英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

韓国ディスカウント運動を提唱する
ジャパン・ディスカウント運動へ対抗せよ

韓国ディスカウント運動とは、韓国によるジャパン・ディスカウント運動に
対する対抗策である。韓国は世界中で、ジャパン・ディスカウント運動に
血道をあげている。慰安婦、徴用工、東海の呼称、福島産物の輸入禁止など
である。パリオリンピックでの空手の採用阻止などは韓国の運動の成果である
と想像している。空手が常時の種目に採用されると、テンコンドーが消える
可能性が高いからである。

まるで日本を地球上から消し去ろうという意図がみえる。
実は、まさにその通りであって、韓国のジャパン・ディスカウント運動は、
日本消去運動と見た方が正確である。2005年から開始されているので、
14年にもなる。民間団体の運動で始まったが、今や韓国政府の支援の下、
国家ぐるみの運動である。ゆえに恐るべき運動と認識した方がいい。
日本は軽く考えているととんでもないことであり、日本をさげすみ、貶める
害毒が世界に垂れ流されることになる。


令和元年9月30日(月)
ご無沙汰いたしました

9月13日からゴジラ先生は寝ていた。なんなとなくのんびりと休憩していた。
そうすると、月日の経つのは早いもので、とうとう本日、月末になった。
そこで慌てて、ゴジラ先生に吠えてもらうことにした。

言いたいことはたくさんある。まず第一は、ラクビ―の日本の大金星だ。
アイルランド相手によくぞ勝った。安倍さん、国民栄誉賞を授与しろ。
日本の名誉のみならず、経済の活性化に大変貢献した。個人消費が
増えて景気が良くなるだろう。

ラクビ―見ていて思った。このスポーツはすばらしい。日本の武士道を
体現している。一人が全体のために全力をつくす。これほどすがすがしい
スポーツはない。スポーツマンシップにあふれた行動をしている。
見苦しい選手は一人もいない。これに反して、ゴジラ先生も関係している
サッカーについて苦言を呈したい。

サッカー選手の振る舞いは、ラクビ―とはまるで正反対である。醜いのだ。
ちょっと触れただけで大げさにこける、大げさに痛がる、選手同士が
ささいなことでケンカする。審判に食ってかかる。点をいれると
観客席の近くに駆け寄って、自分一人が点を挙げたように大げさに
ガッツポーズをする。下品である。品性のかけらもない。

ゴジラ先生は提唱したい。南米の下品なサッカーではなく、日本独自の
武士道サッカーを実践し、世界に広めてもらいたい。世界から尊敬を
受けるだろう。武士道サッカーに栄光あれ。

サッカーだってもともとは、イングランドの発祥である。ラクビ―と
同じである。だから最初は紳士のスポーツだったはずだ。ゴジラ先生の
推測だが、サッカーが南米にわたってから下品になったのだろう。
ラテン系の連中がサッカーを品のないスポーツにしたのである。

今回のワールドカップで、ラクビーフアンが増えたはずだ。もともと
日本ではラクビーは人気があった。ゴジラ先生が小学生のときに、
体育の授業や遊びでラクビーをやっていた。当時、サッカーは、影も
形もなかった。ラクビーは、日本では古い歴史をもっている。

ラクビーは日本人の精神性に合致している。武士道精神を体現して
いるからだ。ヨーロッパの騎士道を背景にしているだけに、武士道
精神と共通するものを感じる。今回を契機にしてラクビーが盛んに
なり、サッカーなど他のスポーツに良い影響与えるてもらいたい。

令和元年9月13日(金)
韓国と国交断絶せよ

韓国に対しては、もういい加減にしろと言いたい。日本のすること、なすこと
ことごとくに、反対し、邪魔し、貶めようとしている。パラリンピックのメダル
が旭日旗だと、文句を付けたのにはあきれ果てた。韓国というバカにつける薬はない。
さらに東京オリンピックには、旭日旗を持ち込むなと、オリンピック委員会に言い
つけたそうな。韓国という国家は腐りきっている。腐臭を発している国である。
こういう腐った国家とは国交を断絶せよ。すべての日本人は、清々して、安眠できる。

日本は、韓国の言いがかりに、断固たる抗議声明を出せ。これ以上、日本に
文句をつけるならば、国交断絶をすると通告すべし。日本が何も言わないから
日本を舐めているのである。安倍さんよ、重大発表を行え。日本は、10月
1日を期して、韓国と一切の国交を絶つと声明しろ。人も、物も、すべての
交流を断絶すると韓国に通告せよ。

そうすると、朝日新聞やリベラルを気取る評論家が、隣国だから仲良くせよ
と手垢が付いた、紋切型の、陳腐な意見を述べる。隣国だから仲が悪いのは、
古今東西の歴史が教えている。隣国だから戦争するのである。韓国は明々白々
に日本の敵国である。不倶戴天の敵である。韓国・朝鮮人の顔など見たくもない。
日本人を拉致するような朝鮮民族とは、未来永劫付き合う必要はない。

在日朝鮮人、韓国人も、肩身が狭いはずだ。朝鮮半島の本国が、これほど醜い
国家であったとは、つくづく嫌になっただろう。その証拠に、在日韓国朝鮮人
は、年間、約一万人が日本に帰化している。韓国朝鮮人だと名乗るのが恥ずか
しいからである。それほど、朝鮮半島の朝鮮民族は、劣悪で、劣等である。

韓国とは必要最小限の付き合いにして、原則として、すべての交流を絶つことだ。
現在の北朝鮮の関係と同じレベルにする。これで日本人は、枕を高くして、気持
よく眠ることができる。バンザイ、バンザイ、めでたし、めでたし、これにて一件落着!

令和元年9月11日(水)
三八歳の小泉進次郎が大臣とは
大臣が小粒になったものだ


安倍さんが内閣改造を行った。それはいいとして、大臣をみて
驚いた。小泉進次郎が環境大臣になったのだ。小泉純一郎の
息子で、人気があるとはいえ、まだ三十八歳である。まだまだ
経験不足である。自民党全体に人材不足である。

内閣全体を見ても、みんな小粒である。重厚感のある人間が
いない。戦後も70年もたつと、創業型の風雲児がいなくなる。
とくに自民党は、世襲議員、二世三世議員ばかりである。

期待したいのは高市早苗と茂木敏充である。二人とも世襲議員
でない。頭も良い。茂木はハーバード大学に留学、英語が相当
達者である。高市早苗は女性の初代の総理大臣になってもらいたい。
とくに、高市の保守思想が大変すばらしい。

世襲だが河野太郎もよい。英語が達者だから外国人と丁々発止の
議論ができる。河野は、アトピ―皮膚炎なので、気の毒である。
この病気を直す方法はないのか。あの顔を見ていると気の毒である。
優秀な人物だけに、アトピ―を直して、思い切り活躍してほしい。

ゴジラ先生は、戦後、長い間、政治をみてきた。かつて三角大福中
が切磋琢磨していた時代は、活気があった。三木武夫、田中角栄、
大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘、みんな総理大臣になった。

ゴジラ先生の郷里の英雄は三木武夫である。バルカン政治家と言わ
れたが、明治人としての気骨をもっていた。演説がうまかった。
戦前、戦中、戦後を生き抜いた政治家だった。いずれにしても
三角大福中のような政治家がいないので、最近の政治は面白くない。
手に汗握るような緊張感のある政治がなくなった。

令和元年9月9日(月)
久しぶりの台風だった

関東を襲った台風は久しぶりだ。それも直撃だった。
夜中に何度も起きた。風がゴーゴーと鳴っていた。
自然の凄さを実感し、人間の無力を悟った夜だった。

ゴジラ先生の故郷は四国徳島である。台風銀座であった。
台風シーズンになると何度もやってきた。家の扉をクギで
打ちつけたりして、台風に備えたものである。親父と兄貴
と三人で玄関ドアを押さえて、ドアが吹き飛ぶのを防いだ
こともある。あの時は、台風の威力を嫌と言うほど知った。

ある時は、家の屋根瓦が吹き飛んだので、親父と二人で
鳴門市まで瓦を買いに行った。親父がゴジラ先生の胴に
ロープをくくり、大屋根の端の瓦を交換した。猿回しの
猿のようだった。

鳴門市まで行く街道の電信柱がバタバタと倒れていた。
壮観だった。あんな光景はその後も見たことがない。
ある家は、二階の屋根が吹き飛んで、大きな穴が開い
ていた。あの台風は何と言う台風だったか知らないが、
大きな台風だったのは間違いない。

ゴジラ先生がもっと小さい頃、家がボロ屋だったので、
台風がくると、恐怖におびえながら、一晩を過ごしたことを
今も鮮明に記憶している。あれは終戦直後、昭和21年頃だった。

小学生になると、台風が来ると学校が休みになるのでうれしかった。
二階の扉を少し開け、外を眺めて、台風の来るのを待った。
怖さとうれしさ半々だった。台風ロマンというやつか。台風にも
ロマンがあったのだ。

令和元年9月6日(金)
ジャニーさんと言われても、
そんな男知らん


ジャニーとかいう人が亡くなったそうな。数多くのタレントが集まって
葬儀らしきものをしたそうな。ニュースで報じていたから知ったことだが
それがどうしたと言いたい。芸能人にとっては、関心のある大ニュースだ
ろうが、関係のない人間とっては、屁のようものだ。

最近、こういう芸人の内輪のことを大々的に取り上げるが、天下国家に
なんの意味もない。関係のない人間にとってはうるさくて大迷惑である。
しかも公共の電波を使って、芸人の分際で総理大臣にでもなったつもりか。

テレビ局もだらしない連中、情けない連中の集まりだ。ジャニーなに
がしという男を無視し、放送しない気骨のあるテレビ局はいないのか。
その上、テレビ局にはコメンテーターとかいう、太鼓持ちがくっついて
ゴマすりに励んでいる。コメンテーターとなどとカタカナを使うな。
ただの太鼓持ち、幇間というのだ。

否、太鼓持ち、幇間と言えば、彼らに悪い。彼らは素晴らしい芸人である
からだ。コメンテーターとは便所のウジ虫である。しかし、とはいっても、
最近の人は、便所のウジ虫など見たことがないだろう。ゴジラ先生の子供
のころは、便所と言えば、汲み取り式であった。近郊の百姓がくみ取りに
来たものである。田んぼの肥料に使うのである。

江戸時代、江戸の市中の便所は、近郊の百姓がくみ取りに来たのである。
江戸町民の食料事情が良いので、良い肥料が得られたからである。
汚い話のようだが、日本人の生活が好循環していた証拠である。
ムダがないのである。現代は、水洗式になって便利だが、自然の循環と
いう意識がなくなった。自然に対する感謝の気持がなくなった。だから
知らず知らずに自然を破壊しているのである。

令和元年9月3日(火)
九月とはいえまだまだ暑い日が続く。
人生は健康第一だ。ガンバロー


九月になって、少し秋らしい気配がする。たしかに早朝は涼しいが、
日中は猛暑である。例年、九月とはこういうものだ。まだまだ
暑い日は続く。ゴジラ先生は、いつもの通り、4時半に家を出て
散歩する。以前は明るかったが、今はかなり暗い。

さすがに、四時半から歩いている人間はほとんどいない。
バス停にも人はいない。まだ世の中は眠っている。時々、国道を
車が走り抜ける。そうこうしていると、東の空が朝焼けになる。
それはそれは美しい光景である。雲が様々な姿をしており、
朝焼けを受けて、荘厳な雰囲気である。

10分もすると汗びっしょりになる。散歩とはいえ、ゆっくり
歩かない。腕を振りながら、かなりのスピードで歩く。
いわゆる早歩きである。時間は一時間である。
これを雨の日も、風の日も、雪の日も、台風の日も、一年
365日歩く。日曜も祭日も、盆も正月もない。

身体に叩きこまれた習慣であるから。休むと体調が狂う。
お陰さまで、かれこれ数十年、病気で寝込んだことはない。
膝の半月板を痛めて一週間ほど入院し手術した時ぐらいである。
人間は、健康が一番である。

億万長者になっても、病気で寝込んでは、人生何のために生き
ているのか意味がない。少しくらい頭が悪くても、偏差値が低く
ても、たとえ貧乏であっても、健康が一番、健康という財産に
勝る財産はない。健康である事を、家族に感謝し、親に感謝し、
神様に感謝して、本日も、健康に、安全に、過ごすことにしよう。