英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

ベトナム民間人虐殺像の製作
ご支援とご寄付のお願い


1960年代、韓国はベトナムに30万人を派兵した。韓国兵のことだから
当然、ベトナム人に残虐行為を働いた。女性を強姦しライダイハンと
言う混血児を数万人も生んだ。さらに残虐なのは、ベトナム人を大量
虐殺したことである。約三万人である。

ゴジラ先生は、2013年と2014年の二度、兄貴と二人で、ベトナム
全土を調査した。各地に韓国兵の残虐行為が残っていた。その証拠は
各地に大きな霊廟や慰霊碑があって、一人一人の犠牲者の名前が刻ま
れていたのである。隠しようがない残虐行為の跡である。

帰国後、そのことについて、「韓国の大量虐殺事件を告発する」(展転社)
を出版した。大きな反響があった。しかし、その後、告発する運動は、
大きく発展しなかった。そこで、今回、ベトナム人虐殺像を製作し、
韓国を告発する運動をさらに進める計画である。

製作費は、550万円である。今、全国の心ある皆様にご支援とご寄付を
お願いしてている。よろしくお願い申し上げます。
像は、11月ごろに完成予定である。像ができるとしかるべき場所に展示
したいと考えている。小型の像も制作し、アメリカなどに持参して
慰安婦像の横において、韓国を告発したい思っている。いずれにしても
全国の皆さんのご支援とご寄付をお願いするばかりである。よろしく
お願い申し上げます。

御寄付をたまわった皆様
10月16日時点で、下記の方々より御寄付を頂きました。
その高い志に対しまして厚く御礼を申し上げます。
引き続きご支援ご寄付をお願い申し上げます。

小堀桂一郎氏、城内実氏、鬼柳一宇氏、神山敏夫氏、
河村宣行氏、
北岡正敏氏、押田信昭氏、竹内勇人氏、
梶俊明氏、小野考良氏、大沢幸立氏、松元俊夫氏、
斎藤永視氏、武井賢吉氏、北岡憲太郎氏、佐藤允男氏

土田恵三氏、土田朝美氏、佐藤祥一氏、阿黒清輝氏

お、以下の方々はカタカナのお名前しか判明しておりませんので、カタカナ名を記載します
ありがとうございました。高い志に深く感謝します。こういう行為を古来から義士による「義」といいます。
コバヤシ・タケシ氏が10万円を寄付してくれました。心より御礼を申し上げます。同じく、
オカザキ・キミヒコ氏。 オワリノブナガ氏に深く感謝申し上げます

2022年2月28日(月)
へトチンコ
ロシアの大統領プーチンの別名は「ヘトチンコ」という。
これはゴジラ先生が命名した。その由来は下記の通りである。
➀プーチンのプーとは屁(へ)のことである。
➁チンはチンコのことである。
これを合体すると、「屁」と「チンコ」である。
すなわち「ヘトチンコ」である。
ドゥーユーアンダースタンド、デンキスタンド、ガソリンスタンド?

■プーチンの終わりの始まりである。
現代において侵略戦争は絶対的にダメである。
いかなる意味でも不可である。
プーチンは世界を敵に回した。
プーチンに味方する者は皆無、絶無である。

■プーチンはロシア内で失脚する可能性がある。
あるいは暗殺されるかもしれない。
さすがのロシア国民もプーチンにはついて行けない。
プーチンを見限るだろう。クーデターが起きる可能性もある。

■プーチンが核兵器をちらつかせたのには、驚き、桃ノ木、山椒の木
ブリキに、タヌキに、蓄音機である。寅さんのセリフではないが
「それを言っちゃおしめえよ」ということだ。。
プーチンはヒトラーの再来である。早く失脚させないと、とんでもないことになる。
ロシア国民の理性を信じる。
,
2022年月25日(金)   

プーチンが戦争を始めた

ロシアがウクライナに侵略した。
これは明らかに侵略戦争である。
しかし、強大なロシア軍事力の前にはウクライナは無力である。
国際社会は指をくわえて傍観するしかないのか。

■プーチンという男は何を考えているのだ。
現代のような民主主義が世界の価値観となっている時代において
ヒトラーやスターリンのような人間がいることが驚きだ。

■戦争を起こしたプーチンとロシアにとって困ることはない。
だから始めたのだ。まず石油の価格が跳ね上がる。
石油大国ロシアにとって大儲けのチャンスである。
西側の制裁などは痛くも痒くもない。
蚊が刺した程度か、それ以下である。

■あきらかに、アメリカを中心とした西側を完全に舐めている。
アメリカもNatoも何もできまいとプーチンは思っている。
この平和な時代に戦争をしたがる国があることが驚きである。
平和を信奉している日本人には理解できない。
しかし、これが国際社会の現実である。

■戦争は国際紛争を解決するための最終手段である。
過去、アメリカもイラクやアフガンで戦争を行ってきた。
だから、ロシアを責めることはできない。
昔ならば、義勇兵がウクライナのために参加した。

■義勇兵は21世紀の現代においても存在するのか。
「誰がために鐘は鳴る」という映画は義勇兵の物語だった。
スペイン内戦に参加したアメリカ人とイングリッドバーグマンの
女性の物語である。現代の義勇兵が現れてウクライナを救助することを願う。


022年2022年2月24日(木)  

プーチンという男

■今、世界を騒がせている男がプーチンである。
この男、何を考えているのか。よく分からない。
世界を支配したいのか。領土欲があるのか。権力欲か。
とにかく世界を騒がせている。

■ロシアの経済力は、GDPでいうと韓国と同じくらいだと、
軽蔑気味に語ったコメンテーターがいたが、全く分かっていないアホである。
国家の力はGDPで計れるものではない。国家の真の力は領土の広さである。

■ロシアは世界一の領土をもっている。ゆえに無尽蔵の資源をもっている。
ナポレオンも、ヒトラーも、広大な領土に攻め込んで、惨憺たる敗北を喫した。
これと反対の国家が日本である。小さな領土であり、資源は何もない。
山と森林と人間がいるだけである。攻めるのは簡単である。
ゆえに太平洋戦争では簡単に降伏せざるをえなかった。

■広大なロシアだったら、いくらでも抵抗できる。
日本の唯一の利点は、海に囲まれているから、敵が攻めにくい。
太平洋戦争当時のアメリカのようなケタ外れの強大な国家は、
現在、存在しないから安心である。中国が日本を攻めるのは不可能である。

■ゆえに中国が台湾を攻めるのは不可能であるとゴジラ先生は考えている。
太平洋戦争当時のアメリカのような膨大な艦隊と船と兵士が必要である。
台湾側も猛烈に反撃するだろう。中国の本土に対してミサイルを撃ち込むだろう。
台湾に上陸する前に撃破される。

■追伸
プーチンに言ってやれ。
日本語では、プーチンとは下品な言葉であることを。
プーはオナラ、チンはチンチンであると教えてやれ。
そうすると、少しは、おとなしくなるかもしれんゾ。
いやいや、そんなことで、へこたれるタマではない。
馬の耳に念仏、カエルのツラにションベン、
プーチンのツラにウンコである。

2月22日(火)

義を見てせざるは勇なきなり
■最近、大変気になったのは、電車の中で、
タバコを吸っている男に注意した高校生が袋叩きにあったことである。
友人の高校生や付近にいた人間は傍観していた。

■なんなる情けないことか。それでも男か、
〇〇〇マをぶら下げているのかと言いたい。
昔の日本の男だったら、「義を見てせざるは勇なきなり」と、
助太刀するのが常識だった。

■ゴジラ先生は、ジジイだが、文句なく高校生を助けて男をぶっ飛ばした。
土下座させ、謝罪させ、駅員に突き出している。
ゴジラ先生は、長年、肉体的なケンカを含めて、
数多くの修羅場をくぐってきたから、
こんな男を撃破する方法・手段を心得ている。

■ケンカの極意は、相手の目を見て決死の覚悟を見せることである。
「テメエ、ぶっ殺すぞ」という不退転の決意を見せることである。
ケンカは体力ではなく度胸でやるものである。
死を覚悟した人間ほど強い者はない。

■ゴジラ先生の父親は大正生まれで、柔道と剣道が学校の必須科目だった。
明治以来、日本は戦争の時代だった。だから学校教育は戦う男を作るのが目的だった。
戦士の育成である。しかし、敗戦とともに、戦後教育は平和主義教育になった。

■争わない、戦わない、戦争をしない、
なんでもかんでも平和、平和の一本槍である。
こういう体たらくだから、竹島は韓国に取られ、
北方領土はロシアに奪われたままであり、
尖閣諸島には中国船が侵入しているのである。

■戦争は悪ではない。戦争は必要なのである。
国際紛争を解決する最終手段は戦争である。
学校教育において戦争教育の必要を痛感する。
日本は戦う国家たれと言いたい。


2022年2月21日(月)

つまらんオリンピックだった 
中国とロシアが中心のつまらんオリンピックだった。
中国はオリンピックを開く資格はない。
独裁国家に開かせたことは大きな誤りだった。
かつてヒトラーにオリンピックを開催させたことと同じである。

■今後は、独裁国家には絶対に開かせないという規則を設けることである。
IОCよ、毅然たる態度を見せろ。バッハ会長は、中国の腰巾着だった。
この男、長期にわたってやっているが、任期制をしくことである。
一期四年で二期までである。長期政権なると、腐敗と癒着が生まれる。
バッハは中国から鼻薬をかがされたのである。

■ロシアの十五歳の少女は気の毒だった。
ロシアオリンピック委員会の犠牲者である。
とくに、コーチの女は間違っている。
若い子を消耗品のごとく使い捨てにしている。
十八歳まで活躍した人がいないではないか。
みんな十五,六歳で選手生命が終っている。

■それにしても、ワリエワ選手は美人である。
足も長い。容姿もすばらしい。
日本選手では、千年たっても、万年たっても、及ばない。
白人は白人だけで大会をやれ。
アジア人はアジア人、黒人は黒人でやろう。

■最初から人種には違いがある。
人権だの、平等だのと言っても、現実が事実である。
美人でかっこいいワリエワと足の短い日本人では戦う土俵が違うのだ。


2022年2月18日(金)
メダルについて日韓の違い
■北京オリンピックにおけるメダルについて日韓の違いがある。
金・銀・銅の数である。日本はそれぞれ3個・5個・8個である。
韓国は2・4・1である。

■日本はきれいな三角形である。韓国はいびつな形である。
とくに銅が一個である。
日本の三角形は底辺の厚みを示している。

■しかし、韓国は底辺がない。金と銀という派手さを狙っている。
底辺を拡張するという意識がない。
これでは早晩、行き詰まるだろう。
派手さを追及する朝鮮人・韓国人という人間の本性を示している。
北朝鮮などは、ミサイルと核兵器で背伸びをしている。
国民が飢えているのに派手な兵器を開発しているのである。

■それにしても高木美帆の金メダルは見事である。
金メダル数で韓国が追い上げていただけにこれで引き離した。
もう一つ、パッとしなかった北京オリンピックにおいて、
最後の大輪を咲かせた。国民栄誉賞をあげたい。
女子のカーリングも頑張った。素晴らしい。

■羽田空港に帰国した時、日本選手団を大歓迎してやろうではないか。
日本の名誉を背負って戦ったヒーロー、ヒロインたちである。

 
2022年2月17日(木)
児童虐待死
ああ、哀れなり

■岡山で六歳の西田真愛(まお)ちゃんが虐待で死んだ。
わずか六歳で天国に行ってしまった。
夜の墓場に連れ出し、目隠して立たせて虐待していたそうだ。
通行人たまたま発見し、「そんなことしたらいかん」と注意したら帰ったそうだ。
それでも一時間あまり虐待したそうだ。

■あるいはイスの上においた鍋の中に、三時間から六時間、立たせたそうだ。
ゴジラ先生は、真愛ちゃんが哀れでならない。
涙が止まらない。なんということをするのか、人間のすることではない。

■こういう奴らは監獄に放り込む前に同じような目に合わせてやれ。
どれほど、寒くて、痛くて、みじめで、悲しいものか、味わわせてやれ。
こういう奴は死刑にしても飽き足らない。
地獄に行って、閻魔大王様の前で、いやというほどお仕置きをうけさせろ。  

■それしても児童相談所の対応が甘すぎる。虐待が発覚した時点で、児童を引き取り、
二度とふたたび虐待親に帰してはならない。
今までも、反省しているという虐待親の言い分を聞いて、死なせている。
虐待をしたら、よほどのことがないかぎり、虐待親から隔離することである。

■世の中には子供を養子に欲しい人はいくらでもいる。
我が子として大切に育てる人がいるのだ。
養子縁組の仕組みやシステムをを作ることである。
これは虐待を防ぐ有効な方法となるだろう。

■子供を虐待親に帰した後も、何度も、何度も、訪問し、確認することである。
少しでも虐待の兆候があれば二度と親に帰してはならない。
虐待死が起きた事件では、児童相談所は、親の言い分を聞いてしまって、
児童を虐待親の元に帰している。そして悲劇が起きている。

 
20222年2月16日(水)
カミラ・ワリエフ
ロシアの十五歳のカワイコちゃん

■こんなカワイコちゃんには文句はない。
ドーピング違反が問題となっているが、まあいいではないか。
15歳のカワイコちゃんに免じて、許してやれと言いたい。

■それにしても、あの足の長さ、腰の高さ、スタイルの良さ、顔のかわいさ、
これりゃ、どうみても、日本人が千年たっても、万年たっても、かなわない。
逆立ちしても、デングリ返しをしても、太刀打ちできない。
十代のロシア美人は傑出している。

■もともとロシア人選手と日本人選手が戦うのは間違いである。
白人は白人だけで競技をすることだ。
黒人は黒人だけ、アジア人はアジア人だけでやることだ。

■それにしても最近、アメリカ選手がいない。
かつてはジャット・リンという選手が一世を風靡した。
ゴジラ先生などは、最近、名前が出てこないのに困っているが、
ジャネット・リンなどの昔の名前はすぐに出てくる。

■ついでにいうと、コマネチが出てきた時も衝撃だった。
白い妖精と言われた。
白いレオタード姿はそりゃもう感動するほど美しかった。
ビートたけしが「コマネチ、コマネチ」と真似をしたのは当然である。
しかし、コマネチもアメリカに行って、りっぱなオバハンになっている。

■美しさとは天性のものであり芸術である。
カミラ・ワリエフちゃんの美しさは天性であり芸術である。
黙って鑑賞すればいい。野暮は言わぬが花である。
 
2022年2月15日(火)
英語講座
二日前から、朝六時からのNHKの英語講座を聴き始めた。
二年くらい前までは、勤勉に、毎朝聴いていた。
しかし、ある日、なんとなくむなしくなってやめた。
いくら聴いても英語が上達しているのかまったく分からなかったからである。
こういう目標が読めないものは続ける動機がないので困難である。

しかし、なぜ、今回、再び挑戦したかというと、目標を「ボケ防止」にしたからである。
ふと英語講座はボケ防止に役立つのではないかと思った。
目標を英語の上達にすると、上達しているのかどうか進捗状況がまったくわからない。
しかし、ボケ防止にすると目標が明確になる。

そこで、さっそく、英語テキストを注文した。CD付である。
英語講座には四つある。
第一が中学生の基礎英語レベル1
第二が中学生の基礎英語レベル2
第三が中高生の基礎英語InEnglish
第四がラジオ英会話
以上四講座である。

午前六時から七時まで一時間である。
久しぶりに聴くと、耳が慣れていないことに気が付いた。
やはり継続は力なりを痛感した。
いずれにしても、ゴジラ先生の年齢から考えると、
今回が、最後のチャンスと心得ているので、根性を入れ直した。
さあ、やるぞ!


2022年2月14日(月)
オンシュウ、メンシュウ

昨日から大雪になるぞ、大雪だ、大雪だと、天気予報は叫んでいたが、小雨が降っただけである。
昔から大騒ぎすると外れる。だから、事前には少なく言っておくことである。
それにしても、無茶苦茶に寒いということがなくなった。横浜でも大雪がない。

昔、十年か、二十年か前だったか、しばしば大雪になったことがある。
戸塚駅から東海道の大坂をみんながぞろぞろと歩いてことがある。
途中には動けなくなった車が放置してあった。
ゴジラ先生は、朝、通勤のため大雪の中、スクーターにまたがり、
足を地面につけて、ゆっくりと戸塚駅まで走ったことがある。


最近はまったく雪が降らなくなった。横浜は、もともと暖かい土地であるが、
それでも昔は雪が積もった。暖かいのは地球温暖化が原因であろう。
冬は暖かいのは助かるが、夏は、一層、暑くなると予想できる。


ゴジラ先生が子供のころ、四国徳島も暑かったが、耐えられない暑さではなかった。
麦わら帽子をかぶって、袖のないチャンチャンコという服を着て、網をもって、
トンボやセミを取りにでかけたものである。とくにゴジラ先生たちが、
オンシュウ、メンシュウと呼んでいたヤンマを狙うのである。

オンシュウ、メンシュウは、いつも空中を飛んでおり、絶対に地面にとまらない。
だから、捕まえるのに大変苦労した。それだけ子供にとって好敵手だった。
ただオンタ(オス)とメンタ(メス)がつるんだ時(交尾の時)だけ、池の中のハスの上にとまる。
しかしそんな状態の時は絶対に取らない。子供ながらの仁義であった。


ゴジラ先生は、竹製の柄の部分を作り直して長くした網をもって、
背を低くしてじっと地面に座り、オンシュウ、メンシュウが、
真上を通過するのをひたすら待つのである。

少しでも離れると網が届かないので、
真上を通過するオンシュウ、メンシュウを待つのである。
そして、とうとう、彼らが真上を通過する瞬間がくる。
その時、飛び上がり、網を振るい、捕まえるのである。
捕まえた瞬間の喜びは最高だった。
虫かごに入れて、意気揚々と家に帰るのである。

 
2022年2月10日(木)
辻元、蓮舫、福島瑞穂、田嶋陽子・・四匹のブス
この四人の女は、キャンキャンとスピッツのように吠えていた。
辻元清美は落選した。蓮舫は現役である。
田嶋は昭和16年生まれだから八〇歳のババアになった。
一時はぶいぶい言わせたが最近は消息を聞かない。
八〇にもなればおとなしくなったのだろう。

蓮舫は昔、スーパーコンピュータの開発で、
二位じゃだめなんでしょうかと発言し問題になったバカ女である。
辻元は、小泉純一郎に、ソーリ、ソーリと連発して話題になった。
パフォーマンスだけの女である。
選挙民も心得ているから、今回、落選させたのである。

福島瑞穂もババアになった。最近は音沙汰がない。
昔、ゴジラ先生が国会議員会館で用事を済ませて、地下の通路を歩いていたら、
とぼとぼと歩いてくる女に出会った。それが福島瑞穂だった。
なんとなくうらぶれた風情だった。

辻元は、次の参議院選挙にでるそうだが、いいかげんにせいと言いたい。
選挙民を愚弄するな。国民は、もうこの女を必要としていない。
時代の変化、国民の意識の変化をまったく分かっていない。
アホな女である。


2022年2月9日(水)
泣くな高梨沙羅ちゃん
ジャンプの高梨沙羅選手がスーツの規定違反で失格となった。
どんな規定か知らないが、けったいな規則であると想像する。

ジャンプの失格ではなく、服装で失格とは、まったくおかしい。
規則の方が間違っている。
そんな規則は選手や関係者が団結して廃止すればいい。

高梨沙羅ちゃんは、長い間、日本のジャンプのエースだった。
数々の表彰で、国民を元気づけてきた。
泣くな高梨、国民は君の味方だ。

大手を振って帰国しなさい。
羽田空港で大歓迎しようではないか。


2022年2月8日(火)
韓国とは断絶・断行せよ
ゴジラ先生の忌避(きひ)三原則

韓国が例によって例のごとく佐渡金山の登録問題で反対している。
この国は反日のための反日をする国家である。
日本のすることなすこと何でも反対である。

こういう国とは断絶するのが最良最善である。
韓国問題の権威、筑波大学の古田博司教授は非韓三原則を提唱している。
「教えるな、助けるな、関わるな」である。

ゴジラ先生はそれに追加して、
「殴る、蹴る、倒す」の忌避(きひ)三原則を提案する。
対馬海峡に巨大な壁を設置したいくらいである。
明治から令和までの150年間、朝鮮半島と付き合うとロクなことはない。

遅れた朝鮮半島を助けようと明治政府は関係した。
それが不幸の始まりである。
戦後も、貧しい韓国を助けた。
しかし、すべては恩を仇で返されたのである。

朝鮮民族には正義、恩義、仁義という徳目は存在しない。
朝鮮民族にあるものは、「裏切り、背徳、背信」である。
朝鮮民族とは裏切りが常態なのである。
人を信用せず、背後から斬りつけるのである。
哀れな民族である。

しかし、哀れなと思って同情するのは禁物である
同情するとつけあがるのである。
これが日本の150年間の経験である。
対韓国政策の原則は一切の関わりを断つことである。
断絶、断交、断舌である。対韓・忌避三原則とよぶ。
断舌とは朝鮮人・韓国人と喋らないことである。
ゴジラ先生の造語である。

 
2022年2月7日(月)    

寒い、寒い、おお寒い

二月は一年で一番寒いかもしれない。
今朝も寒い。ゴジラ先生は、南国の四国・徳島生まれだから、
寒さに対して強くはない。それで人並にブルブルとふるえている。
厚いセーターを着こんで、この原稿を書いている。

この寒さの中、庭の梅の木には、蕾がいっぱいなっている。
梅というのは、咲くのが、相当、早いようだ。
庭には桜の木もあるが、これは枝葉が落ちて咲く気配もない。

本日も天気だが、膝の調子が悪いので家でじっとしていることになるだろう。
六年前に半月板を手術し、しばらくは順調だったのだが、昨年あたりから、痛くなった。
運動ができないのが困る。もちろん大好きなサイクリングも控えている

手術は近所にある西横浜国際総合病院である。この手術が下手だった。
どうして、この病院に行ったかというと、この病院が、家から徒歩15分の所にあり、
普段からかかっている病院であるからだ。

もっと上手な病院に行けばよかったというのが反省点である。
しかし、手術といのうは、その病院の先生が、上手なのか下手なのか、
素人では判断がつかないから困る。

この病院、国際などと大げさな名前をつけているが、外国人の先生も患者もいない。
患者は、近所のニイチャン、ネエチャン、オッサン、オバハン、ジイサン、バアサンである。
どうして、こういう名前をつけたのか、知らないが、経営者に聞いてみたいものだ。
西横浜国際だから、東横浜国際、南横浜国際、北横浜国際などと言う病院もあるのかもしれない。


2022年2月4日(金)
北京オリンピックをボイコットせよ
選手団をひきあげろ。
中国という独裁国家にオリンピックを開く資格はない。

ところが、各国は、中国におもねって選手を派遣した。
日本も追従した。

戦後日本は、信念も哲学もない、フニャフニャの
コンニャクのような国家である。
偉大な大日本帝国の先人たちの行動を見習え。

バッハと言う奴は中国の太鼓持ちである。
腰抜けで臆病者のだらしない男である。
世界は、かつてのヒトラードイツの例があるのに、
またぞろ同じことを繰り返した。

人間は歴史に学ばない大アホウである。
習近平の権威を持ち上げることに手を貸した。
中国という独裁国家が地球から消えてなくなることを願う。

2022年2月3日(木)
巨星落つ・石原慎太郎死す
一つの時代の終焉

2月1日、午前十時頃、石原慎太郎が亡くなった。
まさに巨星落つという言葉がふさわしい人物だった。
戦後最大級の人物であった。

日本には、慎太郎のような政治家が必要である。
今の政治家は、腰抜けの臆病者ばかりである。
中国にも、アメリカにも一目も二目も置かれる政治家がいない。

筆者は、石原慎太郎と裕次郎の二人が演説している場面に出くわしたことがある。
ある夕方、仕事を終え、家に帰ろうと五反田駅のホームで電車を待っていると、
ホームの目の前に止っている車の上に、慎太郎と裕次郎が立っているではないか。
五反田駅のホームは、地上より、数段高いところにある吹きっさらしのホームだった。

どちらが最初に演説したのか覚えてないが、たぶん、二人交代で演説した。
あれは何の選挙だったか覚えていないが、二人の大スターの競演には大変驚いた。
あの頃は、裕次郎も元気だったのである。

石原慎太郎は、数多くの物議をかもした人物だった。
物議と言ったが、みんな社会への提言であり、変革の提案であった。
時代を先取りし、変革や革命を求めたのである。

普通の人間だったら、即刻、大問題となるようなことも、慎太郎だから、許された。
慎太郎ならば、さもありなんと人々は納得した。
こういう人物は、今後も出ないだろう。
一つの時代の終焉である。


2022年2月1日(火)
武士道の復活・・・武士道ルネサンス
日本が世界に誇る精神文化は武士道である。
新渡戸稲造の名著「武士道」は、明治23年(1899年)、新渡戸稲造が英語で書いた。
これを読んだ当時のアメリカのセオダールーズベルト大統領が大変感動し、
その本を友人知人に配ったのである。それほどの素晴らしい本である。

同時に、武士道文化がいかに高尚であり、普遍的であったかを証明するものである。
しかし先の戦争の敗戦後、日本文化の多くが否定されてしまった。
武士道もその一つである。

しかしGHQとマッカサーがいかに否定しようとも、
数百年の歴史と伝統をもつ文化を消し去ることはできない。
戦後も七十七年、経過した。武士道の再評価を行うべき時である。

高度成長が終わり、失われた十年も終わり、目標を見失った日本人が
よりどころにするものは、日本の歴史の文化である。
その代表が武士道である。コロナ禍という災害の中で、
日本人が自信を取り戻し、明日ヘ向かって、前進するための心のよりどころ、
指針となるものである。

筆者は、ここに武士道の復活、すなわちルネサンスを強く求めたい。

武士道ルネサンスである。