英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

韓国ディスカウント運動を提唱する
ジャパン・ディスカウント運動へ対抗せよ

韓国ディスカウント運動とは、韓国によるジャパン・ディスカウント運動に
対する対抗策である。韓国は世界中で、ジャパン・ディスカウント運動に
血道をあげている。慰安婦、徴用工、東海の呼称、福島産物の輸入禁止など
である。パリオリンピックでの空手の採用阻止などは韓国の運動の成果である
と想像している。空手が常時の種目に採用されると、テンコンドーが消える
可能性が高いからである。

まるで日本を地球上から消し去ろうという意図がみえる。
実は、まさにその通りであって、韓国のジャパン・ディスカウント運動は、
日本消去運動と見た方が正確である。2005年から開始されているので、
14年にもなる。民間団体の運動で始まったが、今や韓国政府の支援の下、
国家ぐるみの運動である。ゆえに恐るべき運動と認識した方がいい。
日本は軽く考えているととんでもないことであり、日本をさげすみ、貶める
害毒が世界に垂れ流されることになる。

令和元年6月28日(金)
雨、雨、雨ばかり

本日も雨、雨、雨である。ゴジラ先生は4時半から早朝散歩をした。
最初は雨がかなり降っていたが、終わり頃には小雨になった。それでも
梅雨に変わりない。湿度が高く、歩いていると、すぐに汗が出てくる。
その上、関東に台風が接近している。うっとおしい雨だ。

早朝は、鳥の天国である。カラス、ハト、ムクドリ、スズメ、ツバメが
公園に出ている。ツバメは、その他の鳥と違って独自の行動をする。
シェット機のように飛び回っている。あれは南方に渡る時期を見越して
練習しているのだろう。日本で子供を生み、育て、飛び立ってゆくの
だが、日本の気候が子育てにいいのだろう。フィリピンやインドネシア
に渡って行くそうだ。

カラス、ハト、ムクドリ、スズメは、ずっと日本に住み続けるのである。
日本から一歩も出ず生涯を終える。それぞれが棲み分けているが、カラス
が一番威張っている。鳥たちの頂点に君臨している。一時期、スズメが
少なくなったと思ったが、結構、けなげに頑張っている。

ムクドリの数が圧倒的に多い。スズメを大型にしたような鳥である。
集団をなして、公園の地べたを歩きまわっている。鳴き声は上品ではない。
いつも不思議に思うのは、鳥は二羽がペア、すなわち、つがいになって
いる場合が多い。二羽のうち、どちらかが、警戒態勢を取っている。
あれも生存のための知恵なのだろう。雨の中、けなげに生きている鳥を
見ていると、人間の苦労なんぞ、大したことではないと悟った。

令和令和元年6月26日(水)
野党よ、百年に一度ぐらい
安倍さんを褒めたらどうだ。


野党は相も変わらず何でも反対である。昔の社会党の時代に
先祖返りである。百年一日のごとく安倍さんを批判している。
たまにはというより、百年に一度ぐらい安倍さんを褒めてやれ。
人は褒められると、木に登るものだ。

立憲民主党の枝野って奴は批判ばかりである。それに輪を
かけたような奴が辻元清美である。この女の顔をみると
反吐が出そうなので、すぐチャンネンを変える。辻元は
頭の髪の毛を短くし、色気のイの字もない。いつもしたり
顔で講釈を垂れる。辻元の選挙区の人間に言いたい。
こんな女を当選させている限り、地元の人間も同罪である。

自民党も、世襲議員ばかりでロクな奴がいない。小泉進
次郎にしても、三世か四世である。あの程度の男が自民党
のホープだそうだ。自民党もつくづくと人材が枯渇している。
会社のヒラ社員か、せいぜい主任クラスである。

結局、自民党も野党も、ロクな政治家がいない。世界に
通用するような人材がいない。国会議員の数は700名である。
一人当たり1億円が投じられている。全体で700億円を投じて
あの程度の政治家と政治である。壮大な税金の無駄使いである。

ゴジラ先生は提案する。
国会は衆議院だけの一院制にせよ。
参議院は不要で廃止する。議員数は100名にする。少数精鋭の
優れた人材が集まるようする。まず知能テストと人格テストに
合格した人間のみが、立候補できるようにする。世襲は厳禁である。
画期的な、思い切ったイノベーションを行わないかぎり、悪政は
続き、国民は税金をドブに捨てることになるだろう。

令和元年6月20日(木)
地震は忘れたころにやってくる

新潟と山形で地震があった。ゴジラ先生は、寝ていて気が付かなかった。
実は、今年に入って地震がなかったので、何か不気味な感じがしていた。
いずれ地震が起きるだろうと、家の者には注意していた。日本は地震が
起きるのが普通であって、地震がないのが異常だからである。

いずれ関東地方、東京にも、巨大地震が起きると、警戒する必要がある。
とはいっても、地震だけは、何ともしようがない。対策の打ちようがない。
ある意味、運任せであり、家任せである。とくに、家が壊れないことを
祈るよりほかにすべはない。

関東大震災や、東北大震災クラスがくると、人知を超える。運を天に任
せて無事を祈るだけである。そういう意味では、科学が発達したといっても、
百年前の日本人と何の変りもない。さらにいうと、江戸時代の日本人と
境遇は同じである。

ゴジラ先生の家では、大型のペットボトルに水を入れて備蓄している。
庭には大きなポリバケツを置いて、水をためてある。防火水であり、
いざという時の非常用の水である。ゴジラ先生が子供のころは、防火
用水が町のいたるところにあった。大東亜戦争中の経験からである。

しかし、いつのころからか、防火用水を見なくなった。戦争の記憶が
遠くなり、そして、家の構造も、火災が起きにくくなったからである。
しかし、震災は忘れたころにやってくる、寺田寅彦の教訓を思い出そう。
大自然の前には人間は小さい存在だけれども、備えあれば憂いなしである。

令和元年6月17日(月)
梅雨の中休み

昨日も今日も天気が良い。梅雨の合間のひとときのやすらぎである。
今朝も、早朝ウォーキングしたが、おもしろい光景をみた。
早朝は鳥の天国で、六月は、スズメ、ムクドリ、ハト、
カラス、ツバメが歩いたり、飛んだりしている。早朝は人が
いないので、鳥の天国である。最近は、ツバメが盛んに飛ん
でいる。南へ巣立つためのリハーサルのようである。

ゴジラ先生が歩いていると、ハトが地べたに舞い降りて
ヨチヨチと歩いている、と思ったら、突然、スズメが、
ハトの背中を踏み台して、ジャンプし、飛んで行った。
ハトの背中に舞い降りるようにして、ジャンプしたのである。

いたずら者のスズメが、ハトにチョッカイをだし、ふざけて
いるようにみえた。おもしろいのは、踏み台にされたハトは、
なすすべもなく、一瞬、「オットトト」とびっくりしたような
態度だったが、何事もなかったかのように歩き出した。怒って、
スズメを追っかけるようなそぶりはまったくなかった。さすが、
平和主義者だと筆者は思った。

スズメも、ハトが無抵抗主義者であり平和主義者であると知っ
ているのだろう。それをよいことに、いたずらしたのかもしれない。
スズメなりのイタズラであろう。それにして反して、カラスは
嫌われものである。早朝の鳥たちの頂点に君臨しているが、他の
鳥たちの尊敬を集めていない。カラスが飛んでくると、みんな
警戒して、寄り付かない。自然界の暗黙の掟であり、鳥たちの
棲み分けである。とくに、小さなスズメがけなげに生きている
ことに感心する。そこで一句「
早朝のスズメの声にほっとする

令和元年6月13日(木)
キラキラネームへの疑問

詩梨(ことり)ちゃんが、虐待死したあと、また悲劇が起きた。瑛茉ちゃん
(一歳八か月)が暴行を受け死亡していた。今年1月3日に死亡していた。
逮捕は6月12日である。何でこんなに逮捕が遅いのか疑問である。同じ
新聞に、三か月の赤ちゃんが、母親に床に落とされて死亡していたという
記事が出ていた。

幼児や赤ちゃんの受難の時代である。2018年の船戸結愛ちゃん、2019年
の栗原心愛ちゃん、今月の池田詩梨ちゃんと連続の悲劇である。指摘したいのは
みんなキラキラネームである。瑛茉ちゃんの名前は何と読むのか分からない。
漢字が読めないのである。キラキラネームであることに変わりない。

このように連続して不幸が続くと、キラキラネームは不吉であると言わざるを得ない。
こういう名前を付ける親はどこかおかしい。何か狂っている。心理学で分析すると
問題がありそうだ。ゴジラ先生は提案する。今、キラキラネームをつけている人は
すぐに改名せよ。つけようとしている人は直ちに止めろ。不幸を未然に防ぐためである。
幼い子供に罪も責任もない。あるのは親である。親の嗜好で名前をつけるな。

名前は呼ぶために付けるのである。読めることが根本原則である。読めない名前は
名前とはいわない。そういう意味ではクリスチャンが付けている名前は素晴らしい
と認めざるをえない。英語のジョンは聖書にあるヨハネである。マリアは聖母マリア
である。マタイも、マルコも聖書にある。日本人も仏典や過去の偉人から拝借し、
我が子の将来が幸あれと祈ることである。名前は流行や親の好みで絶対につけてはならない。
昔の人は偉かった。太郎、次郎、三郎、四郎、五郎、六郎・・・とわかりやすい。
名前は、このように単純にして、分かりやすくなければならない。

令和元年6月7日(金)
またもや二歳の女の子が虐待死した。
池田詩梨(ことり)ちゃんである。

児童相談所と警察の責任は大変重い。不作為の罪である。
相談所の職員と警察官を厳重に処罰せよ。

母親は
池田莉菜(りな)、暴行したのは交際相手の藤原一弥である。
この二人は鬼畜である。死刑にしたいが、今の日本の法律では死刑に
ならない。その代わり、一生、ことりちゃんの慰霊を行い、後悔と懺悔
の毎日で、一生を苦しみぬけ。天罰である。わずか二歳で命を絶たれた
ことりちゃんの無念を思うと、涙を禁じ得ない。

またもや札幌児童相談所と警察の不手際であり、不作為の罪である。
児童相談所は、ことりちゃんに面会すらしていない。警察は面会し
暴行の跡を確認しているのに逮捕していない。どいつもこいつも
無責任野郎ばかりである。
児童相談所も警察も、犯人と同罪である。
こういう立場の人間の不作為の罪に対して厳重なる処罰を下す
法律を制定せよ。
いったい、今まで何回、虐待死が起きているのだ。
政府はもっと本腰を入れろ。児童相談所と警察の責任を弾劾しな
いと、無責任職員や、無責任警察官が、後を絶たない。

私人逮捕権を適用すべし。一般市民にも犯人を逮捕する権限がある。
これを私人逮捕というのである。
刑事訴訟法213条に書いてある。
虐待を見た近所の人が、直ちに、その家に押しかけ、逮捕するのである。
こういう素晴らしい法律があるのに、警察は自分の権限が犯される
から黙っている。マスコミは無知だから私人逮捕を知らない。

日本は、制度があるのに、十分に活用されていない。新しく適用しよ
うとすると、たいてい、先例がないからとやらない。そして、悲劇
が繰り返される。「あってはならない」「認識が甘かった」などと
言い訳ばかりしている。大胆不敵な行動を取れ。摩擦やトラブルや
危険を恐れるな。冒険には未知なる危険がつきものだ。日本人よ
大胆不敵な民族に変身しろ。今のままでは座して死を待つだけである。

令和元年6月6日(木)
日本人の戦略性と計画性の欠落を憂う
東京タワーは、ただの鉄の塔、
スカイツリーは、ただのコンクリートの塔だ。


老夫婦が運転する車が暴走し、建物を壊し、当人たちは死んでしまった。
何とも言いようがない事故である。ついこの前も老人が暴走し子供が死んだ。
これも悲劇である。子どもが亡くなったというのが哀れである。神も仏も
ないのか言いたいくらいである。

現在のような、高齢者講習会では、何の対策にもならない。教習所にとって
高齢者は顧客だから、落第させるわけがない。教習所ではなく、医者による
検査体制をつくることだ。病院にとっては、煩雑な仕事が増えるだろうが、
高齢者の事故を防ぐには医者の検査しかない。

脳と肉体の検査を徹底的におこなうことである。点数制にして、合格点数に
達しない人は再検査である。それでも合格点数に達しなければ、免許の一時
停止である。ただし、リカバリーのために三回までは受験できる制度しておく。
三回受験しても、不合格の場合は、免許返納である。

日本の多くの制度は、やることなすこと、中途半端で、いいがげんである。
詰めが甘い。徹底していない。典型的なものが都市計画である。パリは
300年前から高さと広がりの計画を立て、高さも広がりも、現在のような
見事な景観にした。だからエッフェル塔は都市に溶け込んで美しいのだ。
東京タワーもスカイツリーも、ただの鉄の塔かコンクリートの塔である。
芸術的な美しさがまったくない。都市計画の中に生きていないからだ。

東京は、高さも広がりも、無計画で、だだっ広く都市が広がっている。
アメーバのような都市である。高さはバラバラである。お陰で通勤客は
無限に広がる郊外から通勤せざるをえなくなった。東京をコンパクトに
まとめておくと、住宅も近くになり、歩くか、自転車で通勤できる。

たとえば山手線内は、五階建て徹底する。そうすると多くの企業や住まい
を山手線内に収めることができる。はるばる数十キロの埼玉や千葉や
神奈川に自宅を建て通勤する必要がなくなる。せいぜい10キロから
30キロ圏内の住宅が建設できる。しかし、いずれにしても、計画性と
戦略性のなさは日本人の欠点である。令和時代、戦略性と計画性をもつ
ことから始めようではないか。

令和元年6月3日(月)
本日は月曜日である。
労働者諸君は、しぶしぶ会社に行く日である。
大いに同情申し上げる。


本日、令和元年6月の最初のホームベージを書いている。
例によって、早朝、4時半から散歩をした。家を出た時は気が付か
ないほどのポツリポツリだったが、帰りには地面が濡れ始めていた。
まだ梅雨ではないが、梅雨の予感がした。雨は、人間に必要だと
分るのだが、雨はいくつになっても、うっとおしいものだ。

ゴジラ先生は自宅で仕事をしているので、通勤する必要がない。
だから、労働者諸君、サラリーマン諸君の気持ちがわかる。
ゴジラ先生も、何十年と電車に乗って通勤したからだ。
通勤しなくなって、通勤地獄から解放されたことが、最高の
喜びである。地獄から天国へ行ったようなものだ。

労働者諸君、サラリーマン諸君の通勤に要するエネルギーは
全国を合わせると天文学的数字になるだろう。会社が大都市に
集中しているからやむを得ないのだが、なんとかならないか。

最大の原因の一つは、無原則に都市を拡大したからである。
フランスのパリは、高さの制限と、都市の拡大に制限がある。
東京のように、高さはバラバラ、都市の広がりは無原則に
広げたから、末広がりに、だだっ広く広がってしまった。
住宅の間で田植えをしたり、住宅の間に林があったりする。
まったく計画性なしのデタラメ都市である。

都市を横に広げるのではなく、上に伸ばしておくと、東京も
コンパクトになっていた。住宅も、横浜や埼玉や千葉などに
拡大せず都内だけ住む場所をまかなえたはずである。通勤時間も
20分、30分で、中心部に通えたのである。すべては、歴代
の総理大臣と内閣と都知事の責任である。どうして日本の政治家、
は、バカで、アホウで、マヌケなのか、うんざりする。