英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

韓国ディスカウント運動を提唱する
ジャパン・ディスカウント運動へ対抗せよ

韓国ディスカウント運動とは、韓国によるジャパン・ディスカウント運動に
対する対抗策である。韓国は世界中で、ジャパン・ディスカウント運動に
血道をあげている。慰安婦、徴用工、東海の呼称、福島産物の輸入禁止など
である。パリオリンピックでの空手の採用阻止などは韓国の運動の成果である
と想像している。空手が常時の種目に採用されると、テンコンドーが消える
可能性が高いからである。

まるで日本を地球上から消し去ろうという意図がみえる。
実は、まさにその通りであって、韓国のジャパン・ディスカウント運動は、
日本消去運動と見た方が正確である。2005年から開始されているので、
14年にもなる。民間団体の運動で始まったが、今や韓国政府の支援の下、
国家ぐるみの運動である。ゆえに恐るべき運動と認識した方がいい。
日本は軽く考えているととんでもないことであり、日本をさげすみ、貶める
害毒が世界に垂れ流されることになる。

令和元年8月29日(木)
秋の気配である
それとともに、父親たちの苦労を忍びたい


秋の気配とともに九州では豪雨である。ゴジラ先生が子供のころから
九州は豪雨被害が日常茶飯事で起きていた。今よりもはるかに豪雨被害は
大きく、ひんぱんに発生していた。高度成長期から災害対策が進んだせいで
被害は少なくなったと思っていたが、どっこい自然は甘くない。集中的に
雨が降ると、あっという間に災害になる。

ゴジラ先生のふるさとの四国徳島も、台風銀座のような土地だった。もち
ろん、雨も多かった。父と兄とゴジラ先生の三人で、玄関のガラス戸を
両手で支えたことがある。強風が吹き付け、ガラス戸がしなって、今にも
吹き飛びそうだった。あのような体験は、横浜ではありえない。

横浜は災害の少ない土地である。洪水や浸水はほとんどない。台風が
直接、襲来したこともほとんどもない。30年くらい前に少し離れたと
ころの川が氾濫したことがあったが、川のまわりはすべて田んぼだっ
たので、田んぼの浸水はあったが、住宅の浸水はなかった。その後、
その川も土手をかさ上げして、洪水対策をしたので、洪水はなくなった。

これは戦後70年の平和と同じで、人間を油断させ堕落させる。災害に
対する感覚が鈍感になり危機感がない。ゴジラ先生の父親などは、
「非常持ち出し」と大書した三つの箱を常時、身近においていた。
戦争中の空襲の経験から、油断せず、いつも警戒していた。ある時
近くの大きな劇場が火災になった時、ただちに、父はゴジラ先生兄弟を
友人の家に避難させ、非常持ち出しの箱を準備していた。

あの世代は、戦争体験世代だから、危機感が、今の世代とはまるで違う。
現代の日本の繁栄は、父親の世代、すなわち明治・大正世代が獅子奮迅の
努力をしてくれたおかげである。ゴジラ先生は、父親の苦労を思うと
涙を禁じ得ない。父親の世代の大正人は、青春時代から大人にかけて、
すべて戦争の時代だった。シナ事変、大東亜戦争、そして米軍の絨毯爆撃
そして廃墟の町と、巨大な災難が打ち続いた時代を生きた世代だった。
ゴジラ先生や子供達が、今日あることを、父親たちに感謝し、心から
幸あれと祈りたい。合掌

令和元年8月28日(水)
韓国と断交せよ
もうあの国には飽き飽きした


かねがねゴジラ先生が言っているように韓国とは深く付き合わないことだ。
必要最低限の付き合いに留めておけ。韓国への観光旅行、投資、貿易など
すべて制限することである。日本は韓国なしにやっていける。韓国からの
旅行客が減ったとテレビは言っているが、素晴らしいことだ。朝鮮人・韓国
人は、日本に来るな。拉致される恐れすらある。

テレビを見ていると、バカなコメンテーターが、日韓は仲良くすべき
である、などというマヌケなことを言っていた。日韓の摩擦の原因は、
すべて韓国にある。戦前も戦後も、韓国の無理難題を受け入れてきた
のが原因である。韓国に対する間違った贖罪意識が、日本の間違った
対応を生んだのである。今回が韓国と絶交する絶好のチャンスである。

朝日新聞やテレビマスコミは、「植民地支配」などと言っているが、
とんでもない間違いである。日本は韓国を植民地にしたことはない。
日韓は併合である。合併である。植民地支配とは、殺戮し、収奪し、
搾取し、人間を奴隷にすることである。朝鮮人は日本国民と一体に
なったのであって奴隷になったのではない。これを内鮮一体と言った。 

韓国人朝鮮人には恩義や信義や誠と言う概念はない。ウソをつき、
騙し、裏切り、背後から刺す、これが朝鮮半島の文化である。
歴史上、960回も侵略を受けてきた民族である。真実をさらすと
殺されるのである。うわべを飾り、詭弁を弄し、ウソを言い、その場
その場を切り抜けないと、生き残れなかった哀れな民族である。

ゆえに、韓国人とは付き合えないのである。韓国人とは、互いにホンネ
をさらし、真実を吐露し、涙を流し、笑い合い、語り合えない。人を
疑い、信用しないのであるから、心を許し合う親友にはなれない。
結局、韓国人とは、必要最低限の付き合にしておかないと、いつ何時
裏切られるかも知れない。裏切られた後で、怒り狂うよりも、裏切られ
ることを想定しておくと対処できる。いずれにしても、韓国朝鮮人とは
付き合わないこと、これが明治以降150年の歴史から学んだ知恵である。

令和元年8月21日(水)
それにしても、何が宮崎を異常な
行動に走らせたのか。その背景や
心理を知りたいものだ


宮崎文夫も、子供のころから悪者ではなかったはずだ。
残虐非道な男ではなかったはずだ。純情な青年期もあったはずだ。
あの異常な行動はなぜ起きたのか。心理学や文化人類学として
興味がある。捕まった後の宮崎は子コネのようにおとなしく、
情けない男に変身した。あおり運転の時の勢いはどこに行ったのだ。
女も同じで屁のような女になった。

宮崎の人生の中で、何かがきっかけで、異常人間に変身したのだろうか。
両親や兄弟はどうか。何か不幸があったのか。何が宮崎を変えたのか。
ネット情報によると、天王寺高校出身で、関西学院大学の卒業である。
天王寺高校は、大阪でも有数の進学校である。関西学院はいうまで
もなく、同社大学とならぶ関西の私学の双璧である。

家庭も裕福だったそうだ。卒業後、何があったのか。仕事に挫折したのか。
恋にやぶれたのか。両親と何かあったのか。宮崎の年齢43歳からいうと
両親は今も健在であるはずだ。関学を卒業後、キーエンスに就職している。
超優良企業である。しかしわずか六か月で辞めている。

もともと、裕福な生まれのボンボン育ちで苦労を知らない。ゆえに、少しの
事でも我慢ができず、我を通し、わがままに振る舞う。当然、組織の人間と
しては失格である。孤立し、孤独になり、自分の中に閉じこもる。

そういう数々の挫折について、自分の能力不足、自分の未熟と考えて、努力す
るのが普通の人間である。しかし、宮崎には、食っていける財力があるから
我慢をせず、我を通し、勝って気ままに生きたのである。そこに、宮崎に同情
する女がくっついて、ますます異常になって行ったとゴジラ先生は推測した。

こういう奴は、一度、監獄に放り込んで、臭いめしを食わせ、徹底的に底辺の
つらさ、怖さ、苦労を叩きこんでやることだ。それでも更生するかどうかは
分らない。一生を通じて、数かぎりなく警察のお世話になる可能性がある。
そして、無残な最期を遂げることになるだろう。哀れな奴である。

令和元年8月20日(火)
警察よ、国民の公僕であることを自覚せよ。

警察が、ようやく、あおり運転のキチガイ男・宮崎文夫を捕まえた。
あまりにも遅すぎる。しかも、捕まえた時、宮崎が大声で抵抗し、
相棒のキチガイ女も、抵抗していた。警察官の対応が生ぬるい。

有無を言わさず、後ろ手に手錠をかけろ。あるいは、アメリカの警察官の
ように、地べたに、ねじり伏せて、後ろ手に手錠をかけろ。アメリカでは
拳銃をむけて、 「シャラップ!』と、ひとこと言って有無を言わさない。
日本の警察は、あまりにも優しすぎて、生ぬるい。宮崎のような強面(こわ
おもて)の人間には、腰が引けている。弱い人間には傲慢無礼である。
なんたる差別だ。

たとえば、テレビで放映されていたが、高速道路を走っていた善良な若者の
オートバイに対して、パトカーが権力を誇示し、暴言を吐き、イジメていた。
映像によると、若者が乗ったオートバイが、ゆっくり走るパトカーを追い
抜こうとした。その時、パトカーがオートバイの進路をふさぎ、しかも、
マイクで「こらー、お前ふざけんな」と暴言を吐いたのである。

さらに、オートバイの前を先導し、高速道路の出口から出ていけと、
マイクで呼びかけ、高速道路の出口までついて行き、若者を高速から
降ろしたのである。そのくせ、自分たちはそのまま高速道路を走り去った。
なんの権利があってこういう傲慢な態度がとれるのだ。

若者は高速を降りて、何か話があるのかとパトカーを待ったが、パトカーは
来なかった。驚くべき光景だった。権力を笠に着たひどい話である。
オートバイのドライブレコーダーがすべてを映していた。

パトカーに乗っていると、天上天下唯我独尊になるのである。警察官は公僕である。
国民に奉仕するのが仕事である。とくに善良なる市民のために行動するのが使命である。
純粋な若者は徹底的にいじめるくせに、宮崎文夫には腰砕けの対応をする。
情けない話だ。このパトカーの警察官はその後を処罰されたのか。若者に土下座して
謝ったのか。その後の経過を知りたい。市民として、警察という権力者を管理監督する
ためである。

令和元年8月19日(月)
十日ぶりの登場です。
ゴジラ先生も夏休みを取っていました。

今年も、天皇陛下の靖国参拝がなかった。


ゴジラ先生は、もちろん、8月15日、靖国神社をお参りした。245万英霊に
感謝のお祈りをした。靖国で会おうと死んでいった当時の若者に対して、
心から哀悼の意をあらわした。「あなた方のお陰で、ゴジラ先生は生きて
います」と祈った。先人の尊い犠牲のもとに、今日の日本人はあるのである。
そのことを決して忘れはならない。

天皇陛下の靖国参拝を強く望む。
靖国神社を参拝しない天皇ならば、存在する意味がない。天皇の存在意味とは
戦陣に倒れた人々への追悼である。戦死した日本人を追悼することは、天皇と
しての最大の仕事である。天皇陛下が存在する目的は、靖国参拝である。

昭和天皇、平成天皇には戦争への追悼の気持ちが強く感じられた。ただし、
平成天皇は靖国神社を参拝しなかった。これは最大の問題である。さらに
今上天皇はどうか。まして皇后には追悼の気持ちがあるのかどうか。
戦後平和主義教育にどっぷりつかった天皇・皇后の精神を危惧する。

天皇陛下の参拝亡くして戦後は終わらない。
秋に予定されている天皇としての儀式よりも、はるかに優先して靖国神社を
参拝してもらいたい。天皇陛下が、靖国参拝に伴う外交摩擦を恐れているならば
それは全くの杞憂である。総理大臣の参拝ならば、国内でも賛否がある。しかし
天皇陛下の参拝で、中国韓国が文句を言ってきたら、まさに天皇陛下のもとに
結集して、一億玉砕の戦いをやろうではないか。徹底的に中韓と戦争をやろう
ではないか。望むところだ。チャンコロ人とチョウセン人に大和魂を見せてやろう
ではないか。歴史的に日本人は戦争に強い民族である。シナ人、朝鮮人は戦争に
弱い民族である。これは歴史の事実である。

令和元年8月9日(金)
マスコミよ、しっかりせい。何を浮かれているのだ。
世襲政治家としての小泉進次郎をきびしく追及しろ


進次郎とクリステルが結婚するのに、どうして首相官邸に行く必要があるのだ。
結婚は、政治家のプライバシーの問題である。政治家は結婚するたびに首相官邸の
総理大臣に挨拶に行くのか。これこそが政治家の公私混同である。マスコミよ、
何をしているのだ。芸能ニュースではないぞ。政治問題としてきびしく追及しろ。

かねがね、日本は世襲に甘い社会であると、ゴジラ先生は主張してきた。昨年、
出版した「日本アホバカ勘違い列伝」(ワック出版)の主目的は、世襲批判だった。
歌舞伎の世襲、政治家の世襲、医者の世襲、タレントや芸人まで世襲する。
世襲が全盛の時代になった。すなわち、コネなく、縁故なく、金のない無手勝流の
若者の出番と出世を奪うということだ。

とくに、歌舞伎の世襲が元凶である。歌舞伎の世襲こそ、世襲に甘い日本人を
作ったのである。世襲という制度が、技術の伝承という世界に留まるならば
良い世襲である。たとえば、鍛冶屋、刀鍛冶、修理技術、饅頭屋、豆腐屋、
せんべい屋など、江戸時代からの伝統の商売や技術の維持と伝承である。

歌舞伎の世襲も、歌舞伎の世界だけに留まるならばよい世襲である。昔の
歌舞伎はそうだった。しかし現在は、歌舞伎俳優が、歌舞伎の威光を笠にきて、
どこにでもしゃしゃり出てくるから問題なのである。片岡千恵蔵、市川歌右衛門、
大川橋蔵、中村錦之助、東千代之介など、昔の歌舞伎俳優は歌舞伎俳優を辞めて
から、映画界に進出した。歌舞伎と縁を切り、覚悟して他の世界に進出した。

しかるに、現代の歌舞伎俳優は、歌舞伎を辞めず、歌舞伎の威光を背景に、
映画、演劇に出てくるから問題なのである。金もなく、名もなく、縁故もない
無名の若者の出番を奪うからいけないのだ。アメリカの凄さは、実力主義である。
歌舞伎など存在しないからである。無名の若者が実力でオーデションを受けて
世の中に出てくるのである。まさに実力主義である。歌舞伎は、世襲、縁故、
コネを助長し、実力主義を破壊する元凶である。

くたばれ、世襲歌舞伎と世襲政治家。くたばれ、進次郎とクリステル。
それにしても、あんな美人と乳繰り合っていたとは、むかつく、腹が立つネ。
これを嫉妬というのだ。貧乏人のひがみというのだ。ザッツ・ライトだ。
貧乏人の生きる活力は、嫉妬とひがみだ。それがどうした文句があるか。

令和元年8月8日(木)
進次郎とクリステルが乳繰り合ったそうな
それがどうした、勝手にしやがれ


虫も殺さぬ君子ぶった進次郎と、同じく優等生ぶった
クリステルが乳繰り合っていたとは、大変な興ざめだね。
ええしの世襲ボンボンと、超有名美人がくっついたとて、
庶民には何の関係もネー。勝手にセー。ええかげんにセー。

まして、首相官邸に挨拶に行くとは、
いったい政治と何の関係があるのだ。
公私混同だ。進次郎よ、クリステルよ、お前ら、何様のつもりだ。
安倍さんにも失望した。菅官房長官にも失望した。
官邸は、乳繰り合った者のあいびきを推奨する場所か。
冗談ではないぞ。これで安倍さんの支持率は確実に落ちる。

■閑話休題
乳繰り合うとは、江戸時代からの伝統の日本語の表現である。
あいびきともいった。情緒がある粋なコトバである。
デートするとか、キッスするとかは、情緒がないね。
キッスは接吻である。接吻とは、いいネ、情緒があるネ。

令和元年8月5日(月)
日本ペンクラブ会長吉岡忍

この男、極めつけの売国奴である。理由は以下の通りである。
愛知県の芸術祭で、こともあろうに韓国の慰安婦像の展示があった。
河村たかし名古屋市長が、抗議文を主催者の愛知県知事大村秀章に送って
抗議した。市民からの猛抗議もあって、芸術祭は中止になった。
猛烈な抗議が殺到したそうだ。名古屋の庶民の感覚は健全である。

主催の大村知事もキチガイだが、もっとキチガイがいた。日本ペン
クラプの会長の吉岡忍という奴である。この男、「芸術祭は続ける
べきである」と声明を出したそうな。吉岡の主張は、結局、韓国に
よる嘘と捏造で作られ売春婦像を展示しろということである。
ここまでくると、吉岡はキチガイであり、異常な売国奴である。
こういう奴は、即刻、韓国に追放したいものである。

吉岡という奴は、元ベ平連である。極めつけの左翼である。日本ペン
クラブは、志賀直哉や川端康成や遠藤周作が会長を務めた会である。
吉岡のような左翼がいつの間にやら入り込み牛耳ったのである。
今回の芸術祭の監督は、津田大介である。こいつも左翼である。

日本では、今なお、左翼がしぶとく生存しており、折に触れて
よからぬことを企てるのである。左翼とは、旧ソ連や中国そして
北朝鮮の思想である。エイリアンのような疫病である。
こいつにかかると、なかなか治らないからやっかいである。

日本では朝日新聞を中心に、大学人、知識人が完全に汚染されている。
令和時代の我々がやるべきことは、昭和から平成へと、しぶとく生き
のびている左翼を撲滅することである。これが最大の課題である。

令和元年8月2日(金)
韓国を徹底的に痛めつけろ

日本人は日韓併合への贖罪意識から、日本は韓国には遠慮してきた。
腫物に触るように接してきた。 その結果、韓国を増長させた。
日本を舐め、侮辱し、無視するようになった。傲慢無礼も極まった。

戦後の対韓外交は間違いだった。日本は日韓併合によって絶滅し
かかっていた朝鮮民族を救済した。しかるに、恩を仇で返してきた。
しかし、最近の韓国の傲慢無礼にたいしていよいよ、日本の堪
忍袋の緒が切れた。

その第一弾としとての今回の輸出規制は日本の大ヒットである。
さらに本日、決定するホワイト国から外すことも、同じく大ヒ
ットである。日本が怒ると、どうなるか、韓国に徹底的に教えてやれ。

映画「鬼龍院花子の生涯」の中の夏目雅子ではないが、「わては大日
本帝国の末裔の日本じゃきに、舐めたらいかんぜよ」と凄んでやればいい。
韓国は戦前も戦後も日本のお陰で生存している。大恩ある日本に対して
後ろ足で砂をかけたのである。徹底的に懲らしめてやればいい。日本の
怖さを教えてやれ。日本は韓国なしに生存できるが、韓国は、日本なし
には生存できない。

対馬への韓国人旅行客が減っているそうだ。大いに結構である。韓国人の
入国を禁止しろ。きれいな対馬の風景がが汚れる、汚くなる、韓国人よ、
対馬に来るな。ニュースを見ると、対馬の旅館の経営者が韓国人旅行客の
減少を心配していたが、こいつらは商売しか頭にない売国奴である。
庶民は韓国人の減少を大歓迎している。

もともと日本人は韓国・朝鮮人が大嫌いである。日本人を拉致したのは
朝鮮人である。日本人とは不倶戴天の敵である。餓鬼道に堕ちた外道な
民族である。トランプさんに見習って、対馬海峡に大きな壁を作り、
韓国を遮断したい。日本人の精神衛生は最高になるだろう。。