竜が引退すると、万々歳で、大相撲
人気は復活するだろう。

さしものモンゴル力士全盛時代も、先が見えてきた。
すべては平家物語である。いつまでも隆盛はつづかない。
日本力士の復活の兆しが見えてきた。その先兵が貴景勝である。
貴乃花の薫陶を受けて、良い力士になっている。虎は死んでも
皮を残すではないが、貴乃花はいなくなったが、素晴らしい
力士を残してくれた。八角以下のアホ理事どもは、貴乃花に
対して頭をさげて、その功績を讃えろと言いたい。

平成30年11月15日(木)
寒い朝
戦争とは何か


本日の早朝ウォーキングは、最近では、一番寒かった。
いよいよ冬の到来を実感したが、それでも本格的な冬は
まだまだ先である。夏と冬と比較すると、冬がまだ良い。
厚着して、暖房をすれば、しのげる。しかし、夏の暑さは
しのげない。地獄である。エアコンのある場所が涼しい
だけで、日本全国、酷暑で、逃げる場所がない。

さて、朝、テレビを見ていると、自衛隊の砲弾の破片が
民間人の車にぶつかったと、大騒ぎしていた。何を大騒ぎ
する必要がある。演習場の近くを走る車が悪い。

自衛隊は国家防衛のための演習をしているのだ。国家の防衛
は、すべてに優先する。国家が滅んだら国民はない。しかるに、
テレビは、あたかも自衛隊が悪いがごとく報道するとは何事か。
言語道断である。むしろ、自衛隊を賛美し、ご苦労様と、ねぎ
らうのが国民としての礼儀である。

戦後日本人は、戦争恐怖症になって、ものごとの軽重について、
価値判断力をなくしている。戦争に関することは、何でも悪だと
間違った思考をするようになった。戦争は人類の歴史で必然である。
戦争のない歴史は存在しなかった。

ただいま、この平和も戦争に備えているから、戦争を防いで
平和なのである。戦争への準備がなければ、たちまち侵略される
のが人類の歴史というものである。

戦争を恐れるな、
戦争に備えよ、
そして戦争を恐れよ。


平成30年11月14日(水)
bts・気持の悪い韓国グループ

btsとかいう韓国の若い男の歌手グループがいる。
原爆のシャツを着て問題になり、ナチスを礼賛する帽子をかぶり
ユダヤ人の団体から批判されている。原爆を売り物にするとは
言語道断の振る舞いである。近々、天罰が下るだろう。

何といっても、気持ち悪いのが、七人全員が整形顔で、同じような
ツラをしていることである。絵にかいたような整形カオである。
韓国人というのは整形をしたがる。すなわち、見栄を張り、表面を
飾るだけの民族である。実質を重んじる日本人とは正反対である。

問題は、日本でも若い女を中心に人気があるというのだ。日本人も
堕ちたものだ。恥を知れと、若い女を叱り飛ばしたい。このグループ
の七人の顔をみていると、まさに軽薄を絵にかいたようである。
頭の中はホンガラである。脳がなく空気が詰まっているのであろう。

原爆を揶揄するような人間は入国禁止にしろ。日本から追放せよ。
それにしても、若い女どもの、日本人としての誇りはどこに消えた。
渋谷のハロウインでバカ騒ぎする若者といい、戦後七十年がたち
武士道の花咲く日本人の精神はなくなった。旧約聖書の中のソドムと
ゴモラのような、神の怒りの天変地異が起こりそうな予感がする。

平成30年11月13日(火)
稀勢の里を勝たせてやれ。
相撲協会は野暮天のアホウの集まりだ

稀勢の里が、初日、貴景勝に敗れた。
こんなことは、事前に、かなり予想できたことだ。
一人横綱で、崖っぷちに立っている稀勢の里に
勢いのある貴景勝をあてるなんぞは、アホな取り組みである。

相撲界全体を考えたならば、初日、稀勢の里が、何が何でも
勝つことが必要不可欠なのである。勝つことが確実な力士を
稀勢の里にあてればいいのだ。相撲フアンは、それについて
不満に思う奴など皆無である。稀勢の里が勝つことが、相撲界
にとって必須だと知っているからだ。なのに、貴景勝をあてる
なんぞ、なんという野暮天だ。なんというバカな取り組みを
組んだのだ。

初日、稀勢の里を勝たせて、何の不都合があるか。不都合どころか
相撲界の隆盛のための戦略的取り組みだったはずである。それを
バカで頭の悪い親方衆が、バカな取り組みを組んで、自分の首を
締めることになった。

八百長をしろというのではない。戦略的に考え、稀勢の里を、戦略的
に勝たせ、生かすことが目的である。今、稀勢の里が引退したら、
相撲界は壊滅する。白鵬と鶴竜が残り、日本人横綱がいなくなる。
初日を盛り上げようと、戦術的、短期的な判断で貴景勝をぶつけたのである。
バカな判断だ、アホな考えだ。八角親方とその一党、バカは死ななきゃなおらない。

平成30年11月12日(月)
新藤兼人

今、新藤兼人の本を集中して読んでいる。
「いのちのレッスン」(青草書房)を読んだ。感動した。
文章がうまい。長年、ゴジラ先生も文章を書いて飯を食ってきたので
文章については一言も二言もあるが、新藤兼人の文章は模範とすべき文である。
この本は新藤兼人が95歳の時に書いた本である。驚くべき柔軟な思考力と
発想力を持っている。

新藤兼人の文章は、長年、映画のシナリオを書いてきた人なので、
分かりやすく、読みやすい。ひらがなや漢字の使い方、そして句読点の
打ち方が見事である。何といっても、名文の条件である「短文」である。

続いて、以前、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載された「生きている
かぎり・私の履歴書」(日本経済新聞社)を読んだ。これは一気呵成に読めた。
新藤兼人の人生をかいたものである。それで、さらに新藤兼人を深く研究しようと、
以下のような本を取り寄せた。

「シナリオ人生」(岩波新書)「老人読書日記」(同)「弔辞」(同)
「ある映画監督」(同)「三文役者の死」(岩波現代文庫)
「小説田中絹代」(読売新聞社)である。

今、読み進めている。寝る前にフトンに入ってから読むのが楽しみである。
新藤兼人の生き様は超高齢化社会を先取している。100歳まで生きた。
明治45年生まれで、大正、昭和、そして平成の24年・2012年に亡くなった。
ちょうど100年である。見事な人生である。

「新藤兼人論」としては、まだ結論は出ていないが、
何か出てくるだろうと思っている。
100年の人生について簡単にわかるはずがない。
じっくりと研究しようと思っているところだ。

平成30年11月9日(金)
世の中、いい加減な奴がいる。
尾畠春夫さんの精神を見習って
小さな善行を行おう


ゴジラ先生は、早朝、4時半ごろ、ゴミを捨てに行く。
ゴミ捨て場には、カラスに狙われないように、網目のゴミ箱が
二つ置いてある。これは組み立て式になっているので、組み立
てて使わなければならない。問題は、この箱をきちんと組み
立てずに、中途半端に、ずさんに立てて、その中にゴミを放り
込んである。あるいは、ごみ箱に入れずに、その前に放置してある。

そこで、ゴジラ先生は、二つのゴミ箱の内、中途半端な方を組み
立て直し、もう一つの方は、きちんと最初から組み立てる。
以前は、ぶつぶつ文句を言いながら組み立てた。しかし、今は、
尾畠春夫精神で組み立てることにしている。文句を言いたいが、
小畑精神だと自分に言い聞かせ、組み立てている。

しかし、言いたいことは、世の中には尾畠春夫さんのような神様の
ような人がいる一方、デタラメな奴もいるということだ。日本人は
品行方正で、サッカーの試合の後、ゴミを片付けるという評判にな
っているが、あれはタテマエであって、大多数の行為は渋谷のハロ
ウインのゴミの山が実態である。サッカー場でゴミを片付けた人間が
渋谷ではゴミを投げ捨てる人間かもしれないのである。

人が見てようと見ていなくも、善行を行う尾畠春夫さんのような人は
例外的な人である。日本人は、まだまだ尾畠精神になっていない。
早朝の住宅街の中のゴミ捨て場で、ゴジラ先生はそう思うのである。
ゴジラ先生が、そういう精神になったのは、ここ数年である。
それまでは、いいかげんなことをしていたのである。他人のことを
責める資格はない。ただ、この歳になって、やっと尾畠春夫精神の
偉大さに目覚め、小さな善行をしようと思っている。行いを正すに
遅いということはない。

平成30年11月8日(木)
演歌は素晴らしい
日本人の心の歌である


最近、早朝の暗唱ウオーキングのメニューに演歌を取り入れている。
とくに歌詞が素晴らしい。日本の演歌や歌謡曲の歌詞は傑作である。
まさにポ゚エムである。詩である。短い歌詞の中に万感の思い、
語りつくせぬ情をこめているのが演歌であり歌謡曲であると、
最近、つくづくと感心している。

たとえば、「矢切の渡し」である。

つれて逃げてよ
ついでおいでよ
夕ぐれれの雨が降る矢切の渡し
親の心にそむいてまでも
恋に生きたいふたりです

見すてないでね
捨てはしないよ
北風が泣いてふく矢切の渡し
噂かなしい柴又すてて
舟にまかせるさだめです

どこへ行くのよ
知らぬ土地だよ
揺れながら艪が咽ぶ矢切の渡し
息を殺して身を寄せながら
明日へ漕ぎだす別れです


解説をつけるのは野暮というものである。
男女の万感の思いがこもっている。
作詞は石本美由紀である。作曲は船村徹である。

演歌や歌謡曲は、和歌や俳句の伝統の上にある。
長々と説明しない。短いコトバで、無限の愛や恋や
友情や喜びや悲しみを語りつくしている。

あの加山雄三が演歌が大好きだということを聞いて
驚くとともに、やはり加山も日本人だとみなおした。
最近、演歌も発表している。加山は、弾厚作として
交響曲を作り、クラシック畑の人間だと思っていたからだ。
歳をとるとともに歌謡曲に帰ってきたのである。演歌や歌謡曲は
日本人の心の歌である。

平成30年11月7日(水)
天気が悪いネ
サイクリングが待ち遠しい。

ここずっと天気がパッとしない。そのせいで、ゴジラ先生は、夕方の自転車が
できないので、ストレスが溜まっている。10月にブリジストンのリアルスト
リームという電動スポーツバイクを買った。大枚18万円だった。
ママチャリの電動と違って、本格的なスポーツバイク仕様で、クロスバイクと
いうタイプである。

さてゴジラ先生が住んでいるところは、「原宿台地」とゴジラ先生が名付けている
台地である。南北10キロ、東西5キロの大きな台地である。戸塚駅からは大坂と
いう長い坂を登らねばならない。藤沢方面からは、同じく、長い遊行寺坂を登らね
ばならない。ここには一遍上人の遊行寺がある。すべて坂を越えなければ、帰宅でき
ないという立地である。

自転車で、原宿台地を出発すると、行きはよいよい、帰りは怖いである。
行きは、スイスイと坂をくだるが、帰りは長い長い地獄のような坂を登らないと
帰宅できないのである。

5年前くらいまでは、帰りも地獄坂を一気に登りきることができた。しかし、半月板
の出術をしたせいで、だんだんと坂が重荷になって、ここ2,3年、自転車から遠ざ
かっていた。帰りに坂を越えることを考えると苦痛になっていた。もちろん本格的な
ロードバイクである。しかし、いくらロードバイクとはいえ、歳をとると、漕ぐのが
大変になってきた。

その時、偶然、ブリジストンの電動スポーツバイクを見つけたのである。
「これだ!」と、直感し、ただちに購入したのである。予想通り、電動スポーツバイクは
地獄坂をものともしない。スイスイと登る。お陰様で、サイクリングに出るのが大きな
楽しみになった。朝起きると、まず天気をみて、今日は漕げるぞ、と思うと一日が
楽しくなる。夕方まで待ち遠しい。

朝は1時間の暗唱ウオーキングが定番なので、自転車は夕方と決めている。
今朝も暗唱を済ませてきた。これは頭の鍛錬とカゼ対策である。喉を鍛えてカゼを
防ぐのである。お陰で、体調はすこぶる良い。ただし、これには注意が必要である。
人間、好調はいつまでも続かない。体調は、ある日、突然、悪化することがしばしばある。

この予測ができないのが人間の限界である。それで体調にはいつも気を付けている。
体調悪化の兆候があれば、直ちに休養する。この予兆を見分けて、思きって休養すること
が大切である。無理をすると、後で後悔する。ということで、現在は、体調は良いので、
天気の様子を見ながら、サイクリングをしたくて、ウズウズしている。本日はどうか。
天気よ、回復せよと祈っている。

平成30年11月6日(火)
韓国と国交断絶せよ

軍艦旗への侮辱、徴用工問題、韓国という国は、異常国家である。
キチガイ国家である。キチガイと付き合ってはならない。また韓国と
いう国家は、日本にとって、疫病神、貧乏神である。
即時・即刻の国交断絶を行え。

戦後、日本は韓国からの甘えに対して、贖罪意識から同情してきた。
しかし朝鮮民族とは、同情を寄せるとつけあがり、哀れみをかけると、
ますますつけあがる。強くでると、もみ手ですり寄ってくる。後ろを
見せると、斬りかかる。裏切りと背信の民族である。まさに寝首をかく
のである。油断も隙もない連中である。

こういう連中とは絶対に付き合わないことである。対馬海峡に大きな壁を
築くつもりで、国交断絶するのが最良最善である。明治以降150年間、
朝鮮半島と付き合って、良い事は何もなかった。まさに疫病神である。

もう日本の政治家も、国民も、目が覚めたはずである。日本人の韓国への
渡航の自粛をよびかけろ。観光を制限しろ。韓国に対して、秋霜烈日のき
びしい対応を行え。韓国人に日本の激しい怒りを直接分らせろ。
それにしても、朝鮮民族とは、世界的にも、異常な連中である。
まさにキチガイである。北朝鮮なんぞは、原爆というキチガイに刃物である。

トランプ君、肥満児・金正恩に騙されるな。
デブ金、こいつはとてつもないほどのしたたかな奴である。
キツネとタヌキも真っ青になるような詐欺師、ペテン師である。
お人好しのトランプ君なんぞは、コロッとだまされるだろう。

平成30年11月5日(月)
早いもので、とうとう11月である

光陰矢のごとし、というが、月日の経つのは早い。
本年も、あと57日しかない。57日過ぎると新しい年である。
ゴジラ先生も、歳をとってきたので時間が桁外れに大切である。
何といっても、もう後が少ないのである。結末が見えてきたのだ。

ここで話を変える。
イラクから帰還した安田純平という男についてである。
こいつは、甘ったれた大馬鹿野郎である。偉そうに政府を批判して
おきながら、最後は「助けください」とは、何たる腰抜け野郎だ。

こんな阿呆にも、税金が使われたのだ。このアホウ男にかかった
費用はきちんと請求し、払わせろ。支払いが完了しないかぎり、
海外旅行は禁止である。

自己責任は当然である。当たりまえである。常識である。
ジャーナリストが危険地帯に出かけて、情報を取ることが大切だと
冗談ではない。イラクの情報なんぞ、こんな阿呆なジャーナリストに
頼む必要はない。第一、こんな連中の情報なんぞ、ガセネタである。

政府の情報機関が正しい正確な情報を把握している。ジャーナリストと
いう目立ちがり屋の安っぽい情報なんぞ、不要である。第一役に立たない。
ジャーナリストと名乗れば、水戸黄門の印籠になると思っている軽率で
アホな人間どもである。完全なる自己責任で行動せよ。政府や国民に泣きつくな。