英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

ベトナム民間人虐殺像の製作
ご支援とご寄付のお願い


1960年代、韓国はベトナムに30万人を派兵した。韓国兵のことだから
当然、ベトナム人に残虐行為を働いた。女性を強姦しライダイハンと
言う混血児を数万人も生んだ。さらに残虐なのは、ベトナム人を大量
虐殺したことである。約三万人である。

ゴジラ先生は、2013年と2014年の二度、兄貴と二人で、ベトナム
全土を調査した。各地に韓国兵の残虐行為が残っていた。その証拠は
各地に大きな霊廟や慰霊碑があって、一人一人の犠牲者の名前が刻ま
れていたのである。隠しようがない残虐行為の跡である。

帰国後、そのことについて、「韓国の大量虐殺事件を告発する」(展転社)
を出版した。大きな反響があった。しかし、その後、告発する運動は、
大きく発展しなかった。そこで、今回、ベトナム人虐殺像を製作し、
韓国を告発する運動をさらに進める計画である。

製作費は、550万円である。今、全国の心ある皆様にご支援とご寄付を
お願いしてている。よろしくお願い申し上げます。
像は、11月ごろに完成予定である。像ができるとしかるべき場所に展示
したいと考えている。小型の像も制作し、アメリカなどに持参して
慰安婦像の横において、韓国を告発したい思っている。いずれにしても
全国の皆さんのご支援とご寄付をお願いするばかりである。よろしく
お願い申し上げます。

御寄付をたまわった皆様
10月16日時点で、下記の方々より御寄付を頂きました。
その高い志に対しまして厚く御礼を申し上げます。
引き続きご支援ご寄付をお願い申し上げます。

小堀桂一郎氏、城内実氏、鬼柳一宇氏、神山敏夫氏、
河村宣行氏、
北岡正敏氏、青木恒氏、押田信昭氏、
竹内勇人氏、小野考良氏、大沢幸立氏、松元俊夫氏、
斎藤永視氏、武井賢吉氏、北岡憲太郎氏、佐藤允男氏

土田恵三氏、土田朝美氏
佐藤祥一氏、梶俊明氏
なお、以下の方々はカタカナのお名前しか判明しておりませんので、カタカナ名を記載します。
ありがとうございました。高い志に深く感謝します。こういう行為を古来から義士による「義」といいます。
コバヤシ・タケシ氏が10万円を寄付してくれました。心より御礼を申し上げます。同じく、
オカザキ・キミヒコ氏。 オワリノブナガ氏、アグロセイキ氏に感謝申し上げます


2020年10月30日(金)
ホンダの軽自動車Nボックスにしろ
高級車トヨタ・センチュリーに乗っているアホ知事が多い。
長野県、埼玉県、静岡県、石川県、愛知県、兵庫県、山口県、
香川県、徳島県、長崎県である。

他人の金だと思ったら、好き勝手なことをしている。

偉いのは名古屋市長の
河村たかし氏である。
公用車はダイハツ・タントである。
河村たかし市長は、ほんとうに偉い人物である。既存の制度、
仕組みでおかしいと思ったら、どんどんとぶっ壊している。

なぜ、首長はこういう人物がならないのか不思議である。
選挙の時や、平素は偉そうなことを言っておきながら、
首長になると、とたんに贅沢三昧の豪勢な生活をする。

全国の首長の公用車は軽自動車にしろと言いたい。
ホンダのNシリーズか、スズキのジムニーか、ダイハツのタントである。
ジムニーは、タレントの「ひろし」の愛用車である。ゴジラ先生もジムニーが
大好きである。今度買い替える時は、ジムニ―にする予定だ。

センチュリーを使っている兵庫県の井戸知事は、「故障しないから」などと
寝ボケたことを言っていた。今どきの日本車が故障などするはずがない。
いうに事欠いて、井戸というバカ知事は、幼稚園児でも騙せないことを言ったのである。
この男、ほんとうにアホ・バカ・マヌケである。

それにしても、この井戸という阿呆を早く引退に追い込め。リコール運動をしろ。
この男のツラを見ていると、はらわたが煮えくり返る。兵庫県民は何をしているのだ。
井戸は寝ているが、兵庫県民も寝ているのか。

多選知事の弊害である。多選になる原因は、
➀選挙民が関心がないから自動的に当選する。
➁投票率が低いから知事に有利になり当選する。
➂ライバルがいないから必然的に多選になる。
と言うことで、日本全国、多選知事が増殖し、税金を食い物にする。

2020年10月29日(木)
国会が始まった。
菅総理が演説しているのに、野党からのヤジが
うるさくて聞こえない。議長が注意したのに静かにならない。
ヤジを飛ばしている議員に対して、テレビで大写しにしろ。
どんなアホヅラして、やじを飛ばしているのか全国に放送しろ。

なにせ衆参いれると700人もの議員がいるのだから、
アホも、バカも、マヌケも、トロクソも、ど阿呆も、ボケも、
ボケナスも、サギ野郎も、インキンも、タムシも、水虫も集まっている。

野党議員は、ヤジを飛ばすしか能がないのか。
枝野という奴も、政府に対する批判か、悪口か、文句ばかりである。
ちっとは生産的なことを提案しろ。改良・改善の案か、アイデアを出せ。
反対のための反対なら、そんな政党は不要である。

国会議員には、年間、一人一億円かかるから、700億円もの
巨額なお金がドブに捨てられていることになる。
まずやるべきことは国会議員の大幅な削減である。

アメリカの上院は100名である。これに見習うと、衆議院の人数は
47都道府県×2名=94名である。参議院は、知性と良識の府として、
例えば100名にする。そうすると、衆参で合計194名である。

衆参700人から→194名に減少する。税金は、700億円から
194億円へ削減できる。そうすると国会の事務職員も削減できるから
なお一層の税金のムダを防げる。

何でも反対する共産党も、議員の削減には反対しない。共産党の議員が
減るからだ。みんなずるくて狡猾である。ジコチュー野郎の集まりである。

2020年10月28日(水)
宝くじ
ゴジラ先生は、ハロウィンジャンボ宝くじを持っている。
昨日が抽選日だったので、もう当たっているかどうかは決まっている。
しかし、楽しみは後に伸ばそうと、今朝の新聞を見ていない。

宝くじは、だいたい六億枚か七億枚、発売されるそうだ。
一等が当たる確率は、六億分の一か、七億分の一である。
当たる確率はかぎりなく低い。

しかし、宝くじは、勝っても当たらないが、買わないと当たらない。
これが真理である。宝くじの楽しみは夢を買うことである。
当たった時のことを想像して、楽しむのである。

すでに当選は決まっているので、今は夢の楽しみを延ばしているだけである。
毎回、宝くじを買っているが、いつも楽しませてもらっている。
家は、何回、建て替えただろうか。高級車は、何台、買っただろうか。
今年は、ファーストクラスでハワイに旅行しようと計画している。
続いて、ヨーロッパ旅行も計画している。その夢も、あとわずかの時間だ。

ゴジラ先生と同じように、多くの庶民は、当選の夢を見るのである。
貧乏人のささやかな夢と楽しみである。
それでも、誰かに当たるのである。

一等に当選した人は、どうするのだろうか。
自動的に公表されるのだろうか。それとも、秘密にしてもらえるのか。
銀行にそのまま預けておくと、秘密を守ってくれるだろうが、引き出すと、
公表されるのだろうか。

いずにれしても、幸せな人間が一人、この世の中にいるのは事実である。
そいつは、今頃、乾杯しているだろう。大笑いしているだろう。
フリチンで道路を駆け回っているかもしれない。一等に当選したら
全裸で街中を駆け回るぐらい、どうってことない。

もし、ゴジラ先生が一等に当たったら、銀座をフリチンで走ってやる。
警察にとっ捕まって留置場に放り込まれても、まったく平気だ。
その警察署の警官全員に、豪勢なフランス料理を奢ってやる。

2020年10月27日(火)
立憲民主党の枝野よ、
たまには菅総理を褒めてやれ。
けなすばかりじゃ、ブタも木に登らぬ。

立憲民主党の枝野党首が、菅総理の所信表明演説について
ケチョン、ケチョンにけなしていた。枝野よ、ブタもおだてりゃ
木に登るというではないか。文句と悪口ばかりを言うのではなく、
ほめてやるのも野党の仕事である。

国民にとって、菅総理を褒めてやって、良い仕事をしてくれれば、
それでいいのだ。国民は枝野の文句なんぞ聞きたくもない。
百年変わらぬ、文句の垂れ流しである。いいかげんにしろ。

この天下泰平はいつまで続くのか。
それにしても、最近は天下泰平である。天災がなく、平和そのものである。
しかし、この雰囲気が不気味である。寺田寅彦は言った。
「天災は忘れた頃にやってくる」と。

ゴジラ先生は、現在の天下泰平状態を不気味に思っている。
予感が当たらぬことを願うが、あまりにも泰平であることが
余計に危機感を募らせるのである。

治に居て乱を忘れず。
いざという時の対策はしっかりと考えておこう。
昔、親父が生きていたころ、いつも家の中には、「非常持ち出し」と
大書した大きな箱が三つほど置いてあった。

戦争を体験した世代の危機意識は、我々の世代とは違う。
すべて、自分で行うことを当たり前としていた。国家や、役所や
他人を頼らないのである。

その通りであって、隣同士が互いに助け合うのは当たり前だが、
自分のことは自分できちんと処理した上での助け合いという前提である。
国家や地域や他人に対する甘えがない。今、改めて、明治大正世代の
危機感と行動規範に学びたいと思う。

2020年10月26日(月)
本田路津子
ゴジラ先生は、最近、本田路津子の歌に酔っている。
昔より大好きな歌手だった。なんとも声が美しいのだ。
森山良子と並び称せられるが、ゴジラ先生は森山良子
よりも美しい声だと思っている。

中でも、あがた森魚が作った「赤色エレージー」の歌は
最高である。しみじみとした美声に心が洗われる。
赤色エレージーは、心に沁みとおる歌である。
ぜひとも、一度、聞いてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=2JDKpEkbPWs

は本田路津子さん、結婚後、キリスト教に帰依し、アメリカに渡った。
日本に帰国後は、九州を中心に、教会でゴスペルを歌っているそうだ。
美しい賛美歌などをぜひとも聞いてみたい。

ゴジラ先生のように、そこそこ長い人生を送ってくると
心身共に汚れきっている。汚いもの、醜いものを、数多く
見聞きし、接してきたからである。
もちろん、美しいものも見聞きしてきた。
本田路津子の声はその例である。

岸洋子もそうである。膠原病で57歳で亡くなった。
まことに惜しい歌手である。「夜明けのうた」「恋心」「希望」
などである。とくに、岸が歌う「希望」は絶品である。
ジャ、ジャ、ジャ、ジャン♪ジャ、ジャ、ジャ、ジャン♪と、
だんだんと強くメロディが盛り上がる。最高の瞬間である。
美人薄命ではないが美声薄命である。

本田路津子さんは、長生きしていただき、その美声をいつまでも
聞かせてほしい。現代は「ど演歌」ばかりである。うなるばかりで
品性がない。昔は、演歌などは少なかった。太田裕美の歌や、
筒美京平の歌は、演歌ではない。古賀政男も、古関裕而も、
吉田正も、ド゙演歌ではない。美しいメロディだった。

2020年10月23日(金)
感染者数ばかりを騒ぎ立てるな
連日、マスコミは新型コロナの感染者数を数えたてて騒いでいる。
これをアホの一つ覚えというのだ。
肝心なことは、死者数である。
新型コロナで何人死んだのかということだ。

2019年度、交通事故で死んだ人が三千人である。
自殺者数は二万人である。驚くべき数字だ。
新型コロナは1700人だ。
交通事故や自殺者にくらべると圧倒的に少ない。

この事実を冷静に報道せよ。
あまりにも新型コロナをセンセーショナルに言い過ぎだ。
現在、コロナ、コロナで夜も日も明けないが、
死者数は1700人である。

とくに2万人という自殺者の問題である。もっと光を当て、
もっと真剣に、救済の方法を講じないといけない。
大切な命である。我が同胞の命をむざむざと死なせてはならない。

自殺者の根本原因は貧困である。
「四百四病の病よりも貧よりつらいものはない」と故人は言った。
貧乏ほどつらいものはない。貧乏を救おうしたのが、マルクスであり、
レーニンである。しかし共産主義では貧困は解決できなかった。

貧困を解決するベストでなく「ベターな方法」としてケインズ経済学が登場した。
資本主義、自由主義経済を、最高度に発揮させ、貧困を相対的に救うのである。
それでも落ちこぼれが発生する。
とくに母子家庭の救済である。母子家庭は貧困である。
政府や経済界は、母子家庭の救済に全力を尽くせ。

それにしても、菅さんは、もう一つ、もう二つ、もう三つである。
世界第三位の経済国家のリーダーとしては貧相である。
もう少し、若くて、カッコイイ奴がでないのか。
日本社会は、引き算するので、結果として、
可もなく不可もない奴がリーダーになる。その見本が菅さんだ。

と言っていたら、石破さんが派閥の会長を辞めるそうだ。
石破さん、何を考えているのだ!
この問題は、次回に取り上げよう。

2020年10月22日(木)
勝手に繰り上げるな
JR東日本が終電車の時間を繰り上げるそうだ
問題は、利用者やお客さんと何の相談もなく独断で決めたことだ。
JR東日本が、利用者に対して調査したとか、聞き取りをしたとか
いう話は聞いたことがない。勝手に独断で決めたのではないか。

こういう点には、いまだに国鉄体質が残っているのではないか。
お上意識である。乗せてやっているという意識である。
俺たちの方針に従えという意識である。

商売している人には営業時間がある。深夜の何時までと決めて店を開いている。
とうぜん、働く人も、その時間に合わせて働き、通勤しているのである。
それを勝手に変更されては大変困る。
JR東日本は、自分達の勤務時間を優先している。
利用者やお客さんの時間を優先していない。

JR東日本は、公共機関である。終夜運転してもいいのだ。
一晩中、運転しろと言いたい。電車に休みはない。
普通の企業とは根本的に異なる。
そのためには、国民全員がJRを応援する。万難を排して支援する。
国民の足であるからだ。道路が24時間、365日、開いているようなものだ。

最近の日本人は公共意識が薄くなった。自分の都合を優先するようになった。
公共のためには生命を賭けて尽くすという意識が欠落している。
これも戦後75年の平和主義というジコチュー精神の結果である。

国家のために、生命を投げ出すという人間がいなくなった。
明治、大正、昭和の日本人のような人間が消滅した。
日本の終わりの始まりでないことを祈る。

2020年10月21日(水)
久しぶりに自転車で走った
昨日、三時頃から一時間ほどサイクリングをした。
横浜市と藤沢市の間を流れている境川沿いの藤沢サイクリングロードを走った。

このサイクリングロードは北は町田市まで、南は湘南海岸まで走っている。
自転車と歩行者のみの専用道路である。

こういう公共施設に関しては、藤沢市はよく整備している。
税収が豊かであるそうだ。それに反して、横浜市は巨大すぎて
行き届いていない。ゴジラ先生の住んでいる戸塚区も不十分である。

サイクリングロードの中間地点に休憩所がある。そこには境川を
またいで近代的なデザインの橋がかかっている。その橋を渡ると、
テニス場、野球場、サッカー場などがある。

その休憩所の広場には水飲み場とトイレがある。
ベンチがあるので、たいていの人が、そこで休憩する。
昨日も、ゴジラ先生は、ベンチに座って一休みした。

昨日は、久しぶりに行ったのだが、ベンチに座って休憩してると
何人かの見慣れた顔があった。いつも散歩か自転車でやってきて
休憩するのである。

観察すると、散歩する人には年寄が多い。自転車の人では
ゴジラ先生が年配者の部類に入る。歳をとると、自転車に乗らず
歩く人が多いのだろう。

しかし、自転車の効用は、最高に気分が爽快であることだ。
そして、肉体的にも大変楽であることが。足への負担が少ない。
コジラ先生は、早朝散歩をしているので、散歩と自転車の違いが
よく分かる。年寄には自転車を奨める。

ゴジラ先生の自転車は、ブリジストンの「リアルストリーム」という
自転車である。電動付きであるが、主婦の電動ママチャリとは違う。
デザインがよい。カッコいいのだ。大枚16万円もした。
いずれにしても、カッコウから入門することが大切だ。
カッコ良く走ることが大切だ。そして肝心なことは自分自身が満足できることだ。

2020年10月20日(火)
熊を殺すな!
熊が石川県のスーパーに現れた。
通報を受けて、猟友会とかいう殺し屋集団どもが熊を射殺した。
なんたる残酷なことをするのだ。何たる動物虐待だ。何たる野蛮だ。
なぜ、熊に麻酔を打って、保護してやらないのだ。

以前、テレビで、アラスカでの北極グマの保護活動をみたことがある。
巨大なクマと人間が見事に共存している。熊の出没する場所と町が
混在しているのである。日常的に熊が出没するのである。

熊が出没して危険となると、麻酔銃で撃って、眠らせ、
ヘリコプターで吊り下げて、近寄らないように遠くに運ぶのである。
その保護のやり方の科学的で合理的なのに感心した。

それにして反して、日本はすぐに猟友会と言う殺し屋集団を出動させ
射殺するのである。熊も人間も地球の同志である。
なぜ、熊を殺すのか理解できない。
殺すなら、猟友会の殺し屋どもである。
こいつらこそ撃ち殺せ。

熊を殺す日本人の発想が理解できない。
なぜ、保護するという発想がないのか。
日本人はもともと、動物と共存してきた民族である。
キリスト教徒のように人間と動物を峻別しない。
日本人が本来持っている動物に対する優しさを取り戻せ。

キリスト教徒は、競馬を行い、馬を虐待する。
日本には競馬という文化はなかった。
明治以降に欧米から持ち込まれた野蛮な文化である。

テレビをみると、競馬場で、馬券をもって、
大騒ぎしている日本人をみると反吐がである。
あまりにも嘘っぽいのである。

人間が走るならば文句はない。自分の意志だからだ。
しかし、馬がすき好んで走るものか。
鞭で打たれて痛いだろう。たまったものではない。
無理やり走らされている馬を見ると哀れである。
馬の身になってやれ。馬も人間も地球の同志だ。

2020年10月19日(月)
インフルエンザの注射
ゴジラ先生は、今朝、とうとう机に座っている足元に電器ヒーターを置いた。
座っていると、足元から冷えてくるからである。
昔は寒さに強かった。しかし無理をしないことにした。
寒かったら、寒さ対策をすることにした。やせ我慢はやめた。

ゴジラ先生は、金曜日、インフルエンザの注射をした。
注射は嫌いだが我慢した。年増の看護婦さんが打ってくれた。
若い看護婦さんに打ってもらうことを期待したが、若い人では
注射は難しいなのだろう。注射代は無料だった。ありがたい時代である。

ここ十年以上、病院の支払いの窓口で、いつも事務員の人から
「130円です」とか、「200円です」とか、びっくりするほどの
安い金額を言われるが、とうとう「無料です」ときた。

「いつも安くて申し訳ないね」と事務員さんに言う。
「年寄からはもっと取ったらいいですよ」とも言う。
ゴジラ先生は、一割負担であるから、めっぽう安い。
今回のインフルエンザは、とうとうロハになった。

ゴジラ先生のように、ほとんど病院に行かない人間からは
しっかり取ればいいのである。ここ十年で、病院に行ったのは
一度か二度である。健康であることに感謝している。
健康に生んでくれた両親のお陰である。

最近は欲しいものはないから、お金はほとんど使わない。
年寄から金を吐き出させば、景気対策になる。
年寄は、質素であり、始末をするから、お金を使わない。
そのくせ、過去の経験から、政府や人頼みをしないので
倹約して、大金ではないが、少しだけ貯めこんでいる。

最近は、外出しないのでアマゾンでの買い物が増えた。
本を買うことが多い。本屋に行かないのでアマゾンが増える。
ついつい買いすぎて不要なものを買いがちである。
先月は、十万円を超えて、かあちゃんに叱られた。

今月は自粛しているつもりだが、ついつい買ってしまう。
日本の景気のためだと勝手に言い訳しているが、その通りである。
日本人全員が倹約すると個人消費が停滞し、景気は悪化する。
GDPの六割が個人消費だからだ。こういう時だからこそ、
有益なものは大いに買おうと提唱したい。

2020年10月16日(金)
冬が来た
今朝も4時半から散歩にでかけた。
家を出たとたん寒いと感じ、
冬の到来を予感した。

ついこの間まで、暑い、暑いと言っていたのに、もう冬である。
ほんとうに季節はあっという間に変わる。こうして人間は
歳をとっていくのである。

寒いと言っても、日本の冬はたいしたことはない。
屋内に入れば暖かいので、つらいことはない。
それよりも夏の方が大変である。日本国中、どこにいても暑いので
逃げるところがない。冷房の部屋に入ればいいが、いずれ外に出て
ゆくので、一時しのぎにすぎない。

暑い方が体力を消耗する。食欲はなくなり、身体はだるく、年寄にとって
夏は大敵である。たしかに過去の統計では夏よりも冬の死亡率が高い。
しかし、最近は変わりつつある。夏の危険が増しているのである。

健康のためにはウォーキングがいい。
ゴジラ先生は、今朝、5千歩を歩いた。一日一万歩らしいが定説はないらしい。
一日八千歩で、その内、二十分の強歩がいいという説もある。
いずれにしても、運動が必要だということだ。身体を動かし汗をかき、
気分爽快になるのがいい。

庭の桜の木の葉が散っている。いずれ丸裸になる。
櫻は不思議な木だ。あっという間に花が咲いて、あっという間に
花が散って、あとは一年中、葉ばかりである。
散る桜、残る桜も、散る桜。

2020年10月15日(木)
大田裕美
ゴジラ先生は、その昔、太田裕美を見たことがある。
亜細亜大学に行ってた頃、講義が終わって、裏門の近くにある
バス停へ歩いていた時、やや遠くに太田裕美を見たのである。

あれはたしかに太田裕美だったと思う。
この近くに住んでいるのかと思った。
男は、だいたいにおいて太田浩美のような女が好きである。
いつまでも清純なイメージがあるからである。

しかし最近は一世を風靡するような女優がいない。
栗原小巻、吉永小百合のように誰でもが知っている女優である。
テレビの影響で、タレント化し、小粒になり、消耗品となった。
銀幕のスターがいなくなった。そこらのおねえちゃんという感じである。

前にも言ったが、ゴジラ先生は、栗原小巻・コマキストである。
理由はサユリスト・吉永小百合が早稲田大学に入ったからである。
あれほどの美人女優でありながら、学歴まで欲しがるのかと失望した。

しかし、残念なら小巻も、小百合も、どっちも左巻きである。
小巻のような劇団員は左翼であり、早稲田の小百合も左である。
どうして、左巻きが多いのか理解できない。
左翼リベラルを気取っている方がカッコいいという単細胞の思考である。

今や、左は古い。時代遅れである。ソ連崩壊とともに崩壊したのが左巻きである。
ゴジラ先生がかねがね主張しているように、日本民族は保守である。
数千年間、田圃を守っている百姓民族だからだ。一つの田圃を守って
子々孫々まで伝えるのが使命である。牧畜民族や狩猟民族のように移動しない。

だから日本には、もともと革新的な文化は生まれない。技術のイノベーションもない。
これらは欧米民族の専売特許である。近代に入ってからはアメリカの十八番である。
アメリカが発明発見したものを、改良改善するのが日本民族である。

この特徴は今後とも変わらない。石橋を叩いて渡るのである。
大きな失敗や犠牲がない。ただ一度だけ、明治から昭和にかけて、石橋を飛んで渡った。
その結果、惨憺たる結果になった。それゆえに、戦後75年、じっとしているのである。

2020年10月14日(水)
筒美京平を惜しむ
作曲家の筒美京平が亡くなった。八〇歳だった。
少しだけ早い気もするが、男なら天寿を全うしたと言ってもいいだろう
古賀政男、古関裕而、吉田正、船村徹など、戦後、錚々たる作曲家がでてきた。
筒美京平は、彼らのあとを継ぐ偉大な作曲家である。

古賀、古関、吉田、船村などは演歌が中心だったが、
筒美は、洋風というのか、モダンというのか、現代につながる作風だった。
ブルーライトヨコハマ、また逢う日まで、木綿のハンカチーフそして、
サザエさんまでも作っているから驚くほかはない。

ゴジラ先生は、木綿のハンカチーフが好きである。
太田裕美の舌足らずの甘えたよう歌い方がいい。
歌詞がいい。歴史に残る歌である。何とも言えない二人の恋人の
互いの切ない気持や、思いやる心が込められ、胸に残る歌である。

恋人よ 僕は旅立つ
東へと 向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた私は
欲しいものはないのよ
ただ 都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが 泣かないでくれ
都会で流行(はやり)の 指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも
海に眠る真珠も
きっと あなたのキスほど
きらめくはずないもの
きらめくはずないもの

恋人よ いまも素顔で
口紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯しのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね

恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま
贈りものを ねだるわ
ねえ 涙拭く
木綿のハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい

2020年10月12日(月)
台風一過、良い天気だ
本日は新聞が休みである。だから手持無沙汰である。
ゴジラ先生が、かねてより主張しているのは、新聞は休むなということだ。

新聞の休刊は、新聞販売店の配達員を休ませるためである。
新聞配達員は、きちんと休ませてやらねばならない。
しかし、それと新聞の休刊は別問題である。
新聞配達員は休んでも、新聞は休むなということだ。

第一は、配達員の代わりに、記者や内勤社員が配達すればいいのだ。
普段、新聞記者でございと、そっくり返っている奴に、午前二時ごろから
新聞を配達させればいいのだ。

第二は、配達員が休む時は、新聞をコンビニに置けばいい。
ゴジラ先生は、喜んで、コンビニに買いに行く。

結局、新聞社も官僚化している。臨機応変の対応がてきない。
第一、頭が固い。創造力がない。
第二、エリート意識が勝ちすぎている。

朝日新聞なんぞは、典型的な官僚新聞である。
アホの一つ覚えのように反政府である(注)。
年がら年中、政府の悪口を言っている。

人間は、褒めることが大切である。
ブタもおだてりゃ木に登るというではないか。
しかし、朝日新聞が、政府を褒めるのは、太陽が西から昇るようなもので
一千年たっても、否、永久にありえない。

(注)政府とは、正当な選挙で選ばれた組織である。
すなわち国民が選んだ政府である。ということは
朝日新聞の反政府とはイコール反国民ということになる。

2020年10月9日(金)
韓国のWTО事務局長を阻止せよ
韓国のユ・ミェンヒとかいう女がWTОの事務局長に立候補している。
身の程知らずの韓国人の典型的な例である。
この女は、日本に対して非難し、批判していた元凶である。
日本は万難を排して、この女を拒否せよ。徹底的に反対せよ。
朝鮮民族が、WTОの事務局長だと、冗談は顔だけにしろ。

朝鮮民族とは、おのれの実力を知らずに、背伸びをする。
見栄を張る。うわべを飾る。虚言を弄する。これを外華内貧という。
まことに品性下劣な民族である。

ゴジラ先生が、昔より主張しているように、韓国とは一切の
関係を絶つことである。人モノカネの流通や交流を禁止せよ。
アメリカとメキシコ国境のように対馬海峡に巨大な壁を設け
たいくらいである。

北朝鮮のデブ金こと金正恩なんぞは、外華内貧の典型的な野郎である。
国民が餓死しているのに、核兵器や原子力潜水艦を開発しようとしている。
たしかに、原爆は作れるが、潜水艦は完成できないだろう。潜水艦は
その国の科学技術のレベルを示すものである。

韓国ですら満足な潜水艦を建造できないのだ、まして北朝鮮では不可能である。
もちろん、欠陥潜水艦品はできるだろうが、事故を起こして犠牲者がでる。
韓国の潜水艦は、ドイツから輸入し、それを真似して作ろうとしたが
事故ばかり起こしている。

日本の通常型の潜水艦は世界一優秀である。そりゃそうだ。明治時代から
幾多の犠牲の上に建造してきたのだ。その過程で、第六号潜水艇の事故は
哀れである。明治43年4月15日、六号艇は沈没し、佐久間勉艇長以下14名が殉職した。

佐久間艇長以下、誰一人、パニックを起こさず、全員が持ち場に
付いたまま殉職した。これは世界の称賛を浴びた。世界の潜水艦事故では
パニックなり、殺し合いさえ起きたからである。
「明治の日本人は見事なり」と言うしかない。
佐久間艇長の遺書は下記の通り。

★佐久間艇長の遺書★
小官の不注意により
陛下の艇を沈め
部下を殺す、
誠に申し訳なし、

されど艇員一同、
死に至るまで
皆よくその職を守り
沈着に事をしょせり

我れ等は国家のため
職に倒れ死といえども
ただただ遺憾とする所は
天下の士は
これの誤りもって
将来潜水艇の発展に
打撃をあたうるに至らざるやを
憂うるにあり、

願わくば諸君益々勉励もって
この誤解なく
将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされん事を
さすれば
我ら等一つも
遺憾とするところなし、

2020年10月8日(木)
日本学術会議は左翼の巣窟だ
ただちに解散せよ

日本学術会議の左巻きの学者が政府を批判している。
甘ったれるのもいいかげんにしろ。

アホ学者どもに告ぐ。
10億円もの巨額の税金が使われているのだ。
国民の代表たる政府が口出しするのは当たり前だ。
それが嫌なら、独立独歩でやれ。10億円を返納せよ。

ゴジラ先生は提案する。
株式会社日本学術会議にしたらどうだ。
純粋な民間組織だから政府とは一切関係ない。
思い切ったことができるぞ。独創も創造も民間企業だから可能である。
政府機関であるかぎり、お役所である。何もできないし、しないのだ。

日本学術会議は、独立組織として経営できないから、
政府から10億円をもらっているのである。だったら、
スポンサーの言うこと聞け。それが世間の常識だ。

日本の学者は、義務を果たさず、権利ばかりを主張する連中である。。
もともと、そういう甘ったれた人間である。
菅さんに提案する。10億円の補助を止めて、
独立の機関とするか、それが嫌なら、解散させよ。

日本学術会議は、過去、庶民に役立つことをしたのか。
庶民を助けることをしてくれたのか。
組織として、いったい何をしたというだ。
どういう功績があるのだ。

結局、日本の学者はタコツボに閉じこもっている閉鎖的な人間である。
丸山真男が「日本の思想」の中で定義した「タコツボ」である。
おのれのことしか関心のないジコチュー人間である。

2020年10月7日(水)
老いてはカアチャンに従え
これはゴジラ先生の鉄則である。
「老いては子に従え」という昔からの言い伝えがある。
しかし、現代は、子供は独立しており、家にいない場合が多い。
だから、即、親の助けとならない。ゆえに、かあちゃんに従うのである。

そして、たいていの場合、歳をとると、地位が逆転し、カアチャンが強くなっている。
ゆえに、老いては女房やカアチャンに従うことは、自然な行為である。
トーチャンとカアチャンは戦友である。結婚してから、何十年もの間、
ともに生活し、ともに子を育て、ともに戦い、ともに生きてきた。

しかし、トーチャンの方が、たいてい年上だから、老いるのが早い。
そうなると、カーチャンに助けてもらわなければならない。
仲が良い夫婦の場合には問題がないが、仲が悪い夫婦も多い。
連れ合いが死んで、一人になっている場合も多い。

さらにカーチャンは友達をたくさん持っている。あっちこっちにいる。
女は、「自民党はどうなっている」などという野暮なことは話題にしない。
そんなことするとケンカになるから、女は最初から政治は語らない。
さらに女は平和主義者であるから争いがない。ゆえに友達がいっぱいできる。

男は女のよう世間話はしない。政治、経済、社会、文化など、
こ難しいことを話題にする。だから意見が衝突し、友達がすくなくなる。
歳を食ってから、友達を作ろうと思えば、難しい話をしないことが鉄則である。
しかしそれでは物足りないから、結局、孤独を味わうことになる。

本来、男というものは孤独な存在である。群れたがらないのである。
男子たるもの孤独たれと言いたい。ただし、かあちゃんだけは、例外で、
とうちゃんの唯一の味方であり、救いの神であることを忘れるな。

ということで、女は男の唯一の味方であり友である、という結論になったが、
ゴジラ先生自身が何言っているのか、よくわからん。
女と男の哲学。永遠に解けない課題であり、永遠のテーマである。
と言うことで、本日も、健康で、楽しい一日を送ろう。それでよいのだ。

2020年10月6日(火)
杉田水脈と日本学術会議
「女はいくらでも嘘をつける」と言ったとかで非難を浴びている。
杉田議員の言った通りである。ほんとうのことをいうと、どうして
非難されるのか、ゴジラ先生にはよく分からん。

これは女と言うよりも、男と言ってもいいし、人間と言ってもいい。
女も男も、人間はいくらでも嘘をつけるのである。
だから、人間社会はうまくやっていけるのだ。
嘘も方便というのだ。

野党や朝日新聞などは、正義感を振りかざし、
弾劾しようとしている。鬼の首をとったように非難している。
朝日新聞こそ、戦前、戦後、大ウソつき新聞である。
杉田を非難できない。

同じく、日本学術会議のメンバーから六人の学者が外されたと
野党と朝日新聞が大騒ぎしている。
菅さんもはっきり言ってやればいいのだ。
「お前らは左巻だから排除したのだ」と。

日本学術会議を解散させろ。
百害あって一利なしである。こういう左翼が生き残っていることが、
日本の不幸であり七不思議である。

学者なんて言う連中は、国民の税金でメシ食っているくせに態度がでかい。
もっと謙虚にしないと税金を召し上げるぞ。国立大学はもちろん、私立大学も
三千億円の税金をもらっている。三千億円もあればイージス艦が二隻建造できる。

いずにしても、日本の学界には、左翼マルクス主義が蔓延している。
先進国で、いまだに左巻きが強いのは日本だけである。
左翼マルクス主義は、ソ連崩壊ともに無くなった前世紀の遺物である。
中国はマルクス主義ではなく、隋、唐、清などと同じ、古典的な中華帝国である。
習近平は、皇帝を気取っているのだ。アホな男だ。バカな奴だ、マヌケな人間だ。

2020年10月1日(木)
伊勢谷友介
昨日、テレビを見ていると、イケメンのカッコいい男が、湾岸警察署から
出てきて、玄関前で頭を下げて、お詫びを言って、去って行った。

ゴジラ先生は、芸能人について詳しく知らないので
「なんだこいつは」と思った。第一頭の下げ方が悪い、第二下げる時間が少ない。
ようするに謝罪になっていない。反省の色なしと思われるだろう。

日本では、謝罪する時は、最敬礼か、180度以上、頭を下げることである。
そして、心の中で、「1,2,3,4・・・・・・」と、30か、40まで数えることだ。
伊勢谷はわずか10くらいである。これでは謝罪になっていない。

土下座して、頭を土につけることも方法である。
背広のズボンの膝を折り、深々と頭を下げ、ひたすらじっとしておるのである。
謹慎しているという姿勢と態度が重要なのである。簡単にぞんざいに行うと逆効果になる。

ゴジラ先生は、テレビでタレントが謝罪する光景を見るたびに、
あまりの下手さに対して、「謝罪コンサルタント」を開業してやろうか
と思ったりするのである。

タレントから相談があると、マンツーマンで、謝罪を指導するのである。
日本では形や型が重要なのである。礼儀作法である。

伊勢谷の経歴をネットで見てびっくりした。
東京芸大を現役で合格している。英語も達者だそうだ。
ニューヨーク大学に短期留学していた。異母兄に山本寛斎がいる。

頭の良いエリートである。だから苦労知らずである。
人生の辛酸を舐めていない。才能があるので、何をしても、
出来るのである。器用なのであろう。

ここに大きな落とし穴がある。伊勢谷は、人生を舐めたのである。
人生は、伊勢谷程度の秀才が理解できるほど浅くはない。
人生は深いのだ。闇のような深さがある。日本海溝よりも深い。

昨日の謝罪態度をみると、伊勢谷はまたぞろ失敗する恐れがある。
一労働者となって、額に汗して働け。公衆便所の便所掃除をしてみろ。
老人ホームで、老人のシモの世話をしてみろ。

いずれにしても、辛酸を舐めてみることだ。伊勢谷の人生のためには
一度落ちるところまで落ちてみることだ。