英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

ゴジラ先生の提案
新しく高輪にできる駅名はこれだ。
高輪大木戸駅
江戸時代、府内と外を分けた大木戸があった場所であり由緒ある名前である。
オリンッピックの外国人に江戸の歴史を教えるための最適の名前である。
高輪ゲートウェイというのは、歴史を無視し、国民の声である公募を無視した
最低最悪の名前である。国民と利用者を無視して、勝手に名前を決めるとは
言語道断の傲慢無礼である。社長の深沢裕二は土下座して謝罪せよ。

平成30年12月31日(月)
本年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。


とうとう平成30年・2018年の最後の日になった。
過ぎてしまうと、月日のたつのは、もの凄く速いものだ。
あっという間である。一日、一日は、分秒時間が少しずつ
過ぎてゆくが、終わってみると、一瞬のうちである。
人生というものは、こういうものである。ゴジラ先生の
人生もあっという間に過ぎ去った。

最近、昔のことをたびたび思いだす。小学校時代の同級生は
どうしているか。あこがれたマドンナは今何をしているか。
ふと思い出す。とくにあこがれたマドンナのことが気にかかる。
一度、ふるさとの友人に消息を聞いてみたいと思っている。

これも歳をとったせいである。昔のことを思い出すのは、良い
ことかも知れないが、人生のゴールへの距離が近くなった予兆なのか。
ただ人生を自然体で生きることを信条としているので、
「あるがままになすべきをなす」である。
「気取らず、構えず、恰好をつけず」である。

以上、本年最後のゴジラ先生の咆哮は、静かに吠えることで、終わります。
本年も、多くの方に読んでいただき、心より御礼を申し上げます。
来年もご支援、ご教示をよろしくお願い申し上げます。


平成30年12月28日(金)
正月三日間、すべての日本人は休もう

テレビを見ていると、元旦を休みにするコンビニやレストランなどの
流通企業が増えていると報道していた。大変良い事だ。元旦に働くなど
言語道断である。最低でも三が日は休みしよう。静かな三日間を送ろう
ではないか。昔は、正月三日間を休むのは当たり前だった。正月も、店を
開けるのは、バブル時代からの悪しき習慣である。もう止めようではないか。

来年から、完全に正月三日間を休むように、政府が音頭をとるべきだ。
元旦も働くなどは異常である。休むことは働くための準備時間である。
人間というよりも、動物には休息が必須である。機械でも休んで点検
しないと故障する。まして生身の人間はしっかりと休むことだ。

さて、ゴジラ先生は、今年やるべきことは終えたので気分は上々だ。
毎年、懸案だった年賀状も、26日に投函した。今年ほど余裕をもって
年賀状を終えたのは記憶にない。以前は、ぎりぎり30日まで、必死で
年賀状を作ったものである。心は焦り、バタバタしながら、年末を送り
正月を迎えたものである。

人間は、ある歳を超えると、余裕をもって生きなければならない。
ゴジラ先生もそういう年齢になった。人生という時間を計算できるようになった。
もちろん切羽詰まった生き方も必要である。若いころは働き詰めであった。
必死で働くのも人生修行である。必死で働くから、休養のありがたさが分かる。

それにしても、紅白歌合戦もつまらんものになった。昔は国民的行事だった。
老いも若きも、すべの人間が歌える歌がなくなった。今の歌には、年齢での
断絶がである。若者が歌っている歌など、さっぱり知らないし、興味もない。
メロディも心躍るものではない。

しかし、昔は一世を風靡する歌があった。誰でも口ずむ歌があった。たとえば、
『王将」である。吹けば飛ぶような将棋の駒にかけた命を笑わば笑え♪。
明日は東京に出てゆくからは何が何でも勝たねばならぬ♪これは東京にでて、
ジャパンドリームを達成しようとする人間の根性の歌であり、希望の歌だった。
高度成長へと驀進する日本人の心意気の歌だった。

五線譜の範囲の中で、音符をおける場所がなくなったのでないか。コンピュータで
五線譜に音符を置いてみると、置ける場所がなくなったということである。すなわち、
メロディがなくなった。メロディを消費し尽くしたのである。昔は音程が低い歌、
年寄が歌えるメロディがあったが、今は高音しか残っておらず、年寄には歌えない。
若者だけの歌になった。それで紅白歌合戦もつまらんものになった。国民的行事
ではなくなった。さてどうするか。これが今後の大きな課題だ。

平成30年12月27日(木)
国際捕鯨委員会からの脱退
よくやった。でかした、でかした。


だいたい西欧人は偽善者ばかりである。そして主張は偽善である。
嘘つきである。おのれ達が、過去、歴史的にやってきた捕鯨の蛮行を
棚にあげて日本を非難するとは、開き直った強盗の論理である。
過去、お前たちがクジラを乱獲したから少なくなったのだ。
日本人はクジラのみならず動物と共存してきた民族である。

きゃつら西欧人は、世界中に植民地をつくり、アフリカ人を奴隷として
売り飛ばしてきた。他民族を虐殺し、滅ぼしてきた。日本人のように
自然を愛し、自然と共存してきた民族を非難するとは、泥棒の論理、
殺人鬼の論理である。

キリスト教徒は、人間を最高の存在とし、動物を人間のしもべか
支配する対象の生き物としている。西欧人には、真の動物愛護の
精神などはない。日本人は、動物も人間も、生きとし生けるものは、
みな仏、同じ生き物とする哲学の持ち主である。動物を虐待し、
虐殺する発想はない。西欧人は、牛肉を食らい、ブタを食らう
肉食獣民族である。日本人はベジタリアンである。

ついでに言うと、ゴジラ先生は、競馬に大反対である。動物虐待だからだ。
競馬は、いかにも西欧人の発想である。競馬は、明治時代に輸入された。
歴史的に、日本には、馬に鞭打って、ムリヤリ走らせる文化はない。
農耕馬は、人間と同じ家に住み、大事にされてきた。それが日本の文化である。
しかるに、競馬では、馬はムチで打たれ、無理やり走らされている。
競走馬は、走るためだけに人工的に作った動物である。哀れだと思うのが、
本来の日本人の心である。

捕鯨問題について、西欧人の勝手な主張や都合を許してはならない。
ゆえに、今回の日本の脱退は大歓迎である。西欧人の論理に対して、
断固たる反撃の一歩になることを期待する。

シナ漁船の違法操業への対応が甘すぎる
日本海で違法操業したシナ漁船が日本人の取締官を半日も連れまわした。
なんたる弱腰、腰抜けだ。シナ漁船を拿捕せよ。逃げたら轟沈せよ。
断固たる処罰を行うべし。甘い対応をするから日本を舐めるのである。
あまりの情けなさに天を仰いで嘆息する。

平成30年12月26日(水)
韓国は敵国である。
朝鮮半島には二つの敵国が存在する。


日本人が認識すべきことは、韓国は敵国であるということだ。
北朝鮮が敵であることはみんな知っているが、韓国も同じく敵だったのである。
今まで、多くの日本人は、韓国は同じ自由主義陣営の味方だと思っていた。
しかし、文在寅になってから、韓国は価値観を共有できない国家であるこ
とが分かった。日本人も、ようやくこの事実を認識し始めた。

世界はイデオロギーよりも民族が優先するのである。
韓国も北朝鮮も同じ朝鮮民族である。同じ朝鮮民族という事実がすべてに
優先するのである。自由主義というイデオロギーよりも民族という価値観
が上位にある。韓国と北朝鮮は、朝鮮民族という価値観を共有しているのである。

その結果、日本民族と対峙するものが朝鮮民族である。
自由主義日本と、自由主義韓国という同志の関係ではない。
韓国は朝鮮民族として、日本民族の敵であるということだ。
なぜならば、朝鮮民族は、明治以来150年間、日本民族とは
絶対に相いれない民族であるからだ。

英雄・西郷隆盛が城山で憤死した根本原因は、李氏朝鮮国の無礼な外交にあった。
西郷の征韓論は、無礼な李氏朝鮮の国交を開かせようとした結果である。
西郷は、李氏朝鮮と戦争をするつもりはなく、李氏朝鮮という国家を
開かせようとしただけである。西郷の善意、西郷の親切、西郷の思いやり、
これらを無視したのが李氏朝鮮だった。

結局、150年前の朝鮮人も、今の朝鮮人も、アホ・バカ・マヌケのままで、
全然、進化していない。むしろ退化している。韓国というバカは死なななきゃ
治らない。朝鮮半島は、もう一度どこかの国に併合してもらった方がいい。

今度は、日本はまっぴら御免である。第二次韓国併合は、シナチャンコロ国が
適任である。北朝鮮と韓国、すなわち朝鮮半島は、まとめてシナチャンコロ国
の属国となった方がいい。これで、めでたし、めでたし、日本と朝鮮半島の縁
が切れて、日本人は枕を高くして眠れるというものだ。150年の腐れ縁が
切れたのである。

平成30年12月25日(火)
レーダー照射事件。醜い言い訳ばかりする、
根性が腐った韓国人。腐臭を発する韓国人。


レーダー照射事件、まさに韓国人特有の所業である。
しかるに、言い訳ばかりをして、自分の非を認めない。
あろうことか日本のせいするのである。これが韓国人であり、
朝鮮人の本性である。

これほど根性が腐った民族、精神が汚い民族は、
世界にいない。外道中の外道、餓鬼道中の餓鬼道に
堕ちた民族である。

朝鮮人には、言葉は通用しない。ガツンと痛い目に
あわせないと分らない民族である。2019年
12月31日を期して国交断絶を行うと宣言せよ。

それまでに日本に謝罪しなければ、粛々と国交断絶を
進めると宣言せよ。そのためには、
第一弾として駐韓大使の引き上げを行う。
第二弾として韓国への渡航制限を行う。
第三弾として輸出入の制限を行う。
第四弾として投資制限を行う。
第五弾として日本企業の引き上げを行う。
第六弾として在日韓国人の特権をはく奪する。
第七弾として反日の在日韓国人を強制送還する。
そして最終弾として国交断絶である。

本当のことを言うと、こういう段階的な制裁をする必要はない。
即時即刻の国交断絶を行うことである。なぜならば、朝鮮民族に
はカエルのツラにションベン、馬の耳に念仏だからだ。
朝鮮民族には実物教育しかない。痛い目にあわさないと効果がない。
早く国交断絶をして、清々したいものである。こういう外道な連中
とは一分一秒でも早く断絶したいものだ。

そのためにも、何回でも言うが、駅や街のハングル表記の案内板を消せ。
あの奇妙な文字、下品な文字をみると、反吐がでるのだ。
敵国の文字を表記するとは、日本の恥である。

平成30年12月24日(月)
韓国、バカは死ななきゃなおらない。
レーダー照射した脳なし韓国軍


韓国という国はどうしようもないアホ国家・バカ国家である。
韓国軍の駆逐艦が自衛隊の哨戒機にレーダー照射した。これは
わが軍に対する攻撃であって、則、反撃して韓国の駆逐艦を轟
沈すべき重大事件であった。

明治以来、100年以上、日本は韓国を助けて来た。韓国にとって
日本は大恩ある国家である。1910年、破綻していた李氏朝鮮国を
併合し、救済した。国家財政は破綻し、山野は荒れ果て、洪水は頻発し
国民は餓死し、人口は激減し、完全なる滅亡国家だった。戦後は、
70年間、韓国を助け、保護してきた。哀れな国家だからと、韓国人に
気を使ってきた。しかし、もう堪忍袋の緒が切れた。国交断絶の時がきた。
明確に期限を切って、国交断絶の意思を伝える時がきた。

日本に対する数々の無礼非礼を韓国政府は直ちに謝罪せよ。今の
態度を改めないかぎり、たとえば、2019年12月31日を期し、
国交断絶すると、最後通告を行うのである。朝鮮半島と断絶すると、
何といっても、日本人の精神衛生が最高になる。西郷隆盛いらい
150年の腐れ縁を断ち切れる。日本人の気分は上々である。

ついでにいうと、
都内の交通機関のハングル文字を、直ちに消せ。
あの醜い文字をみると気分がわるい。なぜ、ハングルのような汚い
文字、醜い文字を表記するのか交通機関の責任者を弾劾したい。
それにしてもハングルとは、カッコの悪い、へんてこりんな文字である。
文字とは、国民の感性やセンスや理性を表徴するものである。ハングル
は、朝鮮人の薄っぺらな精神、醜い心を象徴している。

さて、国交断絶まで、順次、次のように政策のハードルをあげてゆく。
まず第一は、駐韓大使の引き上げである。第二は渡航制限である。
観光やビジネスの渡航制限である。第三は輸出入の制限である。
第四は投資の制限である。第五は日本の資本と企業の引き上げである。

すべての、人、モノ、カネ、情報の遮断が完了すると、国交断絶の
完成である。これで、明治以来150年間、韓国という厄病神・貧乏神
と縁が切れる。日本は新しい国造りに邁進できる。まことにもってお目
出たい。国交断絶の日を祝日に指定し、国民みんなでお祝いし、
日の丸と旭日旗・軍艦旗を掲げて、バンザイの三唱である

平成30年12月21日(金)
ゴーン君が保釈だそうだ
と思ったが、再度、逮捕された。

日本の検察は、人間を長期拘留しがちである。
労働省の村木厚子さんは、無実なのに164日も拘留された。結局、裁判で
無罪となるまで454日もかかった。ホリエモン堀江貴文も、外務省の
佐藤優も、国会議員の鈴木宗男も、長期間、勾留された。

村木さんは「私は負けない」、ホリエモンは「徹底抗戦」、佐藤優は
「国家の罠」、鈴木宗男は「汚名」、それぞれが監獄を出てから、著書として
出版している。どこまでが真実か知らないが、検察が国家権力をふりかざして、
彼らを逮捕し、長期勾留したのは間違いない。あまりにもやりすぎである。

地検特捜部はエリート意識が過剰で、自分たちの正義を振りかざし、世の中の
悪を退治してやるという自意識が過剰である。村木さんの場合には、検察が
証拠を改ざんし、村木さんを無実の罪で逮捕した。結局、大坂の特捜部長以下
三人の検事が逮捕された。責任をとって、検事総長と次長検事が辞職した。

こんな無茶苦茶な話はない。検事が証拠を改ざんして、無実の人間を逮捕し
たのである。言語道断、ありえざる犯罪、怒髪天をつく・・どんな言葉を
もってしても表現できないほどの怒りを感じる。

カルロス・ゴーンがどんな罪を犯したか知らないが、現在、容疑者である限り、
正しい取り扱いはしなければならない。日本は旧ソ連やシナチャンコロ国では
ないからだ。正規の手続きに従って、たんたんと裁判をすればいいのだ。
無実の罪を着せないことだ。不必要な長期拘留はしないことだ。
それにしても、国家権力が無辜の民に牙をむいた時は、大変危険である。
権力に対しては、国民がきちんと監視する体制が必要である。

平成30年12月20日(木)
ローラとかいう馬鹿タレントをぶっ潰せ
レイチェルとかいうオカマを追放せよ。

こいつらはシナチャンコロ国の手先である。

辺野古は中国からの侵略を防衛する最前線基地である。


ローラとかいう痴呆タレントが、何を血迷ったか、沖縄の辺野古の建設に
反対を表明したそうな。そうすると、例よって例のごとく、阿呆マスコミと
脳なし若者が、ローラに迎合して、称賛しているらしい。その上、レイチェル
とかいうオカマも反対しているらしい。

結局、喜ぶのはシナチャンコロ国であリ、シナチャンコロ国の御用新聞の
朝日新聞である。金正恩と北朝鮮も大喜びである。ローラも、レイチェルも、
シナチャンコロ国と北朝鮮の片棒を担ぎ、プロパガンダの先兵をつとめる
売国奴となり果てた。こういう国を売るような奴はタレントとしての不買
運動を行おう。テレビから追放せよ。こうういう阿呆タレントに国家防衛の
何が分かるというのか。

普天間基地は市街地にあり危険だから移転するのである。普天間問題は、
約20年前からの問題である。もともと普天間には人家がなかった。しかし
基地ができたために、基地周辺へ住民が移り住んだ結果、密集地となり、
危険になったのである。ちょうど20年前あたりからである。ゆえに、
第一義的な責任は沖縄の移り住んだ住民にある。

便利だから人口が増えたのである。多くの住民は危険を承知の上である。
さらにいうと、自分の上には飛行機は落っこちないと思っている。それが
人間の素朴な気持である。それを大騒ぎし、問題にしてのが左巻きであり、
朝日新聞であり、背後にいるシナチャンコロ国であり北朝鮮である。

数多くの候補地をさんざん探した結果、辺野古になったのである。
その辺野古に反対するのは、結局、反対のための反対である。すなわち
シナチャンコロ国や北朝鮮の工作活動が成功しているのである。ローラや
レイチェルは、シナチャンコロ国の工作活動の手先となっている。

こういう馬鹿タレントは、シナチャンコロ国や北朝鮮からみると、
御しやすいアホである。その上、テレビマスコミも情緒的、感情的だから
中国や北朝鮮からみると大変御しやすい。辺野古は、対シナチャンコロ国
への最前線基地である。日本防衛の要である。ローラという馬鹿タレントに
は、日本に対する愛国心などかけらもない。こういう売国奴は、テレビや
コマーシャルから干し上げて追放せよ。所属事務所に抗議活動を行おう。

平成30年12月19日(水)
日本もようやく空母もつようになったか。
まずは大変おめでたい。大歓迎だ。軍事力
を増強して、シナチャンコロ国の野望を阻止せよ。

例によって、アホバカ朝日新聞が、専守防衛を逸脱すると批判している。
朝日新聞と連動したのか、シナチャンコロ国が同じことを言っている。
今朝の新聞によると、シナチャンコロ国は強烈に反対しているそうな。
朝日新聞は、シナチャンコロ国の露払いか、腰巾着化、太鼓持ちである。
いったい朝日新聞は、どこの国の新聞だ。どうみてもシナチャンコロ国の
新聞であると断定せざるをえない。
注)シナチャンコロ国とは「シナチャンコロコク」と読む。なかなか語呂が
良く、気に入っている名前である。

それにしても、いずもの改修は、空母もどきである。堂々たる航空母艦を
ただちに建造せよ。シナチャンコロ国の脅威に対抗するための堂々たる
空母を建艦せよ。空母三隻体制を確立せよ。

あきれ果てるのはシナチャンコロ国の主張だ。おのれは18兆円の軍事費
をもち、空母を何隻も建造している。習近平によると、「我が国は世界の
中心に近づいた」そうな。シナチャンコロ国が、世界を支配すると、
言論の自由はなくなり、民主主義は絶滅する。

全世界の民主主義国家は、一致団結して、シナチャンコロ国の世界覇権の
野望を粉砕しなければならない。シナチャンコロ国が覇権を握ったら、
世界はチペットやウイグルのようになる。トランプを応援して、シナチャン
コロ国の絶滅に全力を尽くそうではないか。

平成30年12月18日(火)

檄文
恥を知れ、額賀福志郎と日韓議員連盟よ!

日韓議員連盟会長・額賀福志郎を弾劾する。
なぜソウル行ったのだ。なぜ中止しなかったのだ。
文在寅に媚びを売り、文在寅の足を舐めるために行ったのか。
三跪九叩頭するために訪韓したのか。すなわち九度ひざまづき、
九回,、額を床に叩きつける屈辱的な礼拝をやったのか。

額賀よ、日韓議連よ、恥を知れ、お前たちは、一億二千万人の
日本人の恥さらしである。否、日本人の敵である。なぜならば、
文在寅は、板門店で、日本人を拉致した悪鬼・金正恩と抱き合い
握手した恥知らずな外道である。額賀よ、お前は、その文在寅の
汚い手と握手したのだ。敵の味方は敵である。すなわち金正恩と
抱き合った文在寅と握手した額賀は日本人の敵である。

文在寅は慰安婦と徴用工をでっちあげ、金正恩は日本人を拉致した。
この二人は、日本人の不倶戴天の敵・朝鮮民族である。今、北の果て
酷寒の地で、飢えに泣き、寒さに震えている拉致被害者のことを思うと、
文在寅と金正恩に対して、怒髪天をつくほどの怒りがこみあげてくる。

額賀よ、お前の行動はあまりにも軽率である。取返しのつかないほど軽い。
西郷隆盛いらい150年、日本人は朝鮮民族に煮え湯を飲まされてきた。
英雄・西郷隆盛が、城山で憤死する根本原因は朝鮮民族の無礼な外交にあった。
朝鮮民族の辞書には「道徳」という言葉はない。裏切りと背信と背徳がある。
武士道の花咲く日本精神とは水と油、永遠に交わることはない。
一刻も早く国交断絶すべし。


平成30年12月14日(金)
シナ中国とは、
世界から絶滅してほしい国だ


アメリカとシナが世界の覇権をかけて戦っている。
この戦争は始まったばかりだが、ゴジラ先生は、当然のことながら
アメリカを応援している。シナ中国の敗北を願う。シナ中国の
ような独裁国家が世界を支配したら、とんでもないことになる。

言論の自由はなくなる。ゴジラ先生も「ガオー」と吠えられなくなる。
個人のすべての自由がなくなる。国家権力が個人を監視し、理不尽に
逮捕されるだろう。まことに住みにくい世の中になる。若者は希望と
大志を抱かなくなる。若い女性はフアッションを楽しめなくなる。

アメリカが完膚なきまでにシナ中国を叩いてもらいたい。
あの傲慢無礼な習近平を逮捕して絞首刑にしてもらいたい。
あの態度のでかい王毅という外務大臣を土下座させてもらいたい。

米中戦争は長期の戦いになる。アメリカは本気である。アメリカは、
建国以来のの国家の威信と名誉をかけて戦う。この戦いの敗北は、
アメリカの敗北のみならず、世界の自由と民主主義の敗北である。

日本も本気でアメリカ側に立って戦うべし。恐れることはない。
そのためには、軍事力を強化することが最優先である。軍事力が
ないかぎり、すべてのことは砂上の楼閣になる。まずは防衛費の
GDP2%の達成を行え。日本に手を出すと痛い目にあうことを
教えてやることだ。GDP2%の達成は、朝鮮半島に対する備え
でもある。反日の南朝鮮と北朝鮮の二つの朝鮮民族に対する防衛である。

★ここで最近読んだ素晴らしい本を紹介する。日本人必読の文献である。

「差別された韓国で気づいたふるさと日本」(桜の花出版)
著者 在日朝鮮人3世帰化人 金田正二


もちろん、仮名である。危険を恐れて、仮名にしたそうだ。
徹底的に朝鮮半島の恥部を暴いている。関東大震災の時、東京の街に
火をつけて回ったのは朝鮮人である。強盗、強姦、強奪したのは朝鮮人
である(212頁)。衝撃的な発言である。日本人の常識をつくがす
朝鮮人の悪逆非道が満載されている。

平成30年12月13日(木)
本庶先生5千万円、巨人の坂本5億円
世の中、おかしいぜ。日本政府よ、
本庶先生に10億円を出せ。

本庶先生のノーベル賞の賞金は、二人でわけるから、5千万円である。
それを京都大学に寄付して、若手を育てる基金とするそうだ。
一方、巨人の坂本選手の来季の契約が5億円である。スポーツと
ノーベル賞を比較できないが、金だけは比較できる。5千万円と
5億円だ。本庶先生は、個人として金など欲しくないが、基金の
ためには金が必要である。

坂本のような野球バカに5億円をやるくらいならば、本庶先生の
基金に10億円くらい寄付するプロ野球選手はいないのか。
本庶先生は世界に対する日本の誇りだが、坂本はせいぜい巨人の
誇りにすぎないではないか。

そこで提案したい。日本政府は、ノーベル賞をもらった人には
日本国民からの褒賞として10億円を寄贈することにしろ。
この金は、受賞者が個人で使うこともできるが、ノーベル賞
受賞者が作る基金のための金とすることである。

山中伸弥先生も基金を募って研究機関をつくった。その上、
マラソンを走って、基金を募っている。山中先生を走らせる
とは日本人の恥である。山中先生も、本庶先生も基礎研究の
ための金がないのだ。

スポーツ界の高額な賞金、そしてカルロスゴーンの超高給、
世の中、狂っている。人間は愚かだ。金の使い方をしらない。
人類の科学のためにこそ金を十分に使え。個人の報酬のための
金は使うな。海外を真似る必要はない。日本人は、天皇陛下も
大名も、船場の大店の店主も、みんな質素倹約だった。

それゆえに、日本では革命がなかった。階級がなかった。
搾取がなかった。天皇陛下から庶民まで、つつましく生きて
きた。これが日本の最大の強みである。フランスのような
デモがない。みんな、それぞれ一人一人が、黙々と働いて
この国を豊かな国にしたのだ。

奈良、平安、安土桃山から江戸時代、そして明治、大正、昭和、
平成と、一億国民の獅子奮迅の働きのお陰てある。日本にカル
ロスゴーンはいらないのだ。本庶先生がいるのだ。本庶先生が
若者を育てるために、応援しようではないか。援助しようでは
ないか。立ち上がれ、心ある日本人よ。

平成30年12月12日(水)
本庶佑先生の和服は最高だ。
カッコいいね。日本人ここにあり。
和服を選んだのは独創的な発想である。
古武士のような雰囲気を漂わせた。


本庶佑先生は、たぶん保守派であり、伝統派なのだ。
日本人の本質は何かをしっかりと知っている人だ。
燕尾服や背広を着ずに和服を選んだとは、これは先生の
研究と同じで、独創的である。

普通の人間はもちろん日本人の歴代ノーベル賞の人でも、
燕尾服という常識にとらわれていた。川端康成以外に誰も
いなかった。さすが文学者の川端康成は日本文化とは何か
を心得ていた。

それにしても、歴代の日本人受賞者は、やはり西欧コンプ
レックスがあって、燕尾服に着ていたのであろう。どこかに
劣等感があったのであろう。しかし、本庶先生にはまったく
コンプレックスがない。態度、振る舞いが堂々としている。
日本人の凄さを知らしめた。まるでサムライ、古武士が舞い
降りてきたようである。

これで和服が見直されるだろう。日本人はやはり和服だ。
歴史と伝統の和服だ。われわれはサムライの子孫なのだ。
武士道は世界に冠たる文化である。世界に誇る伝統だ。
和服とともに武士道を見直そうではないか。本庶先生は
武士道精神を世界に見せたのではないか。本庶先生に
なぜ和服なのか聞いてみたいものだ。先生は何と答えるか。
「サムライの子孫として当然でしょう」と答えるかもしれない。

平成30年12月11日(火)
貴乃花は問題のある男だ。
長年のフアンゆえに、
あえて強く強く諫言する。


貴乃花フアンとして彼の言動には全面的に賛成してきた。
しかし、ここ一連の行動を見るにつけ、疑問が湧いてきた。
決定的にしたのは貴ノ岩に対する言動である。貴ノ岩から
かかってきた電話にでなかったそうだ。その上、テレビの
インタビューでは10年会わないと断言した。

しかし、貴乃花よ、それは間違っている。我が子が進退窮まった時
手を差し伸べ、助けるのが親というものだ。子に対する親の愛情は
理屈ではない。無償の愛、無限の愛を注ぐのが親である。
貴乃花よ、君の言動は親の言葉ではない。親としての愛情の
かけらもない極めて冷酷な対応である。

貴乃花は、親を捨て、兄を捨て、弟子を捨て、奥さんを捨てた。
今までは貴乃花を善として見ていたが、この一連の恩人に対する
行動をみると、人間の道に外れている。親の恩、兄の恩、妻の恩
弟子の恩、これらをバッサリと斬って捨てている。

しかも貴乃花は、自分を絶対正しいと思い込んでいる。自分は
無謬であると信じ込んでいる。絶対神のごとく、自分には誤りが
ない、正しいのは自分であるという前提に立っている。まさに
天上天下が唯我独尊である。

これはよく考えると、とんでもない傲慢であり、驕慢である。
まるで平家の平清盛である。ヒットラーである。貴ノ岩の事件の
責任は貴乃花にある。貴ノ岩は、親に捨てられた子供である。
精神が不安定になるのは当然である。もう一人の暴行事件も
貴乃花という親に捨てられた子供の精神的不安からの事件である。

貴乃花は、弟子を捨て、さっさと逃亡したのである。敵前逃亡である。
貴乃花が、親を名乗るなら、いかなる侮辱にも耐えて、弟子を守る
ために、部屋を維持しなければならない。弟子を捨て、部屋を捨てた
男に、貴ノ岩のことを批判する資格はない。かつての弟子のことを
語る資格はない。大相撲を投げ出した男に大相撲を語る資格はない。
八角を、芝田山を、批判する資格はない。

貴乃花よ、あまりにも独断がすぎる。人の意見を謙虚に受け入れる
度量がいる。あまりにも狭量である。了見が狭い。いまのままでは
人心が離れる。いままで支持してくれた貴乃花フアンが離れる。
貴乃花はあまりにも自分というものを知らなすぎる。

自分の世界に閉じこもり、世間を見ることができなくなっている。
まして人の意見を聞きいれる心がない。貴乃花よ、まず母親と和解しろ。
兄と和解しろ。女房の意見を聞け、捨てられた弟子の心がわかっているのか。
親に捨てられたみなしごが、弟子であるということが分かっているのか。

平成30年12月10日(月)
貴ノ岩を救え。あれは暴力ではなく
しつけである。責任を取るべきは
八角と芝田山だ。


貴ノ岩がかわいそうだ。はるばる日本に来て、努力したのに
こんな問題で引退させられるとは理不尽である。貴ノ岩の行為は
暴力ではない。あれを
しつけというのだ。

何でも「暴力」と断定する風潮こそ危険である。シゴキ、鍛錬、
イジメ、体罰、すべては人間を強くするための教育訓練である。
暴力とは何か。ゴジラ先生の定義は次の通りである。すなわち
「通り魔が、突然、ぶん殴ること、斬りつけることなど、理由も
なく、腕力をふるって、人を傷つけることである」。ようするに、
合理的、論理的な理由もなく、突然、殴ること、蹴ることなど
腕力をふるうことである。

合理的、論理的理由があることは暴力とは言わない。代表的な
例が子供のしつけである。泣き叫び、言うことを聞かない子供を
母親がお尻をぴしゃりと叩くことである。母親の行為を暴力とは
いわない。腕力に基づくしつけは暴力ではない。

同じように、貴ノ岩の行為はしつけである。言っても分らない人には、
腕力を使って、ぶん殴って、叩いて教えるしかない。ガツンとやら
れれば、二度としなくなるだろう。これを「体罰」ともいうのである。
身体に「罰」を与えて教えるのである。間違いを犯したからこそ、
「罰」なのである。

それにしても、日本人は言葉に対して、曖昧すぎる。言葉の意味を
詳しく調べ、吟味し、そしてその後、厳密に定義するという知的行為
が欠落している。すぐに短絡的に断定しようとする。
論的思考、科学
的思考のブロセスがない。今回ならば、暴力という言葉を深く吟味せず
短絡的に当てはめて断罪した。
貴ノ岩は犠牲者である。裁判もせずに
死刑を下したことと同じである。これは私刑すなわちリンチである。

相撲協会の八角以下の幹部が責任を取っていない。これが最大の問題だ。
貴ノ岩が辞めるならば、八角も一緒にやめなければならない。末端の
人間ばかりに責任を押し付け、自分たちは責任を取らないのは、旧帝
国海軍の時代からの伝統である。ミッドウェー海戦の責任を取らなか
った山本五十六や南雲忠一と同じである。最高責任者が責任をとらな
いのである。昔も今も同じである。

こんな風潮がまかり通ると、日本のスポーツは弱くなる。オリンピックを
控えて、指導者の腰が引ける。根性のある指導者がいなくなる。熱血指導
をする人がいなくなる。おとなしい臆病者の指導者ばかりになる。その結果
オリンピックでは金メダルが激減するだろう。

平成30年12月7日(金)
岩国の市民団体の岡村という代表は外道である。
墜落した米軍機の搭乗員の安否を心配はせよ。


二機の米軍機が接触し墜落した。二名が救助されたが五名が行方不明である。
土佐沖100キロの太平洋上である。しかるに、日経新聞の夕刊によると
岩国の市民団体の代表の岡村寛という外道な男は、こう言ったそうな。
「市街地に落ちたら想像を絶する事故だった。安全確認ができるまで
飛行禁止にすべきだ」と。

岡村という男の頭には、死亡した二人の搭乗員を悼み、五人の行方不明を
心配する、人間としての最低限の心もない、犬畜生にも劣る奴である。
岡村の言い分は、「阪神淡路大震災が、東北大震災が、岩国で起きたら
想像を絶する事故だった」と同じ理屈である。確率の低い仮定を置いて、
他者を非難するための理屈をでっちあげているのである。また、逆から
みると、岩国で地震が起きなかって良かった、と岡村は言ってるのだ。
米軍機は、岩国ではなく、太平洋で墜落してよかったと言っているのだ。

事故が起きる可能性があるから、米軍は太平洋上で訓練をしているのである。
危険な訓練を岩国市の上空でしないのは常識ではないか。反対のためなら
なんにでもイチャモンをつけるのが、こういう左巻きの市民団体である。
岡村という代表は、ありえないことをあり得ることと想定して他者を
おとしめることに血道をあげている外道である。ジコチュウも極まって
いる男である。

岩国基地の米軍は、中国や北朝鮮からの脅威に対処するために、
駐屯しているのである。日本国の防衛の一翼を担っている。
岡村は、中国か、北朝鮮の回し者である。米軍の弱体を願う
反日本人である。売国奴とは、こういう男のことを言うのである。

平成30年12月6日(木)
暴力を定義しろ。貴ノ岩問題の本質。
しつけと暴力の違いはなんだ。


貴ノ岩が暴力をふるったそうな。付け人が忘れ物をしたのに、言い訳を
したので、ぶん殴ったそうだ。しかし、貴ノ岩の行為は、昔から、シツケ
としてありえる行為である。どんな付け人か知らないが、貴ノ岩がぶん
殴るには、よほどの理由があったはずだ。

何度言っても、何度いい聞かせても、うっかりミスする人間がいる。
そういう人間に対しては、ビンタは最適のシツケ教育である。今回の
ビンタのお陰で、この付け人は、二度と忘れ物をしなくなるだろう。
そういう意味で、貴ノ岩の行為は、シツケ教育として合理的である。
ゴジラ先生は納得する。

ビンタをしたからといって、何でも暴力だと断罪するのは間違っている。
その時の状況をしっかりと見ないで、一方的に暴力と断定するのは
冤罪を生むことになる。親が、いうことを聞かない子供のお尻を叩く
のは暴力ではない。りっばなシツケ教育である。何でもかんでも、
暴力と断定することは、住みにくい、ギスギスした不毛な社会をつくる。

テレビや新聞も、状況を考えずに、一方的に暴力だと報道するのは
間違っている。アナウンサーも記者も、状況を正確に判断しろと言いたい。
暴力とか、いじめとか、体罰とかいうコトバは、よほど気を付けて
判断しないと、それにかかわった人間を抹殺することになる。

その場面だけを切りとって、断定するなということだ。その時の一連
の流れや、文脈について、正確に状況判断をして、暫定的な仮説として
の結論を出せと言いたい。その時、言葉の定義は極めて重要である。

平成30年12月5日(水)
JR東日本に抗議の電話をかけろ
深沢裕二よ、テメエらは何様のつもりだ!


高輪にある新駅の名前が高輪ゲートウェイに決定したと
深沢裕二というアホ社長が得意げに発表した。オイ、オイ、
待った! 駅名を勝手に決める権利も権限も、お前らにはない。

しかも、高輪ゲートウェイは、公募の順位で130位である。
たった36票しか入らない名前である。一位は高輪駅である。
世間の人の判断は至極当然である。130位を決定するならば、
公募の意味がない。

公募は単なる人気集めのためであって、最初から公募の駅名を
決定するつもりはなかったのである。出来レースである。しかも
社長など幹部のジジイどもが独断で決定したのであろう。

深沢社長よ、お前たちに名前を決定する権利も権限もない。
駅名を決定するのは利用する乗客である。JR東日本の決定は
言語道断である。直ちに撤回せよ。JR東日本に抗議の電話を
かけろ。澎湃たる庶民の抗議で撤回させろ。

なんというのか、深沢とか言う社長の顔を見ていると、なんとも
言えないエリートづらの嫌な顔である。上から目線で態度がでかい。
駅名を決めるのは自分たちだと言う傲慢な顔をしている。
世間知らず、常識しらず、浅薄な思考力、アホづら、バカづら
マヌケづらである。この手のマヌケでも社長は務まるのである。

フーテンの寅さんの啖呵売のセリフを借りると、
「けっこう、毛だらけ、猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ」
「驚き、桃ノ木、山椒の木、ブリキに、タヌキに、蓄音機」
ってとこだ!

平成30年12月4日(火)
ゴーン君、君は給料を取りすぎだ

なんぼなんでもゴーンの給料は高額すぎる。さすがにゴーンも日本の
伝統文化を知っていたゆえに、高額の年俸を隠そうとしたのであろう。
日本の年俸は、アメリカや欧州に比べて、低いという考えは間違っている。
日本は間違っていない。正しいのだ。欧米こそ、異常である。
階級間の差が大きいから、ヨーロッパでは革命がおこり、アメリカでは
貧富の差が激しく、争いも激しくなるのである。

日本は、いにしえの昔より、天皇陛下から、将軍、大名まで、みんな
質素である。豪商も豪農も質素だった。大坂は船場の大店も質素だった。
日本は、ある意味、平等な社会だった。封建時代でも、特定の人間
が栄華を極めた生活をしなかった。みんな平家物語の教訓を知っていた。
これが世界に誇る日本の文化である。日本人の素晴らしい人間性である。

フランスで過激なデモが起きている。車を焼き、店を破壊し、略奪する。
よほど貧富の差が激しく、民衆の怒りも激しいのである。しかし、ちょっと
見方を変えると、フランス人には勤勉の精神がないようである。地道に
コツコツと働く気持ちがない。不満を抱くと、自分のせいではなく、
他人のせいにする。

南米では、不満を抱くと、国を捨てて、他国に侵入しようとする。
自分の国というものを全く信用していない。自分の国を立て直そうと
する気持ちがまったくない。みんなで、一斉に逃げ出すのである。
こんな連中に来られるアメリカはたまったものではない。

しかし、ホンジュラスの連中に言わせると、アメリカ人よ、お前たちも
200年前に、ヨーロッパから逃げてきたのではないか。俺たちと同じだ
と主張するだろう。しかし、国というのは、国民が営々と努力して
作り上げるものである。日本は日本の伝統文化を守り、中国や韓国とは
異なる素晴らしい国家に仕上げようではないか。ガンバロー!

平成30年12月3日(月)
天皇陛下は靖国神社を参拝すべし

平成天皇は来年4月で退位する。その前になんとしても実行して
いただきたいのが靖国神社の参拝である。平成天皇の靖国神社の
参拝なくして、平成は終わらす、戦後も終わらない。

昭和天皇は靖国神社を途中までは参拝していた。しかし東条英機
大将以下の七人が合祀されてから、参拝を止めた。誰の入れ知恵
か知らないが痛恨の行為だった。どんなことがあろうとも、天皇
陛下は靖国神社を参拝しなければらない。なぜならば、タテマエで
あろうと、ホンネであろうと、250万人の英霊は天皇陛下バン
ザイを叫んで、死んでいったからである。

平成天皇は平和主義者である。その後を継ぐ、皇太子はさらに
輪をかけて、平和主義者である。まして雅子さんは靖国神社を
一顧だにしないだろう。今後、天皇陛下の靖国神社参拝は、
永久とは言わないが、見通しうるかぎり実現しなくなるだろう。

こんな状態では、日本人は誰も祖国のために命を投げ出さなく
なるだろう。たしかに、現在、国際政治において、安倍さんは、
よく頑張っている。しかし靖国神社の参拝なくして、彼の政治は
臥龍点睛を欠くことになる。重大な欠陥政治である。

安倍さん以下の日本の政治家はだらしない。中国や韓国の非難を
恐れている腰抜けどもである。中韓と一戦交える覚悟で靖国参拝
する政治家はいない。今の政治家は小粒になった。中韓を圧する
ような迫力を持った政治家がいない。政治家不毛の時代である。

幕末、幕藩体制が崩壊寸前の時、吉田松陰以下の志士が登場した。
今はだらしない時代であるが、平成の志士が必ず登場すると、
ゴジラ先生は信じている。