英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

ベトナム民間人虐殺像の製作
ご支援とご寄付のお願い


1960年代、韓国はベトナムに30万人を派兵した。韓国兵のことだから
当然、ベトナム人に残虐行為を働いた。女性を強姦しライダイハンと
言う混血児を数万人も生んだ。さらに残虐なのは、ベトナム人を大量
虐殺したことである。約三万人である。

ゴジラ先生は、2013年と2014年の二度、兄貴と二人で、ベトナム
全土を調査した。各地に韓国兵の残虐行為が残っていた。その証拠は
各地に大きな霊廟や慰霊碑があって、一人一人の犠牲者の名前が刻ま
れていたのである。隠しようがない残虐行為の跡である。

帰国後、そのことについて、「韓国の大量虐殺事件を告発する」(展転社)
を出版した。大きな反響があった。しかし、その後、告発する運動は、
大きく発展しなかった。そこで、今回、ベトナム人虐殺像を製作し、
韓国を告発する運動をさらに進める計画である。

製作費は、550万円である。今、全国の心ある皆様にご支援とご寄付を
お願いしてている。よろしくお願い申し上げます。
像は、11月ごろに完成予定である。像ができるとしかるべき場所に展示
したいと考えている。小型の像も制作し、アメリカなどに持参して
慰安婦像の横において、韓国を告発したい思っている。いずれにしても
全国の皆さんのご支援とご寄付をお願いするばかりである。よろしく
お願い申し上げます。

御寄付をたまわった皆様
10月16日時点で、下記の方々より御寄付を頂きました。
その高い志に対しまして厚く御礼を申し上げます。
引き続きご支援ご寄付をお願い申し上げます。

小堀桂一郎氏、城内実氏、鬼柳一宇氏、神山敏夫氏、
河村宣行氏、
北岡正敏氏、青木恒氏、押田信昭氏、
竹内勇人氏、小野考良氏、大沢幸立氏、松元俊夫氏、
斎藤永視氏、武井賢吉氏、北岡憲太郎氏、佐藤允男氏

土田恵三氏、土田朝美氏
佐藤祥一氏、梶俊明氏
なお、以下の方々はカタカナのお名前しか判明しておりませんので、カタカナ名を記載します。
ありがとうございました。高い志に深く感謝します。こういう行為を古来から義士による「義」といいます。
コバヤシ・タケシ氏が10万円を寄付してくれました。心より御礼を申し上げます。同じく、
オカザキ・キミヒコ氏。 オワリノブナガ氏、アグロセイキ氏に感謝申し上げます

2020年10月6日(火)
水田水脈と日本学術会議
「女はいくらでも嘘をつける」と言ったとかで非難を浴びている。
水田議員の言った通りである。ほんとうのことをいうと、どうして
非難されるのか、ゴジラ先生にはよく分からん。

これは女と言うよりも、男と言ってもいいし、人間と言ってもいい。
女も男も、人間はいくらでも嘘をつけるのである。
だから、人間社会はうまくやっていけるのだ。
嘘も方便というのだ。

野党や朝日新聞などは、正義感を振りかざし、
弾劾しようとしている。鬼の首をとったように非難している。
朝日新聞こそ、大ウソつき新聞である。水田を非難できない。

同じく、日本学術会議のメンバーから六人の学者が外されたと
野党と朝日新聞が大騒ぎしている。
菅さんもはっきり言ってやればいいのだ。
「お前らは左巻だから排除したのだ」と。

日本学術会議を解散させろ。
百害あって一利なしである。こういう左翼が生き残っていることが、
日本の不幸であり七不思議である。

学者なんて言う連中は、国民の税金でメシ食っているくせに態度がでかい。
もっと謙虚にしないと税金を召し上げるぞ。国立大学はもちろん、私立大学も
三千億円の税金をもらっている。三千億円もあればイージス艦が二隻建造できる。

いずにしても、日本の学者には、左翼マルクス主義が蔓延している。
先進国で、いまだに左巻きが強いのは日本だけである。
左翼マルクス主義は、ソ連崩壊ともに無くなった前世紀の遺物である。
中国はマルクス主義ではなく、隋、唐、清などと同じ、古典的な中華帝国である。

2020年10月1日(木)
伊勢谷友介
昨日、テレビを見ていると、イケメンのカッコいい男が、湾岸警察署から
出てきて、玄関前で頭を下げて、お詫びを言って、去って行った。

ゴジラ先生は、芸能人について詳しく知らないので
「なんだこいつは」と思った。第一頭の下げ方が悪い、第二下げる時間が少ない。
ようするに謝罪になっていない。反省の色なしと思われるだろう。

日本では、謝罪する時は、最敬礼か、180度以上、頭を下げることである。
そして、心の中で、「1,2,3,4・・・・・・」と、30か、40まで数えることだ。
伊勢谷はわずか10くらいである。これでは謝罪になっていない。

土下座して、頭を土につけることも方法である。
背広のズボンの膝を折り、深々と頭を下げ、ひたすらじっとしておるのである。
謹慎しているという姿勢と態度が重要なのである。簡単にぞんざいに行うと逆効果になる。

ゴジラ先生は、テレビでタレントが謝罪する光景を見るたびに、
あまりの下手さに対して、「謝罪コンサルタント」を開業してやろうか
と思ったりするのである。

タレントから相談があると、マンツーマンで、謝罪を指導するのである。
日本では形や型が重要なのである。礼儀作法である。

伊勢谷の経歴をネットで見てびっくりした。
東京芸大を現役で合格している。英語も達者だそうだ。
ニューヨーク大学に短期留学していた。異母兄に山本寛斎がいる。

頭の良いエリートである。だから苦労知らずである。
人生の辛酸を舐めていない。才能があるので、何をしても、
出来るのである。器用なのであろう。

ここに大きな落とし穴がある。伊勢谷は、人生を舐めたのである。
人生は、伊勢谷程度の秀才が理解できるほど浅くはない。
人生は深いのだ。闇のような深さがある。日本海溝よりも深い。

昨日の謝罪態度をみると、伊勢谷はまたぞろ失敗する恐れがある。
一労働者となって、額に汗して働け。公衆便所の便所掃除をしてみろ。
老人ホームで、老人のシモの世話をしてみろ。

いずれにしても、辛酸を舐めてみることだ。伊勢谷の人生のためには
一度落ちるところまで落ちてみることだ。

2020年9月30日(水)
日々平穏
最近のゴジラ先生の周りも、日本全体も日々平穏である。
あまりにも平穏なので、少々、不安になっている。
天災は忘れたころにやってくると、寺田寅彦が言っている。
いずれにしても、平穏の中にあって警戒を怠らないことだ。
危急存亡の秋に備えることである。

日経新聞の「私の履歴書」が終わった。アートコーポレーション
アート引越センターの寺田千代乃の自伝だった。
最初は良かったが、終盤にきて、がっかりした。
こいつもやはり、並みの経営者かと思った。

とくに、ゴルフをやり、馬主になったということで、大変失望した。
この女もただの成り上がり者だった。貧乏人が成り上がると
ロクなことをしないという例である。

ゴジラ先生は、ゴルフを嫌悪している。経営者がしたり顔で
ゴルフをしているのを見ると、軽蔑する。バカヤローと言いたい。

いったい何人の社員がゴルフをできる余裕があるのだ。
いったい何人の日本人がゴルフをしているのだ。
ゴルフをしたくても、まず金がない。そして時間の余裕がない。

社員の多く、そして国民の大多数は、生活に追われている貧乏人だ。
ゴルフができるのは、一部の金持ちか、エリートである。
大衆は、一生、ゴルフとは縁のない人生をおくる。

ゴルフも競馬も、西欧から入ってきたものだ。
日本には存在しなかった文化である。
とくに競馬など、言語道断だ。明らかに動物虐待である。

日本には歴史的、伝統的に馬を走らせるという文化はない。
馬の気持ちになったことがあるか。ムチで打たれ、腹を蹴られて
強制的に走らされるのだ。馬にとってはたまったものでない。

日本では人馬一体である。同じ屋根の下に暮らして、馬をいつくしんだのだ。
馬は家族の一員である。馬を強制的に競争させるのは、欧米人の発想だ。
動物を人間のしもべか、奴隷のごとく考えるキリスト教欧米人の考えである。

日本には、歴史的に、伝統的に、競馬という文化は存在しないのである。
このことをしっかりと認識し、競馬にうつつを抜かすアホウ共を軽蔑しようではないか。
馬も人間も、生きとし生きる地球の一員だ。そこにはなんの差別もない。

2020年9月29日(火)
山口達也
元トキオの山口達也が酒気帯び運転で捕まった。
それはそれで、ちっぽけな事件に過ぎない。
しかし、問題は、テレビを中心に、山口達也を追っかけまわし、
重大犯罪人のごとく扱っていることだ。警察もやり過ぎだ。

これでもか、これでもかと追っかけている。山口達也の両親や
兄弟や親戚縁者は、たまらないだろう。しかも、同時期に大きな
事件がないから、よけいに山口達也ばかりである。

重箱のスミをつつくようにやるのが日本人である。マスコミの
背景には、はやし立てる大衆が存在している。まさに野次馬である。
無責任な人間どもである。

そうこうしていると、女優が自殺した。とたんに報道は山口から
亡くなっか女優へ移った。うつろい易い人間の心理である。

最近、自殺が増えているかも知れない。三浦という若手の俳優も自殺している。
自殺者の心境は推し量ることができないが、人生をあきらめるなと言いたい。
この世に生を受けたならば、あるがままに自然に任せて、生を全うすることである。

生きるということは、苦しみ、悲しみ、怒り、悔しさを伴うものである。
反対に、喜びも、楽しみも、希望も、夢もある。

肝心ことは気持ちの持ち方である。
ゴジラ先生は、そこそこの長い人生を生きてきた。
今は達観の境地である。悟りまではいかないが、じたばたしないことだ。

人生はなるようにしかならない。ケセラセラなのだ。
と言うことで、本日も、あるがままに一日を送ろうではないか。
内村鑑三先生が言ったように「一日一生」である。

2020年9月28日(月)
本日は晴天なり
久しぶりに良い天気である。
今週は晴天が続くと天気予報が言っていた。
9月は天気が悪かった。先日、天気予報の人が、9月はほぼ全部雨で、
一日だけ晴れていたと言っていた。たしかに今週は三日間晴れるが、
後は全部雨だった。テレビで果物農家の人が果物の発育が悪いと嘆いていた。

たしかに、果物だけではなく、あらゆる植物の発育が悪い。
ゴジラ先生は、朝、散歩をしているが、雑草も発育が悪い。
散歩コースに、普段の年なら、うっそうと雑草が茂り、歩くのも
困るほど生い茂っている場所があるが、今年は雑草が少ない。

天気の悪さは人間にも悪い。日光を浴びて、ビダミンDを取り込まないと
カゼにかかりやすい。以前、テレビで見たが、ある医者は、毎日30分歩いて
日光を浴びていると言っていた。カゼ対策だそうだ。

ゴジラ先生は、普段、晴天の日は、昼食後、庭に出て雑草取りを兼ねて
日光浴をしている。この習慣を長年やっているお陰で、二十年以上、
カゼにかかったことがない。もちろん、歳をとると、何を置いても
健康第一を心掛けていることもあるだろう。

金はなくても健康第一である。いくら大金持ちでも、健康を害すると
金も価値がない。意味もない。たしかに、昔の人、ゴジラ先生の父親も
しばしば語った。「四百四病の病より、貧よりつらいものはない」と。
貧乏のつらさを語った言葉である。

しかし、昔はみんなが貧乏だったから、貧乏に耐えることができた。
しかし、今は周りが豊かゆえに貧乏は昔よりもつらいと思う。
貧富の格差は広がっている。資本主義の宿命とはいえ、政治の厚生政策で
貧しい人を助けねばならない。

貧乏は悪である。この島国で、数万年、共に暮らしてきた日本民族は
互いに助けあって、貧乏な人を救済しなければならない。
日本は、アメリや中国や韓国とは異なる助け合う国家であることを
世界に向かって示そうではないか。

2020年9月25日(金)
韓国に対する否韓三原則
「助けるな、教えるな、関わるな」

これは筑波大学の古田博司先生の名言である。
古田先生は、韓国に長年留学した人で、奥様は在日韓国人である。
日本における韓国問題の権威である。古田先生でも、韓国に対しては
完全に愛想をつかしている。二度と再び韓国には行かないと宣言している。

韓国とは、いっさい、関わってはならない。
これは鉄則であり、大原則であり、常識である。
しかるに政権が変わると、またぞろ日韓友好を持ち出す。
菅さんも例外ではなかった。「菅さんよ、あんたもか」と言いたい。
日韓友好は、砂上の楼閣である。ウソであり、偽善である。
かなわない永遠の空想である。見果てぬ夢である。

韓国という国は、そして韓国人の特徴は以下の通りである。
★第一、約束を守れない国であり民族である。
アメリカ映画を見ていると、「アイ プロミス」という言葉がよく出てくる。
約束する。聖書の前で誓う。というように重要な価値観である。
日本ならば武士に二言はないである。しかし韓国には、そういう価値観は存在しない。

★第二、裏切りが常識である。裏切ることを何とも思っていない。
裏切るという行為に対して、罪悪感がさらさらない。

★第三、後ろ足で砂をかける。後ろから斬りつける。
★第四、面従腹背の民族である。
★第五、近代法の概念がない。
★第六、韓国社会は古代のままである。

ようするに、韓国とは一切、付き合うなということだ。
人、モノ、カネなどすべての交際、交通、流通を遮断せよ。
韓国人の日本への渡航を禁止せよ。韓流映画は文化侵略である。
日本人の洗脳である。ゆえに、即刻、禁止せよ。

2020年9月23日(水)
台風12号
台風が日本に近づいている。
大きな台風ではない。雨台風である。
昨日中に、風で飛びそうな庭のものを片付けた。

庭にかなり大きな柿の木がある。
植えてから、20年くらいになる。
毎年、柿の実を実らせているが、今年はかなり少ない。
ほとんどないと言っていいくらいだ。七月の長雨と
八月の酷暑が影響したのだろう。実がないので、台風が
原因で実が落ちる心配がない。

ミカンの木は、今年も多くの実を実らせている。
楽しみは、スダチの木である。これも毎年、かなりの
実を実らせる。今年も、長雨と酷暑に負けず,多くの実を
つけている。

少しずつもぎ取って、漬物にかけたり、
みそ汁に落としたりしている。
風味が抜群である。スダチは高級料理に使われる
くらいだから風味は最高である。

ゴジラ先生は、台風の本場の四国の生まれだから、
台風対策は万全を期している。今回の台風12号に対して
対策をしているが、それほど危険ではないだろう。

台風というものは、過ぎ去るのをじっと待つしかない。
地震と違って、突然、襲ってこいなので、安心と言えば安心だ。
とはいうものの、自然の猛威の前には、人間の力なんぞは
たいしたことはない。

子供のころは、台風が来ると、なんとなくうれしかった記憶がある。
なぜかというと、大人達は台風対策に追われ、子供をかまう余裕が
なくなり、小言を言われることがないので、うれしいのである。

2020年9月18日(金)
揚げ足を取るつもりはないが・・・
菅総理が記者会見で「国民のために働く内閣を作ります」と言った。
ならば、今までの安倍内閣は、国民のために働いていなかった、
ということか。官房長官として支えた菅さんも、
国民のために働いていなかったということか。

あまりにも陳腐な表現である。
もっと希望をもてるような言葉をつかえ。
格調の高い言葉をみがけと言いたい。

言葉は、人間そのものである。
言葉は、人間の人格や品格や教養を表すものである。
貧相な言葉は、貧相な人間性を表す。
格調の高い言葉は格調の高い人間性を表す。

菅さんは、長年、記者会見をしてきたが、
揚げ足を取られないために、平々凡々たる言葉を使ってきた。
だから総理になったからとて、急に格調高い言葉は無理である。

歴史上、英雄豪傑は言葉の名人達人だった。
ナポレオンはその代表だった。ナポレオン語録をみると
素晴らしい言葉で溢れている。

「余の辞書に不可能という言葉はない」は有名であるが、
エジプト遠征では
『ピラミッドの上から、四千年の歴史が諸君を見下ろしている」
と兵士を鼓舞した。

ナボレオンが丘の上に現れると、退却寸前の軍隊が勢いを盛り返し
敵を圧倒した。そのために、ナポレオンは、自分の衣装を最高に
豪華にし、カッコ良くみせた。これもリーダーの演出である。

そういう意味では、菅さんはひんけたジジイである。
もっとカッコよくしてほしい。カッコだけは、麻生大臣を見習うといい。
この男、中身は別にして、カッコつけ、気取っている。
それも政治家に必要な要素だろう。

2020年9月17日(木)
それにしても変わり映えしない内閣だね
「平々凡々ジジイ内閣」と命名する

菅内閣が発足した。ジジイ内閣だ。横滑りが多い。
それにしてもあまりにも女性が少ない。たった二人である。
なぜ高市早苗さんを起用しないのだ。またまた橋本聖子か。
もう飽きた。この人、何か実績があるのか。

国会議員そのものが劣化している。世襲政治が戦後70年も
続くと優秀な人物が出現しなくなる。世襲の壁に阻まれて
優秀な新人が出馬しないし、当選しなくなる。

その結果、ボンクラ議員の集まりとなる。優秀な河野太郎も
世襲政治家である。英語は達者であるが、アメリカに長年、
留学すると、英語ぐらい達者になるのは当たりまえである。

もっと優秀なる人はいないのか。城内実議員がいる。
この人は、東大から外務省に入った優秀な元外務官僚である。
海外経験も豊富である。

官僚に対する批判はやってもいいが、やり過ぎると優秀な官僚が
政治家にならなくなる。池田勇人、岸信介、佐藤栄作など、戦後を
代表する政治家は官僚出身だった。官僚が一概に悪いということはない。
世襲政治家よりははるかに優れている。

しかし、その後、官僚を排除した結果、ボンクラ世襲政治家が
増えたのである。その結果、平々凡々たる政治になった。
安倍さんの政治もまずまずだった。可もなく不可もなくであった。
際立った優れた実績はない。安倍さんもしょせん、世襲のボンボン
政治家であった。

日本の政治は、アメリカの庇護のもとにあり、政治的な力量を
必要としない。誰がやっても同じである。
ということで、菅政治も、平々凡々たるものになるだろう。
平々凡々ジジイ内閣である。しょせん、庶民は、政治なんぞに
期待していない。政治に期待したとて、給料が倍増するわけではない。
自分の身は自分で守るのである。

2020年9月16日(水)
小泉進次郎も権力にすり寄った
菅さんが総理になったが、以前は石破茂を支持した小泉進次郎も、
今度は菅にすり寄った。やはり権力が欲しいのである。いつまでも
反権力では上を目指せないからだろう。

小泉の周りの連中も「進次郎さん、今度はじっとした方がいいよ」とか、
「次の次を狙うなら、今回は菅さんにくっ付いておいた方がいい」とか
のアドバイスをしたのだろう。これも浮世の生き方だろうが、革新派の
小泉というイメージは落ちた。

さて、なぜ石破さんは国会議員に嫌われるのか。理屈っぽいという印象が
強すぎる。人の面倒を見ない。理想論を言いすぎるなどがあるのだろう。
そこで、石破さんへのゴジラ先生からの忠告である。

第一、靖国神社を参拝しろ。
七人のA級戦犯が祭られているなどという屁理屈は言うな。
東条英機など七人は、250万英霊と同じで、国家のために「戦死」したのである。
そこには何の差別もない。

第二、リベラルを気取るな。
リベラルとは、臆病者、卑怯者、エエカッコしいと同義語だ。

第三、日本人は遺伝子的に保守なのである。
一万年前、この島国に住みついて以来、田畑を保守してきた百姓である。
百姓は田畑を守ってこそ百姓である。日本人は牧畜民族でも、騎馬民族でもない。
田畑にしがみついてきた、ただの百姓農民の出自だ。

第四、石破ちゃん、キャンディーズのフアンであることを、もっともっと
マスコミで積極的に宣伝することだ。

第五、石破さん、国会議員の人気がないならば、国民の人気をあげろ。
国民こそ最も大切な人間である。国民の支持のない自民党内閣などは
いずれすっ飛んでしまう。野に下る時が来る。奢る平家は久しからず。
その時が石破ちゃんの出番だ。時節を待つべし。

2020年9月15日(火)
パッとしないジジイ総理だ
ジジイによるジジイ内閣と命名しよう。
もっと清新な人はいないのか。
もっとカッコいい人はいないのか。
経済大国にふさわしい人はいないのか。

それにしても、菅総理に草木もなびくように、なびいた自民党は
バカな国会議員のアホな政党だ。自民党の終わりの始まりだ。
どいつもこいつも、権力になびいた。権力にすりよった。
菅総理の足の裏を舐めた。情けないヤツばかりだ。

菅の腰巾着ばかりである。根性も度胸も信念もまったくない。
二階幹事長なんぞは、棺桶に首まで入ったような男である。
壇上で、イスから立ち上がり、マイクまでヨタヨタと歩いていた。
身体も頭脳も耄碌している男だ。

安倍さんには失望した。自分の後継に、菅という無難な男を選んだ。
自分の失敗を批判しない菅を選んだのだ。

七年八か月の安倍政治のあと、菅による同じ政治がまた続くのである。
今やるべきことは、安倍政治の決算である。成功と失敗をしっかりと
清算しなければならない。

いずれにしても、菅さんでは国民は元気にならない。やる気がでない。
自民党は人材が枯渇したのか。ゴジラ先生は、城内実氏や高市早苗氏に
期待したい。次の時代を担う政治家である。

石破さんはしはらく我慢の時代が続く。しかし必ず出番がくる。
振り子は左に振れたら、次は右に振れる。その時をしばらく待とう。

2020年9月14日(月)
本日は散歩をした
朝、自転車の装備をして、倉庫から自転車を出して、ライトをつけると、
霧のような雨がふっている。走ろうと思ったが、雨の日は路面が濡れて
危険なので断念した。

しかし、散歩と違って、自転車は装備をばっちりとしているので
元に戻すのが大変である。自転車ウエアを脱ぎ、ヘルメットを
外し、尻パッド付きのズボンを脱ぎ、すっぽんぽんになる。
自転車の場合、ズボンの下は何も着ていない。フリチンである。
あらためて、パンツをはき、ズボンをはき、シャツを着て
傘をもって出かけた。

ゴジラ先生は十数年前に半月板の手術をした。しかし、それ以来、
膝の調子が、もう一つも、二つも、三つも・・・である。だから
散歩は苦手である。自転車に乗るのは膝の負担が少ないからである。

医者はすぐに手術をしたがるが、十数年前の半月板の手術は、
失敗とはいわないが、成功したかどうかは疑問である。
手術というものは、慎重に考えてからやるべきである。急ぐことはない。
一人の医者ではなく、何人もの医者にみてもらい判断すべきである。
ゴジラ先生は、一か所で、一人の医者の判断で、手術をした。
痛い目にあったのに、直っていないとなると、ヤブ医者!と言いたくなる。

ただし、半月板以外は、お陰様でゴジラ先生は十年以上、医者に掛かっていない。
健康であることを感謝している。健康が一番である。少々貧しくても
健康が一番である。健康に勝る宝はない。
ただ、亡くなった親父がしばしば語っていた言葉を肝に銘じている。
「四百四病の病より、貧よりつらいものはない」という言葉である。

貧乏であっても健康であれば良いと言ったが、極貧となると、これは
違う話である。餓死するような極貧であれば、健康も意味がない。
極貧ほどつらいものはないという言葉には深い意味がある。
今、あらためて、極貧でないことと、健康であることを御先祖様、
両親、兄弟、女房子供、友人、お世話になった方々、そして
神様に深く感謝したい。

2020年9月11日(金)
早いもので、もう金曜日だ
ゴジラ先生は、毎朝4時半から5時半までの一時間
自転車で走っている。四時半頃は真っ暗である。
自転車の前面にはLEDライトをつけて走る。後ろには
赤いテールライトをつける。その他に、身体の背中に、
チカチカと黄色に光るライトをつけている。

後ろから追い越してゆく車に対する対策である。
30分くらい走ると、太陽が東の空からでて明るくなる。
今頃の朝焼けは大変美しいのでしばし見とれる。

横浜と藤沢の間を流れている境川沿いの「藤沢サイクリングロード」
を走るのである。自転車で走っていると、数多くのお年寄が真っ暗
の中を散歩している。3時とか、4時とかに起きているのだろう。

自分の健康管理をしっかりとやっている。人間、生まれた時も
一人であり、死ぬ時も一人である。夫婦兄弟と言えども、
一緒に死ぬわけではない。自分の身は自分で守るしかない。

ピンピンコロリが理想である。人様に迷惑をかける長わずらい
はしたくない。寝ているうちに死ぬ。朝起きたら死んでいた。
というのが理想である。そのために健康が一番である。

健康であればピンピンコロリは可能である。ということで、
本日も、おもしろく、楽しく、愉快に過ごそうではないか。

2020年9月10日(木)
三者三様である
岸田さんは線が細い
菅さんは地味すぎる
石破さんは理屈っぽい


三人の中では、世界第三位の経済大国のリーダーとして
合格点を付けられるのは石破さんである。石破さんの
ごっつい顔は、トランプやプーチンや習近平を相手に戦える
顔である。リーダーたる者は押し出しが重要である。
相手に威圧感を与えることが重要だ。

岸田さんや菅さんは威圧感がない。押し出しが軽い。
石破さんは理屈っぽさを少くすることが重要である。
今のままでは、国会議員にも国民にも、もう一つ人気が
盛り上がらない。

石破さんはキャンディーズフアンである。このことを
もっとマスコミに取り上げてもらうことである。
小むつかしい政治の話ではなく、キャンディーズを語ることだ。
とくに、なぜミキちゃんが好きなのか、理由を語ることだ。

石破さんによるとミキちゃんが一番美人だそうだが、
石破さんの目はおかしいのとちゃうか。男好きするのは
ランちゃんである。正統派の美人はスーちゃんである。
若くして亡くなったのは残念である。美人薄命である。

たしかに、ゴジラ先生のような世代にとっても、
キャンディーズは輝いていた。ピンクレディも良かったが
キャンディーズの方が、胸にきゅんとするものがある。

ピンクレディやキャンディーズのようなタレントは
今後、出てこないだろう。高度成長期の日本が坂の上の
雲を目指していた、良き時代の奇蹟だろう。
日本よ、どこへ行く。

2020年9月9日(水)
もう一つ盛り上がらない自民党総裁選挙
菅さんで決まりのような選挙は国民を愚弄している。
黒子に徹していたはずの菅さんも、権力というぼたもちを
前にすると豹変し、食らいついた。人間、権力に弱い。

しかも、この権力には、巨額の金がくっ付いているから
よけいに、欲望を刺激するらしい。菅さんも普通の政治家
だったということだ。

興味は、石破さんと岸田さんである。岸田さんは、奥さんが
よくできた人である。しかし岸田さんは総理大臣としては線が細い。
世界第三位の経済大国のリーダーとしては無理である。

石破さんは、あの理屈っぽいところは治らないから、無くせ
とは言わないが、柔らかくせよ、減らせと言いたい。なぜ理屈
っぽいかというと、前置きと解説が長すぎるのである。聞かれた
ことに対して、単刀直入にズバリと言わない。もったいぶって
解説を加えるからである。

当人は、もったいぶっているつもりはないだろうが、
もったいぶっているように、気取っているように見える。
三人の中で、総理大臣にふさわしいのは石破茂さんである。

繰り返し言ってきたが、菅さんでは、世界における日本の
地位は落ちる。顔のない日本となるだろう。菅さんは、
あまりにも地味だ。陰気だ。苦労人であり、長年、黒子に
徹してきただけに黒子が板についている。表舞台に出て
見得を切るような人物ではない。そのような才能もない。
それにしても、国民はどうしようもないのが腹立たしい。
フラストレーションがたまる。

2020年9月8日(火)
石破茂先生、ガンバレ!
高市早苗先生、ガンバレ!

ゴジラ先生は、石破茂さんを個人的に知っている。
自民党が野にあったころ、政調会長だった石破さんから
ディベート講演の依頼があった。そこで、国会議員事務所に
お伺いして、事前の打ち合わせをした。

当時も、怖い顔をしていたが、事実は気さくな好い人である。
喋り方が、理屈っぽいのが難点である、あれは石破さんのクセ
になっており、直らないだろうが、直さない方がいい。個性である。
最近、黒メガネをかけてイメチェンをしている。

石破さんの依頼で自民党本部で、二回ほど講演をした。約50名ほどの
議員が参加した。ディベートの実演もした。講演中に、遅れて入ってきた
河野太郎議員が真ん前に座ったことを覚えている。

高市早苗議員も参加していた。ゴジラ先生は高市早苗さんの応援団である。
将来の女性の総理大臣の候補である。なんとなく香る清潔な色気が良い。
奈良出身の柔らかい関西弁が良い。

大昔、高市早苗さんが松下政経塾の塾生だったころ、オートバイにまたがり
走っている姿をテレビで見て、それからフアンになった。神戸大学出身である。
アメリカの国会議員の元で働ていた経験があり、国際感覚をもっている。

菅内閣でどのような閣僚になるか、あるいは役員になるか楽しみである。
日本はもともと女性議員が圧倒的に少ない。当然、女性大臣も少ない。
女性の社会進出こそ、日本再生の原動力である。高市早苗さんに
女性活用の音頭をとってもらいたいと思っている。ガンバレ、高市早苗!。

2020年9月7日(月)

台風が来た
台風十号は大きな台風だと、テレビが盛んに警告していた。
とくに、「今までに経験したことのないような台風」であると
気象庁の予報官が繰りかえし言っていた。

この言い方に違和感をもった。せいぜい50歳ぐらいの予報官が、
今までに経験したことがないと、なぜ断言できるのか不思議である。
今までとは、➀有史以来なのか、それとも、②明治以来なのか、
それとも、➂戦後初めてなのか。

90歳ぐらいのジイさんやバアさんが言うのなら、なっとくするが
せいぜい50歳ぐらいの人間が、今まで経験したことがないと
断言できるはずがない。せいぜい50年だろう。

「過去の台風の歴史からいうと、今回の台風は、過去最大級の台風です」
と表現するのが正しい言い方である。今まで経験したことがないと断言する
のは、あまりにも表現不足、言葉不足である。

予報官が自分の過去の経験を述べているように聞こえる。
日本語の曖昧さである。主語が曖昧なのである。
主語は日本人であって予報官ではない。主語が予報官のように
聞こえるから、おかしいのである。

四国生まれのゴジラ先生は、台風は子供のころから、
しょっちゅう経験してきた年中行事だった。
九州の人も同じである。東京のテレビ局の若いおねえちゃん
が、大げさに言っているが、台風銀座に住んでいる人は
折り込みずみである。台風は生活の一部なのである。

2020年9月4日(金)
日本はノーと言える
国民国家でなければならない

新聞を見ると、総理大臣は菅さんで決まったような雰囲気である。
日本国民よ、こんなことでいいのか。
断固として、ノーと言おう。
菅さんでは断然ノーである。

自民党の政権たらい回しである。
どいつもこいつも、ろくな政治家がいない。
二階などいう棺桶に足を突っ込んだような男が
権力を持っているとは、かつての田中角栄時代を彷彿とさせる。

安倍さんは晩節を汚した。
七年八か月の安倍政治への反省がない。
今必要なのは、安倍政治のイノベーションである。
安倍政治の功罪を洗い直し、罪を反省し、功を継承することである。
いずれにしても、菅さんのような地味なジジイお断りである。
世界のリーダーと比較して、あまりにも見劣りする。

2020年9月3日(木)
日本の総理大臣も堕ちたものだ

菅のようなジジイが総理大臣とは情けないを通り越して国益に反する。
トランプやプーチンやメルケルや習近平を相手に戦うのが総理大臣だ。

日本国総理大臣とは世界第三位の経済大国のリーダーである。
菅さんは町内会の会長レベルである。
自民党も堕ちたものである。雪崩をうって菅になびいている。
政治家としての哲学も信念も根性もない連中である。

執行部に対して、反旗を翻す奴はいないのか。
小泉進次郎も、自民党の権力中枢に対して、
膝を屈してしまった。情けないかぎりである。

反旗を翻すことによって、政治家として生き残り、
次代のリーダーの資格を得るのである。
そういう意味では、石破さんと岸田さんは立派である。
ガンバレ、石破、岸田!

2020年9月2日(水)
政治と政権のたらい回しだ
菅さんでは話にならない。
第一、71歳、ジジイすぎる。
第二、地味で不細工な男だ。もっと若くて、イケメンのカッコ良い男にしろ。
第三、世界第三位の経済大国のリーダーにふさわしくない。
第四、菅さんは黒子だ。黒子の能力とリーダーの能力はまったく違う。
第五、世界のリーダーと丁々発止と渡り合えない。
第六、これからのリーダーには英語とフランス語は必須である。

いずれにしても、自民党あって国家国民なしである。
まったく国民を舐めている。町内会の会長を選ぶのとはわけが違う。
日本国のリーダーである。ゆえに国民投票にかけてもらいたい。
こんなジイさんを選んでは、国民はやる気をなくす。
これでは自民党は停滞から衰退に向かう。政権を喪失するだろう。
自民党の終わりの始まりである。