英雄・故小野田寛郎先生・特別講演会での思い出

小野田寛郎さんをお迎えして、特別講演会が開かれた。

参加した多くの人の歴史観が変わった日だった。人生において

劇的な進化と進歩を獲得した日だった。謦咳に接するという

ことの大切さを痛感した。我が人生最良の日だった。

 

ベトナム民間人虐殺像の製作
ご支援とご寄付のお願い


1960年代、韓国はベトナムに30万人を派兵した。韓国兵のことだから
当然、ベトナム人に残虐行為を働いた。女性を強姦しライダイハンと
言う混血児を数万人も生んだ。さらに残虐なのは、ベトナム人を大量
虐殺したことである。約三万人である。

ゴジラ先生は、2013年と2014年の二度、兄貴と二人で、ベトナム
全土を調査した。各地に韓国兵の残虐行為が残っていた。その証拠は
各地に大きな霊廟や慰霊碑があって、一人一人の犠牲者の名前が刻ま
れていたのである。隠しようがない残虐行為の跡である。

帰国後、そのことについて、「韓国の大量虐殺事件を告発する」(展転社)
を出版した。大きな反響があった。しかし、その後、告発する運動は、
大きく発展しなかった。そこで、今回、ベトナム人虐殺像を製作し、
韓国を告発する運動をさらに進める計画である。

製作費は、550万円である。今、全国の心ある皆様にご支援とご寄付を
お願いしてている。よろしくお願い申し上げます。
像は、11月ごろに完成予定である。像ができるとしかるべき場所に展示
したいと考えている。小型の像も制作し、アメリカなどに持参して
慰安婦像の横において、韓国を告発したい思っている。いずれにしても
全国の皆さんのご支援とご寄付をお願いするばかりである。よろしく
お願い申し上げます。

御寄付をたまわった皆様
10月16日時点で、下記の方々より御寄付を頂きました。

その高い志に対しまして厚く御礼を申し上げます。
引き続きご支援ご寄付をお願い申し上げます。

小堀桂一郎氏、城内実氏、鬼柳一宇氏、神山敏夫氏神山敏蔵氏
河村宣行氏、
北岡正敏氏、梶俊明氏、小野考良氏、大沢幸立氏、
松元俊夫氏、斎藤永視氏、武井賢吉氏、北岡憲太郎氏、佐藤允男氏

土田恵三氏、土田朝美氏、佐藤祥一氏、阿黒清輝氏

お、以下の方々はカタカナのお名前しか判明しておりませんので、カタカナ名を記載します
ありがとうございました。高い志に深く感謝します。こういう行為を古来から義士による「義」といいます。
コバヤシ・タケシ氏が10万円を寄付してくれました。心より御礼を申し上げます。同じく、
オカザキ・キミヒコ氏。 オワリノブナガ氏に深く感謝申し上げます


2025年3月26日(水)
天皇陛下の靖国参拝を実現すべし

■天皇陛下の靖国神社の参拝なくして戦後は終わらない。
太平洋戦争では七百万人の日本人が出征し、二〇〇万人が戦死した。
死に際には「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んでいった。
彼ら英霊の魂を安んずるものは天皇陛下の参拝しかない。

■アメリカの爆撃による一般日本人の死者数は約100万人である。
罪なき一般人日本人の虐殺は、絶対に許されざる戦争犯罪である。
このことはアメリカの謝罪があるまで、徹底的に追及しなければならない。

■ところで、なぜ天皇陛下が靖国神社の参拝をやめたのか、その理由を知りたい。
国民には知る権利がある。
七人の戦犯が合祀されたからという理由ならば、明確に反論したい。
七人を戦犯としたのはマッカーサーとGHQである。
七人は戦犯どころか、日本のために戦った英雄である。
七人は戦争犯罪人ではない。

■戦争犯罪人は、原爆を投下し、日本を焦土し、三〇〇万人を虐殺したマッカーサーとアメリカである。
日本の戦争は自衛のための戦争である。
さらにアジアから欧米の植民地を解放した解放者である。
日本の戦争は正義の戦争だった。

■日本の戦争をナチスドイツと同一視したことは連合国の重大なる過ちである。
ゆえにこそ天皇陛下は靖国神社を参拝しなければならない。
昭和天皇に靖国参拝中止を諫言した人間は日本人の敵である。
彼らこそA級戦犯である。

2025年3月21日(金)
大相撲の力士は太りすぎである
➀土俵を拡張すること ➁稽古不足である


■ その昔、力士は「美しい」と形容したものである。
しかし、今の力士は醜いと形容する。
最近の大相撲の問題は力士が太りすぎていることである。
問題点は以下の通りである。

■第一、太っているから、あっけなく土俵に転ぶ。
ゆえに相撲が淡泊になっている。
四つに組んでの熱戦がほとんどない。

■第二、ゴジラ先生、子供のころから七十年以上、大相撲をみている。
初代若乃花と栃錦の相撲は歴史の残る戦いだった。
二人が花道に登場した時から、場内は騒然となり、ワーワーという大歓声でアナウンスが聞こえなかった。
二人は土俵上でがっぷり四つに組んで動かず、水入りになるほどの戦いだった。

■第三、力士が太るのは、食べる量に対して、稽古が不足しているのである。
稽古時間を大幅に増やすことである。

■第四、八角理事長は全力士に対して稽古量を増やすことを厳命することである。
多くの部屋では、朝稽古をした後、メシを食って昼寝をする。
一日一回の稽古しかしないのである。太るのは当然である。
稽古量を二倍、三倍にすることである。

■第五、全力士に対して減量を科すべきである。
現在の平均体重は一六〇キロである。あまりにも太りすぎである。
これでは淡泊なあっけない相撲になるのは必然である。

■第六、大型力士の時代、土俵を拡張することである。
昭和六年、力士の大型化で、土俵を拡張した。
あれから九十三年たっている。
相撲協会や横綱審議会の英断の時である。

2025年3月19日(水)
ストリップ考現学3
ストリップ劇場の減少と痴漢の増加
■現在、ストリッフ劇場は、最盛期の二〇〇軒から二〇軒に激減している。
その背景を考えた。

■第一、昔の男は、ストリップを見て遊郭に繰り込んだ。
しかし、肝心の遊郭が激減しているのでストリップを見ても、
性のはけ口がないので、ストリップ劇場に行かなくなった。

■第二、男が性風俗店を利用し遊郭に行かなくなった。

■第三、性風俗店で女の裸が見えるのでストリップ劇場に行かなくなった。

■第四、女の裸はネットなどでふんだんに見ることができるようになった。

■第五、世の中が清潔ムード、上品ムードになって、ストリップを下品なもの、
不潔なものとして忌避するようになった。

■ある調査によると、昭和二〇年三〇年代に強姦が多かったが現在は減っている。
しかし、平成になって痴漢は増えている。
筆者は遊郭とストリップ劇場の減少が痴漢の増加の原因であると考えている。
遊郭もストリップ劇場も社会の必要悪であるとつくづく思う。

2025年3月14日(金)
ストリップ考現学その2             
■考現学とは考古学の現代版である。
ストリップの「社会学」「文化人類学」と言ってもいい。

■ある時、筆者はある会社の社内研修を請け負って、船橋の研修所に泊まり込みで出張していた。
講義が終わった後、ストリップで有名な船橋の劇場に「後学?」のためにでかけた。

■驚いたのは希望者を募り、舞台の上でセックスをさせるのである。
なんとも不潔で嫌悪感を覚えた。
ストリップ劇場もここまで堕落したのかと思った。

■長年、ストリップを「勉強?」していると傑作なことにも出くわす。
神戸の劇場だったが、ストリップ嬢が、舞台の上を右から左へと移動しながら、
順番に男どもの前に、「オ〇〇〇」を開陳して見せるのである。

■すると、男どもが、女の小さな「お○○○」を見ようと、
ラクビーのスクラムのように頭をぶっつけ合って殺到するのである。
女の小さなお○○○など見えるはずがない。
筆者は笑いが止まらず、その光景を見ていた。
あさましいというより、凄まじい男の本能に、あっぱれ、バンザイを言いたかった。
 
2025年3月12日(水)
ストリップ考現学そのⅠ
なぜストリップ劇場は減ったのか


■最盛期、全国で二〇〇館あったストリップ劇場が、
現在、わずか二〇館に激減している。
なんとも寂しいことである。ストリップは大衆文化の花形である。
この衰退は、文化の衰退のきざしかもしれないので、今回からシリーズで
考察することにした。

■さて、筆者は大学時代を大阪で過ごした。
昭和37年に大阪市立大学経済学部に入学した。
大学も、筆者の住まいも、住吉区杉本町にあった。

■当時はストリップ全盛期で、ストリップ劇場はあふれるほど存在した。
大阪観光のメッカの通天閣の真下にもあった。
間寛平が出演していた有名な「温劇」は、ジャンジャン横丁にあった。

■大阪市内の九条には、入場料が五千円もする高級ストリップ劇場があった。
当時の五千円は凄い金額である。後学のために見に行ったことがある。

■また、ある時、学生だったゴジラ先生は、神戸に遠征し、
最前列でストリップを見ていた。
そのうち、疲れから、ウトウトと寝てしまった。

■その時、天から「そこの学生、真面目に見ろ」という声がした。
詰襟の学生服で見ていたからである。筆者は「ハっ」と目が覚め、
あわててストリップ嬢を見上げて、「すみません」と、謝ったら「ニコッ」と笑ってくれた。
良きストリップ嬢がいる、おおらかな時代だった。

2025年3月10日(月)
飛田新地を哲学的に考える
■売春禁止法が存在するのに、大阪には売春天国の飛田新地が存在している。
これは現代の七不思議である。
飛田とは、売春がタテマエでは禁止であるが、
ホンネでは禁止ではないという人間の本能が生み出した場所である。

■人間が存在するかぎり、売春や買春はなくならない。
セックスは人間を含めて、すべての動物の本能であるからだ。

■セックスがなくなったら、人間をふくめてすべての動物は絶滅する。
その動物の本能を禁止しようとすること自体、人間の愚かな所業である。
売春禁止法は売春を商売とすることを禁じた法律である。
しかし、人間の本能を禁止することはできない。
この矛盾を何と考えるか。これは哲学の問題である。

■飛田遊郭は人間という生き物が持っている矛盾が問われている場所である。
矛盾が矛盾のままに存在している場所が飛田新地である。

■飛田遊郭に出入りする人間は無数にいる。
しかしだれ一人として、その矛盾を知った上で、出入りしているのではない。
セックスの欲望を解消しようとして、飛田遊郭に出入りしているのである。
まことに飛田新地は人間の矛盾や摩訶不思議が生きている場所である。
ブラボー飛田新地!

2025年3月5日(水)
原爆投下は戦争犯罪である
■昭和二十年八月六日の広島市、九日の長崎市への原爆投下は、アメリカの戦争犯罪である。
われわれ日本人は、このことを強く主張し続けなければならない。
現在、日米は同盟国であるが、それと八十年前の原爆投下問題は関係がない。

■昭和二十年八月当時の日本は、息も絶え絶えで降伏寸前だった。
その状態の日本に原爆を投下することは、原爆の威力の実験だったことは疑いの余地がない。
誰もいない無人島に原爆を投下し、威力を示し、日本に降伏迫ると言う意見もあったそうだ。

■原爆投下はあきらかに人種差別である。アメリカ人から見れば、
日本人などは、サルと同等くらいに思っていただろう。
それは、原爆投下のみならず、全土を焦土にしたことを見ればわかる。
同じ白人国家であれば、あれほどの残虐な攻撃をしなかっただろう。

■原爆投下は国際法違反である。アメリカは原爆の威力を知っていたのに落とした。
罪もない民間人を虐殺し、軍事施設でない民間住宅を焼き尽くした。

■東京裁判で、アメリカのブレイクニー弁護士は、原爆投下をきびしく非難した。
インドのパル判事は、日本の無罪を主張した。
東京裁判は連合国による日本に対する復讐裁判だった。
我々は、東京裁判のやり直しと無効を主張し、
アメリカの原爆投下と戦争犯罪をきびしく追及しつづける必要がある。

2025年3月3日(月)
山本五十六の大罪
アメリカの原爆投下を誘発し、国土を焦土にした犯人

■昭和十六年十二月八日、日本軍の真珠湾攻撃で対米戦争は始まった。
日本の悲劇の始まりである。

■もし山本五十六が真珠湾を攻撃しなかったら、日米間の全面戦争はなかっただろう。
日本陸軍は中国との戦争に、アメリカは欧州の対ドイツとの戦争に、それぞれ手一杯だった。
山本五十六の真珠湾攻撃は取り返しのつかない過ちだった。
アメリカは「リメンバーパールハーバー」と、全国民を鼓舞し、対日戦争に全面的に乗り出した。

■四年間の戦いのあと、日本は原爆を落とされ、国土は焦土と化し、
三百万人の日本人が亡くなった。
すべては真珠湾攻撃に対する報復だった。

■しかるに、山本五十六の郷里の長岡には山本五十六記念館がある。
筑波大学の中川八洋教授は、「山本五十六の大罪」(弓立社)の中で、
「山本記念館は、直ちに破壊され焼却され撤去されなければ、
日本人の倫理が冒涜される・・国民の愛国の精神が腐食する」述べている。

■山本は、真珠湾を攻撃すれば、アメリカ人は意気消沈すると考えた。
山本自身が意気消沈するタイプの人間だったゆえの過ちである。
ミッドウェー海戦の大惨敗のあと、山本は軍令部で意気消沈していたそうだ。

■海軍は女にだらしなかった。
山本や米内光政は宿泊所に馴染みの芸者を呼んで遊んだ。

■また海軍は,軍艦の中では将校と水兵は主人と奴隷ほどの差別があった。
そのことは、名著の高橋孟「海軍めしたき物語」(新潮社)で描かれている。
しかし陸軍では将軍も兵隊も一体で戦った。
戦場では将軍も兵隊も一心同体である。